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2005年05月23日(月)
ホームヘルパーに「セクハラ」をしてしまう人々

河北新報の記事より。

【身体障害者や高齢者らから、セクハラを受けた経験のあるホームヘルパーが4割近くにも上ることが、山形県中山町の社会福祉士の調査で明らかになった。介護現場でセクハラが頻発していることは以前から指摘されていたが、「密室の出来事」とあって表面化しにくいのが実情だ。上司に相談しても、まともに取り合ってもらえず、泣き寝入りを強いられることが多いことも分かり、高齢化社会を支えるヘルパーたちの悩みが深刻になっている。
 「30代の身体障害者の自宅で入浴介護をしていたら、『下半身を触ってくれ』と頼まれた。うつろな目をした利用者の顔が、今も頭にこびりついて離れない」
 山形県内のホームヘルパーの女性は、体験談を話しながら顔を曇らせた。その場は「何を言っているの」と拒絶したが、「また行かなければならないのか」と憂うつになったという。
 現在、女性が所属する事業所は防止策として複数のヘルパーで担当を回しているが、他のヘルパーにも「好きだ」「彼氏いるの」など、言葉によるセクハラは続いているという。
 山形県中山町の特養ホームに勤務する社会福祉士荒木昭雄さん(45)は、東北福祉大通信制大学院の修士論文をまとめるため昨年末、県内ヘルパーにアンケートを実施。1179人に配布し、404人から回答を得た。
 「セクハラされた経験がある」と答えたのは153人(37.9%)。自由記述では「利用者の息子に押し倒されそうになった」など、犯罪になりかねない事例の報告もあった。
 関係者の多くが被害多発の背景に挙げているのが、2000年に介護保険制度がスタートし、利用者との関係に変化が生じたことだ。ある関係者は「在宅介護が有料となり、一部利用者に『サービスを購入しているのだから何をやってもいい』という意識が生まれた」と指摘する。
 アンケートでは「セクハラを拒否したら契約を打ち切られ、事務所での立場が悪くなった」などの記述も目立つ。荒木さんは「上司に相談した場合でも『すきがあるあなたが悪い』と言われ、個人で悩みを抱えざるを得ない」と解説する。
 荒木さんの問題提起を受け、山形県ホームヘルパー協議会事務局は、来月開く総会で被害実態を調査する。「ヘルパー個人が解決できる問題ではない。介護のプロとして事業所やヘルパーが一体となり、セクハラ防止のための有効策を検討していきたい」と話している。】

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 介護の現場でのセクハラ、本当に酷い話だと思います。4割が体験しているなんて、信じたくない現実、という感じです。
 この記事を読んでいると、「セクハラ利用者とお金を稼ぐことしか頭にない経営者の板ばさみになって、辛い思いをしているホームヘルパーたち」というのが浮かび上がってくるのですが、その一方で、「介護」とは何だろう?ということを考えさせられるのも事実です。
 この記事の中にある「利用者の息子に押し倒されそうになった」なんていうのは、論外というか言語道断なのですが、実際に障害を持つ人々の「性に対する欲求」について考えると、なんだかいたたまれない気持ちにもなるのです。
 僕は医者という仕事をしていて、ごく普通の「おじいちゃん」に「実は、バイアグラを処方してもらいたいんですが…」と相談されて困惑したこともありますし、「女の子、女の子!」と言いながら廊下を転げまわる精神科に入院されている患者さんの姿をみる機会がありました。その病院の院長先生は、実習に来ていた僕たちに「患者さんたちは、みんな心が真っ白で純粋です」と話してくれたのですが、僕は正直、「真っ白で純粋な心というのは、『おんなのこ!』になっちまうのか…?」と愕然としました。
 確かに、性欲というのは、人間にとってはもっとも強い欲求のひとつで、こいつのせいで人間は理不尽な罪を繰り返しているのです。
 病院にしたって、看護師さんたちは、日夜患者さんのセクハラまがいの行為にさらされたている場合もあるのです。まあ、そういうのに対してどこまで「おじいちゃんったら、しょうがないわねえ」とあきらめているのかには、個人差があるようですが、なんというか、こういうのは「業」みたいなものかもしれないなあ、という気分になることもあるのです。看護師のお尻を触るためにリハビリを頑張った人の話なんていうのは、それはそれで、スタッフの間では「伝説」になっていたりもするようですが……

