初日 最新 目次 MAIL HOME


活字中毒R。
じっぽ
MAIL
HOME

My追加

2006年12月21日(木)
伝説の高額切手「月に雁」の現在の価値

『PEACE』(みうらじゅん著・角川文庫)より。

(切手収集に関する、みうらさんの思い出。ちなみに、以下の文章の初出は1997年です)

【どっかの雑誌でちょこっと”切手”の話を書いた。すると久しぶりに会った緒川たまきが、
「私も切手、好きなんですよ」
 と言ってきた。
 ここが問題なんだけど、緒川たまきという人は今、とってもオシャレな人々の間で人気がある女優というか、”存在”なわけだ。オレはオシャレじゃないのでよくわかんないんだけど、まわりの人がそう教えてくれた。ということは、切手がオシャレなわけだな。
「へぇ^、じゃ”月に雁”とか持ってる?」
 オレはうれしくって、そんな存在と切手の話ができて。
「みうらさんは今、”月に雁”1万円ぐらいって書いてましたけど、2万円しますよ」
 オレの記憶は小学生の時から止まっているので、倍になっているとは知らなかった。
「昔は、”月に雁”さえあれば、家が建つって思ってたもんな」
 切手話の基本は”月に雁”と、次に高かった”見返り美人”。それが出ると”写楽”そして”ビードロを吹く女”と相場は決まっていた。別にその絵柄が好きだったわけじゃなく、『原色日本切手図鑑』というカタログ(現『さくら切手カタログ』)を見て、いちばんわかりやすく高価だったからだ。
「キレイな切手を買って、それを貼って手紙を出すのが私のマイブームですね」
 せっかく”月に雁”の話で彼女のハートをゲットしたかと思った矢先、緒川たまきはそう言った。
「貼っちゃーいかんな。出しちゃーいかんな、それ以前に指紋をつけちゃーいかんなぁー」
 オレはいきなり鑑定団のオッサンのような気持ちになった。
「だってキレイなものは出したいじゃないですか? 喜んでもらえると思うから――」
 その天使のような発言に、オレは一気に強欲ジジィに墜落。
「でも将来すごく値打ち出るかもしれんがな」
 とたんに関西弁だ。
「キレイな切手を見ていると、心が休まりません?」
 心が休まるって……言ったって……おいっ!
 オレは怪獣ブームと同じく切手も、第一期生だ。決してリバイバルではないところが誇りだ。
 それまで近くの公園で鼻をたらしながら泥だんごを作っていたオレ様が、突如として手はキレイに洗うは、ピンセットで切手をつまむは、切手帳の整理はするは、もう大変な変革期だったわけだ。オレと同様、公園のブランコに荒乗りして、地面に思いっきり顔面を打ちつけていた友人も第一期切手ブームを境に、清潔野郎に変身した。
「むちゃな交渉やで、おまえのお年玉小型シート、いくら見積もっても1000円ぐらいやで。それに”蒲原(かんばら)”つけるちゅーても、ま3000円ぐらいなもんやろ。言うとくけど、こっちは”月に雁”、ま一応消印はあってもや、5000円以上は確実にしよるわけですわな」
 オレはそれまでクラスでは10位くらいの切手コレクターだったが、親戚のオッサンがくれた切手の中に何と!”月に雁”が入っていたことから、一気に切手王の座に上りつめた。
「見るのはタダやさかいにな、でも指紋はつけんといてや」
 浪花のどけち商人のようなガキだったわけだ。
 本気で”月に雁”さえあれば、家が建つと信じられていたあの頃、ガキが生まれて初めて大人の世界に首を突っ込んだようで、うれしかった。
 その頃の夢は東京という街に行って、”ケネディ・スタンプ”などの切手販売所を回ること。オレの持っている切手でブイブイ言わすことだった。】

〜〜〜〜〜〜〜

 男だったら、この「切手収集」というのは、誰もが一度は通る道なのではないでしょうか。僕も小学生くらいのとき「切手収集」にハマっていたことがあったので、このみうらさんのエッセイ、とても懐かしく感じながら読みました。当時の「切手入門」などの子供向けの入門書には、必ずこの”月に雁””見返り美人”の2つの切手が「いちばん高い値がつく切手」として紹介されていたものです。僕もデパートの切手売場でケースに並べられたこれらの切手を眺めながら、「こんな高い切手、絶対に買えないよなあ……」と溜息をついていたものでした。使用済切手は価値が大きく下がってしまうのですが、それでも家に来る郵便物に珍しそうな切手が貼られていると、丁寧に剥がそうとしては失敗していたりもしたものです。あの頃は、「この切手、貼らずに送ってくれないかなあ」なんて真剣に思っていたのですよね。そもそも、貼らなきゃ届かなかったはずなのに。
 そして、ここでみうらさんが書かれているような「友達との切手交換」などもよくやっていました。今でいうと、ポケモン交換みたいなものでしょうか。でも、切手というのは「これは○○円の価値がある」というイメージが頭の中にあるものですから、「なんとか自分が損をしないように」というのと友達との人間関係を天秤にかけて「商売」をするのは、なかなか骨の折れることだったような記憶もあります。そして、当時の僕は「こうして集めた切手たちが、いつかすごい『お宝』になって、本当に家が建つのではないか」と期待していたのです。
 ここで紹介されている”月に雁”、1958年生まれのみうらさんが小学生のときの”第一次ブーム”で1万円、これが書かれた1997年の時点で2万円くらいだとしたら、今は幾らになっているのだろうか?と思っていろいろ調べてみたのですが、2006年の時点での”月に雁”の価値というのは、比較的状態の良いもので1〜2万円くらいが「相場」みたいなんですよね。「さくら日本切手カタログ」では、いちばん高い未使用美品で25000円程度。郵便という文化そのものが電子メールに取って代われつつあり、趣味として切手を集める人が少なくなったせいもあるのでしょうが、市場価格は「やや凋落傾向」にあるみたいです。「時間が経つほど値上がりするはず」という僕らの目論見は、あえなく外れてしまっています。
 ちなみに、20〜30年前の「切手ブーム」の時代の切手は、「当時集めていた人たちみんながシート買いをして保存しているので、額面以上の価値があるものはほとんど無い」そうです。結局、他人と同じことをしていては、なかなか「勝ち組」にはなれないってことなのかもしれません。
 緒川さんじゃないですが、いっそのこと「貼って出してしまったほうがいい」ような気分にすらなってくる話です。
 まあ、あと何十年かすれば、「昔は『切手』というのを貼って、手書きで郵便というのを送っていたんだよ」と、孫に見せて驚かせるのに役立つ可能性は、十分ありそうなんですけどねえ。