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2004年12月09日(木)
年賀状の季節に、自分の人望の無さを知るということ。

毎日新聞の記事より。

【県議会の会議規則にご留意下さい――。県議会の古沢時衛・議会運営委員長は7日午前、午後の本会議に向けて開かれた同委員会で、異例の注意を呼びかけた。
 前日の本会議で、議場で年賀状を書くなど“内職”する議員が目立ち、遠回しに注意した。会議規則は「議会の秩序及び品位を重んじなければならない」「参考のためを除いて、新聞、雑誌、または書籍などを閲覧してはならない」と規定、“内職”は違反だという。
 6日夕の本会議は104億円の増税の是非などをめぐり、議論していたが、出席議員は在籍106人中77人だった。
 古沢委員長は「議会の本旨は議論だ。忙しいとつい(内職を)やりたくなるがルールは守ってもらわなければ」。注意の効果か、7日は“内職”も目立たず、議会終了時の出席議員も87人。】

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 これは、神奈川県議会での出来事なのですが、正直、「そんなに年賀状が大事なのかよ…」という感じではありますね。委員長の「忙しいとついやりたくなる」なんていうのも、そんなことに理解を示してどうするの?とか考えてしまいます。試験前の高校生じゃないんだから、社会人として、その「内職」は、さすがにマズイのではないでしょうか?
 それにしても、これだけ「年賀状書き」に追われるというのは、議員の人たちというのはものすごくたくさんの年賀状を、しかも(全部ではないとしても)手書きで書いている、ということがうかがい知れます。今の時代であれば、パソコンを使ったり、印刷に出したりすればはるかにラクだと思うのですが、そういう「手書きという礼儀」にこだわるのが、議員としては大事だということなのでしょう。確かに、これだけ印刷の年賀状が増えると、「手書き」というのは、ものすごくありがたいような気もしてきますしね。たぶん、この議員たちは、夜も一睡もせずに年賀状を書き続け、それでも時間が足りないあまりについ議場でも書いてしまうんでしょうね。なんだか、年賀状書くために議員やっているようなものですが。
 確かに、外部の人からはほとんど見られることもない議場の中で熱心に討議に参加するよりも、支持者ひとりひとりに心を込めて年賀状を書くほうが、はるかに「有意義」だというのは、「議員でいるため」には正しい判断なのかもしれません。

 まあ、僕も毎年、「今年こそは凝った年賀状を書くぞ!」と心に決めてインクジェットの年賀状を買ってくるものの、結局は「相手の年賀状が着くまでに出せれば、気分的にはセーフ」ということで、大晦日の夜に「紅白歌合戦」をBGMに、あわてて年賀状ソフトを起動する、ということを繰り返しているのですけど。

 正直、手紙だけではなくて、電話、メールなど、「本当に用事のある人とコミュニケーションするツール」がこれだけ多種多様になった世の中ですから、あえて「年賀状」にこだわる必要もあるのかなあ、なんて気もします。ただ、あれって実際に書いていると、「百枚も年賀状を書く相手がいる自分の人脈」とか「百枚も年賀状が来る自分のVIPっぷり」に酔っているだけ、なんてことも多いのかもしれませんね。僕だって「年賀状不精」ですけど、「来るものは拒まず、というか嬉しい」から。
 
 ところで、僕は毎年自分の中で「年賀状帰還率」というのを計算しています。これは「大晦日までに出した年賀状の枚数」÷「元旦に来た年賀状の数」で算出され、何をあらわす数値かというと、要するに自分の「人気度」だったりするわけです。この数字が「1」より大きければ大きいほど、「世間から人気がある(ような気がする)のです。もちろん、宣伝用のダイレクトメールは集計対象外とします。
 
 しかしながら、僕の記憶の限りでは、身内に不幸があって全く出さなかった年以外では、「帰還率」って、100%を超えたことがありません。だいたい、60〜80%というところ。
 おそらく日本人の平均は100%になるのでしょうから、毎年「平均より人気のない自分」に打ちのめされ続けているのです。