『今日の一言』
因幡うたぎ



 あれやこれやと急転直下・・・

−−−先週末の土曜日。我輩、初めて救急隊員からの電話を受けるという人生でそうそうあってたまるかーっ!な体験をした。理由は…酔っ払ったMyオヤジ殿が、路上で倒れ、動けなくなっていた所を通行人が119番通報して、救急車を呼んだ…という経緯があったらしい。
「顔から突っ込んだらしくて、擦り剥いて血だらけで倒れたまま、車道側で動けなくなってたらしくて…これから今夜の緊急外来の外科当番医のいる病院に行くんですが…すぐこれます?」
−−−住所もろくに云えないほどのへべれけ状態。我が父ながら「自業自得じゃ−−−!」と見捨てたろか?とか心の中に過ったりして。
まあ、あれだ。ずっこけて、血みどろで、とりあえず病院で見てもらえば、すぐ飼えってこれるだろう〜とか、短絡ていた我輩。
母は慌てふためき、取り乱した後、救急車の中で延々と父に説教たれて、救急隊員のオジさんに呆れられたらしいが…事態は、酔っ払って路上でコケて擦り剥いた〜だけというだけに留まらず、なんとなんと!3週間の入院を余儀なくされるほどの重症であった事が、翌日の検査で判明し、私吃驚、ママ上茫然!
−−−コケタとき、手をついた形跡がなく、もろに頭からアスファルトに突っ込んだと推測されるパパ上の頚椎は、ムチうちより重度の損傷を受けたのだという。ーーーいや、年で弱っていたというのもあるらしい。
「絶対安静。いま動かしたら、神経切れて、動けなくなるよ」
と医者に威され、パパ上現在入院加療中−−−動かしたら駄目ということは、下の世話から、食事の介助まで、誰かの手が必要ということで…昼から夜まで、ママ上さま病院でつききりになって、夜の家事が我輩の背中にずんどこしょ〜と乗っかってきたから、さあ、大変!−−−ああ、こんな筈ではなかった…と考えつつ、夕食の支度をし、猫の世話をし、洗濯物を片付け、翌日の米を炊き、弁当の献立を考え……あう。我輩一人ならば、「適当」でどうにでもなるが、ママ上さま色々煩く言う方なので、ヘタに「適当」にやろうものなら、全てのやる気を削がれるほどの煩わしい突っ込みを入れられるのである。−−−それは、仕事で疲れて帰って来て更に遠慮したいもんである。
そんなこんなで、暫くはゴタゴタしそうである。−−ああ、腱鞘炎が痛い。肩が痛い!コンチクショウ!眠いぃい!!(←なら、寝ればいいじゃん。と突っ込むべからず。)

<今日は何の日?>
ロシア船が来航、ゴローニンの釈放を求める(1813年)
日米約定(下田条約)が調印(1857年)
北条県(岡山県)で血税反対の農民暴動(1873年)
兌換銀行券条約を定める(1884年)
米大統領クーリッジが排日移民法に署名(1924年)
京大の滝川教授の休職が発令。滝川事件(1933年)
東名高速道路全線開通(1969年)
日本海中部沖地震。死者104人(1983年)

=雑学=
★五月晴れって五月のことじゃない?

「五月(さつき)晴れ」というと、5月の気持ちよく晴れあがった空をさすと思いがちだが、でも、ほんとの「五月晴れ」とは、5月は5月でも、旧暦の5月のことで、鬱陶しい梅雨の晴れ間のことをさしている。梅雨の時期が陰暦では5月だったためだが、太陽暦での生活が長くなるにつれ、5月の晴天も「五月晴れ」と呼ぶことが定着してしまった今日この頃。そのため、辞典によっては新旧両方の意味を載せているものもあるのだから、日本語は乱れてきているというべきか、それともリバーシブルちっくに用途の幅を広げる努力がされていると言うべきか。何事も世の中ファジーになりつつあるな…とか遠い目をする我輩(苦笑)。
ちなみに、五月晴れと同様に「五月雨(さみだれ)」も、梅雨(つゆ)の時期に降る雨のことで、本来は5月に降る雨をさす言葉ではなかった。ついでに、「さつき」の「さ」は、「田の神」とか「田植え」の意味で、「みだれ」とは「水垂れ」の意味である。


2003年05月26日(月)



 隅田川から東京湾をクルーズで、ドキドキ?←わけわからん

関東圏…東京という土地には、隅田川という川が流れている。江戸の時代から、要所としてしられる、その川は、21世紀を迎えた現代もその流れは昔とさまがわりしたとはいえ、とうとうと東京湾へと流れつづけている。
−−−その、隅田川を望む浅草、吾妻橋の袂から「水上バス」が運行しているのを、皆様ご存知だろうか?
古今東西、老いも若きも、外国人も、その土地に色濃く残る「日本情緒」を求めてやってくる浅草は浅草寺の門前…雷門を背にして左手へ少し歩けば、すぐ目の前の空に燦然と輝く金色の……………「ほにゃらら」←自主規制(笑)
ガイドでは炎とか云われ、人は魂だのゴジラのう●こだの、金のうん●だのと好き勝手読んでいる、サントリーのビヤホールを有するビルをめざしつつ、吾妻橋の袂左手の乗り場から500人近くのれる水上バスが運行し、多くの観光客を喜ばせている。−−−そして、本日…我輩は『初!水上バス乗船』を体験したのである。

