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2007年08月30日(木)
プラハのソヴィエト学校での「国語」の授業

『米原万里の「愛の法則」』(米原万里著・集英社新書)より。

(作家・エッセイストであり、ロシア語通訳としても知られる故・米原万里さんの講演録集の一部です。米原さんのプラハのソヴィエト学校での体験から)

【日本の国語の教科書は名作をリライトしたり、あるいはダイジェストにしたりして載せますが、私が通っていたソヴィエト学校では、国語の授業と宿題で実作品を大量に読ませるのです。かなり19世紀の古典偏重でしたけれども。それから学校の図書館に本を返すときに、司書の先生が生徒に読んだ本の要約を、毎回毎回言わせるのです。感想は聞かれません。つまり、その本を読んだことがない人に、どんな内容かわかるように伝えるということを、毎回やらされるのです。国語の時間もそうです。
 小学校3年までいたから覚えていますが、日本では「はい、なになに君。そこ読んでください」。大体一段落読むと、「はい。よくできましたね。じゃ、なになにさん。次の段落を読んでください」。「はい、よくできました」というふうに進めます。
 けれども、ソヴィエト学校の国語の時間は、一段落を声を出して読みますね。そして読み終わったら「はい、今読んだ内容を自分の言葉で要約しなさい」と言われるのです。声に出してきれいに読む、純粋に音だけ、文字を追って読むことは、ある意味では内容を把握していなくてもできるんです。ところが、読み終わった後にすぐに内容をかいつまんで言わなくてはならないとなると、ものすごく攻撃的で立体的な読書になっていくわけです。これを徹底的にやらされました。国語の時間は段落ごとの要約ですけれども、図書館に本を返すときには、本一冊分の梗概、要旨を、毎回客観的に、読んでいない人にもわかるように話す訓練をさせられました。こうなると、読み終わったら、あのかなり怖いおばさんにこの内容を話さなくてはいけないなぁ、と思いながら読むわけですから、入ってくるものが羅列的にではなくて、立体的になるのですね。
 作文の授業では、まずテーマが決まります。仮に「自分の母親について」とテーマが決まると、そのテーマに関連するような、つまり、人物描写のある文学作品の抜粋をまず読まされるのです。たとえば、トルストイの『戦争と平和』に出てくる女主人公のナスターシャ・ロストーヴァ、この人を描いた場面。それからツルゲーネフの『初恋』のアーシャという女主人公、この人についての描き方。こういう抜粋を全部先生が読ませます。そのうえで、それの梗概を書かされるのです。要旨ですね。次に、要旨をさらに詰めて構造を書かされるのです。構造というのは、まず第三者によるその人物に関する噂。次に実際に直接会ったときの第一印象。次に顔とか目とか口などの、ある意味では立ち振る舞いなどの描写。それから癖とか声の調子とか、あるいはいくつかの状況や事件に対するその人の反応の仕方。そして、以上から推察されるその人の性格、ほかの人々との関係について。それから語り手である主人公との関係、交流。ある事件が起きて、その主人公が成長していく姿とか。そういうふうに物語の骨格を把握させて、書かせるんです。そのうえで、母親についての作文だったら、それをどういう梗概・構造で書いていくかをまず考えさせてから、作文を書かせるのです。

 文を読んだり聴いたりして感受していくプロセスは、このように分析的なのですね。理解するというプロセスは分析的です。ところが、話したり書いたりして表現するときは、バラバラになっているさまざまな要素を統合していかなくてはなりません。バラバラのままでは、表現できません。つまり、まったく逆なのです。通訳には、分析的に物を聞き取って正確に把握する能力と、それをもう一度統合してまとめて表現する能力、この両方が必要なんです。ですから、このような国語教育は後に同時通訳になるにあたって、大変役に立ちました。】


※こちらの参考リンクも、ぜひ併せてお読みください。
参考リンク:「それであなたは何と思ったのかな?」という「文学的指導」の嘘(活字中毒R。2006年4月22日)


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 米原さんは、小学校3年生のときに、お父さんの仕事の関係で、一家そろってチェコスロヴァキアのプラハに移住されています。米原さんの御両親は、プラハで「ここにいる3年から5年の間チェコ語を勉強しても、日本に帰ってからもチェコ語を学び続けるのは難しいだろう」と考えました。
 そこで、日本人にとっては比較的メジャーであって日本に帰っても勉強を続けられ、社会的なニーズも高いであろうロシア語のソヴィエト学校」に米原さんを入学させたのです。
 実際は、全く言葉の通じない「学校」という逃げ場のない世界での米原さんの生活というのは、慣れるまで本当に大変だったそうなのですが、ここでの体験は、後の「作家・通訳としての米原万里」にとって、ものすごく貴重なものだったということです。

 ここで米原さんが紹介されている「ロシア語のソヴィエト学校での国語教育」というのは、日本で「国語教育」を受けてきた僕にとっては、かなり違和感があるものです。
 僕が受けてきた、20年前くらいの日本の「国語」の授業では、「音読」と「感想」に割かれている比重が大きかったのですが、プラハのロシア語のソヴィエト学校の「国語」では、「内容を要約すること」と「文章の構造を理解すること」を重視しています。
 そんなに本が豊富な時代でなかったからこそできたのかもしれませんが、もし現代日本の小中学校の図書館に「借りた本を返すときには、絶対にその要約を司書の先生に説明しなければならない」なんてルールができたら、おそらく、本を借りる子供の数は激減するのではないでしょうか。
 まあ、こういうのはどちらが「正しい」と言えるようなものではなくて、日本の「情操教育に偏りがちな国語教育」というのも、感性豊かな子供を育てるためには有意義なのかもしれないんですけどね。音読しながらずっと「この部分の要旨は……」なんて考えていなければならない「国語」って、なんだかすごく殺伐としていそうですし。

 ただ、参考リンクで清水義範さんが

【清水:だから、「心が書けるようになろうね」という側へ引っ張っていってもいい子もいるよ。でも、全員そっちへ持っていこうと思ったら大間違いだということに気づいたんですよ。】

と仰っておられるように、「感想」を書く力にばかりとらわれがちな日本の「国語教育」というのは、必ずしも「世界標準」ではないということは知っておいて損はないような気がします。「感想力」イコール「国語力」とは限らないのです。
国語の成績があまり良くなくても、すばらしいプレゼンの資料やビジネス文書を作る人はたくさんいますし、優秀な国語の成績を引っさげてマスコミに就職したにもかかわらず、意味不明な文章を書き散らしている人も少なくないように思われますし。

 しかし、こういう話を読むと、トルストイやドストエフスキーのような「重厚な大長編小説を書き上げる文豪」がロシアに多いのには、それなりの「理由」がありそうですよね。実際に彼らがこんな「国語の授業」を受けていたのかどうかは、僕にはわからないのですけど。