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2006年06月14日(水)
人は大人になると感受性が鈍るんでしょうか?

「桜井政博のゲームについて思うこと2」(桜井政博著・エンターブレイン)より。

(「むかしはむかし、いまはいま」というコラムの「後日談」として書かれた「ふり返って思うこと」から。桜井政博さんは、「大乱闘スマッシュブラザーズ」や「メテオス」などを手がけたゲームデザイナーです。)

【桜井:昔感じたおもしろさに、いまなお惹かれることってありますよね。『ドラクエ3』ってあんなに楽しかったのになとか。『FF3』でもいいけど。

聞き手:でも、いま『3』と同じようなものをやっても楽しくないですよね。

桜井:それをちゃんとするのが作り手の仕事だろうと言われても、モノ作りって魔法じゃないですもんね。

聞き手:パッと浮かぶのが、私の学生時代に大ブレイクした少女マンガなんですけど。私はそれを大人になってから読んだんですよ。たしかに、おもしろい話で、みんなが名作だって言うのもうなづけるんですけど、いまひとつノリきれないのは、私が旬を外してしまったからで。その時代に読んでこその作品だったんだろうなと思って、歯がゆい思いをしましたけど。

桜井:そういう経験はありますね。

聞き手:昔の作品には、環境や時代の不思議な力が作用してますよね。あと、人は大人になると感受性が鈍るんでしょうか。

桜井:鈍るっていうのもあります。でも、逆に鋭くなるところもありますよ。たとえばわかりやすいのは、昔わからなかった歌の意味がわかるようになること。人自体が深みを増して、考えかたも変わっていくのでしょう。ならば昔のほうがよかったと文句を言ってるよりは、いまこの場で楽しいかどうかを考えたほうが正しいんじゃないかなと思います。】

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 確かに物事には「その時代の風景」というのがあって、僕が高校時代に「ビートルズの音楽がわからないやつはセンスが無い」なんて言われても今ひとつピンとこなかったように、いくら「スーパーマリオブラザーズ」が名作だからと言って、今の子供には、僕たちがリアルタイムでこのゲームに遭遇したときのようなインパクトは与えられないのだろうなあ、と思います。
 いや、僕だってビートルズの音楽は魅力的だとは思うし、たぶん、今はじめて遊んだ子供たちにとっても、「スーパーマリオ」は面白いゲームであることは間違いないのだろうけれど。

 ところで、僕も最近、自分が年齢を重ねるにつれ、「感受性が鈍ってきているなあ」なんて嘆いてしまうことが多いのですが、これを読んであらためて考えてみると、確かに、「逆に鋭くなるところもある」ような気がします。
 食べ物にしても、あまり脂っこいものや辛いものが食べられなくなった一方で、懐石料理も美味しいと思えるようになってきましたし、昔は全然ダメだったトロやウニも食べられるようになりました。
 考えようによっては、「ハンバーグ、カレー至上主義時代より、はるかにコストパフォーマンスが悪くなった」とも言えるのですけど、それでも、僕にとって、「新しいものを受け入れられるようになった」のは事実なのです。
 同じように、小説などでも「大人の世界」を、それなりに理解できて、自分なりに消化できるようにもなりましたし。
 ただ、それが本当に「深みを増しているのか?」と問われたら、僕自身には、正直なんとも言えないのですけどね。むしろ、「大人のズルさ」に寛容になってしまっただけなのかもしれません。

 それでも、少なくとも今の科学では、「若返る」ということは不可能なのですから、僕なりに「感受性が鋭くなったところ」をうまく生かしていったほうが楽しいのだろうなあ、とは思うのです。
 「昔はよかった」けれど、「今には今の、よいところがある」のですよね、きっと。