『今日の一言』
因幡うたぎ



 入稿して、なんだか気が抜けたチック

先週末、一割増の入稿日に、入稿を果たして、なんだか「はう〜ん(涙)」でロンリーな懐具合になってしまったのですが…とにもかくにも、束の間の開放感に浸っている我輩。早速ビデオなんか借りてきてみていたりする休日だったりなんかしちゃったりしてv(←犬ホームズ口調)
少し前までは、「ヒートガイJ」に触発されて、「天空のエスカフローネ」がマイブームだった為、劇場版なんかも借りてきて、ついでに、サントラなんかもいきなり買っちゃったりした我輩だが、今度は何故か、「ラーゼフォン」。テレビで放送されていた時、1話から3話まで、実は見損ねていて、四話から見てたりするのだね。んで、「そいじゃ、ビデオ1巻と2巻かりちゃえ〜い」とかドーンとかりたと。−−−が、本当に借りたかったのはベツのもっとふる〜い!アニメ。1989年だったよ!おっかさん!!(←だれやねん)うわっ!この当時、すでに高校生だったよ、我輩……(Σゲハッ/吐血)−−−はぁ、実はビデオ借りようと思うキッカケとなったのは、原稿やってる最中に発売になった「ファイブ・スター・ストーリーズ」というSFでFTなマンガが発端なのである。−−−はっきりいって、もうせっぱつまって、時間もない!もう首括るしかない!というような〆切り間際、ついつい買ってしまった最新刊…何年ブリ?とかいう恐ろしいシロモノで(いや、王家の紋章よりましか…/遠い目)「うわんvひさしぶりんvv」ってなもんで、うっかり読んでしまったのが運の尽き(………)とってもとっても、1巻から全部読み返したくなって………読み返した我輩。なんと、〆切りまで2日。書き上げたP数は20Pでしかなかったというのに!(予定P数=この時点では100Pだった/←ナメきっとる)読み返したら読み返したで、「ああ、そういえば、映画のビデオ…ダビングしてとってあったよなぁ」と思い出したので、非常に見たくなり…それでも原稿が終わるまでは我慢する分別は残っていた我輩は、なんとかドーピングで徹夜をノリきり、原稿入稿をすませるまで我慢に我慢を重ね、「さて、入稿したし、見るかな」といそいそとビデオが並べられたケースを漁ったトコロ………ない!ないないないないない!!!(絶叫)ビデオちゃんがないよ〜〜〜〜(>■<|||)
マジ、泣きはいったさ。我輩。−−−そして、ふりだしにもどり、ビデオレンタル屋へゴーしたのであった(←コドモか?おのれは)
で、借りてきました。「FFS」劇場版!いやぁ懐かしい〜〜〜。でも、いまのアニメよりクォリティ高い!つか、執念!?を感じる仕上がりで、思わずブラボーと内心の拍手を隠せない有様。−−−うっとりとながめつつ、このつぎは、このせりふ〜♪とかさり気なくカットからカメラアングル、セリフまでおぼえているじぶんがいそこはかとなく、嫌だったりしたのだが……それはともかく。
その後「らーぜふぉん」も鑑賞。借りた1話〜5話まで収録されたビデオ1、2巻を見終え、ラストがもう一度見たくなって、ついうっかり、録画しておいたテレビ版のビデオを引っ張り出して、書けっぱなしでチラシをPCでカキカキし、そして途中、猫がママ上様が調理をしているガスコンロにすりより過ぎて、腹の毛を焦がしてしまうという世にも恐ろしくも笑えるアクシデントが勃発!なんともたんぱく質の焦げる香ばしい匂いをかぎ(←バカねこだが愛い)、それから本日最後の鑑賞作品「千年女優」DVDを再生した。−−−−これは、昨年映画館に通っていた時に予告編を見ていたのだが、本編の劇場上映当時は見にゆけず、かなり気になっていた作品なのだ。「千と千尋の〜」と同じような賞を1つもらったとか言っていて、実際、中を見てみると………トッテモ面白いのである!いやぁ、これや!うわ!なんじゃ!思わず、裏手拳突っ込みいれつつ、「なんでやねん!」とか連呼しつつ、ホントぐいぐい引っ張られるような引力を持つ、魅力的な長編アニメでやんした。−−−大人も楽しめると思うですよ。−−−ホント、期待した分、駄目だったら…とか思っていた我輩が愚かだったよ(反省)−−−良いもの見れた!んじゃ、ダビングスルか!……とか、いそいそと作業に取り掛かろうとした我輩を次の瞬間衝撃が走った。「ダビング防止機能ですかい!!」(大泣)……じぶんでかったセルDVDにははいっていなかったから、安心していたのだが…レンタル専用DVDの場合はスクランブルが入っていて上手くダビングできないことを、我輩初めてしった。こんちくしょう(><::−−−−満足、極楽!って思っていたのに…最後の最後に、ギャフン!ときたさ。(チラシいつになったら書き終わるんだろう?)
いやはやまったく、アニメオタクとして、久しぶりに幸せな休日だったとさ。
明日は、レディースデイだ。コナンみにいってこよ〜っと。

