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2002年08月10日(土)
2002年8月10日。


「鳥頭紀行・ジャングル編」(西原理恵子・勝谷誠彦著、角川文庫)の解説(鴨志田穣さんの文)より。

【アマゾンの帰り道、サンパウロで二泊することになったときの話である。
 帰国も明日にという夕暮れ時。巨大なビルが建ち並ぶ繁華街を歩いていると、シンナーが入った小さなビニール袋を手に持つ、真っ黒に垢まみれになった少年に出会った。
 瞳は濁りふらふらで、明らかにストリート・チルドレンであった。少年はどうしたことか、サイバラが手にしていたコーラにくらいつき、そのまま口で奪い取って踊りながら走っていった。びっくりしてしばらく口もきけないサイバラであったが、ふと、
「ねえ、カモちゃん。私はああいった子を見ると、いつも逡巡してしまうのよ。お金もあげるべきなのか、いやそうじゃないのか。だったら何をしてあげたらよいのか、元々何もしてあげることなんかないのか、とね」
「どうなんだろう。答えを持ってないな」そう言うと、サイバラは、
「子供の頃、こんなことなかった?仔犬が捨てられているのに、どうすることもできなかった時、いつまでも忘れられないでいたことって…。あの痛みに近いな」
 後にサイバラの家に上がり込み、「ぼくんち」を手にした時に「痛み」を描いている人なんだと気づいた。】

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 先日、僕より5つくらい年下の女の子と話していたら、サイバラさんの話になりました。その子は「ニシハラじゃないんですか?」と言ってましたが。サイバラさんは、彼女が子供の頃は「ちょっと変わった画だけど、ストーリーはバリバリの少女漫画の人」だったそうです。今から考えると、想像もつかない話なんですが。
 ここでふれられている「痛み」の感覚って、誰しも子供の頃は持っているけれど、大人になる過程で失ってしまう、もしくは心の奥底に沈めてしまうものなんだと思います。
 たぶんそれは、どうしようもないこと、なんですよね。
 戦争や事故といった特殊な状況ではなくても、僕たちはそういう「痛み」にさらされながら生きているのです。
 捨てられた犬がかわいそうだからといって、すべて家に拾って帰ってきては生活が成り立たないし、品物が売れなくてさびしそうなおばあちゃんが道端にたたずんでいても、遭うたびにすべて品物を買ってあげるわけにはいきません。結局、自分が生きていくためには、すべての人間や動物を幸せにしていくことなんて不可能。
 それでも、自分は生きていかなくてはならない。そのために、成長の過程で失っていくべき、壊れやすいものがあるのです。
 サイバラさんは、そういった「痛み」を持ちつづけ、それを描き続けている人なんでしょうね。まあ、彼女の場合は、自ら痛みを追い求めているような風がある気もしますが。