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2008年02月05日(火)
「私が文章書きになれたのは、”夢”を持ち続けていたからではない」

『社会派くんがゆく! 復活編』(唐沢俊一、村崎百郎共著・アスペクト)より。

(「あなたには夢がない」と妹になじられた浪人生が、その妹を殺害した「幡ヶ谷女子短大生殺害事件」が起こったのは2006年の12月。
 その事件を受けて、「夢」について唐沢俊一さんが書かれた文章の一部です)

【「自分には夢があるから」と考えている大半のバカ共にあえて言う。お前らの持っている夢なんて、まずほとんどがクズである。単なる有名人志向、タレント志向、でなければ、自分の中の(まだどこにあるか自分で発見もしていない、あるかどうかの保証もない)才能ひとつで楽に稼げる商売になれたらいいなあ、とぼんやり考えているだけのナマケ病に過ぎない。好きなことをやって、稼げて、人にあこがれられて、などという生き方は、それこそ100万人に1人、1億人に1人の才能の持ち主にのみ許されていることで、自分がはたしてそれほど衆に秀でた才能の持ち主かということは、何も長く生きて考察するには及ばない。中学・高校で思春期を迎えたあたりではっきり分かるものである。何も大才能の持ち主しかこの世に存在が許されないわけではない、中才能小才能、それぞれに使い道はある。一方でそんな才能といったあやふやなものに頼らず、世間に出て手堅く己の分の中で生活を固めよう、という選択肢も当然のことながらある。昔は中卒で親の店を継ぐ、などというクラスメイトは”オトナである”と尊敬のまなざしで見られたものである。いまでも、クラス会に出て、最も幅を利かせているのはそういう連中だ。彼らの、中学卒業時の選択――夢なんてものにあこがれない――は、ちゃんと成功している。なればこそ、昔はそのあたりの時期に進路指導をして、将来のことを自分で決定させたのである。いまはその時期の進路指導が無きに等しくなり、猫も杓子も上級の学校に進みたがるようになった。人生の選択、要するに自分の才能への見切りのつけかたを先のばしにするようになった。ここらが諸悪の根源である。

 自分をバカの例にとるのもナンであるが、私がそういう”夢”の犠牲者であった。親が薬屋で、自分もその道に進んでいれば四海波静か、何の問題もなかったものを、たまたま、文章書きになりたいなどという夢を抱いてしまったが故に、二十代前半の時期を、まず”地獄というのはこういうことか”という状況で過ごさねばならなかった。この犯人とは違って薬大には一応籍を置けたのだから、クスリを売ってもそこそこの才能はあったといまでも思うのだが、”夢”ジャンキーだった私は、文章にこそオレの生きる道はある、と信じて、一切そんな勉強はせず、同人誌を作ったり、演劇のほうに走ったりして、両親とぶつかり、親戚からはアホウ扱いされ、人生の貴重な時間を無駄にしつくした。よく「でも結局文章書きで身を立てられたのだから夢をかなえたことになるんじゃないの?」などと言われるが、そんな甘いものではない。時間が経つにつれて、自分に、そんな才能がないことは明らかになっていく。悪いことに、その”現実”から目をそらせていられるほど私は”弱く”なかった。ならば、せめて夢を抱いたまま死のうと、同じく夢アーパーな女と心中を企てて突発的に大阪へ逃げたこともある。このときは旅先でその女と大ゲンカして結局、死ぬこともできず、お好み焼きを食って帰ってきたが、薬学の勉強を強制されたことの恩恵で、自死ができるクスリに関しては詳しくなったから、いろいろ手を回して入手したその薬品を常に手元に置き、いつでも死ねる準備はそれからも怠りなくしていた。その頃の自分の写真はほとんど手元に残っていない。いま見ても死相というか狂気の相が表れていて、見るだにゾッとするのである。「青春をもう一度やりなおしたい」とか言うヤツがいるが、私に関して言えば死んでも御免こうむりたいというのが正直な気持ちだ。私が実際に物書きになるのはその後、”夢”は捨てたものの真面目に勉強もしなかったツケで薬屋にもなれず、さてこの先どうしたものか、とあぐねていたところで、”商売”として文章書きを選択してからだ。夢を捨てた後の文章書きだったから、仕事さえあって金が入れば何の文句も言わず、アダルトビデオ紹介記事であろうと鬼畜雑誌系のコラムであろうとハイハイと引き受けた。地道にそういう仕事をこなしていったおかげで、ある程度そういう知識もたまり、業界に名も売れ、村崎百郎なんて友人もでき、なんとかかんとか、現在まで口を糊することができている。私が文章書きになれたのは、”夢”を持ち続けていたからではない。”夢”を捨てて、生き延びる方法を真剣に考えたからなのである。”夢”の麻薬性の怖さは身をもって知っている。】

