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2002年08月05日(月)
2002年8月5日。


8月5日付の毎日新聞の記事より抜粋。
 
【かつて特攻基地やその中継基地として使われた陸軍飛行場があった福岡県大刀洗町で今年、小中学校全5校が6日の登校日を取りやめる。従来は広島原爆忌に合わせ平和学習をしてきた。学校側は「普段の授業で平和学習は可能」と説明するが、教職員組合は「特別な日に学ぶことに意味がある」と代わりに同日、平和の集いを開く。

 同町は今年から学校管理規則を改正。3日間としていた登校日を「校長が定めることができる」と変更。小学4校、中学1校の全校が6日の登校日をやめることになった。「学校完全週5日制の導入に合わせ、家庭や地域に子どもたちを帰そう」という意向があったという。

 全校一斉に6日登校をやめたことについて、町学校教育課は「登校日は各校長の判断。教育委員会が指導したわけではない」と説明。ある校長は「1学期に全校集会で平和学習をした。戦争に関する番組や記事に注目するよう指導もしている」。別の校長は「家庭で戦争について話し合うといった方法もあり、学校でなくとも学習はできる」と強調する。

県では97年、春日市の小学生が登校日に誘拐・殺害される事件があり、福岡都市圏を中心に登校日を取りやめる学校が相次いだ。】

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 僕は小学校の頃、広島県に住んでいたことがありましたので、8月6日は、必ず登校日になっていました。そして、全校生徒が講堂に集まって、黙祷をし、戦争体験のお話を聞き、「ふ〜る〜さ〜とのまち焼かれ…」という、「原爆ゆるすまじの歌」(正式なタイトルはわかりません、ごめんなさい)を歌ったものです。
 当時のことを思い出すと、夏休みの最中に学校に呼ばれ、しかもどう考えても気持ちが良い訳のない悲惨な体験談や悲痛な歌を歌わされることは、子供心にとても嫌だったのを想い出します。たぶん、それは今の子供たちも変わらないんじゃないでしょうか。
 じゃあ、嫌だから止めたらいい、っていうのもちょっとどうなのかなあ、とは思うのですが。結果的には、そういう行事は僕らの中に「8月6日」という日を特別なものとして植えつけてきましたし、戦争は嫌だという気持ちは、登校日自体の嫌さもあいまって、深く印象付けられた感じがします。
 この話、学校側も先生たちの言い分も、それぞれ間違ってはいないと思うのです。
 平和教育なんてのは、8月6日だけやればいいってものでもないでしょうし、原爆だけが戦争じゃありません。登校日の事件などが起これば、二の足を踏んでしまう学校側もやむをえないことかと。
 だからといって「家庭で話し合え」というのも、ちょっとアバウトかなあ。やっぱり、何らかの材料がないと話のきっかけはありませんし。
 こういうことこそ、テレビやメディアは、もっとがんばってもらいたいなあ、と思わずにはいられません。学校を責めるより、子供にも興味が持てるような原爆についての番組や記事をどうして世に問おうとしないのか。
 前は、原爆の日や終戦記念日には、そういった番組をやっていたような記憶があるのですが、最近は視聴率が取れないせいか、スポンサーがつかないせいか、ほとんど見かけなくなりました。
 人々の「記憶」がうすれつつあるからこそ「記録」が大事な時代だと思うのですが。
 ちなみに、僕は8月6日は「イヤイヤながら学校に行った日」という記憶だとしても、やっぱり、その日にヒロシマで起こったことについて、客観的に子供たちに伝えるべきだと思います。
 それは、僕らが「暑いなあ」とか「かったるいなあ」と今現在思っているような、戦時中としてはごく平凡な朝に、何の前触れもなく起こった出来事なのですから。