先週、浅草寺や浅草観音を賑わせた「三社祭」に顔をだしたばかりだというのに、その祭に行けなかった1名、行ったが首が回らなかったもの1名が「リベンジ〜ィ!」と叫んだのが、そもそもの発端。
昼過ぎに浅草雷門前で待ち合わせ、まずは浅草寺の仲見世を冷やかし、揚げ饅頭をゲット揚げたては美味しいねぇvvといいつつ、水分補給に自販機で水やらお茶やらをゲットした後、お寺をお参りして、その後同じ仲見世をとおり、焼きたて脳素焼きせんべいを食べ、きびだんごやで冷し抹茶をのみノドを潤すと、一路左手…金の●んこを目指して歩き、水上バスの乗り場から舟に乗り込んだ。
−−−本日のコースは浅草浅草寺で揚げ饅頭を食べ、手焼きせんべいを食べ、水上バスで浜離宮へ行き、散策後、日の出橋から葛西臨海園、そして舞浜へ移動後、地ビールを飲む!というのが計画であった。

そして、感想は……もう一度乗りたいカモ。
ナニが楽しいかといえば、ただたんになんだか「のんびり」できるのが良いのである。舟図云うのはふしぎなもので、揺れがイイ幹事だとどうもマッタリする気がするのである。−−−そして、なんだかもう一度乗りたい〜というのは、集中してアナウンスを聞いていなかった為、色々聞き逃しているのが悔しい!というのも気持ちの中に燻っているからだろう。
とにかく。
じかんは掛かるが其れなりに楽しい水上バス。
浜離宮は花が終わってしまっていて、いまはサツキ位しか咲いていない色取りの寂しい庭園は、芝を刈る青臭い匂いとか、300年生きてる松とか、お茶屋で抹茶と御菓子をゲットしたり…それなりに楽しかった。
−−−その後、ギリギリで日の出橋乗り換えで葛西臨海公園経由、舞浜「地ビールがのみたい!」という心の叫びとともに我輩たちは夕方向かった。
乗り物酔いキングには日の出橋からの葛西臨海公園行きは、東京湾が穏やかだったのでまだOKだったが、それでもやぱり三半規管が惰弱で、上手に説明できないのだが…とにかく、其れほど申告な乗り物酔いにはならなかったので、色々見たいかた。乗った事がないかた、遠方より浅草へ遊びにこられた方。−−どうぞ、1度クライは乗って見るのも話の種にイイかもvvであるので、ぜひつかってみてみてv

とにかく、舞浜の地ビールは季節限定ビールがなくて残念だった(がくり)
−−−以上、とにかく今日はこれまで。

<今日は何の日?>

老中・松平定信による寛政異学の禁(1790年)
日本最初の盲唖学校、訓盲唖院が開校(1878年)
12歳以上の男女混浴禁止の内務省令発令(1900年)
日本初のゴルフ場がオープン(1903年)
日本商工会議所が創立(1928年)
売春防止法が公布(1956年)
チリ地震の津波で三陸地方4万戸以上に被害(1960年)


★日本初のゴルフ場がオープン

……1903年5月24日。日本初のゴルフ場といわれる「神戸ゴルフ倶楽部」が兵庫県の六甲山にオープンした。
設立の中心になったのは六甲山頂に住んでいたイギリス人アーサー・グルームで、発会式には兵庫県知事の服部一三、イギリス総領事ホールらが招かれた。
始球式を行った服部知事のドライバーは一間(1・8m)も飛ばなかったという。

ちなみにゴルフの起原については、スコットランド発祥説、オランダ発祥説などがあるが定かではない。1608年に創設されたロイヤル・ブラックヒースが世界最初のゴルフクラブといわれ、その前後にスポーツとしての形態が整えられたものらしい。
また現在、日本には約2000か所のゴルフ場があるが、世界的に見ても異常なほど多く、森林伐採や大量の農薬散布などによる自然破壊、会員権詐欺などが問題になっている。


2003年05月24日(土)



 一日、家でネットサーフィンは久しぶり〜んv

−−−−今更ながらに、噂(?)の「ピースメーカ」を読みました。
つか、嵌りそうだから「やばい」とおもって、興味をもちながらも近づかないようにしていたのに。
月刊ブレイドを立ち読みしたとき、「どんなもんだい?」とチラ見してしまったのが、運のつきだった……おそらく、きっと。
自ら罠に嵌り、まんまと古本&通常購入(自爆)−−−全巻揃ってしまった時には、なんだか、「無駄遣いだってわかってるんだよな…わかっては」とブツブツ怪しい人のように呟きつつ。
−−−−やっぱり、というか。予想どうり、というか。
「鉄ちゃん…カワイイよ。あんた////(TT)」
と、ほざく位には、メロメロになっているだすよ。うえ〜ん(><::←なぜ泣く!?
そして、鉄之助がみんなに愛されている構図がスキらしく、ネットで捜し始めてしまった自分…ああああああ(泣き崩れ)
いつものパターンだ。
主人公、アイドルっていうのが好きなんだよ。
ごめんよ。
ごめんよ。←だれにあやまっているのか?

しかし、世の中あまくないようで、中々ジャストミートなところはみつからず。
(あまり、イラスト中心サイトは見ないので、小説サイトをさがしていたのだ)
暫くは、ちょろちょろ、ネットサーフィンして、其れなりに満足しないとこの熱さめんなぁ…まぁ、ある程度見れば満足して、熱も一定以下までグンと下がるんだけど…(魔探偵ロキが良い例である/笑)これも、いわゆる「一過性の発情症候群」なのだろう。うん。−−−とか、ちょっと明後日の方向を見つつ。
とにもかくにも、「もう少し色々と考えること、やることあるでしょ?」とか冷静に突っ込みを己にいれる、今日本日の我輩(滅)

