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2008年04月04日(金)
「危険なドキュメンタリー作家」田原総一朗伝説!

『本業』(浅草キッド 水道橋博士著・文春文庫)より。

(浅草キッドの水道橋博士が雑誌に連載していた「タレント本」の書評をまとめたものの一部です。「第22回・田原総一朗・田原節子著『私たちの愛』の書評から)

【さて、元々、テレビ東京の社員ディレクターでTVドキュメンタリー作家であった田原氏が、今から40年以上前、一体どんな作品を撮っていたのか。
 この本に「犯罪スレスレでドキュメンタリーを撮っていた」と1章、書かれているものの幾つかを要約して紹介しよう。
「ピアニストの山下洋輔のドキュメントを撮影することとなるが、単なる演奏シーンでは面白くない。『弾きながら死ねればいいな』と山下が言ったので、山下を連れて当時全共闘運動で一番過激だった早稲田でゲバルトをしかければ紛争となり、うまくいけば、山下はピアノを弾きながら死ねるかもしれない、『それはおもしろい』とぼくはのった……」
 と計画を実行に移すことになる。もちろん、山下洋輔は今も健在なのだから、この「ピアノ弾き死んだ」は未遂に終わったわけだ。
「高橋英二という役者がガンで半年の命しかないと告白。右腕を切り落とさなければならないと言う。『カメラの前で死ぬまで精一杯演技をしてみせる』と闘争宣言した高橋の行動を追うことになり、まず癌センターで右腕除去手術を撮影。さらに、本人が望むまま散弾銃を持って国会議事堂に向けて発砲するシーンも撮影する。そんな行動に、週刊誌が飛びつき、本やテレビドラマが作られ、彼は癌患者のままスターになっていくが、その後、半年以上を生き延び死去。死の前日もカメラを廻し、高橋を棺おけに入れ、霊柩車で運ばれるまで映像で追った……」
 国会議事堂へ散弾銃のくだりなど、当時の時代性もあったのであろうが、今でも、ぜひ見てみたい作品である。
「全共闘くずれの連中が裸で結婚式をすることとなり、余興として花嫁が列席者の男たちとセックスをすることとなる。現場ではスタッフも全員、裸で撮影することとなった。しかし、当日、花嫁がスタッフとセックスをしたいと言い出し断ったら取材拒否になるとうことだったので、ぼくが手を挙げ、花嫁とやっているぼくを撮影させた……」
 つまり、田原総一朗とは、日本で最初の本番男優なのである!
 これらの作品の常識の逸脱ぶり、そして文字通り本人の脱ぎっぷりも凄まじい。
 こんな狂気に駆られ塀の上を走り抜けるような作品群を発表していれば、当然、当局の目にも止まる。実際、2度の逮捕暦もあり、所轄署の要注意人物であったのだ。
 そして、後にフリーになっていたある日、埼玉県警の刑事が田原氏の自宅を訪ねてくる。
「『実は明日、定年なんです。長い間、いろいろ面倒をおかけしました』どの刑事さんは、ぼくを17年間もずっと尾行していたのだ。ぼくもうちに上がってもらって、二人でしんみりと話をした」
 と、さらりと書いているが、実にいい話だ!
 以前、田原氏と俺たちが雑誌で対談した際も、この頃の話をしたが、俺は思わず、その突撃取材ぶりに、
「まるで、『ゆきゆきて、神軍』ですね〜」
 と感心した。すると田原氏は顔色を変え、
「何を言ってんだ! 原一男は俺の作品の助監督だったんだよ!」と言うではないか。
 つまり原一男監督の、あの作風は、実は田原総一朗仕込みだったのだ。】

〜〜〜〜〜〜〜

 この本によると、あの「突撃取材」で有名なマイケル・ムーア監督は「最も影響を受けた映画人」のひとりとして原一男監督の名前を挙げていそうで、「マイケル・ムーアは田原総一朗の孫弟子にあたる」と水道橋博士は書かれています。
 僕にとっての田原総一朗さんは「『朝まで生テレビ』で偉そうに仕切っている人」だったので、この話には驚いてしまいました。もちろん、『朝生』の「激論」には演出的な要素が多分に含まれているとはいえ(そしてそれはまさに、田原さんの「得意技」であるとはいえ)、あれだけの曲者たちが田原さんに「仕切られている」理由には、こんな過去の実績があったんですね。
 まさに、良くも悪くも「一目置かざるをえない人」という感じです。

 しかし、ここで田原さんが撮っていた「ドキュメンタリー」って、それぞれのエピソードを読んでみると、けっして「現実をそのまま撮っている」わけではないですよね。こんなに撮る側、撮られる側によって「演出」されていては、むしろ「フィクション」なのではないかという気もします。
 それにしても、当時の、というか田原さんの「ドキュメンタリー」って、まさに「突撃取材」というか、今の感覚としては、「やりすぎ」「悪ノリ」の部類に入るものも多そうです。同じものが現在放送されたら、すぐ「炎上」しそうだよなあ。

【うまくいけば、山下はピアノを弾きながら死ねるかもしれない】なんて、それ、「うまくいけば」って言っちゃっていいの?
 
 当時のテレビ東京は、本当にこんな危険なドキュメンタリーを放送していたのでしょうか。
 もし映像が残っているのなら、ぜひ僕も一度観てみたいものです。
 今の「大家族スペシャル」の生温かさと比べると、なんて殺伐とした、そして活気にあふれる時代だったんだ、と驚かされるばかりです。