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2006年04月16日(日)
ネガティブ・スパイラルの渦の中で

「陰日向に咲く」(劇団ひとり著・幻冬舎)より。

(あるアイドルおたくの独白)

【先日の握手会で気になったことがある。客が少なかったのはもちろんだが、問題なのは、むしろ客の質である。僕も含めてだが、とにかく皆が皆ダサい。よれよれのTシャツに丈の短いGパン、紙袋にメガネ。
 今までは僕も別にそれで良いと思っていた。しかし、考えてみれば一流のレストランではネクタイ着用が義務付けられているように、ミャーコに一流のアイドルになってもらうためにはファン自身の質の向上が必要だと思う。小汚い格好をした客が並ぶレストランを見て、人はその店に入ろうとするだろうか。それよりも綺麗な格好をしている客が並ぶレストランのほうに入りたがるはずだ。つまり、僕らの格好がミャーコの人気に直結していることになる。
 そんなわけで服を買いに新宿の某デパートに向かったのだが、入口まで来て足が止まってしまった。
 店に入れない。店に出入りする小洒落た若い男女を目にして、ボサボサ頭でヨレヨレ姿の自分が場違いであることに気づいた。銭湯でスッポンポンになるのは当たり前のことだが、街でスッポンポンになるのは問題だ。それと同じように秋葉原を歩いている分にはまったく問題のなかった僕の格好も、ここではスッポンポンと同じ。通り過ぎる人々がみんなして僕を見て笑っているような気になる。デパートで服を買うためには、まずデパートで服を買うための服を買わなくてはならないらしい。】

〜〜〜〜〜〜〜

 ああ、なんだかものすごく身につまされる話だなあ、と思いながら、僕はこの文章を読んでいました。
 僕は御洒落な人間ではなく、ファッションセンスにも全く自信がないのですが、こういうのって、別に服装のことに限らず、生きていく上でいろいろな場面で出てくるシチュエーションのような気がします。たとえば、「もっとダイエットしなきゃ」とか「ギャンブルをやめよう」とか、そういう状況で。
 僕たちは、第三者として、他の人がやっている「ムダなこと」に対して注意や批難をすることがあります。「それは食べすぎなんだよ」とか「ギャンブルなんて、儲かるのは胴元だけなんだよ」とか「不倫なんて、悪いに決まっているじゃないか」とか。でも、その当時者だって、「そんなことは他人に言われなくても、自分でもわかっている」のですよね。にもかかわらず、実際にその「間違った習慣や行動」というのを止めるというのは、ものすごく難しいことなのです。タバコの煙が苦手な僕にとっての「禁煙」と、ヘビースモーカーにとっての「禁煙」が、けっして同じ難易度ではないように。
 「ダイエット」ひとつにしても、世間の人たちはみんな「食事を減らして、運動すればいい」という、「ダイエットの王道」を知っているはずなのに、それをうまくやり遂げられ、リバウンドも出さない人は、ごくごく一握りしかません。多くの人は、「わかっているはずなのに、それを実行するための最初の一歩が踏み出せない、あるいは、具体的にはどうしていいのかわからないまま、昨日と同じ日常を繰り返してしまう」のです。毎月外来で同じようなやりとりを繰り返している患者さんを診ているとつくづくそう感じるし、そもそも、僕自身もそういう「同じことを繰り返して、なかなか前に進めない人間」なのです。【デパートで服を買うためには、まずデパートで服を買うための服を買わなくてはならないらしい。】ということに気がついて、そして、その壁の高さにひるんでしまって、結局、いつも同じことの繰り返し。「最初の一歩」を踏み出すというのは、本当に難しい。そして、「明日からのダイエット」は、翌日になっても「明日から」のまま。
 以前書いたように、むしろそういう「自分のセンスに自信が持てないお客」というのは、店員さんにとっては格好の「カモ」(という言い方は失礼でしょうが)なのですから、割り切って、店員さんのなすがままのコーディネートを受け入れられればそれはそれで少しはレベルアップできるはずなのですが、自分で「センスが悪い」と自覚していながら、そうやって「センスの悪い人」として他人に扱われるのは受け入れがたかったるもするのです。

 「自分を変える」というのは、本当に難しいことなのです。「わかりきったこと」のはずなのに、みんな、間違った習慣から逃れられない。
 なんだかもう、どうしようもないなあ、と思うと、ただひたすら悲しくなるばかりです。その壁を乗り越えられないのが自分の「限界」だとか「運命」なのだとは、信じたくはないのだけれど。