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2005年04月10日(日)
究極の修行、その名は「サイレンス」!

日刊スポーツの記事「アジアンスター〜Mr.BOOにならなかった男・ジェット・リー」より。

(「少林寺」で映画デビュー、「HERO」などでも有名な俳優・ジェット・リーさんのインタビュー記事の一部です。)

【40歳を超えてなお、しなやかな体を持つ。厳しいトレーニングを積んでいるのかと思えば、そうでもないらしい。「ほんのちょっとだよ」と、苦笑いした後「体はキープしていければいい。今は精神の安定が大事」と話した。「HERO」撮了後、チベットに修行に行っている。「『サイレンス』という、10日間誰とも話をしてはいけない修行。先生以外だれにも会わないんだ。朝4時に起きて夜10時までずっと説法を聞く。1年半前の修行では、死とどう向き合うかを学んだ。撮影の前後には修行に行くけど、極端に言えば、毎日が修行なんだ」。】

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 ちなみに、次回作「ダニー・ザ・ドッグ」(リュック・ベンソン監督)では、「戦うためだけに犬として育てられた男」を演じるそうです。そして、その映画には、20年以上のキャリアで初めて「涙を流すシーン」があるのだとか。20年以上も泣くシーンが無かったとういうのは、なんだか凄い話だなあ、と思ってしまうのですが。

 ところで、このジェット・リーさんの話を読んで僕が感じたことは、こういう「修行」というのは、はたして、その人間にとってプラスになるのだろうか?ということでした。もともとそんなに他人と話すことが好きではない人間にとっては、10日間誰とも喋らないなんて、別にたいしたことないんじゃないの?とも思うのですが、自分ではそう思い込んでいても、本当の「孤独」と向き合ったら、「どんな相手でもいいから、話をしたい」という気持ちになるらしいのですけどね。独居の高齢者が怪しげなネズミ講に引っかかるのも「話相手になってくれる人」に対してついガードが甘くなってしまうという理由もあるようですし、病院でも、「個室は淋しい」という人は少なくないですから。まあ、どちらかというと、「6時間しか眠れないこと」とか「それ以外の時間は、説法を聞き続けなければならないこと」のほうが辛いような気もします。

 でも、こういう「修行」の効果というのは、実際のところはどうなのでしょうか?怪しい新興宗教の「修行」に耐え抜いたところで、出来上がるのは狂信者であることも多いですし、もっと身近なレベルで言えば、部活で厳しい練習に耐えた選手たちでも、痴漢で逮捕されたり、犯罪をやってしまったりするものですから、修行したからといっても必ずしも「完全な人間」になれるわけではないんですよね。まあ、こういう「修行」というのは、どちらかというと本人の「自信」を良くも悪くも増幅させる効果があるだけで、人格そのものを改造する効果はないのかもしれません。
 「自分は厳しい練習に耐えてきたんだ!」と言って、後輩にも理不尽な「修行」を課す人とか、けっこう多いですしねえ。