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2006年03月22日(水)
人生は「練習の1本目のパス」の繰り返し

「オシムの言葉〜フィールドの向こうに人生が見える」(木村元彦著・集英社インターナショナル)より。

(「オシム語録」で有名なジェフ市原のオシム監督の半生とサッカー観を著した本の一部より)

【オシムは「羽生はそのポジションにもっといい選手がいても、どこかで使いたくなる選手だ」と言った。そう言わしめるようになっていったには当然ながら、深い過程があった。走るサッカーの象徴のような羽生はこう見ていた。
「監督は厳しいけど誰よりも選手のことを考えてくれているんです。それが求心力になっていると思います。僕も最初は練習でミスをすると、いきなり『お前だけ走ってこい!』と、開始早々にひとりだけ罰走させられて、何だよと思っていたんですよ……」
 でも、今考えてみると、さらにレベルアップできると信頼されていたからだと思えるのだ。
「監督はよくトップ下の選手が簡単に5メートル、10メートルのパスをミスしていたら、サッカーにならないと言うんです。その意味では、僕がそこ(トップ下)をやるのなら、ミスは絶対に犯しちゃいけないんですよね。練習でひとつのメニューが始まって『やれ』と言われた時に、最初はゆっくり入っちゃったりしますよね。様子を見ながら、みたいなパスを出して、たまたま受ける側もそういう気持ちで入っていると、多少ズレるじゃなですか。それで僕のパスミスみたいになる。そういうのが許されないんです。1年目からすごく言われました。すぐに『お前、走って来い』。散々繰り返されたので、僕はもう練習の1本目のパスから集中しよう、と思うようになったし、数メートルという短いパスでも、しっかり通そうという気持ちになりましたね。
 なんで1本のパスで、俺だけこんなに走らされなきゃいけないのかと当初は悔しかったんですが、それがあるから今があるんですよ」】

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 ジェフユナイテッド市原を率いる、名将・オシム監督。この監督の含蓄のあるコメントの数々はサッカーファンのみならず多くの人に注目され、ジェフの公式サイトには、こんな「オシム語録」のコーナーがまであるのです。
 そのオシム監督から学んだことに関する、ジェフ市原の主力選手のひとりであるMF羽生選手の話です。
 羽生選手の練習でのミスに対して、オシム監督は、ずっと厳しいペナルティを与え続けます。最初は「なんで俺だけがこんな目に…」と憤っていた羽生選手なのですが、彼は、少しずつ気付いていくのです。ああ、プロというのは、練習の最初の1本のパスから、集中しなければ、本番で通用するようにはならないのだ、と。
 この話を読んであらためて考えてみると、普段「練習」としてやっていることの多くは、「練習のための練習」になってしまっているような気がします。野球のウォーミングアップとしてキャッチボールをやるというのは、「筋肉を温める」という意味はあるのかもしれませんが、それこそ、漠然と投げたり受けたりしているだけでは、自分のレベルアップにはつながりません。でも、同じキャッチボールをしていても、自分の中でテーマを持って集中してやれば、そこには「意味」が出てくるのです。こんなふうに投げれば、球は真ん中に行くのだな、とか。でも、多くの場合、とりあえず投げたり受けたりしているだけでも、「練習したような気分」になってしまいます。
 そして、大事なのは、「練習でできないことは、試合でもできない」ということなんですよね。
 いくら自分で「一生懸命練習をしている」「一生懸命仕事をしている」と思っていたとしても、実際に仕事をしている現場というのは、この「練習の1本目のパス」の繰り返しです。「ちょっと慣れれば、もっと良い仕事ができるのに」とか愚痴りながら、パスミスを繰り返してしまうことって、けっして少なくないような気がします。「練習の1本目のパスから集中する」ことを意識していなければ、本番で安定した仕事をしてみせることはできないはずなのに。
 いや、あらためて言われてみれば、本当にこのオシム監督の教えの通りなのですが、そういうことって、なかなか気がつかないまま時間ばかりが過ぎてしまうんですよね。
 なんだか、僕は自分の人生そのものも、こんな漫然としたパスの練習ばっかりしているような気にすらなってきました。そして、「本気を出せばこんなものじゃないんですけどね」って、ずっと言い続けているような。