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| 2002年07月11日(木) ■ |
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| 2002年7月11日。 |
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西日本スポーツのコラム「ハルの銀玉人生」より抜粋。
【知人のお坊さんに聞いた話ですが、修行時代に高僧を招く席に呼ばれたとき「どこが下座ですか?」と尋ねると「どこでもお前が座ったところが下座になる」と言われたそうです。】
〜〜〜〜〜〜〜 いろいろ考えさせられる話です。穿った見方をすれば、「お前なんか、どこに座ろうが関係ない。そんなことを意識するのは百年早い!」と考えられなくもないですが、おそらくそういう意味ではないでしょう。 要するに、そういう形式的な「上座・下座」にこだわるよりも、心の持ちようで、どこに座っていても謙虚な気持ちを持たないといけない、大事なのは、形よりも心のうちだ、ということを言いたかったのだと思います。 確かにその通りで、宴会の始まりに上座下座を気にする人が、宴がはじまってみると失礼な言動が目立ったり、言葉はしっかり敬語を使っている人でも、内容にひどく棘があったりするのは、よく経験することではあります。 でも、僕も偉い先生との食事会などに同席させていただくことがあるのですが、やっぱり、上座・下座っていうのは、けっこう気になるんですよね。 もちろん心がけは大事なんですが、心がけって見えませんし、形式を気にする人って、けっこう多かったりするもので。それに、目に見えない心がけっていうのは、受け手によっては、全く気がつかない場合も、ままありますし。 まあ、一社会人としては、最低限の形式的なマナーは守った上で、やたらとお世辞や追従を口にするってことじゃなく、心のうちに、この「いつでも下座の気持ち」を持っていられたらなあ、と思います。
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