2003年04月29日(火)



 予定外・・・何ていったら、故人に失礼だけれど

4/7に俳優で声優の山内雅人(やまのうち・まさと)氏(74才)が肺がんのためなくなった。翌日の新聞に訃報の記事が載ったそうだが、我輩、8日の夜に通夜と告別式の場所と日時の電話連絡を受けた。かなり愕然とした。少々信じられないとい雨気分だった。−−言葉は悪いが、殺してもしななそうな人だったから、疎遠になった今似至るまで、絶対ずっと元気…と、奇妙な思い込みをしていたのだ。余り興味もなかったので、詳しく知ろうともしなかったが、「そういえば、どんな役やってたっけ?天空のエスカフローネのドルンカークと…あと???」なんて、大変失礼極まりない知識しか、今の今までもっていなかった我輩。経歴について新聞記事を読んで調べてみた。・・・49年NHK東京放送劇団に入団し、ラジオドラマ「笛吹童子」の霧ノ小次郎役でデビュー後、2万本以上に出演した声優の草分け。舞台での活動でも知られる。声優では、古くは「ドクター・キルディア」のリチャード・チェンバレン、「愛情物語」のタイロン・パワー、アニメでは「未来少年コナン」のおじいとラオ博士、「あらいぐまラスカル」のウィラード・ノースなどが有名。最近でも、映画「ジョー・ブラックをよろしく」のアンソニー・ホプキンスなどを吹き替えた。・・・となっていた。−−−はぁ、未来少年コナンのおじいとラオ博士の声やってたんか。そうなんか。つか、思い出せない(^^:(先生ごめん、今頃調べたさ/苦笑)
−−−ちなみに、この週末は、『真面目に尻に火がついたゾ!』という状態の入稿〆切り逆算レットゾーンに踏みこんだ為、せめて40Pは書き進めたい所だったのだが、そうも言っていられず、急遽土曜日の告別式に出席する事にした。−−−かの人といかなる関連があったかといえば、我輩が声の仕事で生計をたてようとしていた10年近い間、お世話になっていた研究所の主宰者であり、一時期1年間ほど、直接教えていただいた事もあった、所謂「恩師」みたいな人であった。−−−エライ人だというのは風の噂(?)で聞いていたが、お付き合いしていた時分、我輩的にあまり実感がなかった。
やっぱり、知っている人が亡くなるのは辛い。
普段は全然忘れている人だとしても、生きていた時交わした言葉とか思い出したりして、目指した道を途中で勝手に降りた自分の不甲斐なさが、情けないやら申し訳ないやら、グルグルしてきた。
御焼香をする時、遺影をみていたらじんわりと泣けて来た。
結局、出棺までは付き合わず、一足先に斎場を後にしたのだが、家に帰って、いざPCの前に座って原稿をやろう!としても、纏まった文章が出てこない。
ああ、人の所為にしちゃいかんよ、自分。
それはそれ、これはこれ、と切り替えて、チャキチャキ小説書こうよ、自分。
土曜日は、結局数ページしか進まなかった。

明けて日曜日の今日は…やっぱり、気持ちが脱線してしまう。
統一地方選挙で投票する人間を、当日広報で確認して選んで…投票しにいって、帰って来て、PCに向って……頭の中では、今書かなきゃいけないシーンじゃなくて、その先のエピソードに必要な設定で確認できていない部分が気になってしまい、結局ネットで資料を漁っている内に夜になってしまった。−−−悪循環。コレほどまでに、原稿モードに入れないのも珍しい…というか、初めてかもしれない。
あと2週間きってるんである。もう1回週末があるが、あとは〆切り前日に休みをとっただけなのである。−−−なんだか、絶望的な気分になってきて、精神力がなえてしまいそうである。−−−弱気はいかん。何処までやれるかわからないけれど、やれるところまでやって、それで駄目なら…コピー本か?(いやだ…それはいやだ……/滝涙)
ああ、我輩も長年同人小説を書いてきたが、何事か決断すべき岐路にたっているのかもしれない。
なんだか、目玉がつかれてグルグルで、頭もグラグラで、気分的にマイッチングな、今週末の我輩。
(つか、最近の日記はやたらとメロー入ってるなぁ/滅)

