グランベルへの遠征はフィンにとって予定外に早い初陣だった。本来なら見習いの身分である騎士が国外の戦いに連れ出されるのは有り得ない事で、今回ばかりはキュアンも決断に苦悩したに違いない。 だからこそフィンはシグルド軍において、言動には細心の注意を払っていた。決して周囲の迷惑とならぬよう、キュアンの顔を潰さぬよう、戦場では己の持てる力以上の心得で臨み、平時には他の兵士との協調に努めた。 雑用には率先して立ち回り、年長の兵士には敬意を払い、愛想良く振る舞った。幸い年よりも幼く見える容貌のせいと生来の要領の良さもあって、少年騎士を可愛がってくれる戦士達も多かった。 彼らの休息に付き合うのも大事な人付き合いの一環だ。 「あ〜あ、一体いつになったら国に帰れるのかねえ」 大きな溜息。 答えようのないその言葉に、それでもフィンは穏やかな笑顔で「そうですね」と返した。 横の兵士が真面目な声を挟む。 「エーディン公女は無事お救けしたし、ヴェルダン王国も制圧したのだから、もうすぐ帰れるだろう」 「それがさ、ヴェルダンの内政が不安だからシグルド様に駐留命令が下されるって噂」 「え、その噂どこから? 本当かよー」 また別の兵士が口を開いて騒がしくなる。フィンは特に口を挟まず、にこにこと日溜まりの下で聞いていた。 お喋りは女性特有の娯楽かと思っていたが、他に楽しみの少ない従軍戦士にはこれも立派な気分転換なのだと学んだ。 話題は他愛ないものだが、それにいちいち頷いている事で彼らとの信頼関係はある程度築けるらしい。 「しっかし当の大将は呑気なもんだよなー、ここのとこは森の奥で拾って来た美女にご執心だぜ」 「ああ、あのディアドラって…。確かにすごい美人だけど」 「美人、って言っても…まだ若すぎやしないか」 「シグルド様は多分正妻にするつもりだろう」 「本気かなあ?」 「別に不思議じゃない。エスリン様が嫁がれたのはもっとお若い時だっただろう」 「いや、まあ、あれは…何しろバイロン様に『キュアン様と結婚させて下さらないのなら家を捨てます!』と言い放った方だからな…」 話題が移り、フィンは表情を若干の苦笑に変える。その話はフィンも人伝えに何度か耳にしたエピソードで、目の当たりにした兵士はさぞかし困惑させられただろうなと思う。 話はそのまま、軽快な色合いを転々とした。 「いや、でも、オレはシグルド様のお気持ちもわかるね。あれだけの美女ならなあ」 「そうか? 美女と言えばやはりエーディン様に勝る者などいないだろう」 「ああ、お前は昔からエーディン様一筋だもんな」 「そういう訳では…」 「なあ、噂じゃノディオン城のラケシス姫も相当の美形だって言うぞ」 「そりゃ、あのエルトシャン王の妹君なら…」 「しかしいくら美形と言ってもエーディン様ほどではないだろう」 「しつこいね、お前も」 戦いが一息ついた今では、兵士達の会話ものどかなものだ。 彼らもそう言い合ったところで、姫君達に手の届かないのは知っているだろう。そうと知りつつつい「やはりエーディン様が一番の美人だ」「いやオレはディアドラの方が美女だと思う」と論戦が白熱してしまうのは、しばらく男ばかりの戦場を渡らされたせいだろうか。 行き交う言葉に曖昧に笑いながら、フィンは黙って聞いていた。そもそも女性に関する話題は「エスリンの耳に入ると面倒だから」という理由で避ける事にしており、こういった流れは極力触れずに過ごしたいと思っている。 しかし論争の勢いで「フィン、お前は誰が美人だと思う?」と名指しされてしまってはそうもいかない。 「あ、はあ……私ですか?」 戸惑った顔で答えてはみたが、兵士達の視線が集中して来るのは痛かった。 「そうですね…」 仕方なく、フィンは僅かな思考時間で無難な回答を探してみる。 こうして熱くなっているところに誰かと同じ意見を出したら火に油というものだろう。まだ出ていない名前はないものかと、フィンはこの遠征で関わった女性達を思い浮かべてみた。 それとも彼らの知らない、故郷の女性の名でも挙げておけばいいだろうか。 今更ながら日頃女性の容姿を特に意識して美醜と判別していない事に気付く。 (…あ) 何故だろう。 その時ふと、艶やかな黒髪が乱れ舞うのが頭の中に浮かんだ。 それは戦場の光景。 「……アイラ王女…?」 「…え?」 聞き咎められてはっとした。 (…しまった) 思考する前にその名が口から滑り出してしまっていた。 「…アイラ王女? イザークの?」 「え、…あ、いえ…」 聞き返され、フィンは言葉を濁しつつ考える。 何故今その名前が出て来たのだろう。確かに初めて対面した時「綺麗な人だな」と思ったのは事実だが、その程度の感想ならそれこそエーディンやディアドラと会った時にも持った。 だというのに。 「あ、…あの…」 不用意な発言を即座に後悔し、フィンは訂正を試みる。 けれどその努力が無用である事を、見渡した兵士達の表情から読み取った。 「?…あの…」 「あ、いや……アイラ王女、ねえ…」 「や、まあ…美人じゃないとは言わないが…」 「?」 微妙な顔で互いに目配せし合う彼らを不審に眺めやる。からかわれるならともかく、こうして気まずく苦笑されてしまうのは予想外だった。 何か自分は場にそぐわない事を言っただろうか。 「…あの…?」 「うん、まあ、確かにな、美人だね、お前は間違ってないよ」 「?…はい」 「けど何て言うかな、今オレ達は誰が女として魅力的かって話をしてた訳でさ」 「まあまあ、まだフィンには早いかな。女性の魅力だの色気だのって話は」 「…はあ…」 釈然としないながらも頷く。話がそれで済むなら、沈黙が賢明とも判断した。
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