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2002年09月10日(火)
2002年9月10日。


「オーケンののほほん日記・ソリッド」(大槻ケンヂ著・新潮文庫)より抜粋。

(大槻さん自身による、「文庫版あとがき」より抜粋)

【この本は、単行本から文庫化する際の校正、いわゆるゲラチェックなるものを一切行っておりません。ま、日記を手直しするというのも変だから、というのもあるのですが、一番の理由は、恥ずかしくて仕方がなかったからです。ただでさえこっ恥ずかしい昔の文章、あまつさえ、日記ともなればなおのこと堪ったものではありません。】

〜〜〜〜〜〜〜

ここで大槻さんが書かれている気持ち、とってもよくわかります。
僕も、実際に自分が書いたものを読み返すっていうのは、けっこう気恥ずかしいのです。あまり考えずにザーッと書いて、書き終わったら、サッと流し読みだけして、誤字・脱字や日本語のおかしいところだけをチェックして、アップしてしまいます。ここは「エンピツ日記」を使わせていただいていますから、文章だけ書いて、「登録」のボタンを押せば、それでおしまい。
 でも、これには大きな落とし穴もあるんですよね。あとで読み返したときに、文法としてはおかしくなくても、言い回しとして気持ちが悪いもの(たとえば、「〜という気がします」という結びが2連発、とか)が出てくることがけっこうあるのです。
 そういうときは、ディスプレイの前で赤面しながらあわてて「修正」したりしているわけで。
 それだったら、あらかじめ推敲してからアップしておけばいいんですけどねえ。
 まあ、「活字中毒。」については、自分のことを書いている場合は少ないので、恥ずかしいことといえば、そういう表現上のことか、知ったかぶりして書いてしまったことくらいなのですが、某所で書いている日常日記のほうは、ほんとに恥ずかしくて読み返せません。
 昔の紙の日記帳なら、「こんなこと書いてるなんて、若かったなあ…」という、自分に対する気恥ずかしさだけですむのですが、WEB日記の場合には「この自意識過剰な文章を全世界に向けて、大公開していたなんて…」と思うと、さらにグレート・ブルー。
 それなら、もう日記なんて書かなけりゃいいのに、と自分でも考えることはあるのですが、書き手としての愉しさは、読み手としての恥ずかしさを今のところは上回っているのです。「恥ずかしい」と思うような自意識の強さは、日記を公開するという自己顕示欲と表裏一体、ということなのでしょうか。
 「恥ずかしいなあ、カラオケ苦手なんだよ」とさんざんマイクを断りながら、いざ歌い始めると大熱唱してしまう、そんな感じ。