原案帳#20(since 1973-) by会津里花
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2002年12月31日(火) 大切な人 『紅白』雑感

当然のことだが、今年が終わる。
来年はどうやって生きていこうか。

★1・大切な人
★2・『紅白』雑感
★3・来年の私



★1・大切な人

昨日 もう今年はこれで終わりだ と思って
イッキもやったし
ワインも頼んだし
寿命を縮める飲み方をした

すっごくしんどくて
辛かった


今日 彼に会った

彼は私の話を聞いてくれた
そうして
アドバイスをしてくれた

「いちばん最初に言ったことがいちばん優先順位が高いんだ」

そっか
そう思えばいいんだ
後は 言い訳 だもんね ヘタすれば

彼は来年の冬まで越せそうなほど ユニクロの服を買ってくれた
そうして 家の近くで 車の中で 少し話した
少し だと思ってたけど けっこう長く話した

彼の肩を借りて 泣いた
泣けて 嬉しかった

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★2・『紅白』雑感

久しぶりに『紅白歌合戦』を最初(のほう)から最後まで見た
しかも ヴィデオに録った

私は 流れる歌声を聞きながら
いろんな場所や時 
そうして 年齢 性別 そのほか
いろんなものに変転して 旅をした

とても気持ちよかった

(以下 散文で 書きます)

     

「島唄系」
私は「島唄系」とても呼ぶのかしら、そういう音楽を聴くと
ものすごく感激してしまう。

なぜなのかなあ……?? と、暫く考えた。
たまたま『島人(しまんちゅ)ぬ宝』(BEGIN)とか『涙(なだ)そうそう』(夏川りみ)、
それに『島唄』(アルフレド・カセーロ&THE BOOM)そのものも聞けたので
なんでそんなに流行っているのか、も考えた。
(参考:♪第53回紅白歌合戦曲順表2)

だんだん思い出してきた。
前に、どこか(たぶんこの日記)に
「沖縄の人には『本土復帰』に対して素直な肯定感がある」と書いたことがある。

どうやら私は、沖縄の人たち、石垣の人たち、奄美の人たち、の
「民族意識」に心を動かされているようなのだ。

私自身にはどういう民族意識があるのだろうか。
そうして、それが「島唄系」とどうつながるのか。

たぶん、「愛国心」とか「民族意識」ということの中に
「右翼」というニュアンスをいつも感じて気持ち悪がっていたから
私は素直に「私は日本人」ということを肯定感をもって感じることができないのだ。

でも、自分が帰属する集団に対して、たとえ批判的だったとしてもそれなりに
「愛情・愛着」を持つのは当たり前なので、
きっと、何か突破口を見つけて「愛国心」ていうか(やっぱり←の言葉は嫌だなあ)「愛郷心」を
持ちたい、と思っているんだろう。

その突破口が「島唄」だと思う。

あと一つは、たぶん
「流行る音楽はその地域にとって『異郷』や『辺境』であることが多い」
という一般的な傾向もあるだろうけれど……
(例:いくらでもあるぞ; オーケストラの打楽器は「辺境」または「異郷」であるトルコの軍楽隊のマネ、とか;
 ジャズの発祥は、ヨーロッパからの移民にとって「異郷」だったアメリカの地で
 「異郷」であるアフリカから連れて来られた人たちが
 その人たちにとって「異郷」であるヨーロッパの見慣れない楽器(=軍楽隊のお下がりの管楽器が大半)を使って
 演奏したのが始まり、とか…… ちょっとしつこい(-_-;

ついでに言うと、「三大宗教」はなぜか発祥の地以外の土地で盛んだよね;
それも同じようなものかも……?)