<今日は何の日?>
鎌倉で大地震。死者2万人(1293年)
仏王アンリ4世がナントの勅令を発する(1598年)
武蔵と小次郎が巌流島で決闘、武蔵が勝つ(1612年)
間宮林蔵らが樺太探検に出発(1808年)
日本初のコーヒー店が上野黒門町に開店(1888年)
歌人・石川啄木没(1912年)
インドでアムリッツァー虐殺事件(1919年)
モスクワで日ソ中立条約が調印(1941年)

=記念日=
●水産デー(漁業法施行記念日)
漁業生産の基本的制度を定めて1949年に公布された漁業法が、50年4月13日に施行されたことを記念する日らしい。最初の漁業法は01年に従来の漁場制度を法制化する形で制定され、10年に改正されたそうな。戦後の新法は漁業制度を改革し、漁業調整委員会を設け、旧漁業権を有償で消滅させ、新たに漁業権を免許、漁業調整の民主化・合理化を推進したみたいである。
−−−とかいわれても、馴染みのない話すぎて、さっぱりわからんが、とにかく漁師さん達にとっては、大切な決まり事が施行された…という事で、OKかな?(つか、それまでも決まりはあったんじゃろうが、何か色々あったのかなぁ? うぬぬ?)

2003年04月13日(日)



 暗闇に、緑の光を発見して・・・己の愚かしさに瞠目する

・・・・部屋の電気を消すと、普段見えない物が見えてくる。
それはもちろん、別に足のない人とか、向こう側が透けてみえる人だとかではない。そう、つまり暗闇の中でしか気づけない物は、確かに存在するのである。
−−−−本日の我輩がまさに、その恩恵にあずかったりなんかした。
ヨロヨロと仕事から返ってきた我輩は、暫くバッタリと畳みの上に倒れふしていたが、夕飯の呼び声にフラリとたちあがり、電気を消して部屋を出た。…その時、眼の端になにやら緑色の小さな光が見えたが、気掛かりながらもそのまま居間へ行き、ご飯を食べたりなんかしたのだが…食事を終えて、アニメの「ナルト」を見ていた我輩、思い出されるのは先ほど眼の端に映ったあの緑の光…あれは、よもや、まさか…とふと天啓が降りてきて(←大袈裟)我輩、光の正体を探りに暗闇に沈む部屋へと戻ったのである。
机の上には積み上げられた本の数々。雑然とした(母曰く「ゴミ溜め」)諸々の隙間から見える光に向って手を伸ばすと……あらあら、まぁまぁ、紛失したと思っていた、我輩のPHSチャンじゃあ〜りませんか!あはははは(笑)
きゃー、愚か者がここにいます〜(>▼<)←嬉しげ?
落としたんじゃなくて、土曜日夜中に帰って来て、充電がきれかけているから、充電器にブッスと刺しこんだのだったぁ!!Σドゲゲン 土曜日は眠くてすぐ寝たし、日曜日は胃袋がストライキをおこして、一日寝こんでいたので、記憶がスコンととんじまったんだろ〜なぁ。(しみじみ)
素直に見つかって嬉しい気持ちと、己の馬鹿さ加減に飽きれるやらで、もう笑うしかないという感じであった。−−−なんにしても、新しい携帯買う前で良かったさ。
なんだか、既にボケがはじまったのかぁ?じぶん・・・と、思わず天を仰ぐトホホな今日の我輩。

2003年04月09日(水)



 お誕生日おめでとう!アトムくん!!

