フュリーの朝は早い。 あまり朝を得意としない彼女は、だからこそ人より早く床に就き人より早く起き出すのを心掛けている。ゆっくりと時間を掛けてベッドから抜け出し、身支度を整え、澄んだ空気の中を散歩してようやく意識が覚醒して来るといった具合だ。 その後は愛馬の世話をしたり風を読んで今日の天候の予想を周囲に伝えたりと、する事は幾らでもある。 最近はもう一つ、朝の仕事が増えてしまった。 「……もう…」 今朝もまだ姿を見せないレヴィンの部屋の窓を見上げ、フュリーは城内に戻って行く。 フュリーとは違い、レヴィンは朝の苦手な性質ではない。むしろ寝ている時間が勿体無いという人種で、子供の頃から寝ているフュリーの部屋に乱入しては叩き起こして遊びに付き合わせるという事をしていた(フュリーが朝寝坊の癖を付けずに済んだのはそのおかげとも言えるのだが)。 それがたまたま先日、夜遊びの翌朝に寝過ごしてフュリーに起こされるという事態になった。 その翌日から、フュリーは毎朝レヴィンの部屋を訪れる任務を追加されたのだ。 (…まったく、もう…) 階段を上りながら小さな溜息をつく。 それは気まぐれなレヴィンの、新しい遊びなのだろう。寝起きの悪い人間を起こすのはとても大変なのだと聞く事はあるが、その真似をしてフュリーを困らせるのが今の彼には楽しいらしい。 それが本当に目覚められない人であればまだ優しい気持ちで訪ねられるだろう。 だがしかし、レヴィンは明らかにフュリーをからかうのが目的なのだ。 「……レヴィン様」 こんこん、と一応のノックを二つ。 ドアを叩いてはみるけれど、やはり中からは「…ん――」という程度の言葉にならない声しか返って来ない。 本当はとうに起きているくせに、外からの呼び掛けにはまともな返事をしようとしないのだ。 「…おはようございます、レヴィン様。そろそろお目覚め下さいませ」 念のためもう一声掛けて様子を見るが、反応はない。毎朝の儀式を手順通り進め、フュリーはドアを開けた。 部屋の鍵はシグルドから託されているけれど、今朝もこのドアには鍵がかかっていない。 (…お城の皆さんを疑うつもりはないけれど、万一の事があったらどうなさるおつもりなのかしら) 寝る時は必ず鍵をかけて下さいと、もう何度もお願いしたというのに。 果たしてレヴィンは、まだ寝床の中でぐずぐずと留まっていた。フュリーはまず窓を開け放って部屋に風を入れ、ベッドの脇でそっと声を掛ける。 「…レヴィン様、もう朝です。早くお目覚めになりませんと、皆さんとの朝食に間に合いませんよ」 「ああ、うん…」 「ほら、今朝も良いお天気です。風も心地良いでしょう」 「……ああ…」 けれどまだレヴィンは布団を手放す様子がない。 フュリーはもう一つ溜息をついた。 (一体レヴィン様は、何をお考えなのかしら) 若草色の髪が陽の光に輝くのを見下ろしながら困惑する。 周りの人達からは「甘えているだけなのだから放っておけ」と言われた。だがレヴィンに命令された以上、フュリーはレヴィンを起こしに来なければならない。 それが自分の仕事なのだから。 「……レヴィン様」 小さく呼ぶと、やっとレヴィンは片目を開けた。 甘えているのでも構わない。いや、もしレヴィンが自分に甘えているのだとすれば、それは喜ぶべき事なのだ。 吟遊詩人の風体でフュリーと再会したレヴィンは相変わらず飄々としていたが、それでも国を出てからの二年間、様々な苦労があった事だろう。 もし今彼が誰かに甘えたいと思い、その相手に自分が選ばれたのなら喜んでもいいはずだ。 (…でも…) レヴィンの真意を量りかねるフュリーを見上げ、深緑の瞳は楽しそうに笑った。 「…ああフュリー、おはよう」 「おはようございます、レヴィン様。お目覚めになりましたか」 「いや、目覚めたいのは山々なんだがな。何故か目を開ける事が出来ないんだ」 一度開いた片目をまた閉じ、レヴィンはにやりと笑う。まだレヴィンの『お遊び』が続く事を知って、フュリーはまた息をついた。 「…レヴィン様」 「どうやらオレは呪いをかけられたらしい。弱ったな、呪いが解けなければ目覚める事が出来ない」 「……御伽噺ですか」 幼い頃読んだ絵本に、眠り続ける姫君の物語があった。 それはレヴィンが殊更好んだ絵本でもあったのだが。 「そうだな、御伽噺に倣うなら、姫の呪いは王子の口付けで解けるに違いない」 「何を仰います。