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2007年01月06日(土)
『タモリのボキャブラ天国』が壊した「お笑い界のベルリンの壁」

『hon-nin・vol.01』(太田出版)より。

(「『テレビ』と『本人』の距離」というタイトルの松尾スズキさんと太田光さんの対談の一部です)

【松尾スズキ:そうだ、これ訊こうと思ってたんだけど、芸能界って好き?

太田光:たぶん好きですね。芸能界での付き合いみたいなのは一切ないんですけど、この仕事は好き。

松尾:僕は芸能界が好きじゃないんですよ。

太田:でしょうね(笑)。

松尾:すべての事務所が解体して、連邦共和国みたいになってくんないかなー。

太田:事務所がダメなんですか?

松尾:映画監督をやり始めて分かったんだけど、キャスティングのバランス感覚がすごく難しい。「○○は□□という事務所を飛び出したやつだから、××とは恋人役ができない」とか、「△△はまだ若手だから恋人役の◎◎とは釣り合わない」とか、いろんなパワーバランスを考えなくちゃいけなくて、メチャクチャややこしい。お笑いの世界は役者の世界と違って平等にワイワイやっている感じがするけど。

太田:でも、それは最近の話で、オレらの若い頃はまだ事務所の垣根は越えられない感じがありましたね。もともとは『タモリのボキャブラ天国』がきっかけで、あれって最初は芸人の番組じゃなかったから事務所的にノーマークだったんですね。だから吉本興業の芸人も平気で出ていて。それまでは東西の芸人が同じ番組に出るなんてありえなかったんです。オレがいくら騒いだところで、絶対にオレらとナインティナインが共演することなんてなかったんです。ところが、『ボキャブラ天国』はもともと番組内のワンコーナーだったんで、いろんな事務所の芸人が混じっていて、そのあたりから徐々にゆるくなってきたんだと思うんです。

松尾:今は観ていると、事務所の壁なんて関係ない感じがしますもんね。

太田:お笑いの世界では、いくら事務所が強くても、その場で笑いをとれなければダメなんですよ。客にウケなければ「こいつ、つまんねえ」という明らかな証拠が出ちゃうから。本番までにどれだけ事務所間で駆け引きがあったとしても、最後は芸人同士の勝負になる。でも、俳優の場合、ハズしたのかどうかよく分かんないじゃないですか。

松尾:まあ視聴率という結果は出ますけど。

太田:ただ、たとえば、上手いか下手かで言うと伊東美咲は演技下手なのに、視聴率を取るから「大女優」ということになるけど、お笑いは視聴率を取ってもつまんなければ「あいつはつまんねえ」って平気で言われちゃう世界ですから。それに芸人の場合、本人が一番ハズしたことを分かっていたりするから、それほど勘違いすることもないし。】

〜〜〜〜〜〜〜

 「映画って、どうして同じような役者の組み合わせばっかりなんだろう?」と僕は日頃から疑問に思っていたのですが、「客が呼べる人が少ないから」という理由のほかに、「事務所からの圧力」というような理由もあったんですね。映画監督といえば、その映画に関しては絶大な権力を握っているようなイメージがあるのですが、この松尾スズキさんの話によると、実際はそんなに自由なものではないようです。むしろ、パズルみたいというか……

 これは、松尾さんと大田光さんが「映画」と「お笑い」の世界での「事務所の力」について語っておられるのですが、僕がこの中でいちばん驚いたことは、「お笑い」の東西の垣根が低くなったきっかけが、あの『タモリのボキャブラ天国』だったということでした。僕も『ボキャ天』を全盛期はほぼ毎週観ていて、今から思い出すと爆笑問題を知ったのもあの番組だったのですけど、番組自体は視聴者からの投稿作品がメインでした。そして、「ボキャブラ発表会・ザ・ヒットパレード」という番組の1コーナーで、爆笑問題をはじめとする若手お笑い芸人たちがネタ比べをやっていたんですよね。ただ、1つのコーナーといっても、のちには番組の看板になるほどの人気を誇ってはいたわけですが。
 ちなみに、このコーナーに登場していた芸人さんには、爆笑問題のほかに、ネプチューン、キャイーン、出川哲朗、ネプチューン、ココリコ、海砂利水魚(現・くりぃむしちゅー)、山崎邦正、ロンドンブーツ1号2号、アリtoキリギリス、アンタッチャブルなど、今でも(というより、当時より「大物」になって)活躍している人がたくさんいます。これを書くためにあらためて調べてみて、「こんな人も出ていたのか……」と驚いてしまいました。 その一方で、あの番組では活躍していたのに、「消えてしまった」人もたくさんいるんですけど。

 当時は「いろんな若手芸人がいるんだなあ……」というくらいのもので、あの番組が「東西のお笑いの壁を壊すきっかけになった」なんていうことは全く考えてみたこともないのですが、そういえば、あのコーナーって、芸人さんが登場するときのテロップで名前の後に(浅井企画)みたいに、所属事務所名も出ていたんですよね。僕は「なんでそんなの表示する必要があるんだろう?」と疑問だったのですが、制作側にとっては密かなアピールだったのでしょうし、見る人が見れば、「あの事務所の芸人と、この事務所の芸人が一緒の番組に!」と驚いていたのかもしれません。
 各事務所が有望な新人を出していたのでしょうから、結果的にあの番組の「卒業生」たちに売れっ子がたくさん出たのは必然なのかもしれませんが、この太田さんの話を読むと、「東西交流」(あるいは競争)に参加したというのは、彼らにとって非常に大きな影響を与えたのではないかという気がしますし、同時代の他の芸人のなかから「頭ひとつ抜け出す」ことができた要因のひとつとも言えるのではないでしょうか。

 僕たちが何も考えずに笑いながらテレビを観ていたその陰で、お笑い界の「歴史的変革」が、静かに起こっていたのです。