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2006年06月11日(日)
「シオン修道会」の「本当の正体」

「と学会年鑑GREEN」(と学会著・楽工社)より。

(皆神龍太郎さんによる『ダ・ヴィンチ・コード』へのツッコミの一部です。ネタバレ部は極力削っていますが、気になるかたは読まないほうが無難です)

【さてさて、問題は果たしてこれ(『ダ・ヴィンチ・コード』で語られている「秘密」)は本当の話なのか、ということです。ダ・ヴィンチがシオン修道会総長だと書いてある文書は、確かに存在していますが、気になるのは書いてある内容が事実なのかどうか。
 だってこれ、見るからに(本には実際の文書が転載されています)電波系文書に見えません?(会場爆笑) なにか怪しい波動がゆんゆんと発せられている気がします。ビデオでも「極秘文書」と紹介されていましたが、なぜこれが極秘文書なのかと申しますと、なにも「内容が危なすぎて一般人には見せられない」とフランス政府が判断してトップシークレットのハンコを押したといったような大層なものじゃありません。本の名前そのものが『極秘文書』なんです(会場大爆笑・拍手)。
 つまりこれ、自分の顔に「わたしは極秘ですよ、だから誰も見ちゃダメですよ」と大きく書いて、なぜかそのまま平気で閲覧可能の棚に収まっているという奇妙な文書なんです。誰にも見せられないはずの極秘文書を、「みんな読んでね」とばかりに、パリの国立図書館に贈呈した人物がいたわけです。
 その贈呈した人物が、シオン修道会の話をデッチ上げた張本人です。それがこのオヤジです。シオン修道会伝説以外ではまったく知られていない、ピエール・プランタールという人物。このプランタールが、シオン修道会を友人と一緒にデッチ上げたあげくに、『極秘文書』も捏造しちゃったりして、フランスの国立図書館にこそりと寄贈しておいたというわけです。
 わたくし、このピエール・プランタールが作ったシオン修道会の設立届出書というものを手に入れました。日本初公開だと思います。皆さん、見てください。これが設立届出書です。シオン修道会のマークが入っていて、"PRIEURE de SION"(シオン修道院)と書いてあります。
 ただし、設立されたのは11世紀ではありません。「1956年5月7日」と書いてあります(会場笑)。今から約50年前です。1000年近く前の11世紀でもなければ、ダン・ブラウンが『ダ・ヴィンチ・コード』を書いた数年前のことでもない。今からおよそ50年前にこの壮大なイタズラを国立図書館に仕込んでおき、50年間じっくりと熟成させ(会場笑)、最後に『ダ・ヴィンチ・コード』で花開いたというのがシオン修道会の真相なんですね。50年越しの仕込みですので、ホラ話がたっぷりと熟成しております(会場笑)。】

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 僕も子供の頃、「ゴレンジャー」か何かで、「○○秘密基地」という大きな看板が掲げられている「秘密基地」を観て思わず失笑してしまった記憶がありますが、世界中で話題になっている『ダ・ヴィンチ・コード』の元ネタのひとつが、この手の「自称・極秘文書」であるというのにはさすがに驚きました。いや、もちろんダン・ブラウンさんは「承知の上でやっている」のだと思いますけど。テレビでも先日「歴史ミステリー」として、この『ダ・ヴィンチ・コード』のことを大々的に取り上げていたのですが、皆神さんの個人的な調査でこれだけのことがわかるのですから、テレビ局が真剣に取材すれば、すぐに決着がつきそうな話ではあるんですけどねえ。
 まあ、「映画公開前だし、冷や水をぶっかけるような番組を作るわけにはいかない」のでしょうが……
 ちなみに、このピエール・プランタールさんは、「反ユダヤ主義、反フリーメーソン主義者にしてゴリゴリの国粋主義者。かつ秘密結社オタク」だったそうで、「10代のときから秘密結社をたくさん作ってきた、筋金入りの人物」なのだそうです。そして、「シオン修道会の構成員は全部で4人」で、本来の目的は、”Low-Cost Housing”、つまり「低家賃の住宅を守る」ことだったと、皆神さんは仰っておられます。そして、「シオン修道会」は、バチカン公認の修道会ではなく、まったくの「私設団体」だったのだとか。
 いやまあ、「そういう皆神さんの言動こそが陰謀なのだ!」とか言い出す人だっているのかもしれないけれど、調べれば調べるほど、「秘密結社オタクが作った小さな組織が、周囲の人々によって過剰な意味づけをされていき、歴史のミステリーになってしまった」という流れが浮かび上がってくるのです。
 僕はこの映画をめぐる騒動を見聞きして、「バチカンの偉い人たちも、フィクションにここまで神経質になることはないのに…」と思っていたのですが、この話を読んでみると、そりゃ、ここまで話を大きくされてしまうと、黙ってもいられないよなあ、という気がしてきました。与太話も、みんなが信じてしまえば「歴史的事実」になってしまうのかもしれない。

 しかし、僕たちが「歴史的事実」だと思い込んでいることのなかには、こういうふうにして「創られたもの」が、けっこう含まれているのではないか、というような不安に駆られる話ではありますね。