<今日は何の日?>
豊臣秀吉が長崎からキリシタンを追放(1588年)
英が仏に宣戦布告し、7年戦争始まる(1756年)
ナポレオン1世が皇帝に推される(1804年)
函館五稜郭で榎本武揚が降伏。戊辰戦争終結(1869年)
護憲三派が領袖会議を開く(1924年)
米大統領ルーズベルトがTVAを設立(1933年)
阿部定事件起こる(1936年)
韓国・光州市で学生・市民と軍隊が衝突。光州事件(1980年)
アメリカ北西部の活火山セントヘレンズが大噴火(1980年)

=記念日=
●国際親善デー
1899年5月18日、オランダのハーグで、ロシア皇帝ニコライ2世の主唱により26カ国が参加した第1回平和会議が開催。国際紛争平和的処理条約が結ばれたのを記念して、この日を「国際親善デー」とした。日本では1931年から実施され、国際交流を通して平和を実現するという目的のもと、さまざまな催しが行われている。

………ああ、早く平和になってくれ…とか思うですよ。
つか、アメリカ!大ペルシャ帝国の皇帝や、アレキサンドロス大王のとった政策を見習いやがれ!とか思ったりして。あはん。(NHKスペシャル見て、思ったさ)



2003年05月18日(日)



 映画と祭とビールでウホホv

本日はTTT3回目鑑賞&三社祭見物&地ビール飲むぜ!の日であった。
5/23で公開終了…ということで、前売りチケット1枚残すの勿体無い!と同行者一名とえっちらおっちら舞浜駅前イクスピアリ内AMC16へと出掛けた我輩。3度目なので、先の展開はわかっているが、それでもうほうほvしながらTTTを鑑賞する。−−−途中、コンタクトが死ぬほどずれて、「ここならじゃまにならん!」という瞬間を狙ってトイレへ駆けこむ…という、はた迷惑な客となったものの(その節はとなりに座っていた方に大変申し訳ない事をしたと反省仕切りである。が、我慢ならなかったんじゃ−−−−!つか、映画見てる最中に席立ったのって…人生2度目だ。稀少だ←立たないのが普通じゃ…?)同行者の気も散らしてしまったが、前見たときから、一ヶ月以上間があいていたからだろう。なにやらそれなりにドキドキとした気持ちで鑑賞できた。−−−心の突っ込みは容赦なくいれさせてもらったが(くすり)
とりあえず、詳しい感想などはHPの方にいずれUPしたいぞ…ということで、とにかく「馳夫さんの回想シーンby裂け谷…の転寝馳夫さんの裸足の脚に、萌!萌!とか鼻息荒く息乱していた変態はわ・た・しv」と自己申告。つか、はだしの足ってそそられませか!普段隠れている所が見てれる!これもいわゆる「ちらりずむ!!!」ってやつですか!!!(ぶひーっぶひーっ!←鼻息の音)−−−ああ、馳夫さん。貴方の崖から落ちても死なないところや、バッチイまま手も洗わず、服も洗わず、顔も洗ってないはずだが他よりましなのは何故?という所も含めて、初恋に胸トキメかせる乙女の如く、キャッチザハートでフォーリンラー−−−−ブ!ですぅ!とここでもう一度叫んでおこう。−−−ああ、もちろんフロドもスキじゃ−−−−!!TTTのリジィ・フロド…指輪の魔力でラリってて、病的に美しいですな。(←病んでいるのがいいのか!?)−−−とくに、あそこ!ワイバーンに乗った黒いヤツが近づいてきているのを感じ取っていた時の上からアングルで撮影された、「怖いけど目が離せない」フロドの顔が!ゲソっと頬がこけてて、顔の色が白蝋のように白くて、それでいながら蒼い瞳だけが大きく目だって、爛々と狂気の光を宿している…そんなフロドの顔が!うふふふ。溜まらんのです。つか、好きv←変態か!?……ああ、もちろん。ファラミーに連行されながら「放してほしい」と訴えるシーン(まるで連行される宇宙人のような格好のフロド&サム/笑)の悲壮感漂う表情も貯まりませんな!−−−ああ、せめて、ゆめにみたのが、ガン爺じゃなくて、馳夫さんだったら、乙女回路が悲鳴を上げるほど煩悩暴走バーニング!!になれたのに…つか、思い出してやってください…ふろどしゃん(TT)とか、馳夫さん、アルウェンとの無駄なラブシーンの数々を思い出している暇あったら、少しはフロドのこと思い出そうよ!(><)とかとか、まあ、原作より互いの事思い出していないような気もする寂しいTTT。映画終わってから、前作ではあった次回予告映像もないしなぁ(ガックリ)−−−色々色々、今回も思った事がありましたが、ここでは、これ位で。
−−−さて、映画の後は、三社祭である。浅草まで繰り出して、地元民の同行者と合流。浅草寺の手焼きせんべい、揚げ饅頭をもりっとたべて、昼抜きの飢えを満たすため屋台を冷やかし、目玉焼きののった大盛りやきそばをゲットし、ヒロシマ風お好み焼きと少しずつトレードして舌鼓をうち、謎の鬼退治の神楽をチラ見、神社をお参りして、夜宮のお神輿見物をして、そのキンキラキン&ライトアップ&お囃子つきを間近で眺める。−−−はあ、神輿間近で見るのは久しぶりだが、やっぱり、お祭は良いものである。うはは。
だが、早々に神輿のオッカケから戦線離脱。浅草名物にして別名「金色の●ンコ」(タクシーの運ちゃんは「ガメラのウ●コ」って言ってた…初耳ッス)の乗ったビルの中の地ビールを飲めるお店へ突撃。2時間のみ続けて、満足満足と帰宅。−−−いやぁ、美味しかったナァ。地ビールやっぱ、スキだ−−−−!!!とヨルの隅田川に叫び…はしなかったが、とにかく、満腹満足な今日の我輩。