レヴィン様が王子様ではありませんか」 「そうか、ならばきっとオレの呪いは姫の口付けで解けるのだろう。そう思わないか、フュリー?」 「……はあ」 曖昧にフュリーは答える。 察するに今朝の『遊び』は、姫君のキスで幕を下ろすと言っているのだろう。その幕を用意するのがフュリーの仕事という事になる。 だがしかし、レヴィンの望む「姫君」をどう用意すればいいのだろうか。 (…わからないわ) 窓の外に見える陽の高さに目をやり、フュリーは時間を気に掛ける。 シルヴィア辺りならこうした『遊び』にも気安く付き合ってくれそうだが、「姫」と言うからには踊り子では納得されないだろうか。確かに軍には王女の身分を持つ人も何人かいるし、レヴィンが望むのはその内の誰かだろうか。 その「何人か」を思い浮かべながら、フュリーは考えた。 けれどまさか、アイラ王女にこんな事を頼みに行く勇気はない。 ラケシス姫は真面目で純情な方だから、そんな『遊び』には嫌悪感を示されるに違いない。 ああでも、ひょっとしてエスリン王太子妃ならば、頬にお目覚めのキスをするくらいはお願い出来るだろうか――。 「……」 そうして考える間も、レヴィンがこちらを窺っているのは伝わって来ていた。 「……わかりました。私、どなたかにお願いしてみま――」 「――待て待て待てっ! なんでそうなる…っ」 フュリーが決心し、身を翻そうとした瞬間。 手首をしっかりと掴まれ、フュリーは駆け出すのを妨害された。その力強さに振り返ると、レヴィンが身体半分起こした状態でこちらを見上げている。 その真剣な瞳に戸惑いながら、フュリーはもう一度ベッドに向き直った。 「…あの」 「なんでそこでそうなるんだ、お前は!」 「いえ、あの…レヴィン様が、姫君の口付けでなければお目覚めにならないと…」 「……だから何故そこで『どなたかにお願い』なんだ!」 レヴィンの声が荒くなる。掴まれた手に更に加わる力を感じ、フュリーはしばし黙った。 自分は何かレヴィンを怒らせるような事をしてしまったのだろうか。 (……私の気が利かないから、レヴィン様はご不満なのかしら) そう思う間にもレヴィンは明らかな不機嫌顔でフュリーを睨み付け、大仰に溜息をついてみせる。 「……ああもう、わかった悪かった、起きればいいんだろう起きれば!」 「は…。あ、あの、その、申し訳ありませ…」 「…ああ、ふざけたオレが悪かった! ったく、そうも嫌がらなくたっていいだろう」 台詞の後半の方は独り言のようになり、フュリーには上手く聞き取れなかった。 ただぶつぶつと何事か口の中で呟きながらやっと寝床を離れようとするレヴィンが、確実に機嫌を損ねているのは明白だ。 その原因の心当たりをこれと言って絞れず、フュリーはおろおろと立ち尽くす。立ち上がったレヴィンがフュリーの前を横切る瞬間、「…そんなにオレが嫌か」と低い声が聞こえたような気が、したの……だが。 (?) それでは文脈が繋がらない。 恐らく何か別の言葉を、フュリーが聞き違えたのだろう。 「…あの、レヴィン様…」 おずおずと声を掛けると、無言の視線で睨まれた。 「…何だ? お前の望む通り起きただろう、文句があるか」 「あ、いえ、……いえ、それは…」 …わからない。 その後フュリーは「明日からはもう来なくていいぞ」の台詞に主君の失望を悟り、数日は自己嫌悪で落ち込む羽目となる。 その時は全く知らなかったのだ。 レヴィンが生真面目なフュリーを散々困らせた挙句に何らかの戦果を強引にでも上げるつもりであった事など、鍵のかけ忘れに再度言及された時には「ならば夜お前がここに来てかければいい」と更にからかうつもりであった事など。 その時のフュリーは全く、想像すらしていなかったのだ。
……生まれて初めて、「こういうレヴィフュリが見たい!」という超具体的な欲求が芽生えたので書いてみました。自分が読みたいものしか書かない私は、他の誰かが書いてくれるなら書かないという性質なので既存作品の豊富なレヴィフュリではなかなかそこまで必要に迫られません。 ひょっとしたらこの程度のネタは探せばどこかにあるのかもだけど、探す手間より書く手間を取ってしまいました。 割と満足。
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