初日 最新 目次 MAIL HOME


活字中毒R。
じっぽ
MAIL
HOME

My追加

2006年04月22日(土)
「それであなたは何と思ったのかな?」という「文学的指導」の嘘

「はじめてわかる国語」(清水義範著・西原理恵子・絵:講談社文庫)より。

(清水さんと、古今の「文章読本」について分析した『文章読本さん江』という著書のある斎藤美奈子さんとの対談の一部です)

【清水:もうひとつ面白いのはね、文学的指導ね。つまり、「そのときどう思ったの?」というやつです。

斎藤:子どもの作文指導には、必ずそれがありますね。

清水:「目の前で友だちがペタンところんだ。先生が来て助けた」という作文があるでしょ。そのときあなたはどう思ったの? 心の動きを書きなさい、というね。

斎藤:そうそう、それがウザいんだ。

清水:私も最初はやっていたんです。そういうふうに書いたほうが、作文は豊かでいいものになるのかな、と。「みじめだなと思いました」とか「かわいそうだなと思いました」とか書いてあるほうが、「ころんだ」というよりもいいだろうと思っていた。でもどうしてもそれが書けない子がいました。
 ところが、その子はそういうことが全く書けないのに、報告文なんかを書かせるとメチャメチャうまかったりすることがわかったの。

斎藤:わかります、わかります。

清水:だから、「心が書けるようになろうね」という側へ引っ張っていってもいい子もいるよ。でも、全員そっちへ持っていこうと思ったら大間違いだということに気づいたんですよ。

斎藤:いい話だなあ。

清水:ある男の子が、学校でやったことを書く作文が、5年生なのに2年生ぐらいのレベルなんですよ。「体育の時間に体操をやった。ころんだ。うまうできた。わりと楽しかった」というやつですよ。何書いてもそうで、これは国語レベルが低い子だなと思っていたんですよ。
 そしたらその子が、映画の「タイタニック」が気に入って、調べたことを書いたんです。タイタニックというのは1900何年に何々港を出て、3日間航海して、どこそこ沖で……というのを。自分で調べて書いたんです。そしたら、ちゃんと記事になっている。
 だから全然違う才能の持ち主がいるんで、型にはめてはいけないということがわかった。

斎藤:私が知っている子どもは伝記が好きで、シュヴァイツアーはこうでしたとか綿密に書くんだけれども、先生のメモは必ず「それであなたは何と思ったのかな?」とついてくるんですね。
 彼としては、そういうことを書くのは美学に反すると思っている。自分が思ったことよりも、ここに出てくるこの人のほうが素晴らしくて、それを先生に教えてやりたいと思っている。ただ、あまりにも「○○君はどう思いますか」というのばっかりくるから、彼は「感動した」と一言つけるというパターンを学んだんです。前と同じように書いて、最後に「感動した」の一言で逃げる。小泉方式です(笑)。
 学校は、それでどう思ったかということを書かせるのがいい作文教室だと思っている。

清水:だから子どもは卑怯なことを覚えてしまうわけです。こう書くと先生が喜ぶという技ばっかり身につけているわけです。だから「僕もそういう人になろうと思いました」なんて大嘘をね。

斎藤:それが大人になっても続くんだ。】

〜〜〜〜〜〜〜

 このあと、斎藤さんは、「国語教育といっても、なかば道徳教育ですから、それがもう1つの問題ですよね」と仰っておられます。言われてみれば確かにその通りで、現在の「国語」、とくに「作文」というのは、「わかりやすくて簡潔な文章を書く技術」というよりも、「どんなことを考えたか?」で評価されることが多いですよね。どんな名文であっても、そこに書かれている「感想」の内容が「やっぱり戦争は素晴らしいと思いました」とかであれば、絶対に「読書感想文コンクール」で賞状を貰うことはできないでしょう。
 「本」にもさまざまなジャンルのものがあって、推理小説は好きでも純文学はダメとか、ノンフィクションはよく読むけれどファンタジー小説は理解しがたい、という人がけっこういるように(というか、「本好き」の大部分は、多かれ少なかれ、自分の「守備範囲」みたいなものを持っているはずです)、「国語」という教科には、さまざまなジャンルの文章が含まれています。ここで例に挙げられているような、「感想を書くのは苦手だけれど、主観を極力排して事実を的確にまとめる才能を持っている人」というのは確実に存在しているのですが、残念ながら彼らの多くは「国語嫌い」になってしまうのです。
 ほんと、あまりに圧倒的な「事実」の前では、感想の言葉なんて無意味で、単なるノイズでしかないと感じることってけっこう多いんですよね。僕もときどき、「活字中毒R。」を書きながら、「引用部だけで十分なんじゃないか?」と思いますから。

 そして、実社会では、「感想」を書く文章力って、そんなに必要じゃななくて、むしろ、「記事」をまとめる力のほうが役に立ったりもするわけです。もしかしたら、全国紙にときどき載っている「ヘンな記事」というのは、「感想を書くのが得意」=「国語が得意」で、新聞記者になってしまった人のものなのかもしれません。

 しかし、評価する先生たちの立場になってみれば、確かに「内容抜きで、文章の技術だけを評価する」というのは、ものすごく難しそうですよね。小学校では、先生たちは国語ばっかりやっているというわけでもないし。
 結局、「○○君は、どう思いますか?」は、先生たちにとっても「切り札」なのでしょうね。

 というわけで、お二人の素晴らしい対談に、本当に感動した!(小泉方式)