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2002年09月14日(土)
2002年9月14日。



「週刊SPA!2002年4/30,5/7合併号」(扶桑社)の鴻上尚史さんのコラム「ドン・キホーテのピアス」より。

【今の日本で大学に行く一番の意味は、60歳を過ぎないと手に入らない、4年間という長期の時間を手に入れることなのです。そして、その時間を手に入れることで、生まれて初めて、「いったい、私は何がしたいんだろう?」という問題を悩むことができるのです。
 授業に出席しているだけでは、この人生の根本問題に悩むことはありません。で、そういう場合、えてして、30歳を過ぎた頃に突然、「俺はなんで生きているんだ?」と考え始めるのです。それでも遅すぎるということはないですが、しかしなるべくなら、大学の時間にすませたほうがいいのです。

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 鴻上さん流の「モラトリアムのススメ」です。僕は、大学に6年間行ってたわけですが、医学部というのはけっこう出席日数に厳しかったり、実習が多かったり講義がギッチリつまっていますから、勉強と部活に明け暮れていた記憶しかないのですが、それでも就職してからの生活に比べれば、はるかに余裕があったような気がします。一日中ゲームしてたり、飲み会続きだったときもありましたし。
 でも、「子供は純真でいいねえ」とか「学生は悩み事がなくていいねえ」というようなことを聞くのですが、自分が子供だったり、学生だった頃のことうを思い出すと、果たしてどうだったか?今から考えると些細なことかもしれませんが、給食を食べるのが遅かったり、席替えで仲のいい子と近くにられなかったりで、すごく落ち込んだりしませんでしたか?学生時代だって、悩む人は「どうして僕には悩みがないんだろう?」なんてことを悩み始めたりするわけです。
 たとえば、小説家が紙に向かっている時間だけでは小説が書けないように、誰でも「仕込み」の時期は必要なんだと思います。
 それに、悩んだことがない人って、他人が悩んでても「どうしてそんなに暗い顔してんの?たいしたことないじゃん!」などと他人の神経を逆撫でしてしまうことも往々にしてあるわけで。
 まあ、悩むかどうか?というのは、時間というより、体質的なものかもしれませんが、それでも「悩んでいる暇がある」というのは、幸せなことなんでしょうね。
 悩んでいる最中には、そんなこと思いもつかないんだけれど。