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2004年08月24日(火)
意外と、いろんなものを信じて生きている一般人

BARKSの2004年8月23日の記事より。

【マドンナは、レストランに出かけてもそこでは食事を取らないそうだ。何が入っているかわからないものは食べられないと話している。

マドンナは、誕生日の8月16日、夫で映画監督のガイ・リッチーと共にロンドンのトップ・レストランSketchに姿を現した。しかし「食事はどうだった?」という『The Sun』紙の質問に彼女はこう答えている。「食べなかったわ。レストランで食事はしないのよ。何が入っているか、分からないでしょ」

マドンナは、有機栽培の野菜、魚、穀物などを使ったマクロビオティック・ダイエットを実行していると言われている。この食事療法では、乳製品や精糖もご法度だ。】

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 最初に見出しを読んだときは、「マドンナは、誰か毒を盛るんじゃないか…」なんて妄想にとらわれているの?なんて心配したのですが、実際のところは有機食品ダイエットを徹底するためみたいですね。
 それなら、わざわざ「ロンドンのトップ・レストラン」に来なくてもいいような気もしますし、「Sketch」のスタッフにとっては、風評被害だってあるんじゃないか、とすら思うのですが。
 まあ、この話もネタ元がかの有名な「大衆紙・サン」ですから、どこまでが事実かというのは今ひとつ信憑性に描ける印象もあります。

 今回のマドンナの「レストランで食事をしない宣言」というのは、糖尿病の人がカロリー摂取量がわかりにくい外食を避けるようなものですから、そんなにヘンなものではないですが、あらためて考えると、日常生活というのは、数多くの「暗黙の信頼」によって成り立っているものですね。
 僕は昔から床屋が苦手で、その理由が、カミソリをあてられているときに、理容師さんの手が滑ったり、他人を傷つけたいという衝動が急に発動したら…とか想像すると、ものすごく緊張してしまうからです。
 食物だって、最近流行りの「偽装事件」というのがありますが、僕たちは原則的に店で売られているものを口にする、もしくは外で食事をする際には「毒見」なんてしませんよね。それこそ、誰かが毒を入れようと思えば、それはそんなに難しいことではないはずなのに。
 車を運転される方は理解していただけると思うのですが、車というのは、「お互いが交通ルールを守る」という暗黙の諒解によって、なんとか機能している乗り物です。逆に「あの車はブレーキを踏まないかもしれない」とか「赤信号でも無視して突っ込んでくるかもしれない」といろいろなケースを想像しはじめたら、怖くて運転なんてできません。もちろん、その反面、ある程度までは「他の車が予想通りに動いてくれない可能性」を予見して、それに対応できるようにしていなければならないわけですが…

 どんなに「俺は他人なんて信じない」という人でも、コンビニで買ったパンの毒見をしたり、ハンバーガーショップで「先に会計なんてまっぴらごめんだ!」なんて叫ぶ人はほとんどいませんから、基本的には、人間は「信じていないようで、意外といろんなものを信じている」ということなのでしょう。
 もちろん「信じているというよりは、そんなことやってもメリットはないだろうから」というくらいの「信頼関係」なのかもしれませんけどね。

 たぶん、世界というのは僕に対して、期待しているほどの善意も持っていないかわりに、心配しているほどの悪意も持っていない、そういうことなのでしょう。ごくありきたりの、One of them。
 「外に出るときにはSPが警護」「食事には毒見が必要」というような特別な存在に、ときどき憧れてみたりもするんだけれど。