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2006年06月16日(金)
「下敷き」を使わなくなった頃

「とるにたらないものもの」(江國香織著・集英社文庫)より。

(「下敷き」というエッセイの一部です)

【下敷きは私の必需品の一つで、ずっとそうだったのでとくに考えてみたこともなかったのだけれど、下敷きを使っている大人を他にあまりみたことがない、ということに、このあいだ気づいた。
 子供のころはみんな使っていた。鉛筆や消しゴムとおなじように、それは必需品だった。みんな、いつ使いやめたのだろう。
 下敷きなしでノートに字を書くのは気持ちが悪い。そりゃあもう子供じゃないのでシャープペンシルの先で紙に穴をあけてしまったりはしないが、それでもなんとなく落ち着かない。力を入れて書くと、次の頁に跡がつくかもしれない、と、思う。そういう不安を、みんな知らないうちに克服して大人になったのだとすれば、私はどこかでそれをしそびれてしまったのだろう。

(中略)

 下敷きは子供のもの、という認識があるせいか、下敷きにはいいデザインのものがほんとうに少い。デザインなどどうでもいいと思われるかもしれないが、ずっと目の前に置いて使うので、強い色調や柄は気になるのだ。それに、当然のことながら十分硬くあってほしいのに、ふにゃふにゃした塩化ビニール製のものも多い。】

〜〜〜〜〜〜〜

 小学生や中学生の頃って、みんな「下敷き」にはけっこうこだわりがありましたよね。自分の好きなマンガのキャラクターや憧れのスポーツ選手、女子はアイドルの写真が貼ってあったりして。暑い日には、団扇代わりにもなりますし。
 そして、その下敷きに落書きをするというような悪戯をしたりされたりもしていたものです。まあ、今となったらそれもひとつの「思い出」なのですが、当時は全然笑い事でもなんでもなくて、すごく悲しいことだったのですけど。
 思い出してみると、僕が「下敷き」を使わなくなったのは、大学に入ってからのような気がします。それまでの勉強というのは、教科書や参考書をノートに書き写しながらやっていたのが、過去の試験問題やマジメな人のノートのコピーに書き込みをしながら勉強するようになったので、それまで使っていたノートのように「次の頁に跡が残ってしまう心配」をしなくなったし、そもそも、受験生時代のように切実には、「勉強道具」を持ち歩かなくなりましたし。筆箱や下敷きというのは、意外とかさばるものですから、よっぽどの必要性がなければ、「無いほうがはるかに身軽」ではあるのです。
 それに、社会人になってみると、シャープペンシルではなくてボールペンを使う機会が増えますし、書類を書くことはあっても、ノートに何かを書く機会というのはほとんどないんですよね。

 そういえば、昔は旅行のお土産って、けっこう「下敷き」を買っていたような記憶があるけれど、今ではすっかり「マウスパッド」が売られていたりして、なんだか時代の変化を痛感させられることが多いのです。
 でも、これを読んでいたら、僕もなんだか「大人の下敷き」が欲しくなってきました。コンピューター時代だからこそ、ありふれた文房具が魅力的に見えてしまうのかもしれませんけど。