<今日は何の日?>
後醍醐天皇が北条氏の擁立した光厳天皇を排す(1333年)
徳川幕府が選銭を禁じ金1分を銭1貫文とする(1616年)
ラオーグの海戦で英蘭連合艦隊が仏艦隊突破(1692年)
間宮林蔵が宗谷海峡を探検(1804年)
屯田兵が初めて札幌に入植(1870年)
ゾルゲ事件が公表される(1942年)
米最高裁が公立学校の人種差別を違憲と判決(1954年)

=記念日=
●世界電気通信記念日
国連の専門機構・国際電気通信連合(ITU)の前身である万国電信連合が発足した1865年5月17日にちなんで「あらゆる電気通信の改善と合理的な利用に関する国際協力の維持拡大と、技術開発の促進を行うこと」のPRを目的に、ITUが1968年より実施している。

2003年05月17日(土)



 朝から、衝撃走り抜けて、「ギャグ漫画じゃあるまいし」と呟くの巻

今日は朝から雨降りで、いつも自転車でかっ飛ばす最寄駅までの道を歩かねばならず、しけっぽくて、髪の毛どんなにブローしてもボサボサのほわほわにたってしまって、「けっ」な感じだった。
それだけなら、まぁ、梅雨間近の雨降り天気で、湿気バリバリ〜な時のお約束…と諦められたのだが。

−−−我輩が、なにをしたというのでせふ?
−−−あんまりだ、神サマ。
−−−つか、ギリギリでてきたから、
   今更4Fの我が家まで戻ることもできないぜ、ベイビー。

「いってきます」と勢いよく駆け下りた階段下、自転車置き場に立ち尽くし、我輩ノ背中は、確実に「心はロンリー、気持ちは・・・」を地で言っていたと断言する。
ちくしょう、「背中がススけてるぜ?」と誰か言ってくれ!(←懐かしい見本市のような発言続発)
誰が考えたか、ワンタッチ・ポン。それで傘は片手で開く。
開いて、雨の中颯爽と歩き出す、始めの一歩を踏み出した、まさにその瞬間。
我輩は見てしまった。
見てはならないものを……。

『−−−−−傘が…傘が………縫い目からパックリ破れてるじゃん?うふvvv』

誰かうそだと言ってくれ!!!←心の叫び

この間、使って干した時は、無事だったぞ!絶対!確か!…多分。………の筈(沈黙)−−−−うわ〜〜〜ん!
流石、1000円で買った安物!ナイス呆けだ!(←ヤケクソ)
駄菓子菓子(だがしかし)!
このまま歩き出さねば、電車に乗り遅れる=遅刻v
究極の二者択一で我輩が選んだのは………。

『このまま、GOv』

だった。
−−−−恥ずかしかったさ。
−−−−この21世紀に「破れ傘」さす、一般家庭に暮す若者(←我輩をさすにあたり、この表記であってるかしら?/自爆)がどこにいるぅううううう!
(↑ここにいたし。(滅)/←自ら突っ込む)

人の目はそれ程他人の傘なんぞ見とりゃせん…と思いたかったが、こういうアクシデントがあると、自然に他人のカサなんかみちゃったりなんかしちゃったりして…「ああううう、自分と同じ目線で人の傘見てるヤツがいたら、『ありゃ、なんぞや?』と我輩の破れ傘をみて思っているに違いない!!」とかグルグル考えつつ、勿体無いので途中のコンビニで傘を買うという姑息な手段は使わず、正々堂々(?)破れ傘で通勤する我輩。−−−−そういや、この間の雨のときは、折りたたみ傘(それも使用数回目)をパッとひらいたら、骨組の先に糸で縫いつけられている筈の布が一箇所、ほどけてて、あれもいわゆる「壊れ傘」ってやつよね〜。あはははは。−−−−つか、なんで、どれもこれも、ただ保管してただけで糸が解けて,壊れるんじゃぁあああ!!!(絶叫)ドンガラガッシャン!ちゃぶ台ひっくり返すぞ、おるらあああ!

−−−と、斯くも、これほどに我輩は朝から衝撃を受けたのである。
ちなみに、帰りは会社のホチキスをつかって、縫い目の部分をバチンバチンと10箇所位止めて破れ目塞いで、ぱっと見普通の傘に見えるようにして帰ったとさ。(←荒業)−−−ソーイングセット、持ち歩こう。オトメの嗜みだぞ!とか物思う、今日の我輩(T■T|||

<今日は何の日?>
承久の乱が始まる(1221年)
水野忠邦が天保改革を行うと宣言(1841年)
上野の彰義隊が新政府軍と戦って敗れる(1868年)
犬養首相射殺。5・15事件(1932年)
初のナイロン製靴下が全米で発売(1940年)
コミンテルン(第3インター)が解散決議(1948年)
クリスマス島でイギリスの第1回水爆実験(1957年)
沖縄の施政権がアメリカから返還される(1972年)
プロサッカーのJリーグ開幕(1993年

=記念日=
●沖縄復帰記念日
第2次世界大戦末期にアメリカ軍に占領され、1951年のサンフランシスコ条約の結果、アメリカ合衆国の統治下に置かれることとなった沖縄が、1972年5月15日、27年ぶりに日本へ返還された。沖縄はもともと琉球王国という独立国だったが、1609年から薩摩藩の支配を受け、明治維新に際して日本へ強制的に接収。1872年に琉球王国から琉球藩となり、1879年に琉球藩から沖縄県となった。

