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2006年04月14日(金)
知られざる「ナレーションの技術」

「阿川佐和子のワハハのハ〜この人に会いたい4」(文春文庫)より。

(阿川佐和子さんと森本毅郎さんの対談記事の一部です。森本さんが語る「ナレーションの技術」について)

【阿川佐和子:お世辞抜きで言いますけど、私、森本さんのナレーションって、ズバ抜けて素晴らしいと思ってるんですね。昔、特番で初めて一緒に仕事をしたとき、ナレーションのコツを教えていただいて、後々、ものすごくためになったんです。

森本毅郎:あ、そう? そんな生意気なこと言った? やっぱりNHKってすごいんですよ。先輩から後輩へ無言の教育が行われる。すごい技術を「盗め!」と言わんばかりに見せつけられるんだよ。

阿川:役者もいいけど、私、森本さんみたいなちゃんと技術を身につけた方に、若い人にアナウンスメントとかナレーションを教えていただきたいと思うんです。

森本:いや、それはダメだよ。もう今は職能が問われずに、役者とかの固有名詞が先行する時代になっちゃったから。

阿川:え〜っ、技術、大事だと思うんだけどなあ。

森本:俺ね、NHK時代にナレーションで悩んでいるときに、平光淳之介さんという名人にどうしたらいいか聞きに行ったことがあるの。そしたら、「いや、森本さん、お声もよろしいし、いいんじゃないんですか」と言うんだよ。

阿川:教えてくださらない。

森本:「僕は本気でいろいろ聞きたいんです」と粘ったら、「僕のところに来る人はだいたい『よかった』と言ってほしいからなんです」って。「いや、僕は本気です」と食い下がったら、「ホントですね? じゃあ」って引き出し開けて手帳を出して来て……。

阿川:きゃあ〜、怖い!(笑)

森本:そこに俺のナレーションに対するコメントが書いてあった。俺が聞きに行かなかったり、本気じゃなかったら、彼はそのまんま出さなかったんだよ。

阿川:で、何を言われたんですか?

森本:「あなた、『何々しました』の『た』がダメです。『た』の研究をしなさい」と。それから俺は、平光淳之介とか和田篤とか名人たちのナレーションを全部録音した。それを聴くと、和田篤の「た」は「た」と「て」の間で、ソフトなんだよ。

阿川:へえ。

森本:平光さんはサ行がすごい。「スッさて」と摩擦音が先に来るから、すごい説得力がある。で、俺は和田篤の「た」と平光淳之介のサ行を盗んだから、グチャグチャになっちゃった(笑)。

阿川:いやあ、面白いッ! そういうこと、教えていただきたいんです。

森本:まあ、聞く耳持たない時代だからねえ。俺、昔よく言ったんだよ。「問いの悪しき者には答うる事勿れ」。質問がよくないやつには真面目に答えるな、と。フフフフ。

阿川:ギクッ(笑)。

森本:いや、それはあなたに言ってるんじゃなくて。以前、歌右衛門さんがインタビューで話していた。「歌舞伎の伝承というものをどうお考えになりますか」と聞いたら、(声色を使って)「私どもがね、いろいろお教えしようと思っても、受ける側でその気がなければ、伝わりませんもんでございましてね」って(笑)。名言だな、と俺は思ったよ。学ぶ側にその気がないのにね、いくら言ったってダーメなんだ。】

〜〜〜〜〜〜〜

 以前、古館伊知郎さんの「トーキング・ブルース」というソロライブを観に行ったことがあるのですが、そのなかで古館さんは、NHKの松平定知アナウンサーのナレーションを「あの人のすごいところは、聞く人の『常識』を逆手にとっていることだ」というように語っていました。例えば、普通のアナウンサーであれば、室町幕府を興した足利尊氏は…」というナレーションをするときには、「足利尊氏」の名前を大きな声でハッキリと言いますよね。でも、松平さんは、「室町幕府を興した」を大声て強く喋ったあとで、声を落としてボソッとした感じで「足利尊氏は…」と続けるのだ、と。実際にそれを古館さんがステージでやってみせると、確かにそれは「松平調」なんですよね。そして、「一番肝心なことば」をぼかして喋ることで、かえって視聴者は「足利尊氏」の部分を無意識のうちに集中して聞きとろうとし、その「キーワード」が印象に残るのです。
 こういうのが、まさに「テクニック」なのだなあ、と僕は感心してしまいました。でも、僕はそれまで何度も松平さんのナレーションを何度も聞いてきたにもかかわらず、そんな「ナレーションの技術」を意識したことはなかったのです。やっぱり同業者の古館さんの耳は凄かった。
 ナレーションなんて、「感情を込めて、はっきりと喋ればいい」などと簡単にイメージしていたのですが、「声だけの世界」だからこそ、そこにはさまざまな「喋る技術」が反映されているのですよね。
 それにしても、「た」がダメだとか、「た」と「て」の間だとか言われても、なんとなくキツネにつままれたような気がしてならないのですが、ナレーションの職人の世界というのは、こういうレベルでの勝負なのだよなあ。
 
 しかし、この話を読んでいて、僕はいままでの自分が「問いの悪しき者」だったのではないか、と思えてしかたありませんでした。もっと素直に、切実にいろんなことを熟練者に尋ねていれば、もっともっといろんな場面でレベルアップできたような気がするのです。たぶん、いろんな人が、「伝えるべきもの」を僕に対して持っていたはずなのに、僕はそれをうまく「引き出す」ことができなかった。
 「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」という言葉がありますが、本当にその通りなのですよね。「こんなことを聞いたら恥ずかしい」とかいう思い込みなんて、結局、自分の可能性を狭めるだけなんだよなあ。