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2002年09月17日(火)
2002年9月17日。


朝日新聞の記事より。

【「罪を償うために骨髄バンクに登録したい」。強盗殺人事件で死刑が確実視される被告がドナー登録の手続きをしようと刑の一時執行停止を求めたことに対し、法務・検察当局は申し立てを認めない方針を固めた。刑事訴訟法で定められた「刑を停止する重大な理由」にあたらないと判断したという。
 骨髄提供を理由として刑の執行停止を申し立てたケースは初めて。
 申し立てたのは、強盗殺人罪で無期懲役となって服役し、仮出所中の92年に別の強盗殺人事件を起こして審理中の男性被告(49)。  最高裁は99年、「死刑を選択するほかない」として、二審までの無期懲役判決を破棄し、広島高裁に差し戻した。92年の仮出所は取り消され、最初の事件の無期懲役刑囚として申し立てた。
 執行停止は、刑の執行が著しく本人の健康を害したり、重大な理由があったりする場合にできると刑事訴訟法で定められている。
 骨髄移植は白血球の型が同じでないとできないが、適合率は低く数百人から数万人に1人とされる。提供者を何年も待つ患者も少なくない。
●骨髄提供希望の受刑者の手紙
 罪をどのように償えば良いのだろうか。歳を重ねるごとに自責の念が深まり、辛苦の受刑生活は当然の事ですけれど、この境遇の中でも何か人の役に立てることはないものかと思いをめぐらせておりました。数年前、ラジオ放送で白血病であと数カ月の命と告知された小学生が骨髄移植を受けて一命をとりとめたと知り、何とか協力できないかと強く思うようになりました。
 自分の命で誰かの命を救うことができるならば、これ以上の罪滅ぼしはありませんし、被害者に万分の一でもおわびできるのではないか、と思うのです。】

〜〜〜〜〜〜〜

ちなみに、この受刑者、今年の5月には、「脳死状態になったら、すべての臓器提供をする意志を明らかにしている」そうです。
 なんと美しい心なのでしょう。こんなに立派に改心したんなら、死刑になんか、しなくたっていいじゃありませんか!

 …って、思うとでも?
 この話を聞いて、僕はもう、唾で眉がベトベトです。
 骨髄移植の登録は、してもいいと思うんですよ、別に。
もし、適合する人がいたら、即刻ドナーにはなっていただきたい。でも、登録は2時間くらいで済むそうですし、適合者がいるかどうかの確認も、まあ、何週間かといったところでしょう。ちなみに、適合率は数百人から数万人にひとりですから、逆に言えば、この受刑者に適合する患者さんがいる確率そのものは、けっして高くありません。
「登録」=「ドナーとなる」とは限らない。むしろ、適合者する患者さんなしの可能性が、現実にははるかに高いのです。
 適合者がいれば、移植の間は刑を猶予していいと思います。患者さんのために。まあ、だいたい一週間くらいの入院でしょうか。

 でもね、僕はもう、この手の「マスコミによって作られた美談」には、飽き飽きしてるんですよ。
 この受刑者、「自分の命で誰かの命を救うことができるならば」などと、ほざいていますが、骨髄移植のドナーになっても、死んだりすることは、
まず100%ありません。
ドナーは、骨髄液を採取されるだけですよ。
もちろん、普通の人にとって「採取されるだけ」のことが、とても大変なことは、承知しているつもりです。痛いし、入院しなきゃいけないし。でも、「命がけ」というのは、あまりに過大表現。
あと「脳死になったら、好きに移植していい」ですか?
絞首刑になる人が、いったいどうやって脳死状態になるつもりなんでしょうか。
 ほんとに「自分の命で誰かを救いたい」と思っているのなら、今すぐ腎臓なり、角膜なりを提供したらいいのでは。
心臓だっていいと思いますよ、死にますけど。
現実的には、そういうことは今の日本の法律上では不可能なのですが。

 だいたい、「万分の1のおわび」とか「この辛苦の受刑生活」とか、ふざけるな、といってやりたい、耳が腐る。あなたに殺された2人の人は、そんなおわびなんて、聞きたくないと思っているんじゃないでしょうか?
 人の未来を2つも奪っておいて、ちょっと骨髄バンクに登録したくらいで「自分は少しでも罪滅ぼしをした」と自己満足。
亡くなられた方は、おわびなんて聴こえはしないし、「辛苦」すら感じられなくなっているというのに…
そういう、感じることすらできなくなってしまう、というのが「死」の本質なのに。
 でも、この受刑者は、まだ生きて、考えている。

 マスメディアも、こんなことをいかにも美談のようにとりあげるのは、もうやめてもらいたい。この受刑者は、骨髄バンクに登録しようとしたから罪に問われたわけではなく、人を2人も殺めたから罪に問われているのです。
 「人道」とは、どんな悪いことでも赦して「よしよし」って、言ってあげることですか?
 それとも、罪に対して、適正な罰を与えることですか?


 ひとつだけ、いくばくかでも罪滅ぼしをする方法をお教えしましょう。

「この世に存在して、罪滅ぼしをしようとすること自体が傲慢なんだ。
さっさと死んで、この世から消えてなくなれ!」