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| 2005年04月07日(木) ■ |
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| 「たいしたことない」人々 |
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「いかん。あかん。よう言わん!!」(わかぎゑふ著・角川文庫)より。
(わかぎさんが、オペラは初めて、という女の子と一緒にオペラ鑑賞に行ったときのエピソードの一部です。)
【そのとおりだ。どんな時期にでも心を豊かにするものが無くなったら人間はおしまいだ。それが縮小されている今の世界は悲しい。 そんな思いもあって、オペラに行くのは楽しかった。素直に感じたものを受け取って帰ってこようと思っていた。 しかし、その私の単純な喜びは会場に入ったとたんに少し曇った。 「オペラなんてねぇ、みんな男と女の好いた惚れたという下世話な話ばっかりですよ。ちっとも高尚なものなんかじゃない、日本人は大げさに考えすぎてるんだなぁ、たいしたことないよ」と大声で話している男性に遇ったからだった。 たしかに高尚な芸術なんてない。有ってしかるべきは、人の心に訴える力を感じるか否かということだけである。 それなのに、わざわざ観る前から言う人の欺瞞には虫唾が走る。彼はそう言うことで自分の知識をひけらかそうとしているだけだ。 時々、ああいう大人に腹が立つ。知ってることに優劣を付けて「たいしたことはない」と言いたがる人種だ。彼らに言わせれば「歌舞伎?たいしたことない。昔は川原で踊ってたんだから」「大阪?たいしたことない。東京の次だから」「うちの奥さん?たいしたことない。サラリーマンの娘だから」ということになっていくに違いない。 何かを否定することで自分の立場を固めていくなんて不幸なことだ。そういう人が社会的な地位があったりするともっと不幸は広がる。 自分が1回そう言う度にたいした人間じゃないと思われていくことを自覚してほしいものだ。】
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僕も時々、演劇を観に行くことがあるのですが、ある劇場で、関係者(出演者の夫とか、そういう感じ)らしい人が、開演前や幕間に、大声でその舞台の文字通りの「舞台裏」(あの役者はあんなふうにいい人そうに見えるけど実は…とか、そういう話)や舞台に関する薀蓄を延々と喋っているのを聞かされて、心底うんざりしたことを思い出しました。いや、単なるマニアならともかく、関係者であるならなおさら、一般の観客に気を遣うべきではないか、と疑問にもなったので。それなのに、興を削ぐような会話を大声でして「いかにも関係者」という空気をばら撒いているなんて、不躾にもほどがあります。ソロコンサートならともかく、演劇というのは、個々の役者へのディープな興味よりも、単純に「目の前で演じられているものを楽しみたい」という人だって多いはずです。非日常性を楽しむための心の準備をしているときに、つまらない日常を持ち込まれるというのは、不愉快きわまりありません。 そんな「裏話」なんて、わざわざ会場でやらなくても、どこかプライベートな空間でやればいいのに。「静かにしてくれ!」と言いたいのはやまやまだったのですが、実際にはそれを口に出すことはできなかったんですけどね。 その「関係者風の人」には、まったく「自分は迷惑なことをしている」という雰囲気もなく、むしろ、一般の観客よりも偉そうにふんぞり返っていて、僕はそれだけの理由で、その劇団がかなりキライになりました。何様なんだお前は!という感じで。 それにしても、このわかぎさんのエピソードにあるような「知ったかぶりの人」というのは、世間にたくさんいますよね。「○○なんてダメだ!」「××も昔はよかったんだけどねえ…」などと言いたがる、とにかく何に対しても、まず文句を言わないと気が済まない人。本人は「批評」をしているつもりでも、傍からみると「自分の知識をひけらかしているだけ」の人。しかも、その「ひけらかしている知識」というのは、誰か有名な評論家のウケウリだったり、彼(あるいは彼女)の勝手な思い込みだったりすることがほとんどです。とくに劇場などの「自分以外の誰かは、素直に感動しているかもしれない場所」で、そんなバカげた自己アピールをしたがる人というのは、客観的にみれば、「単なる自慢屋」にしか見えません。そういう人は、そもそも、あらさがしをしようという目でしか物事を見ていませんし、そういうあらさがしが誰かを感動させるなんてことは、まずありえません。 少なくとも僕には、オペラなんて…とかいう予備知識をひけらかすだけで、目の前の舞台にどう文句を言おうかとばかり考えている人よりも、何の知識も持っていなくても、目の前の舞台の迫力に感動して涙を流してしまう人のほうが、人生を楽しんでいると思えるのです。
「そんなの、たいしたことない」 本当に「たいしたことない」のは、お前自身だ!!
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