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2004年05月31日(月)
「No!」としか言えない国、ニッポン

「けっこん・せんか」(檀ふみ・阿川佐和子共著、文藝春秋)より。

【檀:それから、日本人の場合、ニュアンスとか。その言葉や表現に潜んでいる意味をすごく大事にするんだけど、海外ではニュアンスだけではなかなか伝わらないわよね。だから、「Yes」「No」をはっきりと意思表示しなきゃいけない。
 阿川:含みを持たせたようなあいまいな表現は通用しないこともあるものね。
 檀:だけど、「No」だけでもダメなのよね。
「No thank you」と言わなくちゃ。ところが日本人は、
「No」だけ。たとえばコーヒーを頼むときだって、ぶっきらぼうに「コーヒー」っれ。なんだかとても命令口調よね。
 阿川:そうそう。若い女性でも「紅茶」って言ったきりだものね。
 檀:あちらでは必ず「コーヒー、プリーズ」。
 阿川:それで持って来てもらったら、「サンキュー」って。
 檀:ついこのあいだ聞いた話なんだけどね。世界的に活躍されたオペラ歌手の藤原義江さんがいらしたでしょう。「基本的に大切なのは、”ありがとう”と”どうぞ”。この二つをちゃんと言えること。そうすれば世界中どこに行っても恥ずかしくない」とおっしゃったそうなの。】

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 この対談は、1993年に行われたものだそうですから、この10年のあいだに、日本人のコミュニケーション能力が劇的に向上していなければ(たぶん、平均値としてはそんなに変わっていないような気はしますが)、現在でも海外に行った日本人のコミュニケーション能力というのは、このくらいのものなんでしょうね。去年僕がアメリカに行ったときは、それなりに学校英語は勉強してきたし、日頃英語に接する機会が多いはずなのに、あまりの「通じなさ」に情けなくなりましたから。
 まあ、実際に英語圏に旅行に行く日本人にとっては、「まず意図が通じること」が第一で、その言い方が礼儀にかなっているかどうか?なんてことまで考えている余裕はないのだろうな、という気もしますけど。
 それでも、「単語だけ言えば通じる」と言うのではなく「単語+プリーズ」というだけでもけっこう印象というのは違ってくるのだろうな、とも思うのです。
 僕たちが、「日本語の上手な外国人」と話していたとして、どんなにその人の日本語が流暢ですばらしいものだったとしても、助詞の「は」と「が」の違いとか、目上の人への言葉遣いとか「そこまで要求するのは理不尽だ」と頭ではわかっていても、やっぱり「違和感」というのは感じるものですし。
 「アメリカ人は、”Yes”と”No”がハッキリしている」と多くの日本人はイメージしているはずです。でも、確かに彼らは、”Yes”と”No”を言いっぱなし、ではないんですよね。”No”だけじゃなくて、”No thank you”つまり、”いいえ、でもありがとう”というように、断りつつも、ちゃんと相手への気配りもしている、ということのようなのです。
(余談ですが、僕はこの「ノーサンキュー」を「サンキューじゃない」、つまり「歓迎しない」という意味だとずっと思っていました)

 僕もアメリカに5日間くらいいたときには、すっかり事あるごとに"thank you"と言うようになっていました。日本に戻ってあらためて考えると、日本人は「ちょっとした感謝の言葉」というのを知らない人にあまり言わなくなっているのかな、という気もしたのです。

 もっとも、アメリカで飲み物を持って来てくれた店員さんたちは、僕たちが「プリーズ」とか「サンキュー」とか口にするよりも、テーブルの上に置いたチップを見たときのほうが、はるかに嬉しそうで、彼らのサービスも良くなったんですけどね…
 まさに「ゲンキンだなあ」という感じ。