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 唐沢俊一さんにこんな「過去」があったなんて、僕は全然知りませんでした。人気番組『トリビアの泉』のアドバイザーとしても活躍していて、古本好きで猟奇事件のエピソードやマニアックな知識を集めて生きている好事家、という僕の唐沢さんのイメージは、これを読んでかなり変わったような気がします。

 唐沢さんに対して、「自分の好きなことをやって有名になれてお金も稼げているんだから、羨ましいかぎり」だと感じている人も少なくないと思うのですが、唐沢さん自身にとっては、けっして現在の状況というのは「夢を実現した」とは言いがたいもののようなのです。同じ「物書きとして生きている」ように見えても、「夢を追うために書くこと」から、「食べていくために商売として書くこと」への大きな転換が唐沢さんにはあったんですね……
 これは、傍から見ると「同じ物書き」であっても、本人にとっては、かなりの「挫折」だったのではないでしょうか。

 しかしながら、唐沢さん自身にとっての唐沢俊一は「村上春樹になれなかった男」であったとしても、世間には「唐沢俊一にさえなれなかった男」が数え切れないほどいるというのもまた事実なのです。そして、世間の人々がみんな「身の程を知ってしまう」ようになったら、世界を動かしたり、みんなを楽しませてくれる「特別な人間」は存在しなくなってしまいます。
 結局のところ、多くの「勘違いしている人」が頂上を目指して上っていくなかで、最終的に生き残ったのが「本当に才能があった人」ということであって、実際は土俵に上がってみないとわからない部分ってけっこう大きいのではないかとも思うのです。あのイチロー選手だって、高校時代にオリックスに指名されたときは「ドラフト4位」だったのですから。

 もちろん、野球選手で言えば、ドラフトで指名され、プロに入れるということそのものがひとつの「偉業」なのですが、その中でもまた競争があり、スタープレイヤーとして生きてけるのは、そのまたごく一握り。学生時代不動の4番、チームのエースだった選手たちが集まれば、やっぱり、みんなが「主役」ってわけにはいきません。ワンポイントリリーフとか、守備固めに「活路」を見出さざるを得ない選手もたくさん出てきます。そしてもちろん、「プロでは全く使い物にならなかった」選手もいるわけです。
 まあ、基本的に「夢」なんて、追いかけはじめたらキリが無い。スポーツ選手や作家だけじゃなくて、大企業に入ったり官僚になったり、医者や弁護士になったりしても、その世界のなかで競争があり、大部分の人には、自分が「普通のエリートサラリーマン」「普通の医者」であるという現実を受け入れなければならないときがやってきます。

 この話を読んでいて、僕は「夢に溺れること」の怖さをあらためて考えさせられました。たしかに、「才能の無い人間」にとっては、「分をわきまえて生きる」ほうが幸せなのかもしれないな、とも思います。

 しかしながら、有史以来、「若者が夢に憧れることを許される時代」というのは、本当にごくごく限られた期間だけなのだ、とも思うのです。そういう時代に生まれた人間に、あえて、「才能も無いのに夢なんてみてもしょうがないだろ?」と言ったとしても、やっぱり、それはなかなか「受け入れがたいこと」ではないでしょうか?
 そういえば、僕の父親はよく、「昔はバナナを1本丸ごと食べるのが夢だったんだ」と言って、子供の頃の僕にバナナを食べさせてくれたのですが、正直、当時の僕は「バナナなんていつでも食べられるから、ケーキにしてくれないかなあ……」と内心その「いつもの話」に食傷していたんですよね。

 人間の欲望っていうのは、そう簡単に「後戻り」してはくれません。それこそ、戦争や大飢饉でも起こって、「バナナすら手に入らない時代」になれば、話は別なんでしょうけど……