……31年前の今日ですか。というのが正直な所である。沖縄は日本で唯一、上陸線が行われた土地であり、数え切れないほどの悲惨な事が実際に起こった土地である。現代人には信じられないような考えがまかり通っていたあの頃、その強迫観念と戦時教育による刷りこみが、数多くの兵士を…そして非戦闘員をも、自ら「死」へと向かわせたのだ。−−−レミングの群が死ぬと解っていながら、海に飛び込むように、「玉砕」という自殺を選び取るようプログラムされた人々が沢山沢山惨たらしく死んでいった土地。でも、その時、彼等にとっては正しい選択であり、後年、今現代の常識をプログラムされている我々からすれば「戦争はよくない。戦争に負けて、降伏勧告があったとする。国際協定的に捕虜は保護されるというのが多くの国では一般的とされている考えかただ。だから投降すれば助かるのに、なぜ日本兵も日本人も投降しなかったのか?玉砕なんてナンセンス」という考え方をするかもしれない。−−−しかし、それは当時の日本に生きていなければ語る事は出来ない話だ。「正しい事」と今、我々が思っている基準は、戦後アメリカが「世界基準」として押しつけたものを日本に適応させた「常識」で一応「世界」が認めている「一般常識」であり「正義」である。それら全てが、あの戦争という時間の中で、全くベツのものを信じ、正義を教えこまれていたのだから、玉砕するという事を決めたその瞬間の彼らの正義を「正義ではない」と、とても云えない。いってはいけない。−−−たしかに戦争中の日本兵が行った一面だけを見れば、「非道」の一語につきる行いが行われていたし、それが「正当」とされていたことは、現代からすれば、「とんでもない」ことだ。−−−しかし、全ての日本兵がそうであったわけではない。命令されれば従わなければならない。それが兵隊というものだ。そして、彼らは確かに彼らの信念に従い、そして、多くの兵士が家族を守るためを信じて、そのために闘っていたのだ。正義とか信念とか、お国の為とか、そういうことより、なにより、闘わなければ家族が幸せになれないと、そんな時代だったのだろうと……戦争、戦後、其れ関連の記念日になると、どうもそういうことがグルグルと回る。過去の戦争という事実に関しては、色々な見方があり、強く主張する人もいるし、右より、左より、新聞も先生も、本もいろいろ言っている。だが、それについて、当事者以外がののしることも、批判することも、するべきではないと思う。ただ、過去にあった事は知るべきだ。知って、そして、未来にいかすべきだという事だけをしっかりおぼえておけば、それで十分であり。あとは、それぞれの国の戦争という傷跡が時折国同士の外交に「あのときのうらみ」「あのときの非道な行為をわすれたか」という感情を持ち出すような事になったとき、高度に政治的なやりとりとやらで、とりあえずカタをつけてくれればイイはなしであり、どうせ、当事者が生きている間は、なにをしたところで、納まるような感情ではないというものだ。殺せば恨まれる。恨みは相手がいるかぎりつづく。いや、いなくても記憶に残っている限りその記憶のなかの相手を恨み続ける…人間に「情」があるかぎり。
沖縄は返還されたとはいえ、いまだに島の半分以上米軍の基地関連に貸出中。それで返したと云えるのか?だが、自衛隊しかもたず、専守防衛をモットーとする日本には、「敵」と証する相手に対して有効な対抗手段は間借り人のアメリカ軍に依存・委託するより術がないのもまた事実だろうよ。金しかださねぇと文句をいうが、逆にアメリカにいってやりたいね。金もらったんなら、キリキリ守らんかい!とね。−−−つかそれ位の役にたってもらわにゃ、いるいみないだろ?あんたたち。−−−と、さりげなくグルグルトークで、わけわかんないが、これは我輩の個人的意見であり、葛藤であるので、読み飛ばすべし。以上

2003年05月15日(木)



 タイマー録画で失敗する馬鹿は我輩くらいか?

・・・土曜日は、折角頭だしして入れておいたタイマーを直前で、何を思ったかテープ入れ替えちゃったりして、「ギョギョッ!なぜ、録画してるんだ!?」とか驚いていた自分…(当たり前だ、その前にタイマー入れてただろう?自分…と気付くまで、約15秒/←己はアルツハイマーか!?)
そして、今日は、3chで再放送されている「十二国記」に漸く、ねずみが出てくるから録画、録画vと随分早い時間にタイマーいれていたのに…チャンネル間違えてタイマー入れていたことが、全て終わった後に、発覚……「おーーーのーーーーぅうううう!!(OH!NO!!といっているらしい/ダジャレにあらず)」ネズミが見れない!ネズミがみれない!!−−−お陰で、ママ上に恨まれた(めそ)←マ上も暇に明かせて、我輩の本を漁っているため、十二国記は知っているため、結構楽しみにしていたらしい(涙)−−−2週位まえから、タイマー録画の失敗が続いている。タイマーってバカでもチョンでも出きる!という癖に、バカ丸出しなオオボケもやらかす危険性が高い危険な録画手段であると、我輩、最近しみじみ思うのである。−−−簡単であるからこその、落とし穴が、そ〜ら、すぐそこに!という世界である。
−−−つか、ただ単に注意力散漫、大ボケかましまくりの、脳味噌海綿やばいだろ?つー状態に我輩がなっている所為…といえば、それまでなのだが。−−−もう少し、慎重に物事を進める必要ありありであろう。(仕事中も、ボンミス一回しちゃったし…/滅)−−−大いなる災いが降り掛かる前に、ナントせねば!とか思う、今日の我輩。

<今日は何の日?>
三浦泰村ら三浦一族が北条時頼に反して蜂起(1247年)
足利義満が日明貿易のため遣明船を派遣(1401年)
幕府が神田に医学館を建設(1765年)
漢口で日本商店襲撃事件(1915年)
田山花袋が死去(1930年)
社会党が「非核武装宣言」を発表(1958年)
大阪・千日デパート火災。死者118人(1972年)
ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世狙撃される(1981年)

