
|
 |
| 2002年08月22日(木) ■ |
 |
| 2002年8月22日。 |
 |
「オーケンののほほん日記 ソリッド」(大槻ケンヂ著・新潮文庫)より抜粋。
【追悼本で語られる人物像は、さまざまな人の想い出の破片の貼り絵みたいなもので、必ずしも実物と一致はしないことが多い。追悼本は時として、故人を聖人君子として本人にしたら迷惑だろう虚像を作り上げてしまう。そこら辺の害をわかっての確信的愛のムチなのか。生前、本当に愛されていたであろう人の追悼本には、故人を厳しく批判する人の文が一つか二つ必ず載る。手塚治虫の時は宮崎駿が、アニメーターの劣悪な環境の元凶として手塚を断罪していた。】
〜〜〜〜〜〜〜
この文章、大槻さんが「ガロ」の編集長だった長井勝一さんの追悼本について書いているところで、このあと、長井さんの追悼本についての感想が語られるのですが。 それにしても、昔の(今もかもしれませんが)アニメーターの環境の劣悪さは、かなりひどかったみたいですね。厳しいノルマに、安い給料・長い労働時間。最近では、アニメ製作は、海外に「下請け」に出される場合も多いようですし。 「マンガの神様」である手塚さんのことを宮崎さんが、しかも追悼本で批判したというのは、ちょっと礼儀に反するのではないかなあ、というのが一般的な印象なのではないでしょうか。 手塚治虫がいなければ、宮崎駿のスタジオジブリだって、おそらく存在していなかったでしょうし。 でも、宮崎駿さんは、手塚さんという一人の巨人の追悼本だからこそ、あえて、そういう批判をしたんだと思います。いや、それは批判というより愚痴に近いものなのかもしれません。 「手塚さん、あなたがもうちょっとお金やスタッフの待遇のことをしっかりしておいてくれたら、後に続くものたちは、こんなに苦労しなくてもよかったのに…」という気持ち。 あまりにアニメを愛するがゆえに、普通の感覚とはかけ離れていた天才。 誰もが生活を投げ打ってアニメーターになれるわけではないですし、今まであまりにアニメを愛する人間の献身に頼りすぎていた日本のアニメを現在支える立場として、宮崎さんは一言、言いたかったんでしょう。 「僕らは、手塚治虫じゃないんだから…」と。
|
|