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2006年06月10日(土)
トム・クルーズが「トンデモセレブ」になるまで

「日経エンタテインメント!2006.7月号」(日経BP社)の「負け組ハリウッドの肖像―スターの知られざる不遇時代―第3回」(田沼雄一著)より。

(ハリウッドが誇る世界的大スターのひとり、トム・クルーズのエピソードの一部です)

【25年ほど前、フランシス・コッポラが監督した『アウトサイダー』(83年)の撮影現場を取材したときのこと。小さな役で出演中のトム・クルーズに初めて会った。「絶対にビッグになってみせる」。話す言葉が熱かった。コッポラ監督には「どんな役でもいいから出してほしい」と売り込み、役をもらった。「大物監督の映画に出ることがビッグになるためには必要さ」と言ってケロリと笑った表情の向こうに、ハングリーな役者魂を見た。
 父親による家庭内暴力が原因で、7歳のとき読書障害(失読症)を患った。両親の不仲、離婚、引越しなど12歳までに15回も転校を繰り返した。父親は働かない人だったらしく、トム・クルーズは中学生のころから働いた。朝は新聞配達、学校から帰るとマーケットやドラッグストアで荷物を運ぶ仕事を手伝い、稼いだお金は母親に渡した。
 「映画で成功して、母親を喜ばせたい。早く楽をさせてあげたいんだ」。
なにがなんでも成功してみせる、その気迫に圧倒された。『アウトサイダー』当時は19歳。1日も早く成功したくてうずうずしていた。チャンスは待っていても来ない。そんな思いから、あらゆる手段で自分を売り込んだ。
『卒業白書』(83年)で念願の初主演の座を射とめたのは、コッポラ監督の推薦をもらえたことが大きかった。
 『卒業白書』のヒットで出演オファーが増えても、より大きな役、大きな成功を求めてどん欲にオーディションを受ける日を続けた。『トップガン』(86年)、『ハスラー2』(86年)は、いずれも『アウトサイダー』で共演したロブ・ロウ、マット・デイモンと最後まで競り合い、主役の座を獲得した。
 初めて大作映画主演の指名を監督から直々に受けたのは『カクテル』(88年)。デビューから7年、やっとハリウッドに自分を認めさせた。】

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ちなみに「失読症」とは、こういう病気です。

 最新作『M:i:3』の観客動員の出足が前作を下回ったり、生まれてくる子供を「見る」ためにエコーの機械を2台も購入するという「親バカ」ぶりが話題になったりと、最近はやや「トンデモセレブ化」しているトム・クルーズなのですが、ここに書かれている、過去のエピソードを読んでみると、ハリウッドスターも、さまざまな心の傷を抱えて生きてきたのだなあ、と嘆息してしまいます。トム・クルーズが「失読症」で、文章で書かれている台本をうまく読むことができないという話は比較的知られていると思うのですが、その原因が幼少期の家庭での問題にあったとは……
 現在語られている「奇行」の数々は、そういったトラウマと「脅迫的なまでの『成功しなければならない』という想い」の反動だとするならば、まあ、お金持ちなんだし、エコーの機械くらい買ってもいいんじゃないかな、という気もしてくるのです。別に、それで誰が傷つくってわけでもないのだし。
 僕にとってのトム・クルーズは、『トップガン』で華麗に世に出てきて、そのままスター街道を一直線、というイメージだったのですが、実は、「監督に指名してもらえるスター」になれたのは、そのずっと後のことだったそうですし、それまでの過程も、同じ映画に出ていたライバルたちを振りきっての「主役」ですから、演技力はもちろんのことながら、よほどの精神力や野心がないと、のし上がっていけない世界なのだと思います。遠慮や逡巡があっては生き残れないし、「普通」であっては、セレブになんてなれないのでしょうね。