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2007年09月09日(日)
「スピーチの名手」丸谷才一さんのスピーチ術

『装丁物語』(和田誠著・白水Uブックス)より。

(スピーチの名手として知られる、丸谷才一さんの話)

【丸谷さんは各種パーティにおける挨拶が上手だということはよく知られています。そして丸谷さんの挨拶の特徴は原稿を読むことですね。初めてだと奇異に感じるかもしれないけれど、アドリブでやってたどたどしくなったり、長ったらしくなったりするのはいけない。そのためにスピーチを準備する。それを暗記して会に臨むのは役者じゃないんだからむずかしい。というわけで原稿を読むという独特のスタイルができた。ご存知名文家だから、原稿は完璧で、時間も主催者が望む通りになるというわけです。しかも原稿が手元に残る。これを本にまとめたのが『挨拶はむづかしい』(85年、朝日新聞社)でした。ここではぼくは丸谷さんが原稿片手にマイクの前に立っている絵を描きました。正に逐語訳ですけど、この場合はそれが合ってるかなと思ったんですね。
 余談ですが、丸谷さんは原稿がないとスピーチができないかというとそんなことはない。突然のご指名ということもありますから。ぼくは井上ひさしさんの芝居の初日のパーティに、丸谷さんが突然指名されたのに遭遇したことがあります。原稿がなくても見事なスピーチでした。ただし本には残らないのでもったいない。】

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 僕も今までの人生において、スピーチをしなければならなかった機会があるのですけど、あれは本当に難しいし、緊張するものですよね。聞いている側になると、いつも「お腹すいたから、早く終わらないかなあ」なんてことしか考えていないものなんですけど。
 僕のイメージでは、「スピーチが上手い人」というのは、客席を優雅に見渡しながら、雰囲気にあった話をユーモアたっぷりにできる人なのです。
 
 スピーチのときって、「あらかじめ用意してきた原稿を読む」というのは、いかにも不慣れで、話す内容を覚えていないような感じがして、あまり良い印象を与えないのではないかと、つい考えてしまいます。「原稿を読むだけなんて、心がこもっていない」と感じる人だっていそうですし。

 でも、この「スピーチの名手」丸谷才一さんのエピソードを読んで、僕はちょっと考えが変わったような気がします。
 喋りのプロの人がスピーチの際に原稿を読むというのは、さすがにちょっとどうかと思うのですが、それ以外の普通の人の場合、「原稿を準備しないでソラで喋ること」にばかりこだわりすぎて、話がまとまらずに冗長になったり、言い足りなくなったりするよりは、あらかじめ準備しておいた原稿を読んだほうがいい場合もあるのではないか、と。
 
 もちろん、「原稿を読む」ためには原稿を準備しておかなくてはなりませんし、丸谷さんの場合は、あらかじめ時間を調整しておいたり、内容も推敲されているのでしょう。丸谷さんの場合、「名文家」であり、用意されている原稿がすばらしいからこそ、このスタイルが認められているという面もありそうですけど。
 それに、スピーチも原稿にしておくと「商売道具」になりますしね。

 ただ、僕のように緊張してしまって、人前でうまく喋れないタイプの場合は、「原稿を読まずに喋る」ということを重視するあまり、グダグダのスピーチをしてしまうよりは、「原稿をきちんと読む」というのもひとつのやり方ではないかな、と思うのです。少なくとも、そのほうが時間調整くらいはちゃんとできそうですし。

 実際には、身内や知り合いが多い結婚式のスピーチなどの場合は、場慣れした人の流暢な「上手い」スピーチよりも、花嫁のお父さんが声を詰まらせながらたどたどしく話す言葉のほうが心に響いてくることも多いのですけど、そういうのは、狙ってできるようなものではないですからねえ。