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2007年01月08日(月)
長く仕事をしている割に人気の出ない漫画家の「悲劇的な傾向」

『出版業界最底辺日記』(塩山芳明[著]・南陀楼綾繁[編]、筑摩書房)より。

(「2003年11月×日」の記述より。長年の「エロ漫画下請け編集者」としての経験から、「人気の出ない漫画家の傾向」について書かれたものの一部です)

【長く仕事してもらってる割に人気の出ない漫画家には、ロリ&劇画を問わず一定の傾向が。当人達は漫画を描くのが好きで仕方ないらしいのだ。だから決して手抜きはしない。しかし、読み手の立場が頭にないので、努力が明後日の方向へ脱線。(多分、一般漫画はともかく、同業者の漫画もまず読んでない)読者がエロ漫画を読む際に一番気にする、キャラの色気、SEXに至るまでの説得力、体位等のリアリティに工夫をせず、登場人物の数をやたらに増やしたり(描き分けられぬのに)、無意味な場所移動を繰り返したり(ストーリーが混乱、濡れ場が減るのみ)、ささいなネームに凝ったり。(誰も読んじゃおらん)
 どの編集部も何人か抱えてるはずだが、漫画屋の場合、鬼姫、ブランシェア、花村れいらが代表。折りを見て説教しているが、いつの間にやら元のタッチに。彼等はいずれも”マジメな努力派”。むげにも打ち切れずに来たが、誰から見ても下手糞な連中より、このタイプに必要以上のページをさく方が、雑誌は廃刊に追い込まれる。(俺も”マジメな努力派”。だからついズルズルとね。テヘヘヘ)】

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 ここで塩山さんは「長く仕事をしている割に売れない漫画家」について描かれているのですが、これって、「漫画家」に限った話ではなさそうです。箸にも棒にもかからない、やる気もなければ締切りも守らないような漫画家であれば、少なくとも「長く仕事をする」こともできないでしょうけど、「マジメな努力派」にもかかわらず、その「努力」のポイントがズレてしまっているというのが、「長続きする割には売れない漫画家」になるための条件のようです。確かに、雑誌の制作側にとっては締切りは守るしマジメにやっているし、なかなか「切れない」存在ではありそうですよね。一緒に仕事をしていたら、情だってうつるでしょうし。でも、それでなんとか「食いつなげてしまう」からこそ本人にとっては、なかなかキッカケがつかめずに同じ失敗を繰り返してしまう面もありそうです。こういう「マジメな努力派」は、けっこう応援してくれる人が周囲にいるものだし。

 これを読んで感じたのは、そのような「マジメな努力派」の人たちには、「思い入れが強すぎて、自分を客観視できないタイプの人が多い」ということでした。自分にとっての「好きなこと」「正しいこと」にこだわりすぎるあまりに、自分の作品が読者にどんなふうに見えているのか、あるいは、今の時代のニーズに合っているのか、というようなことを考えられないんですよね。そういう点では、「仕事として売れるマンガを描く」と割り切れる部分を持っている人のほうが、成功しやすいのかもしれません。

 しかしながら、こういう「マジメな努力派」というのは、「自分はこんなに頑張っているのだから」というのが自分への言い訳になってしまって、なかなか世間に妥協することができず、周りも努力はしていることを知っているため、なかなか面と向かっては責められないのです。「どうしてこんなに頑張っているのに、売れないんだろう?」と悩んではみるけれども、そこで努力する方向がやっぱりずれていて、「描き分けもできない登場人物の増加」や「ストーリーの煩雑化」で、さらに自分の首を絞めてしまうのです。
 もちろん、芸術や研究の世界では、こういうタイプの人がツボにはまって大きな仕事をすることも少なくないので(そういう人の絶対数からすれば、「成功」できる可能性は非常に低いとしても)、「妥協する」ことが必ずしも正義だというわけでもないのですが……

 「その仕事が好きであること」「手抜きをしないこと」というのは、仕事を続け、成功していくための大事な条件ではありますが、逆に「マジメな努力家だからこそ陥りやすい落とし穴」というのも存在するのです。ただ、こういう「傾向」って、多くの場合、わかっていても、本人にとってはどうしようもない場合もあるんですよね。僕も「マジメな空回り派」なので、彼らの気持ちもわかるのです。「こんなにマジメにやっているのだから」っていうのは、けっこう強力な、自分への免罪符なんだよなあ。