…今日は記念日がない日である。
ヨハネ・パウロ2世…といえば、随分と長い在位な気がするが…我輩、いくら大分年寄りに近くなってきたとは云え、まだまだおじいさん、おばあさんに比べれば若輩者…ローマ教皇の在位が果たして何年でご長寿決定どんどかしょー!になるのか、いま1つ分かりませんナリ。それでも、最近は病気だとか…寄る年波で流石にバルコニーから姿を現し、信者に手を振る例のアレ(←アレってなにやねん)をするのも、椅子が必要とか杖に寄り掛かってとか、側近に支えられて…とか、騒いうはなしを訊いていると、ベツにキリスト教徒ではないから、彼の人に対する愛着も、敬愛もないのだけれど、やはり、老いて命の灯明が残り少ないながらも、責任ある立場を支える人物として、敬意は抱くのである。−−彼の人の星が落ちれば、また、1つの時代が終わった云うことのようにも思えるのだ。世紀末から世紀の初頭…大きな星がいくつも落ちてゆく。−−−其れが寂しくもあり、時の流れといえばそれまでなのだと、なんとも諸行無常であることだ。

2003年05月13日(火)



 母の日ってなんでしたっけ?

という位には、人でなしである。
自覚はあるが、改善する気はないらしい。←もっと人でなし
いや、一応「カタチ」はきちんとやったりはしている。何かほしい物はないか?と尋ねても、ほしいものはないらしいので、やっぱり、ことしも花と酒で終わりである。−−−ママ上の好みで甘口のスパークリングワイン…くどいくらい甘かった。久しぶりにイタリアの赤だし。あれ、甘いんだなぁ。(しみじみ)
しかし、酒を飲むとお疲れが取れていない状態では、胃に大変よろしくないので、日曜日の今日は避け、昨日の内にサックリやってしまったあたりが、自分の都合に合わせてしまって、ゴメンナサイね〜おほほほ。とかいいつつ、結局洗い物すらやらない、ダメダメくんな我輩。−−−まぁ、気持ちだけはね。素直じゃないので、照れちゃうし。改めて「ありがとー」なんてね。(シャイだからv←突っ込み禁止)
結局、今日の日曜日は、ニョロニョロ「ああ、6月になればサイト3周年だし、用意しておこう」な感じで、6/1UP予定でサイトトップ用リニューアルイラストを準備、ついでに5/4のイベントで配布した麻衣のポストカードイラスト&イベントには間に合わなかったが、いっしょに下書きまでは描いていてもったいないから、ぬりぬりしてナルちゃんもUP予定〜♪とかとか、やっていなたら、猫が気持ち良さそうに膝の上で寝ているので、つられて昼寝を3時間(………)と、作業をしたりして。−−−眼福の続きは?とかここで言われると持病のシャクが…とその場で蹲らなければならなくなるが、まぁ、今は写真屋お絵描きマイブーム中なので、そっとしておいてくださいませ(平伏)

あ、そういえば言いたい事がもうひとつ。
「…つか、なんで、そーなるの!?つか、何故ッ!?」(←大絶叫)
(by今週のガンダムシードの予告編より)
どこから、どうして、ああいう展開になるんざまずか!つか誰がお持ち帰りしたんざましょ!そして、誰がデコに三日月髪の毛ピンク娘(名前呼んでやれよ/苦笑)に売ったんですか!(←売られたんかい)
なにやら、男女カップル「アスラン×カガリ」「キラ×デコ三日月ピンク髪娘」で決まりなんざますか!?オフィシャルでは!つか、オープニング通りなの!?
とりあえず、キラ燃えないゴミ決定(……)アレだけの爆発で死なないのは、コロニー産のニンゲンの特徴なのだろうか?ガンダムWの自爆クン(仮称)も、あれだけ派手に自爆しても生きてたし〜やっぱり特技の一つ(←おい)なのかも?
というかんじで、気になる次回。−−しかし、いつも放送時間に見てないんだよね。好きなのか?ホントに(ぎもん)

<今日は何の日?>
5層7重の安土城の天守閣が完成(1579年)
刺青刑が正式に執行(1720年)
蝦夷奉行を箱館奉行と改称する(1802年)
ルクセンブルクが永世中立国となる(1867年)
ロシア皇太子が大津で巡査に襲われて負傷(1891年)
オックスフォード大が初めて女性に学位授与(1920年)
シャムが国名をタイと改める(1949年)
宇高連絡船紫雲丸が沈没。死者168人(1955年)
植村直己らが日本隊としてエベレスト初登頂(1970年)

=記念日=
●母の日(5月第2日曜日)
1908年ころ、アメリカ・バージニア州のクリスチャンの少女アンナ・ジャービスが、母の命日に墓前に白いカーネーションをたむけて、メソジスト教会の教友に分けたのが始まりといわれている。14年にはウィルソン大統領の提唱でアメリカ議会の決議を得て、5月の第2日曜日を「母の日」と制定。日本では昭和初期から皇后誕生日の3月6日を母の日としていたが、戦後はアメリカと同じにした。カーネーションは元々「母性愛の象徴」といわれることから、母の日の花となった。

