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2002年12月23日(月)
「だから今は、いつものように恋人にキスをしよう」


「ニュースキャスター」(筑紫哲也著・集英社新書)より。

【これは言いがかりというものだが、いざテレビ番組を持たされることになった時、まず頭に浮かんだのはやはり『傘がない』(井上陽水)だった。なかでも、ひとつのフレーズである。
 「テレビではわが国の問題を誰かが深刻な顔をしてしゃべってる」というくだりだ。
だけども、個人である「私」の問題は、恋人に会いに行かねばならないのに雨が降ってきて「傘がない」ことだと、ヒトの悪い陽水は歌っている。しかも、初めてこの歌を聴いた時、私もどの通りだと思って、だから感心したのだ。
 私は後にこの歌を「足払い」の歌だと言ったことがある。「天下国家」をしかめつらしく論ずることが「天下の一大事」と思い込む風潮(彼にとっては当時の全共闘運動もそう映ったのだろう)に向かって、同じ「天下」でもこちらには天から下りてくる雨のほうが問題なのだと、足払いをかけたと思ったからだ。
 そのことに共感していた自分に「テレビでわが国の将来の問題」を扱う役割が回ってくるとは。】

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 もう、2002年もおしせまってきました。明日は、21世紀2回目のクリスマス・イブ。この文章を読んでいて、昨年の同時多発テロのときのことを僕は思い出しました。
 あのころ、僕は自分を支えていた世界の枠組みをいうのが崩れていったような気がして、漠然とした不安をかかえていたのです。
 そんなとき、糸井重里さんが「ほぼ日刊イトイ新聞」の冒頭に発表された、ある文章を目にしたのです。
 その文章は、テロについてばかり語っている人々の様子を描写したあと、次のように最後に示してありました。
「だから今は、いつものように恋人にキスをしよう」と。

 世界は、さまざまな憂鬱と危険ににさらされながら、歴史を重ねています。誰だって、100%明日生きていられるという保証なんて、どこにもありはしない。

 糸井さんは、テロについて語ることの虚しさを言いたかったのではなく、そんな時代だからこそ、自分たちにとっての確かなものを大事にしていこう、すべてはそこから始まるんだ。ということを言いたかったのだと僕は思っています。
 そしてそういう「自分の足元を見つめることの大切さ」というのは、ついつい、忘れてしまいがちなこと。
 空ばかり眺めていて、落とし穴に落ちてしまう人がなんと多いことか。

 もちろん、天下国家について問題意識を持っていることは大事なことです。
 でも、それが自分を、ひいては人類を幸せにする方法かといわれると、必ずしもそうではないと思うのです。

 しかし、マスコミには、自分たちは世界の一大事を扱っているから偉いんだという本音がうかがわれるところがあって、僕はそういうのが嫌になることがあります。
 「社会のためにやってるんだ!」って言っているけど、「本当に社会にとって役にたっているのか?」ということに悩んだことがあるのかどうか。
だから、筑紫さんのこういう「普通の感性」こそが、彼がニュースキャスターとして評価される理由なんだろうなあ、と感じます。

 クリスマスだから、せめて明日くらいは、
 いつものように恋人にキスをしよう。