日本でも、冷戦後の価値観の変転を反映する現象が起きているのかもしれない。

中森明菜
私はなんで明菜の気持ちがわかる(ような気がする)んだろう?
ちょっとした表情とかで、「割と本気で楽しんでるな」とか思えるのだ。
まあ、前にも書いたけど、名前が似てるとかあるし、
会ったこともあるし、
あとなんとなく「すごく自己評価低い」雰囲気とかあるし、
他人とは思えなかったりする。
いや、もちろん、他人なんだけど。
いつも欠かさない、マイクをはずしての「ありがとうございます」の口元が、いい。
歌わせてもらってこんなに嬉しい、という気持ちは私にもよくわかる。
もしかしたら、私とおんなじようなタイプの「人格障害」とか、あるのだろうか。
(なんて言ったら「誹謗中傷」になってしまうのだろうか?
私は「自分と同じような」と言ってるけれど「一緒にするな」ということなのか。
それは、あまりにも悲しいと思う)


世界向けのメッセージ(拉致事件???)
『帰ろかな、迎えに行こうかな』と、北島三郎。歌詞が違うじゃん!?
白組のトリ(最後の出番)が五木ひろし(帰化人?じゃなかったっけ?
歌い方がすっごく「半島系」←それは本当。「パンソリ」だっけ、それは女性の伝統的な芸能だけど
それとそっくりなんですよ)

うっわぁ〜〜……
けっこう「政治的意図」があるんだ、この番組……

欧米とかでも見られている、ということで、
そういう地域から(例えば朝のサンフランシスコとか)見たらどんなふうに見えるのかな、と
想像してみたら、
なんだか違った意味合いで「感動」してしまった……

ある意味で、日本が現在抱えている状況を世界に向けてアピールするのに、
これほど説得力のあるメディアはないような気がする。
そりゃ、世界のニュースに元々興味のある人はいろいろ知ってるだろうけれど、
「たかが日本」のこと、になってしまう外国の人たち、
つまり日本になんかほとんど興味を持たなくても生きていけるから
「イメージ」だけで評価・判断してしまう人たちに対して
とても生き生きしたイメージを送ることができた、と思う。

んー、うまく言えないけれど、
途中で「島唄」を歌ったアルフレド・カセーロというアルゼンチンの人が言ってたけど
確かに「音楽に国境はない」、と思った。

言葉よりも1000倍くらいはわかりやすいコミュニケーションだと思う。

最近、こればっか。

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★3・来年の私

すごくシンプルな目標を持とうと思う

男っぽくても
女っぽくても
どっちの自分も「自分」には違いないので
否定しないで生きよう
と 思う

とても複雑に言うと
前にどこかに書いて
誰にもわかってもらえなかったようだったけれど
「MtFtM」
みたいになれれば と 思う

宝塚の男役だったら やりたい と 思う

せっかく 男を演じていた間に培った
たくさんの人間的な資質があるのだから
「それは男のやること」と言って
避けてしまわずに
それはそれで 私 として
面と向かっていきたい と 思う
もしも 誰かが それを 変だ と言っても
それは 私のことが わからないから
しかたないのだ

(意地悪なことを書きます;
子どもをもうけたことも 私にとって とても素晴らしいことなのです
時々 そんなことするMtFTSがいるか と嫌がる人が なぜか多いけれど
それはきっと 嫉妬 だと思います
じゃあ 子どもなんて いなかったほうが良かったか といわれたら
私は いて良かった と 胸を張って答えます

子どもができてから トランスできて 私は幸せです
その子を養育できないので 会うことができないのが とても辛いけれど
僅かにでもお金を稼いで せめてそれを送ろうと思います

いつか 子どもが 私を必要としたら
私は 私らしい姿で 彼と会うでしょう
決して 男のふり なんか しないで)

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2002年12月30日(月) 昨日〜今日

★1・昨夜の忘年会



★1・昨夜の忘年会

昨夜のメール:

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From: "章香(あやか)"jackie-matthews@ezweb.ne.jp
To: ayaka@jackies.jp
Sent: Monday, December 30, 2002 1:33 PM
Subject: 原案帳:忘年会×2


