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2006年03月23日(木)
「老い」や「障害」も展示する動物園

「<旭山動物園>革命―夢を実現した復活プロジェクト」(小菅正夫著・角川oneテーマ21)より。

【話は戻るが、命を伝えるために、旭山動物園がやっているもう一つのことは、歳をとって動作が緩慢になった動物や、交通事故で片方の羽を失ったカラスや足をケガしたタヌキ、電線に引っ掛かって羽を折ったフクロウなども、ほかの動物たちと同じように展示していることだ。
 これに関しても、当初、各方面から批判を受けた。総理府(=当時、現内閣府)が定めた展示動物に関する基準では、傷病中の動物を見せて残酷な印象を与えることを避けるように定められている。北海道庁からは「基準を知らないのか」と釘を刺された。

 一般の入場者からも「障害を見せ物にしている」という批判が届いた。ある学者からは、なぜあんな老いぼれた動物や、ケガをしている動物を展示するのだという声があったのも事実だ。
 しかし、「老い」というのは、人間を含めすべての動物が等しく辿る道だし、動物の交通事故は人間が起こして、最悪の場合、動物たちの命を奪うのだが、ほとんどニュースにならない。ケガを負った動物たちは、人間が与える悪影響の”生き証人”なのである。北海道の野生動物が置かれている状況を知らせるには、こうした展示は必要だと考えている。】

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参考リンク:旭山動物園ホームページ

 動物たちの迫力ある生態をなるべく野生に近い状況で観られるようにした「行動展示」で、年間約150万人もの入場者を集めている旭山動物園の園長・小菅正夫さんの著書の一部です。
 「動物のありのままの姿を見せたい」「動物たちがいま置かれている状況をひとりでも多くの人に伝えたい」という園長の熱意が伝わってくる文章です。それこそ「事なかれ主義」であれば、高齢の動物やケガをした動物は、人々の目に触れないように「処分」してしまえばいいのですから。
 でも、その一方で、もし自分がうららかな春の日にかわいい動物たちに会うために動物園にやってきて、そういう「残酷な印象を受けるような傷病中の動物」を見たら、それはそれであんまり気持ちのいいものではないだろうなあ、とも思うのです。
 これはもう、どちらが正しいとか間違っているというような問題ではなくて、同じ施設に対して、お互いが求めているものが違っている、というだけの話でしかないのかもしれません。もちろん、動物園側だって、動物たちのかわいさ、カッコよさを観てもらいたい、という気持ちは十分にあるわけですし、そういう「負の部分」をさらけ出したとしても、動物や自然というのは十分に魅力的なものなのだという確信もあるのでしょうが。
 それにしても、こういうのは動物園の中の話だけではなくて、人間社会における「老いたり障害を持ったりしている人間」というのは、あまりにも「隠蔽」されすぎているのかもしれません。そりゃあ、「見せ物」にされるのは許されないでしょうが、僕たちは、必要以上にいろんなものを「隔離」しすぎているような気もします。いくらハンディキャップを背負っているからといって、「周りから引き離され、隠される」よりは、「周りの人と同じ環境で生きられる」ほうが、はるかに心地よいことだってあるでしょうし。

 でも、その一方で、やっぱり、そういう「世間にアピールするという大義のための犠牲になる動物」の本心はわからないよな、とも僕には思えるのです。厳しい環境で他の動物たちと争うよりは、隔離されてエサをもらえたほうがラクなのかもしれないし、もしかしたら、そうやって「展示」されていることに対して、不愉快な感情を抱いているかもしれない。そこまで動物を「擬人化」するのは人間の勝手な思い込みなんだろうけど……