 そういう「あきらめ」がセクハラの原因なんだ!
 正常な男女の関係というのは、相互理解に基づくものだし、愛し合うものたち(あるいは、お互いに合意したものたち)の間でなければ、「肉体的な関係」というのは(もちろん、セックスに限らず)許されないものだ!
 そう仰る気持ちはよくわかりますし、僕も本来はそうあるべきだと思います。でも、そんなふうに「正論」を堂々と主張できるのは、きっと、僕が「性的弱者」ではないからなのだろうな、とも感じるのです。
 実際問題として、僕も含めた日本のいや世界の男たちのなかで、「性的に完全に満たされている人間」の割合というのは、非常に低いのではないでしょうか。ただ、そういう「慢性的な性的欲求不満」を抱えて生きていたとしても、とりあえず「正常範囲の性的能力」を持っていれば、あとは「本人の努力が足りない」ということになってしまうわけです。そして、頑張って恋人を作る人もいれば、お金を払って風俗に行く人もいるでしょう。自分で処理する人だっていますよね。
 
 でも、仮に「自分の努力では、どうしようもない」とか「ものすごく重いハンディキャップを抱えている」という場合は、どうでしょうか?
 「五体不満足」の乙武さんのように、ハンディキャップを抱えていても素晴らしいパートナーを見つけられる人というのはごくごく一部で、多くの人は、「障害のために、異性に相手にもしてもらえない」という状況にあったり、「自分でも処理のしようがない」という状況にあったりするわけです。
 高齢になったからといって、必ずしも性欲というのは無くなってしまうというわけでもないようで、そういう自分の体と、世間の「おじいちゃんだから、そんなことはしない(できない)はず」というイメージの間に大きなギャップを抱えているというのは、非常に辛いだろうな、と思うのです。

 たぶん、こういう人々にとっての「セクハラ行為」というのは、本人にとっては「やむにやまれぬ衝動」みたいなものなのだけど、現実にはそれで他人を犠牲にすることはけっして許されない、そういう性格のものではないでしょうか。他に誰も女性に相手にされないような生活をしていて、ヘルパーさんだけが優しくしてくれるような状況なら、ヘルパーさんに「好き」という感情を抱いてしまうことを「そんなバカな!」「非常識だ!」と一蹴してしまうのは難しいと思うのです。
 その一方で、介護をする側は「普通の人間」なのだし、あくまでも「仕事」の範疇です。相手に恋愛感情を抱く必要も、性的サービスを提供する必要もないのだし、それは、責められることでもなんでもない。

 「性」という問題は、介護の世界では、長年タブーとされてきたそうです。人間だから性欲はあるとはいっても、相手のあることですから、「なんとかしてくれ!」と言われても「どうしようもない」ことなのかもしれませんし、介護の一環としてセックスしてあげる、なんていうのは、やっぱりちょっと現代日本の倫理観としては、納得できない人のほうが多いのではないでしょうか。実際は、表には出ないけれど、風俗を利用する障害者は少なくないそうですが、それをわれわれ「性的強者」が「不潔!」と言い切れるものなのかどうか。

 出展は失念したのですが、こんな話を耳にしたことがあります。
 障害を持つ介護の利用者が、ヘルパーさんに「歌舞伎町の風俗店に連れて行ってくれ」と依頼したそうです。そして、そのヘルパーさんは、「自分はそんなところに行くのは嫌だ」と断ったのですが、あとで、介護センターに「どうして利用者の便宜をはかってくれないのか?」と苦情が来たそうです。それに対して、介護センターは、「それは、ヘルパーの仕事の範疇ではありません」と回答したそうなのですけど……
 こういうのは、正直、「どっちが正しい」のか、僕にはよくわかりません。
 ただ、「性欲」というのは、誰にでも多かれ少なかれあって、どうしようもないものだけれど、社会がそれを許容できる範囲は限られているのだ、としか言いようがなくて、でも、「できない」というのは、たぶん「できるけどしない」よりも、はるかにストレスなのだろうなあ。

 こういうことを考えていると、僕も含めて「普通の人々」というのは、視野に入っているはずのたくさんの「弱者」を見ないようにして、変わらない日常を生きているのだなあ、ということをあらためて感じます。いや、「普通の人々」だって、自分が生きるのに必死なのも事実なんだけど。