両方とも楽しかった。とっても良かった。


---------------------------------

としか書いてない。
お店の忘年会があんなに楽しく過ごせるとは、ちょっと意外だったけど嬉しかった。
伽藍の忘年会も、ちょっとずつだけどいろんな人と話ができたので、
やっぱり楽しかった。
(でもビール飲み過ぎた! 仕事じゃないからいいや、という気持ちがあった)

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2002年12月29日(日) アディクションについて 忘年会 Eva Cassidy(続き)

★1・生の体験者の発言
★2・寝過ごしたぁ〜〜(T_T)
★3・エヴァ・キャシディ



★1・生の体験者の発言

原案帳メールより。

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From: "章香(あやか)"jackie-matthews@ezweb.ne.jp
To: ayaka@jackies.jp
Sent: Sunday, December 29, 2002 7:29 AM
Subject: 原案帳:貴重な体験



薬物中毒の経験談を聞くことができて、なんかすごく共感してしまった!
「アディクション」てどれも似たところがあるのかも。
はっきり言って、抑鬱状態の時の私と同じだ、と思った。

さあ、お店も今日は終わりだ。
まあ、そこそこ繁盛したから、いいか。


---------------------------------

*注:「アディクション」とは、自分にとって決して良いことではないのに
いわば「ハマって」しまい、やらずにはいられなくなること。
例えばこの「原案帳」も、
時には他に優先してやらなければならないことだってありそうなのに
そういうことをぶっちぎってしがみついて書いてることがあるので、
そういう意味では軽い「アディクション」。
目安「8000字(って原稿用紙20枚だよ!?)以上書いたら異常」とか(^^;


お店に6時までいてよかった。
もちろん「時間外」なんてつかないんだけど。
あ、それから、これはあくまで、お客さんの「過去の体験談」。 今はすっかり立ち直っているとのこと。
まあ、そういう人だって来る、ということ。

私には関係ないし、関係もちたいとも思わない。
当たり前か。そんなこと。
いやいや、そんなことない。
私だって、たまたま違法でないだけで、たちの悪いアディクションにはまったこと、あるじゃん。

それは、「仕事」。

仕事は時には麻薬の代用品になってしまう。
そうなりやすい人は、仕事をしてはいけないのだ。

「そんなこと言ったら、生きてけないだろう。
資本主義の世の中なんだから」

もしかしたら、資本主義も、適度なコントロールがないと暴走する
「アディクション」の一種か。

……
しっかり納得してしまった。
そのとおりだと思う。

「働かなくても食うことのできる人が存在できる」
ということが
資本主義というアディクションからの「回復」なのだ。

それを、もしかしたら「革命」と呼ぶのかもしれない。

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★2・寝過ごしたぁ〜〜(T_T)

なっち、ごめーーーん!!
目が覚めたら午後1時だった!
慌てて電話したら「今日はいいよ、またこんどね」って
言ってくれたけど……
うーん、ものすごく申し訳ないっす!! <(_"_)>

---------------------------------

で。

今日は劇団の忘年会、楽しみにしていたのに、
お店の忘年会とダブってしまった。
(本当は「先約が勝ち」なのに……)

「裸の女王様」に振り回されております……(-_-;

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★3・エヴァ・キャシディ(まだまだ凝ってる)

聞けば聞くほどすごい。

なんて「地味」な音楽なんだ!!
普通だったら、きっと聞き流しているだろう。
っていうか、「聞き流すための音楽」と耳が解釈してしまう、というか。
(ああもうっ、だから音楽のことを文字で書くのは嫌いさっ!(/_;)
なんにも伝わんないじゃん! だから、ほら、今流れてる、この音!!
……なんて悔しがってもなんにもならず(-_-;)

バックミュージシャンたちも、はっきり言って
(たとえばビッグアーティストのライブとかのように)
気張ってしまったりしてない。
ヘタすれば
「いいから好きなようにやりな。俺たちは後ろで適当にやってるから」
とでもいう感じ?
……そこまで言ってもいいのか? ……でも、ホントそんな感じなんだもん。
まあ、誰でも知ってるような「ふつうの曲」を「ふつうに演奏している」だけなので、
今さら何をややこしいことを、という感じなのだ。

