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2004年01月16日(金)
もう一度、「代理出産」について。

毎日新聞の記事より。

【米国人女性に代理出産を依頼し、昨年11月に双子の男児が誕生したタレントの向井亜紀さん(39)と元格闘家の高田延彦さん(41)夫妻が15日、東京都内で会見した。日本では代理出産は実施されておらず、国が検討中の生殖補助医療法案でも禁止の方向だが、向井さんは「子供をつくる夢をどうしてもあきらめられなかった。あきらめずによかった」と喜びを表した。高田さんは「子供たちには日本人と米国人のお母さんがいることを語りかけながら育てたい」と話した。

 向井さんは00年、妊娠中に子宮がんが見つかった。出産をあきらめて子宮を摘出した後、夫妻の精子と卵子を体外受精した受精卵を別の女性に移植して出産してもらう代理出産を目指し、3度目の挑戦で成功した。

 代理出産した女性には謝礼として約200万円払った。医療機関へはこれから費用を支払うが、請求書が届いていないので金額は不明という。

 夫妻は米国で高田さんを父親、向井さんを母親とする出生証明書を受けており、近く区役所に出生届を出す。

 代理出産については、法務省が昨年11月、米国での代理出産で子供をもうけた50代夫婦からの出生届を不受理にした。夫婦は子供を自分たちの子として届けたが、法務省は「子供を産んだ女性が法律上の母親になる」と判断した。

 向井さんは「私を母親とする出生届が認められなければ、子供を産んでくれた米国人女性との間で養子縁組したい」と話している。高田さんは「目の前にある二つの命が大切で国籍問題にはこだわらない」と語った。】


参考リンク:「いい遺伝子」と代理母出産(「活字中毒。」2002年3月7日)

〜〜〜〜〜〜〜

 向井さんと高田さんの「代理母出産」については、以前にここで書いたことがあります(上記リンク参照。ああ、僕もあの頃は若かった。まあ、2年も前の話なので、誰も覚えていないかもしれないけれど。
 僕自身には、今のところ「自分の子供が欲しい」という切実な願望がないのですが、あれだけ嬉しそうに会見している夫婦の姿をみていると、「よかったねえ」なんて素直に祝福したい気持ちになるのも事実です。
 彼ら夫婦は子供ができて幸せ、代理母になった女性もお金がもらえて幸せ(かどうかはわかりませんが、200万円というのは、結構安い気もしますね。その他にいろいろな経費もかかるのかもしれないけど)。それで、何か文句があるの?と言われたら、2年前同様、「まあ、赤の他人がとやかくいうことじゃないし」としか答えようがありません。国籍についても、「日本国籍にしてあげても、別にいいんじゃない?」というくらいの印象ですし。

 それでも、なんとなく心に引っかかるものがあるのも事実なんですよね。「代理母」というものに対して、違和感を感じてしまう面はあるのです。
 ひとつは、「代理母」という存在。お金と引き換えに他人の子供である命を産み出す「道具」となる人間がいるというのには、正直、あまり良いイメージが湧きません。妊娠というのは母体にとってもそれなりにリスクを負う行為であって、お金のために自分の体を売るのか?などとも考えてしまうのです。「代理母」という制度が成立する裏には、日本人が海外で臓器移植を行うのと同じように「経済的な格差」が存在するのは否めないところです。
 もし、アメリカ以外の日本より貧しい国で安い費用で代理母による妊娠が可能になれば、おそらく、日本人の夫婦は、もっと「代理母」を利用するようになるのではないでしょうか?
 生身の人間を「代理母」とする以上、どんなにキレイ事にしようとしても、「金で母体を買う行為」ではあるのです。そして、お金や社会的な名声がある人ほど、そのチャンスに恵まれる可能性は高い。
 向井さんが「同じような境遇にある人に勇気を与えられれば」と言うたびに、画面の向こうでは、
「いいよなあ、お金持ちは…」と呟く「同じような境遇の人」がいるような気がしてならないのです。
 もちろん、向井さんと高田さんは、不正行為で自分のお金や名声、人脈を得たわけではありませんから、「頑張っている人に、それなりの見返りがある」という意味では、くじ引きのような「悪平等」よりは、はるかに正しいのかもしれませんが。
 でも、「人間って、やっぱり平等じゃないよなあ」なんて考えてしまうのも事実で。

 その一方で、もし自分の家族に臓器移植が必要になった場合、僕はどうするか?とも思うのです。それしか方法がなければ、「日本人が金をばらまいて臓器を買っている」なんて非難されるとしても、非合法的な方法だとしても、移植を受けさせようとするのではないか、と。

 「命」というものを自然の流れにおいて考えれば、「普通にセックスして子供ができないのは仕方がない」し、「臓器移植までして生き延びようとするのは不自然」なのかもしれません。
 でも、その個体それぞれの意志としては、「子供が欲しい」「生きたい」というのは、「自然なこと」なのです。
 そういう「個体としての欲求」と「人類の一員としての一般論」というのが、ずっとずっとせめぎあいながら、人類は進歩してきたわけで。

 「代理母は人類にとって正しいのか?」おそらく、多くの正常な生殖能力を持っている人間にとっては、「不自然」なんですよね、きっと。
 僕も、天然モノじゃない、養殖された魚みたいな感じがどうしてもしてしまいます。不躾で申し訳ないのだけれど。

 結論としては、2年前と同じように、「子供が欲しい夫婦と代理母をやってくれる人と技術があれば、あとは本人たちしだい」ということになってしまうのですが…

 「産まれて死ぬことだけは、すべての人間にとって平等」というのは、よく使われる言葉なのですが、生まれてすぐに飢餓で亡くなってしまう子供や水道料金も払えないような経済状態なのに作られてしまう「大家族スペシャル」の子供たちがいる一方で、「他人のお腹を借りてまで産まれることを望まれる子供」がいる、というのは、「命の平等」という観念のウソを僕の前に突きつけているような気がするのです。
 「命の平等」というのは、多くの場合「富める者の自己弁護」なのかな、なんて。
 これは、優秀な遺伝子を残すための、自然の淘汰なのでしょうか?
 ひょっとしたらそんなに遠くない未来に、富める国の夫婦がが貧しい国の若い女性のお腹でどんどん子供を作り、貧しい国の人々はどんどん減っていく、なんてことになっていくのでは…
 いままで「自然の摂理」でコントロールされていた「個体としての欲求」が、医学や科学の進歩によって「人間の理性による自主規制」なしでは、暴走してしまう時代、それが現代なのではないでしょうか。

 それにしても高田さん、最近、プロレス界の暴露本を出して自分や仲間の過去を貶めたり、「PRIDE」のリングの上で「出てこい!ポークアンドチキーン!」なんて狂言回しをやっているあなたの姿は、正直観ていて恥ずかしいです。
 代理出産の費用がよっぽどかかったのかもしれないけど、いくらなんでも、ねえ…