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2002年09月11日(水)
2002年9月11日。


「新ゴーマニズム宣言・第11巻テロリストナイト」(小林よしのり著・小学館)より抜粋。

(小林氏の語りおろし、「個と公論2」から、同時多発テロ前のタリバン政権時のアフガニスタンのことについて)

【小林氏「しかし、世界はアフガニスタンを見捨てた。前国連難民高等弁務官の緒方貞子さんが、100万人規模の餓死者が出そうだと懸念を表明しても、一顧だにされなかった。アフガン人の平均寿命は40歳そこそこ。
2000万人といわれる人口のうち、630万人が難民と化している。こんな絶望的な状況こそが、テロリストを生む温床となったわけだからね。
 そのような絶望感を、映画『カンダハール』の監督、モフセン・マフマルバフは、バーミヤンの仏像破壊とからめて、こんなふうに表現しているよ。
『ついに私は、仏像は、誰が破壊したものでもないという結論に達した。仏像は、恥辱のために崩れ落ちたのだ。アフガニスタンの虐げられた人びとに対し世界がっこまで無関心であることを恥じ、字頭からの偉大さなど何の足しにもならないと知って砕けたのだ。』(『アフガニスタンの仏像は砕けたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』(武井みゆき+渡部良子訳、現代企画室)より)
 ところが、仏像が崩れてさえ、中国の諺に言う「あなたが月を指差せば、愚か者はその指を見ている」つまり、人々は仏像の破壊だけを悲しみ、「誰も、崩れ落ちた仏像が指さしていた、死に瀕している国民をみなかった」、とマフマルバフ監督は言っている。】

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 あれから、1年。今日は、「2002年9月11日」というタイトルにもなんとなく意味がありそうな気がしています。
 同時多発テロのこと、考えれば考えるほど思考は堂々巡りになってしまうのです。被害にあってしまわれた人たちは、ほんとうに悔しいだろうなあ、と思いますし、アメリカが怒るのもわかります。
 でも、いろいろな角度から見てみると自分の立場を見失ってしまう。ビンラディンは、湾岸戦争のときはアメリカの協力者だったのですが、湾岸戦争後、アメリカ軍が「聖地をアメリカの女性兵士が短パン姿で歩いているのを見て、聖地を穢されたことを屈辱的に感じ」、それ以降、反米になっていったそうです。
 郷に入れば郷に従え、といいますし、こういうのは、果たしてビンラディンを責められることなのかどうか。占領軍とはいえ、相手の文化を尊重すべき面もあったのではないか?という気もします。
 それに、この文章にあるように、当時のアフガニスタンの状況を考えると「アルカイダは、テロに快楽を覚える狂信者集団だ」と言い切ってしまっていいのかどうか?果たして、彼らの国がこんな状況でなく、豊かで、文化を尊重されていたなら、それでも彼らはテロをやったのでしょうか?
 物事というのは、理性的にいろんな角度からみていくと、どんどん何が悪いのか、よくわからなくなってきます。欧州の人たちは「テロは、アメリカ側にも要因がある」と考えている人が過半数を占めているようですし。
 
ただ、僕の感情が出す答えは、ただひとつ。アメリカに従わない国がいるのは当然のこと。でも、反抗や報復の方法として、テロは嫌だ。戦争も嫌だ。僕はまだ、死にたくないし、テロや戦争のような状況で死ぬのはまっぴらごめんです。
なんだかみっともないけれど、評論家や政治家のいうところの「アメリカの傲慢」も「アメリカへの絶対的帰依」も、正直、実感として湧いてこない。
 でも、知ったかぶった「理性」の尻馬にのってしまうよりも、こういう「嫌だ」という主観の積み重ねが、悲劇の再発予防につながるような、そんな気がしています。

 同時多発テロから、もう1年。被害にあわれた方々は、時の流れさえも感じることはできません。この1年で、世界の何が変わったのだろう?

 広島の平和公園の碑には、「安らかに眠ってください あやまちは、二度と繰り返しませんから」と刻んであります。
 僕たちは、結局この50年以上もの間、戦争の被害にあわれた方々の指差しているものではなく、その指を見続けてきただけなのかもしれません。