なのに。

その「てきとー」さ加減っていうか露骨に言うと「いい加減さ」、っていうか
「癒し」を伝えてくれるのだ、私に。

もちろん、エヴァ・キャシディ本人は精一杯歌っている。
「きちんと」歌っている。
でも、たとえば、曲によっては、アレンジ譜さえもなく、
きっと「曲名」だけで一発あわせて録音しておしまい、と聞こえる曲だってあるのだ。

エヴァは、生前はそれほど目立った音楽活動をしてはいない。
ていうか、"Eva Cassidy Bio"によれば、
生活の中にすごく自然に音楽があって、その中で、いわば「生活感覚」として
ヴォーカルの才能を育んでいった、というようなことが書いてある。
(いや、書いてない。私が勝手に解釈している……ごめんなさい。でも、音がそう言ってるんだもん!!)
それで「これから本格的に音楽活動を始めよう」と思って、
CD1枚出したら、癌であっというまに亡くなってしまったのだった。

ミシェル・クァンのフィギュア・スケートに採り上げられた、ということもあるだろうけれど、
エヴァの死後、エヴァの音楽、っていうより「歌」のすばらしさが、
ほんとうに少しずつ、じわりじわりと、世界に広がりつつあるのだろう。
また、そのような現象をもたらすのにふさわしい音楽性だとも思う。

……

言葉が多くなるのは、言葉にならないものが多すぎるから。
もう降参しよう。
もう10回くらい、MDにダビングした「Songbird」を聞いてる。
興味のある方は、このCDタイトルから↑「Amazon.co.jp」へジャンプできるので、
ぜひ買って聞いてください。

実は、ビデオはほとんど買いたいと思わない=レンタルですませるけれど、
CDは「買う価値のあるもの」の存在がちゃんと理解できるのだ。
もっというと、ある音楽に対して評価っていうかリスペクト(敬意)を持ったら、
それは決してレンタルですませてしまうのではなく、買うべきだ、と思っている。
必要があって(仕事にせよ生活にせよ)借りなければならないものも多いし、
いわば「試聴」のつもりで新譜を借りることもあるけれど、
流行が終わる頃までには「買うべきかどうか」が決められる。
「流行」そのもののように、常に最新のものを知らなければ意味が無いなどとは思わない。

だから、私がCDを買うのは、流行る前か後だ。
エヴァは、流行っているのかしら?
よくは知らないけれど、……まあ、いいや。

流行は世相を反映するけれど、
決して音楽そのものの良し悪しと直接つながっているわけではないのだから。

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2002年12月28日(土) 原案帳メール

★1・先週のこと
★2・「眠剤でチコク(T_T)」……をいをい



★1・先週(あれ? 「今週前半」じゃん)のこと

20021222・静岡ラブソング・ライブ

200212244・Harry Potter #2
を、今書きました。

今は、まだずっとEva Cassidyを聞いています。

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★2・「眠剤でチコク(T_T)」……をいをい

まいったなー……
---------------------------------

From: "章香(あやか)"jackie-matthews@ezweb.ne.jp
To: ayaka@jackies.jp、他(略)
Sent: Saturday, December 28, 2002 9:13 PM
Subject: 眠剤でチコク(T_T)



ママには連絡済みですが、眠剤使って寝たら今まで爆睡してしまいました(>_<) 
11時頃には出ます(早い時間の団体さんがいないことを願います)
みなさん、ごめんなさい!!
from じゃっきー@ちょっとダウン気味

---------------------------------

体が動くようになってきた。
でかける支度を大急ぎでしなくては。
[21:34 02/12/28]

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2002年12月27日(金) プラス志向(思考)に!

