初日 最新 目次 MAIL HOME


活字中毒R。
じっぽ
MAIL
HOME

My追加

2007年04月16日(月)
「ドリーム小説」を知っていますか?

『本気で小説を書きたい人のためのガイドブック』(ダ・ヴィンチ編集部 編・メディアファクトリー)より。

(「文芸編集者座談会〜”よい原稿”と”ダメな原稿”はココが違う!」の一部です。参加者は、
A:純文学系文芸誌編集者
B:純文学系文芸誌編集者
C:中間小説系小説誌編集者
D:エンターテイメント系書籍編集者
の各氏です)

【B:ひとりよがりプチ・ポルノといえば、おじさんが書く都合のいい小説ってありますよね。

C:それ、うちの編集部では、”ドリーム小説”って呼ばれてる(笑)。仕事もできて、妻ともそこそこうまくいっていて、社会的地位もあるイケてる俺が若い女に迫られる話。なのに、いきなり若者をつかまえて、延々と説教したり、世の中を嘆いたりもする。

B:職場にも家庭にも居場所のないような40〜50代のおじさんが、ただただ社会への不平不満をぶちまけているだけ。その世代の人が読んでも共感できない気がする……。

D:そもそも主人公がテーマを語るのはよくないかも。愚痴や不満じゃなくても、たとえば哲学めいたこととかは友達とか家族とか、脇役のちょっと賢い人に語らせるのがいい。主人公はちょっとバカで、あとから気づくほうが読者も感情移入しやすい。『世界の中心で、愛をさけぶ』で、主人公のおじいさんが死生観を諭すような場面があるけれど、それなら読者も主人公と一緒になって耳を傾けられる。いきなり主人公にペラペラ人生を語られても、感情移入はできない。

C:ハードボイルド系でも、主人公はどこかダメなところやマヌケなところといったマイナス面があったりするけど、これは恋愛小説でも使える手かもしれませんね。

――では、たぶんテーマとしてはもっとも取り上げる人が多いと思われる恋愛小説について伺いたいのですが。

B:ほぼ想像がつくことしか起きないんですよね、恋愛小説は。いい男と出会う。もしくは最初悪い男に見えたけれども実はいい男だった、とか。パターンに限りがある。

C:誰もが想像できる中で、どう話を進めていくか。筆力が問われるところですね。いかにキャラクターを魅力的に描けるかも重要。

D:恋愛小説ほど冷静に、客観的にならなければいけないジャンルはないでしょう。特に自分のことを書いてる場合、自分だけがすごい恋愛を経験していると酔っている人が多い。ノロケ話と同じで、本人が酔えば酔うほど、周りは醒める。

B:そういう意味では、”自分探し系小説”も同じことがいえますよね。自分だけが壮絶な経験をしている、と。

C:ノロケ話ならぬ、不幸自慢。

B:そうそう。女性だと、リストカットとかいじめとかトラウマを抱えた私、とか。

A:自分のことは書きやすい。でも、書きやすいということは、他の誰にでも書けるということ。自分より経験のある人、知識のある人、センスのある人には負けてしまう。

B:一方、男性だと、村上春樹さん的な、浮遊感のあるボク、この世界に違和感のあるボクが主人公、というのが圧倒的に多い。

A:一見、本人を投影している主人公は、自己否定しているように見えるし、当の本人も否定しているつもりなんだけど、結局は”社会に馴染めない特別な自分”を肯定しちゃってるんですよね。

B:自分がダメ人間という認識はあるんだけど、根本的には自分のことが大好きで肯定しているから、そういう人の書いた小説は最後まで主人公は変わらないままで終わる。自分がダメだって否定してみても、誰か「そんなことないよ」っていってくれる人が都合よく現れる。自分探しというより、「自分を認めてくれる人」を探してる。】

〜〜〜〜〜〜〜

 「ドリーム小説」を大量に読まされる編集者というのも、けっこう大変な仕事だよなあ、と思わず同情してしまいます。ただ、『特命係長・只野仁』のような人気作品があることを考えれば、40〜50代のおじさんたちは、「ドリーム小説」を読むのもキライではないのかな、という気もします。それでも、あれほどエンターテインメントに徹しきった作品ではなくて、「社会への不平不満を主人公(=作者)がぶちまけるだけ」で、しかも「主人公はなぜか若い女性にモテモテ」「周囲の登場人物は主人公の『ありがたいお説教』を頷きながら聞いてくれる」というような作品が、「商品になる」とは考えにくいでしょうね。そもそも、『特命係長』だって、けっこうギリギリの線ですよね。あれは、荒唐無稽だからこそ面白いわけで。
 ここで例示されている『世界の中心で、愛をさけぶ』で人生観を語りまくる主人公の祖父にしても、僕にとっては「わざとらしい説教キャラ」だとしか思えなかったんだよなあ。

 「恋愛小説」「自分探し小説」での「自分は特別な経験をしているという錯覚」というのは、確かに誰にでもあるような気がします。「小説」に限らなくても、日常会話や飲み会の席での「とっておきの体験談」なんて、大部分が「どこかで聞いたことがある話」ですしね。「恋愛」とか「自分探し」なんていうのは、それを体験したことがある人の「母集団」が巨大なだけに、よっぽど過激なものか、あるいは、よっぽど語り手の表現力が優れていないと、聞いている側は「早く終わってくれ…と思いながらさりげなく欠伸などしてみる」という悲惨な状況に陥ってしまいます。まあ、登場人物が自分の知り合いだと、それはそれでけっこう面白く聞けたりするのが人間の業ってやつかもしれませんが。
 まあ、せめて自分が書いた小説という「自分の世界」の中だけでも、「認めてもらいたい」という気持ちは、僕にもよくわかるのですけどね。読む側としては、「なりきり村上春樹」の駄文を読まされるのには、もう食傷しきっていたとしても。