・・・母の日の由来ってそうだったのね〜いや、以前も調べた記憶が微かにあるのだが、スコンとぬけおちてましたとさ。はははは。
しかし、最初は白いカーネーションだったのが、赤くなったのか?つか、母は女で、女の人の基本カラーは赤って意識から?!とかだったら、考えたそいつ、後ろから笑いながら飛び蹴りしていいですか〜?って感じだけど、日本って必ず対の日つくるし(この場合父の日だが…あっちは黄色だよなぁ、カーネーション…男は黄色か水色…それじゃ、産着の選び方マンマじゃん!?)とかとか思いませんこと?(と、問いかける)−−−なんにしても、本来の目的やら意識やらをどこかに置き忘れて、お店やらなんやらの思惑が入り乱れ、様々な母の日プレゼント商戦が日本では繰り広げられている訳だが……なにか、そんなところが、「日本人って変」と突っ込みどころ満載な感じで、なんだかな〜である。

2003年05月11日(日)



 躑躅を見に出掛けて・・・空振りに終わるの巻

世の中の季節は、我輩の知らぬ間に移り変わっているようである。
漸くイベント関連のアレヤコレヤが終わり「よし、これで出歩けるぞ!」とウホウホと天気の良い土曜日を狙って出掛けてみようかと思い立つ。−−−トークやいぜんの日記にも書いたように、今回小説の題材に使った躑躅を見に、根津神社へ行こう!というものだ。
一人で行くのも寂しいので、母上さまを無理矢理引っ張ってゆく(←人でなし)…いや、もちろんほんとうに無理矢理なんて事はしていないのだが。朝起きて、いきなり「行かない?」と言ったあたり、唐突なヤツではあったと思う。(反省)
お昼頃つくような時間に家を出て、約1時間20分…割と近い?とか言っているあたり、普段から東京が遠いと自白しているようなものである。谷中も上野も近い根津にある根津神社(←まんまやん)初めて行ったが、なかなか素敵な門構え。つか、嘗ては徳川将軍家の屋敷痕だったということで、ここは躑躅園がある事でも有名。−−−其れを当てにして出掛けたのだが…インターネットで調べた段階で、既に「つつじ祭」なるものが4/10〜5/5(終了)となっていて、「もしや…」といやな予感がひしひしとしていたのだが…辿りついたそこでは…やはり、すでに躑躅は終わっていた(自爆)−−−なにィイ!!千葉じゃまだ満開ムンムン(←?)だぞ!!(←なら、近所で躑躅の花見すりゃいいじゃん…というのは、突っ込まないでください)ママ上にはもうしわけなかったが、まぁ気分転換だし!(の道連れか…?/←やっぱり酷い)−−−残念ではあったが、滅多にお目に掛かれない神前結婚式らしき集団に遭遇した。神社で結婚式か!?今時、宮司関係の仕事しているご家族ぐらいしかしないんちゃうのか!?と驚いたが、ママ上いわく「そんなことないわよ〜結構いるわよ〜」とのこと。ママン…その根拠はどこに?(苦笑)そういや、一度だけ、我輩も従姉の結婚式で神社のヤツに参加した事あったなぁ…あれは、なんで神社でやったのかな?…余り子供過ぎでわすれてるわ。…つか、神社の祭殿に上がれた事が嬉しくて、それ以外の事って、記憶にない…?(汗)それもこれも御ん年一ケタの幼君であったからであると、ここで言い訳をしておこう。…それはともかく。躑躅はみれなかったが、白無垢の花嫁さんを見られたので、まぁ珍しさではドッコイか〜とか自分を慰めて、ついでに同じ境内にある乙女稲荷と駒込稲荷を詣でて、その見事な赤い鳥居がズラズラと並ぶ細い参道を「おおう!」と大喜びで潜りぬけ(←コドモか?)…下りていった別の参道に並ぶ屋台でお好み焼きとたこ焼きをげっと。ママ上と半分コで食べる。屋台のおやじさんの後ろにある机を拝借。いや、椅子もあって「座って食べられます」とかいてあったから、利用したのだが、もぐもぐ食べながら、仕事中のオジさんに話し掛けるママ上と我輩。−−ああ、そういえば三社祭も来週ですねぇとかいってたら、今日も下谷神社と神田明神でやってるよと教えてもらったが…どこですか?それ??という名前はわかるが、バショが解らないのでは行きようがないお祭りに苦悩しつつ、「おいしい、おいしい」といただいていたら、段々オジさんの声がやさしくなり、最後には「口直し」といってニッキ飴をくれた。………我輩、海外だけではないらしい…この手のお情けに合う確立の高さ(笑)−−それだけではない。その後、お稲荷さんの鳥居を背に写真を撮ろうと言い出した母に付き合っていると、別の屋台のおじさんが「だめだめ、もっとポーズどらなきゃ!」とフレンドリーに声をかけられる(……)−−−何故だ?そして、なぜ「んじゃ、こう?(笑)」とかイイながらディズニーランド仕込みの営業用スマイル+ピースをやってしまう我輩も我輩である(………)おじさん、大喜びさ(←よろこばせてどうする?!)−−−その時写真はもっと撮るつもりだったのだが、まだ余分があると思っていたフィルムが…次の瞬間「ジーーーーコジコジコ」といって巻き戻り終了を報せたため、断念。…つか、ママ上さま…(以下言葉にならず)−−−一応、フィルムを探してウロウロしたが、見つからず、断念せざるを得なかったのは返す返すも悔しいことである。…稲荷の朱塗りの鳥居がズラズラ並んでいるアレも、小川を望む張り出しの建物の作りもなんだかイイ感じだったので、資料写真にしたかったんだけどなぁ(溜息)…デジカメが欲しいなぁと改めて思う今日この頃。
その後上野まで20分ほど歩き(……なぜ、あるく)不忍池の弁天様を詣でておみくじひいたら、やっぱり吉で(2年位前から、幾らひいても吉しかでない我輩なのだ)、ついでに厄除けお守りの木切れが半分に縦に折れるようになっていて、そこに名前を書き、折って器に入れるとそれを焚き上げて厄除け祈願をしてくれるというので、早速やり、池を廻って敷地の端にある下町風俗博物館を久しぶりに除いてノスタルジーに浸り、えっちらおっちら電車に揺られて帰宅。約五時間ほどのお散歩であったとさ。
しかし、花は千葉の方が遅いのか?(疑問)う〜ん。ふしぎだなぁ。