★1・歌ったらチップがもらえた!
★2・エヴァ・キャシディ

嫌なこともあったけど、いいコトだけを書くように心がけたい。
ていうか、そういうのは「葦原に穴を掘ってその中に叫ぶ」ようにしよう……
「女王様の耳はロバの耳〜〜〜〜〜!!」
 (↑わかる人にだけはわかってしまう言い方;私ってワルい子)
…… ああ、すっきりした(^^;



★1・歌ったらチップがもらえた!

ビギンの『恋しくて』が、私の割とまともに歌えるレパートリー。
といっても、インチキ・ジャズヴォーカル? ていう程度のもの。
間奏とエンディングが長い曲なので、その間にジャズVoのアドリブみたいなのを入れたりする。

で。
今日のお客さんのうち……
・ひと組は「昨日も来た人が誘ってきたらしい」→「カラオケをたくさん歌うのが好き」
・あとのふた組は「じゃっきー(お願いだから本名で呼ばないでぇ〜〜(^^;)に呼ばれて来た」
・そのうちひと組に「ゴスペルの先生」がいた→つい張り切っちゃう気分に……

なんか、終わりの方は頭が酸欠でクラクラしそうなほど(ある意味「しつこく」)
歌い上げた。
出来る限りうるさくないように、とも心がけたので、
声量が大きくなってしまう高音域はマイクを離し気味、
呟くような声になってしまう低音域はマイクに口つけるほど近づけて、
(ってホントはそんなの常識だと思うけど、知らない人がかなり多い)。

……そしたら。
大喝采!! + おチップをくれた人まで(最初の組の「昨日も来た人」)!!!!

歌を歌ってお金をもらった、と思えたのはこれが初めて。
(以前バンドでやってた時は、あくまでベースを弾くことにお金を支払われていたので)

とにかく嬉しかった。

とても古い歌だけど、こんな歌詞の曲が:

♪小さなバンドで歌を歌って
 あの日 初めて お金を稼いだ
 音楽に溢れるデリーの街
 とても 忘れられない

(『私の愛した街』横井久美子・訳詞 より抜粋)

歌い終わって、ちょっとくらくらしながら、
その歌のことを思い出していた。
もちろん、「小さなバンドで……」というのは女性。
私もそうなりたかった、と強く思いながら
愛した歌だった。

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★2・エヴァ・キャシディ

1996年、33歳で惜しくも癌でこの世を去った不世出の歌手、Eva Cassidy。
この歌手のことを知ったのは、つい最近のことだった。

お店の先輩(でも年は私より10歳以上下)の朱梨ちゃんが
フィギュアスケートの「ミシェル・クァン」の演技を見て感動し、
その時にかかっていた曲を探すようになったのだそうだ。

私も何かお役に立てれば、と思って音源を捜し、
「ゆうせん」へのリクエスト(ただし地元じゃなくて東京)で
2テイク発見し、かけてもらって録音して、
朱梨ちゃんにプレゼント♪

「ちょっと違うかも……?」

とのことで、これは何かまだあるのでは、と思い、
歌ってる人の名前が「エヴァ・キャシディ」であると聞いたので、
思い切ってネット検索してみた。
(最近ようやく慣れてきたけど、ネット検索は辛いわ〜。
だって、役に立つかどうか判断しなくちゃならないし、
検索語によってはぜんぜんダメダメの内容しか引っかからないことも多いし……)

そしたら、この記事の冒頭にも書いたように
「1996年に死亡」! ちょっとショック。

この際だから買っちゃえ、と思って、Virginに問合せてみた。
(このときはまだ、amazon.co.jpの使い方がまだよくわかってなかった)
「輸入盤でしたらありますが」
とのことだったので、即注文!

