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2006年06月15日(木)
忠義者の「ナニー」、ドリスの話

「春になったら苺を摘みに」(梨木香歩著・新潮文庫)より。

【ウェスト夫人の元夫、ウェスト氏はヨークシャの田舎の裕福な地主の出だ。『秘密の花園』『嵐が丘』『ジェーン・エア』と、いずれもムーアと呼ばれるヨークシャ地方のヒースの野を舞台にしている。ウェスト夫人はその元夫について話すことはあまりないが、そのナニーだったドリスのことならいつでもいつまででも語り続ける。
 ドリスは子守としてなんと8歳の頃からウェスト家に奉公にきていた。それから88で死ぬまでずっと独身でウェスト家にいた。家事一切のエキスパートとして、新婚のウェスト夫人はドリスに様々なことを教わった。
 ――ドリスにとって私はちゃんとしたティーもいれられないアメリカ人だった。そりゃ、ひどかったんです、私も。けれどドリスはそれはそれは辛抱強かった。
 ――義母は毎日決まって1日5食とる人だったの。朝食、11時のティー、昼食、アフタヌーンティー、夕食、ってね。そのたびごとにきちんとした銀食器のセッティング。ドリスはずっとそれをこなしてきたのよ。ストーブで煮炊きし、手足で洗濯していた時代からね。家事のことならなんでもできた、読み書きのほかは。
 ――ずっと独身でねえ。忠義者のドリス。仕える人をみんなあの世に送って一人になった。庭に出たらびっくりするわよ。ものすごい大きなズロースが国旗のようにはためいているから。
 ウェスト夫人はくすっと笑った。
 ――あれはドリスそのものよ。全て青天白日にさらして何の後ろめたいこともない。

(中略)

 英国の昔の家事労働というのは日本の昔のそれに負けず劣らず過酷なものがある。ドリスは80年間それのエキスパートであり続けた。そしていいナニーだった。
 ウェスト夫人が離婚したことでは明らかに夫君の側に裏切りがあった。それも当時8冊の本全てに自分で装丁、挿し絵も描いていた才能豊かな児童文学家としてマスコミにも出始めた頃の手ひどい裏切りだった。もちろんドリスは全て知っていた。
 ――私が子どもたちを連れて家を出てから10年たって初めて、ヨークシャの私の住んでいた界隈では、私たちの離婚は私がアメリカ人だったせい、ということになっているのを知って愕然としたわ。ドリスなの。ドリスがそういっていたの。彼女にとって私の夫はこの世で一番素晴らしい子どもだったの。そうでなくてはならなかったのよ。私の夫の側に非があってはいけなかったの。
 それでもウェスト夫人は彼女をそういう「忠義者」として受け容れた。ドリスは、最後までいいナニーだったのだ。】

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 ちなみに、「ナニー」というのを調べてみると(文脈的にだいたいはわかるのですが)、【乳母とかベビー・ シッター。一昔前の英国のそれなりの家庭にはナニーがいて、子ども の世話を見たり、教育係を務めたりしていた】ということだそうです。ドリスさんは、「子守」だけではなく、「家事一般のエキスパート」でもあったようなのですが。
 この「忠義者のドリス」の生きかたを読んで、僕の心の中には、2つの感想が浮かんできました。ひとつは、「そんな堅苦しいというか、人の世話ばかりしているような生きかたでは、人生楽しくなかっただろうなあ」というもの。そしてもうひとつは、「うまく言葉にできないけれど、なんだか『美しい』人生だなあ」というものです。
 いや、人のために尽くす、それも、世界平和とか恵まれない人のためというような「畏敬すべきもの」にではなくて、一般家庭で「家族のエキスパート」として家事を完璧にこなしていくだけという生きかたって、全然「創造的」ではないですし、何かに重要な足跡を遺しているというわけでもありません。でも、なんだかこんなふうに「自分の仕事を徹底して続けていく人生」は、とても清々しく感じられてならないのです。

 もちろんドリスさんは、今の僕からすれば、「自分の好きなこともできずに、かわいそう」な面もあるし、御本人だって、「もっと自分の好きなことをやりたい」と思っていたのかもしれません。
 でも、「ちょっと努力すれば、自分のやりたいことができる」はずの僕たちは、実際のところ、「本当にやりたいこと」を見つけることもできず、いつのまにか年ばかり重ねていることに思い当たると、本当にかわいそうなのは、どちらなのだろうか?と考え込んでしまうのです。