息を潜める。 出来る限りそっと、忍び足で自分の寝床に近付く。 それでもシノンは、暗闇の中から気だるげな声を出した。 「……ガトリー。んなコソコソしたってわかるから無駄な事すんな」 「う、シノンさん。……やっぱ起こしちゃいました?」 ガトリーは苦笑する。 シノンは人の気配に聡い。寝ていてもそれは同じ事で、ちょっと近寄っただけですぐに気付かれてしまう。 みんながみんなシノンみたいだったら夜の見張りなど立てなくてもいいだろう。そうすりゃこんな眠い思いしなくていいのに、とガトリーは盛大なあくびをかました。 もっとも、寝ている時まで緊張感を強いられるなんて自分は御免だが。 「ていうかそれでちゃんと眠れてんすかあ、シノンさああぁ…ん……ふぁあ」 「喋るか欠伸するかどっちかにしろ。お前に心配してもらう事じゃねえよ」 「そうすかあ。ふああぁ……いやぁ、眠くて眠くて」 「てめぇ、まさか見張りの最中に居眠りこいてねえだろうな」 「い、いやぁ、まさか…」 ガトリーはぎくりと目を逸らす。途中で何度かうとうとした事は、黙っておいた方がいいだろう。 シノンは白々と溜息をついた。 「…は。まあいいか」 「そ、そうっすよねぇ。さあて、寝るかなあ!」 「……うるせぇよタコ」 じろりと睨まれる。 闇の中で眼光が煌めくのが見えるようだ。戻って来た時は天幕の中が真っ暗に思えたが、目が慣れて来るとシノンの不機嫌そうな顔も何となくわかる。 シノンが掛けている毛布が、やけに盛り上がって不自然なシルエットを形作っているのも。 「?」 ガトリーは目を凝らした。 シノンは背は高いが、体格はどちらかと言えばすらりと細い。いつもはシノンの寝床にこんなに存在感はないはずだ。 自分の布団に近付くふりをして、さりげなく窺う。 …誰かいる。シノンの他に、もう一人。 毛布の中でシノンにくっついているその体は小柄だ。 更に目を凝らす。肩口からこぼれる長い髪。 (…えーと) ガトリーは足を止める。 女。自分が不在の間に、シノンが寝床に連れ込んだ相手。 とすれば。 「あっ……す、すいません、シノンさん、俺、気ぃきかなくって…!」 「――待て。こら、ちょっと待て、ガトリー」 「や、ホント、すいま…」 「待て。落ち着け。良く見ろ。ワユだ」 「…へ?」 慌てて天幕を飛び出しそうになったガトリーは、その言葉でぎりぎり踏みとどまった。 振り返る。シノンが面倒臭そうな顔で、くいくいと手招きしていた。 呼ばれるままに近寄る。恐る恐る覗き込んでみれば、シノンの胸に頬を付けて寝入っているのは確かにワユだった。 何の悩み事もなさそうな、太平楽な寝顔で眠り込んでいる。 「えっ……し、シノンさん、いつの間にワユちゃんとそんな仲にっ…!」 「阿呆。なんでそうなるんだ」 「え、ええっ、だって、そ、そういう事じゃないんスかぁ?」 「冗談抜かせ。つか、どもるな、みっともねえ」 は、と。 下らないと言わんばかりに、シノンはガトリーの興奮を一蹴した。 小馬鹿にしたシノン特有の表情で。 訳がわからない。『そういう事』じゃないと言うなら、何がどうなればそんな状況になると言うのか。 そう問うガトリーの視線にシノンはつまらなそうに答えた。 「こいつが寝呆けて俺の寝床に入って来たんだよ」 「そんなバカな!」 「馬鹿なんだからしょうがねえだろ」 あっさりと下される言葉。 信じられない。黙って寝てたら女の子がやって来るなんて、そんな羨ましい偶然があっていいのだろうか。そんな事が許されるのだろうか。 それならガトリーは毎日身だしなみを整えて布団に入る。自分ならいつだって、三百六十五日年中無休でウェルカムだ。 …ああ、いやもちろん、先約のない日なら、ではあるが…。 「――てめぇは真性の阿呆か」 そう語りかけたガトリーの話を、案の定シノンは情け容赦もなくぶった斬った。 わざとらしい溜息をつく。 「バカくせぇ。何が羨ましいんだ、ワユだぞ?」 「ええっ。な、何がダメなんすかぁ!」 「色気がねえ」 「またそんな…」 「こんなガキじゃ勃たねぇよ」 低い声。 ワユを胸元に張り付かせたまま、シノンはまた目を閉じた。これだけ近くで騒いでいるというのに、ワユは気付く気配もなくぐっすりと安眠に就いている。 何だかんだと言いつつも、シノンはそれを追い出すつもりはないらしい。結局シノンはそういう男で、そう言えばヨファもいつの間にか当然のように『シノンの弟子』になっている。 まあそれはいいのだが。 しかし、とガトリーは改めて二人の影を見やる。 (うーん……) 穏やかな風景。 確かにワユはセクシーなタイプでもないし、いかにも女の子らしい可愛い系でもない。どちらかと言うとさっぱりとした男っぽいタイプである事は否まない。 しかし顔立ちは美少女と言ってもいいくらいだと思うし、何よりそのプロポーションはそんじょそこらに転がしておくにはもったいないスペックだ。この三年で目を見張るほど成長した、その存在感ありまくりの胸を密着させられて平然としていられるシノンがわからない。 …本当に、何とも思わないのだろうか、この人は。 本当に? 「……ガトリー。鬱陶しいからさっさと寝ろ」 別に口に出していた訳でもないのだが、シノンはガトリーの考えを覗いたかのようにうんざりとした声で暗闇の中から追撃を繰り出して来た。 仕方なくガトリーは自分の寝床に潜り込む。 (……) 一応、耳はそばだててみたが、シノンの布団の方から怪しげな音も声も一向に聞こえては来なかった。 静かな寝息。時折ワユの寝言らしい、微かな声が耳に届いてはまた消えた。 ただ、それだけで。 「……」 見張りの疲れもあり、やがてガトリーも眠りの世界に優しく誘い込まれていた。 何の変哲もない、ありふれた平和な夜のこと。
…あの、ガトリー難しいです。 そしてシノンの露骨な発言は全年齢対象日記としてアリなのかどうか真剣に検討中です(いやアップしてから検討してもな)。
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