というわけで、今日は鉄腕アトムの誕生日でした。−−−以上。日記終わり。←おい。
いやぁ、この週末は予定が来るって大変だったりしたのだ。
もともと、胃の調子も食道の調子も、喉の調子も悪くて、なにやら、腫れてるような、強張ってるような、痛いような感じだったのだが、土曜日に暴飲暴食したらば、テキメンに来やがりましてねぇ…土曜の夜、寝る前に「あ、やばい」と思い、翌日の日曜日目覚めたら…一日胃液吐きつづける症状に襲われ、延々倒れ伏し、起き上がれず…「魔探偵ロキ」なんか全巻買い揃えちゃっていたので、布団の中で、こみ上げる胃液と戦いながら(←そうまでして起きている必要はない)読破し、闇野クンの父様ラブvで献身的な様にメロメロになりつつ…息子×父いいじゃん〜♪とか、胃袋やられて栄養も水分もたりなくなって、脳味噌やられまちたか〜ぁ?だいじょうぶでちゅか〜ぁ?という、あらぬ妄想の世界を行ったり来たりして、月曜日の今日、布団から起きあがる体力がなくて、仕事もおやすみしてみたりして…ああ、健康管理の出来ないニンゲンは社会人としてどうよ?と1秒位は底無しに反省をした本日の我が輩。
二時間分の文章が一瞬のPCフリーズによりパーになっただけでなく、胃液を吐くほどの胃の腑の叛乱にあい、更にはPHSを紛失し…と、ああ、我が輩が何をしたというのか!?PHS本体はともかく、ストラップは限定ものだから、レアもんで、戻ってきてほしいぞ!とかなんかかなり悔しかったりしているんだが、もうこうなっては誰にも見つけられまい。つか、紛失した時点で電源切ってたし〜拾ったヒトが連絡待って電源いれても、あまり長時間は持たないほど充電あやしかったし〜(←おい)トホホ。なけるね!−−−というかんじで、もうなにやら忘れていた己自身の前厄って〜アレが、思い出されて、ああ、これかしらんvとかなんとか思ったりなんかしちゃったりして!(←かなり自棄になっているもよう)
とにかく!「アストロボーイ鉄腕アトム」誕生日を前にして日曜日に放送開始したけど、ありゃなんぞなもし!?つー感じで、まぁ続きは見るが、録画保存はどんなもにょ?という春の新番組構成。−−−ちなみに、土曜日の魔探偵ロキはアニメ設定だが、絵もきれいで中々面白かった。(そして結局闇野氏にハートゲッチューな感じな我輩…ああ、ああいうキャラ(の裏設定)に弱いんだよ〜><///)
−−−ふふふ、原稿。まさに、姐さんピンチです★って感じで、いや〜んv前後編でもゆるしてね〜って何回ほざいたかな?言霊の力って恐ろしいかも?

<今日は何の日?>
藤原宇合が征蝦夷持節大将軍に(724年)
岐阜遊説中に襲われて刺された自由党総理・板垣退助が「板垣死すとも自由は死せず」と絶叫(1882年)
清水次郎長が賭博で懲役7年の刑(1884年)
東京盲学校が創設(1909年)
ドイツがユダヤ人を公職から追放(1933年)
戦艦大和が九州南方で米軍機に撃沈(1945年)

=記念日=
●世界保健デー
1948年4月7日、国際保健会議で採択された世界保健機関憲章が発効し、世界保健機関(WHO:World Health Organization)が設立されたそうな。それを記念して、WHOは「世界保健デー」という国際的記念日を制定した。日本WHO協会は、毎年、標語にちなんだテーマで、中学生から作文を募集しているらしい。また、80年から日本栄養士会は毎年この日に「健康づくり提唱の集い」を行い、講演会などを開催している。
……ああ、健康って素晴らしいよね。つか、健康で丈夫な体にならなきゃね。大抵の無理をしても、ぴんぴんして原稿が書ける体を、どうか下さい(Σゲハッ/吐血)

2003年04月07日(月)