<今日は何の日?>
インドで対英民族運動「セポイの反乱」起こる(1857年)
長州藩が下関海峡で英仏蘭の軍艦を砲撃(1863年)
アメリカ大陸横断鉄道が開通(1869年)
円・銭・厘の10進法による新貨条例制定(1871年)
仏がアルザス・ロレーヌを独に割譲(1871年)
チャーチルが英の挙国一致内閣首相に就任(1940年)
国鉄の1等車がグリーン車になる(1969年)
女優・和泉雅子、北極点到達(1989年)

=記念日=
●愛鳥週間(〜16日)
1947年に5月10日が「バード・デイ」と決められ、1950年から「愛鳥週間」に変更された。

…愛鳥週間…野鳥の会……紅白歌合戦最後の視聴者投票確認の際の「カウントは野鳥の会のみなさんです!」のカチャカチャオニのスピード!と連想が広がる我輩は、間違いなく古いニンゲンでありましょう(自爆)←つか、解る人というか共感する人、同士と呼ばせてほしいもんださ。(とおいめ)

2003年05月10日(土)



 目玉がギョロギョロ渇いてそうろう

<ここのトコロの我輩情報>
タイトルからして馬鹿丸だし?(苦笑)なんともかんとも、最近の我輩は頭海綿状態なのである。−−−らりらり。(←末期)
PCの画面を見ている時間も長くなっているので、ドライアイも悪化の一途をたどっているようだが、まぁまだ其れほど深刻でもないので、ほったらかしだったり。
5月のイベントが終わったら〜とか言って後回しにしていた、あれやこれやをやらなきゃ…やろうよ…やるんでしょ?…やるんですか?(←なぜ、疑問形)
まぁ、あれだ。いずれ、情熱の炎がメラメラ燃えちゃったら、きっと動き出すでしょう。
<ビバ!と手を打って喜んだここのトコロの我輩情報>
祝!イズミ幻戦記復活−−−−ッ!!!何年ブリでござろう。というより、執筆していたスーパーファンタジー文庫が無くなってから、続きどうなるの!つか、物凄くイヤンな所で終わってたんですけどおおおお!と昔はかなりワキワキしてたんだが…はて?はたして、ここを読んでる方々で、あの名作(笑)をご存知の方は何人いるのだろう?−−−漫画もうかかない!とか言って自分の連載もおっぽり出した岡崎さんが変わらず挿絵書いてる!ラッキー!つか、どゆことじゃー岡崎!!(バンバンバンッ/←激しく机を叩く)
だが、読み終わっても……激しく悶えるような展開で終わってるし!!うきゅーーーっ!!(バンバンバンバンッ!/←やっぱり激しく机を叩く)
−−−ああ、だが、なんにしても。〆切り終わってからの発売で良かったッス。
<今日も学園戦記ムリョウなかんじ>
最近、木曜日といえば夜7:00から教育テレビにて放送中の「学園戦記ムリョウ」である。−−−つか、3ch、どうしちゃったの?てな内容のアニメでござる。久しぶりに、やってくれたね★NHKエンタープライズ。ナディア以来か?というくらいビックリした我輩。−−−宇宙人の侵略者、それを退治する正義の味方、謎の転校生、特異能力をもつ人々、銀河連邦とか、友情とか、ライバルとか絡んできて…なぞがなぞをまだまだ呼んでいる状態の、第四話目あたりだったかな?←カウントしてないし(苦笑)
宇宙人の侵略兵器とかでてくるから、正義の味方とのバトル!バトルなの!?と思ったら、タイトルの「学園戦記」が示すとおり……学園内のひきこもごものバトルになってます、先生(笑)つか、それが主題!?主題なのか!?
とにかく、放送がはいる方、見てくだされ。ああ、来週が気になるじゃん!というわけで、また来週!!←続けるのか!?

<今日は何の日?>
百済・加羅などが新羅と戦い日本に援軍を乞う(552年)
英国国教会の統一令にエリザベス1世が署名(1559年)
大坂城落城、大坂夏の陣が終結(1615年)
イギリス議会で王権復古の決定(1660年)
鼠小僧次郎吉、捕らわれる(1832年)
ロンドン労働者協会が人民憲章を公表(1838年)
台湾島民を日本国籍に編入する(1902年)
米軍基地拡張に反対する砂川闘争始まる(1955年)
富山県のイタイイタイ病を厚生省が公害認定(1968年)

=記念日=
●世界赤十字デー
1828年5月8日、国際赤十字の創始者アンリ・デュナンが誕生したことを記念し、国際赤十字連盟が1948年にスウェーデンのストックホルムで開催された連盟理事会で制定した日。日本では戦前、ジュネーブ条約加盟の1886年11月15日を記念して「赤十字デー」としていたが、1948年以降、毎年5月8日を「世界赤十字デー」とすることにした。

……なんだか、「今日は何の日?」を見ていると、今日という日はイギリスにえんのある日のようです。この日をねらったように、3個もの重要な取り決めをしてるし。英国国教会の統一令や、王権復古や人民憲章や、なんだか思いきりイギリスの歴史を左右しまくりの出来事がこの日起こったのねぇとか感慨深く思いつつ、しかし、なんやね。だから、なんでしょうか?というわれると、ただたんに、イギリススキとしては、微妙に「あはんv」な気持ちになったりしたのでした。←意味不明



2003年05月08日(木)
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