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2004年05月30日(日)
「好奇心」という電車に乗って

「Number 602」(文芸春秋)の連載コラムより(文・三田村昌鳳)

【’78年のマスターズ。青木は1打差での予選落ちを喫した。最終ホールの最後のパットは、たとえ沈めても予選落ちの動かない1打だった。だが、その1打のことを、青木は酒を飲みながら、僕にしみじみと語ったのだ。
「俺は必死にあのパットを入れようと決めたんだ。これを外したら、この先の自分がなくなっちゃうような気がしたんだよ。俺は今、36歳。この年になってやっと、棒j(クラブ)を振っていることがゴルフじゃないって解りかけてきたんだ。ゴルフは技術だけでも勝てない。精神だけでも勝てない。言葉にすると簡単で、当たり前だけど、”心技体”が大切なんだね。ちょっと遅いかもしれないけど、でも一生、気がつかないよりいいよな……」
 僕は思わず言葉に詰まった。「そうですよ、遅いということなんてないんはずですよ」と年上の青木に言ったような気がする。

(中略)

 4月22日、青木の日本男子初のゴルフ世界殿堂入りが明らかになった。今年の8月で満62歳。今なお、戦い続ける姿が世界に認められたのだろう。
 再び、僕は青木の言葉を思い出す。
「好奇心という電車に乗ってここまで来た。いずれ駅に降りなければいけない時がくるなら、できるだけ長く電車に乗っていたい」】

〜〜〜〜〜〜〜

 僕は一時期ゴルフをやっていたことがあるのですが、あまりの自分の下手さに嫌気がさして、最近ではクラブを握ることもなくなりました。けっこう立派な道具だけは揃っているのですが。
 でも、プロゴルファー・青木功選手のことは、子供のころから好きだったんですよねえ。ジャンボ尾崎選手みたいに「軍団」とか結成するわけでもなく、ほんとうにどこにでもいるようなオッサン(失礼!)が、ひょうひょうとプレーしている姿には、とても惹かれるものがあったのです。青木選手は僕の母親と地元が近いので、その茨城弁丸出しの言葉遣いになんとなく親近感を持っていたこともあるのかもしれませんが。

 この青木選手のエピソードを読んで、僕はひとつ不思議に思ったことがあるのです。それは、「どうして青木選手が『必死に入れようと思った』というパットが、勝負を決めるような1打ではなくて、いわば『敗戦処理』のようなパットだったのだろう?」ということ。
 もちろん、若干の賞金の違いとかがあるのかもしれませんが、そのパットの成否というのは、青木選手にとって、そんなに大事なものだったのでしょうか?それが、ひとつの「転機」になるような。

 しかし、考えてみれば「優勝を決める1打」とかであれば、別に何も自分で意識しなくても、みんな「必死で入れようとする」のですよね。でも、そういう「意味のなさそうな1打」を漫然とプレーしているようでは、そういう「本当に大事な1打」を前にして、自分のゴルフを見失ってしまう、ということなのかもしれません。
 もちろんそんなこと「いつでも油断するな」なんてことは、プロのゴルファーであれば、誰でも意識していることなのだと思います。ただ、「意識している」というのが、実際に活かされているかどうかは、また別の話。
 この1打は、青木選手にとって「状況に流されず、主体性を持って自分のゴルフをする」という意識改革をもたらしたのかな、と僕は思うのです。

 36歳、日本のトッププロでありながら、そういう気持ちをあらためて自分の中に発見して、「ちょっと遅いかもしれないけど…」なんてしみじみと語ってみせる青木さんの姿って、素晴らしいなあ、と。
 その後の青木選手の活躍を考えると「けっして遅くはなかった」という気もしますし。

 人はみんな、いずれは駅に降りなければならないのだと思います。
 でもね、いくつになっても、自分の心の持ちようで、新しい発見をしていくのは可能なのではないでしょうか?
 「好奇心という電車」に、終着駅はないのだから。