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2007年07月12日(木)
「こだわり」という言葉の使用上の注意

『太ったんでないのッ!?』(檀ふみ・阿川佐和子共著・新潮文庫)より。

(巻末の檀さんと阿川さんの「文庫版特別対談」の一部です)

【檀ふみ:食べ物の話といえば、サワコちゃんはお米に関してうるさいわよね。電子ジャーを持っていなくて、文化鍋で炊いてるわけですから。おいしいご飯にこだわってらっしゃるのよね。

阿川:こだわってません。「こだわり」という言葉は、否定的な執着の意味ですから気をつけて使いなさいと、江國滋さんが。うちの父にも注意されます。

檀:「拘泥する」って字をあてるものね、うじうじした感じになるわよね。

阿川:だから「こだわりの○○」とか、そういうのは本当はいけないの。でもそれに代わる肯定的な言葉ってあまりないのよね……。

檀:とにかく、あなたのお米の研ぎ方はマニアックですよね。】

〜〜〜〜〜〜〜

 作家・江國香織さんのお父さんである江國滋さんなのですが、以前ここで紹介したエピソード(「日記」を書くときに、してはいけない2つのこと。)にもあるように、とにかく、言葉に対してのこだわり(って書いたら、また怒られそう)が強い方だったようです。作家・阿川弘之さんも娘の佐和子さんに同じことを注意されるそうですから、ベテランの作家たちにとっては当たり前の感覚なのかもしれませんけど。

 現在30代の僕の感覚からすると、「こだわり」っていう言葉は、必ずしもネガティブなイメージばかりではないのです。もちろん、本来の「いつまでもつまんないことにこだわってるんだよ……」という使い方をすることもあるのですが、最近ではむしろ、「物事に対する真摯な姿勢とか、突き詰めて磨きぬいていく」というようなプラスの意味で使われることが多いような気がします。言葉の本来の意味から考えれば、「こだわりの逸品」なんていうのは、それこそ持ち主の怨念がこもっていそうな品物になってしまうのですが。

 でも、ここであらためて「じゃあ、肯定的な執着をあらわす言葉は?」と考えてみても、僕にはあまり適切な言葉が浮かんでこないのですよね、意外なことに。
 もしかしたら、昔の日本人は、「執着すること」自体を否定的に捉えていたのかもしれません。「こだわり」という言葉の意味が変わったのではなく、「こだわる」という行為そのものが肯定される時代になった、ということなのでしょうか。