 気がつけば4月・・・春なのに〜寒い〜〜

『なすがママ きゅうりがパパ』……コレを聞いて、何を思うだろう?諸君。
『なすがママ きゅうりがパパ』……つか、どういうネーミングセンスだろう?
『なすがママ〜』…思わず頭の中にリフレインするこのキャッチ−(笑)なネーミングが漬けられて…もとい、つけられているのは、ぬかづけ用糠のスターターキッドのようなシロモノである。袋の表面に、ナスのママがきゅうりのパパが楽しげに踊っているのをしみじみと眺めながら、腹筋ピクピクいわせていた我輩……冷蔵庫で簡単にパックで糠漬けが作れるんだかなんだかしらないが、そのまんまや!と思わず裏手拳突っ込み入れたくなるような、素朴な笑いのネームをつけなくても…いや、面白いからいいか。あははvとか、グルグルとね。くだらない事で、楽しくなって、少々追い詰められてる自分を意識した今日の我輩。
ちなみに、原稿そっちのけで、疲れ癒す一本のD級映画を夕食中に鑑賞した。タイトルは『カンタヴィル家の亡霊』という。内容は、アメリカに住んでいた一家が、リストラにあって父方の実家のあるイギリスのとある古城を相続することになった。相続の条件は三ヶ月この城に滞在すること。仕事を失い、古城とはいえ、本家の城を相続できることと新天地での生活に浮き立つ両親とは違い、一人娘のジェニファは突然見知らぬ土地にやってきて、友達と別れることになった事や、父が三ヶ月前に再婚した新しい母との関係に不満を感じていた。田舎の城に漸う辿りつくと、出迎えの親戚が笑顔で彼らを待っていた。だが、どうも様子が可笑しい。更に、たった2人の使用人である執事夫婦も態度が不審である。訳がわからず戸惑う一家を置き去りに、何の説明をするでもなく親戚は決して家に入ろうとはせず、さっさと退散するしてしまう。さらに執事が突然消えて、居たと思ったら天井にぶら下がるシャンデリアに引っかかって降りれなくなっていたりして−−−−これはどういう事か?と不審は疑問に変わった時、執事は告げる。実はこの城には300年前の当主の幽霊がとりついて、悪さをしているというのだ、と。……その当主の名はサー・サイモン・カンタヴィル…この城で妻を殺した後、当人はそのまま行方知れずになり、遺体さえ見つかっていない…そんな彼が、亡霊となって城に住みつこうとするものをかたっぱしから追い出す…というのだ。−−−−1980年代のユーモアたっぷりのホラーというより、ファンタジー映画である。いやぁ、特撮技術はともかく、グイグイ引きこまれる話運びに、我輩メロメロである。真面目に、オススメ!最近は技術に頼りすぎて、ストーリーがいかん映画が増えている。昔は技術はなくても、客を楽しませる短くても話の詰った作品が多かったナァとしみじみ思ったりなんかしちゃったりして。いや、もちろん、駄作だって多いのだが(苦笑)−−−昔、この「カンタヴィル家の亡霊」を元ネタにしたと思われるとあるアニメの同人小説を読んで以来、もとの映画はどんなもんじゃらほい?と思っていた我輩の長年の疑問は今まさに晴らされて、便秘もすっきりvってなもんである。←例えが悪い。
ああ、現実逃避ブラボー!原稿なんてクソくらえ!←ヤケになるのはやめましょう。−−−もう平日の夜に、パソの前に座って画面を見ているのが脳味噌的につらくなってきて、真面目に別の職を熟考しないとヤバイなぁ…とかとか思いつつ、もう1年はこの仕事で繋がなきゃかね…とか諦めもはいっている、どうも春で桜満開で、それなのにアンニュイな、今日この頃の我輩は、日記すら書く気が起きないナマケモノと化している様子である。ああ、こまった、こまった。←困ったように聞こえない…(苦笑)

<今日は何の日?>
聖徳太子が十七条憲法を作る(604年)
織田信長が武田残党を助けた恵林寺を焼き、快川が「心頭滅却すれば火も自ずから涼し」と唱えて焼死(1582年)
南北戦争で南部首都リッチモンド陥落(1865年)
福沢諭吉が私塾を芝に移し、慶應義塾と改称(1868年)
漢口の日本租界で中国民衆と日本軍が衝突(1927年)
天理教会が不敬罪で大弾圧を受ける(1928年)

●いんげん豆の日
隠元豆の名は、日本黄檗宗の開祖となった隠元禅師が中国から持ってきたことからつけられたといわれる……らしい。いやぁ、知らんかったわ(しみじみ)そのため、隠元禅師の命日が1673年4月3日とされていることにちなんで、この日が「いんげん豆の日」とされたとのこと。いんげん豆って、隠元豆って書くのね!びっくり!おどろき!って感じである。はぁ。しかし、いんげん豆もってきたヒトの命日を記念日にしちゃおう!っていうのは…なんともはや、いいんかい?それで?とかおもったりなんかしちゃったりして。

……

2003年04月03日(木)
初日 最新 目次 HOME


My追加