一昨日、ようやく届いた。
Eva Cassidy "Songbird"
(詳しい情報を見たい方は↑の行をクリックしてください)

よくよく他のアルバムと比べてみると、このCDは「ベスト盤」なのだった。

で、早速MDにダビングして、お店に持っていき、
みんなにも聞いてもらった。

朱梨ちゃんが、殊のほか喜んでくれた。
なんか、そこまでのことをしたわけじゃないのに、と、
ちょっとばつが悪かった(^^;

で。
この際だから、朱梨ちゃんにCDのほうをあげて、
私はMDにしっかりタイトル入れて持っていることにしたのだった。

……でも。
私、もう1枚くらいなら自分の分としてCD買ってもいい、と感じる。

理由は、このエヴァ・キャシディという人は、
オリジナルもあるらしいけれど、どちらかといえば「カヴァー曲」がいいのだ。
私は"Sonbird"の中に
'Over The Rainbow'と'Autumn Leaves(枯葉)'があるのを見つけて
実際に聞いてみてもとても良いので、
この2曲のためだけでも買っていいかも、と思ってしまったのだった。

……
そして今、ダビングしたMDをエンドレスリピートで聴いています。

とても癒される声です。
今は天上にいるのだと思うと、
その声がまるで天界から聞こえてくるかのような気さえします。

この年末に、とても良い音楽(=人)との出会いをしている、と思います。

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2002年12月26日(木) 贋作「赤い…」シリーズ?

★1・男だった頃のワタシ



★1・男だった頃のワタシ

今、[9:54 02/12/26]。
たった今、目が覚めたところ……ていうことは。
目覚めてすぐに「原案帳」を書く、というのは、つまりは「夢」のことを書く、ということ。

昨夜、お店のママとおかしな会話をしたからかなあ……?
すっごく、ヘンな内容だった。

夢の中で、私はまたしても「男だった」。
(未練でもあるのかよ)

ていうか、少なくとも「男役」だった。
お芝居かテレビドラマの中の出来事、という設定だったのだ。
(でも「宝塚」とかのキレイなお話じゃなく、もっともっとどろどろしていた)

相方は、なんと「山口百恵」さん!
(全国の百恵ファンの皆さん、ごめんなさいっ!)
で、なんかどっかずれた「赤い〜」シリーズのお話みたいなことをやってるのだった。

難病にかかっているのは私。
でもそれは百恵さんがやってたみたいなキレイな病気とかじゃなく、
近寄ると感染してしまう?ような。
副作用とかで姿が醜くなっていってしまう、とか。
そういうタイプの病気だった。
(難病に対する一般的な偏見って、あんがいこんなもんじゃない?
書いてしまうと物凄くチープだけど、今でもまだまだこういう偏見は
はびこっているような気がする)

なんでも、「目の病気」だった。
……!? 「目の症状」が出る、とっても一般的な病気、あるぞ!?
それは「糖尿病」。
(うちの長兄が糖尿病で命を落とした。医療ミスもあったらしいが、詳細は知らない)

で。
話を元に戻そう。
夢を見ている最中から、私はああだこうだと感想を思い浮かべていたような気がするけど。

お話の中で、私は百恵さんとお付き合いしているのだった。
私が「男として」のお付き合いだったけれど、もちろんそれは設定。
周囲の無理解に対して、百恵さんが私をかばってくれた。

院外の誰か(不特定多数? マスコミの取材か何か?)に対して、
なんかあれこれ「宣言」してくれていたのだ。

……で。
あれ?
百恵さん、なんで「昭和51年生まれ」っていうことになってる!?
実際よりも18歳前後若いじゃん。
私が「昭和36年生まれ」なので(自分の生まれ年くらいなら、元号でちゃんと言える。
ま、その他はほとんど「元号つき」ではまともに言えないし理解できない、
ましてや計算もろくろく36できない、「非国民(笑)」な私……)
確か百恵さんは本当は「昭和34年」ごろの生まれだったはず。
……で?

ええっと……

ああ、わかった。
私がいつの間にかその「百恵さん」よりも年上になってしまっているので、
それがおかしいと思って計算していたんだ。確か。

私と百恵さんは、当然のことながら「ラブラブ♪」だった。
けど、なぜか同じ病院の中にいるのだった。
ひょっとして彼女も入院中? あ、そうだった。

お互いの症状について、なにやら会話してたっけ。

で。
当然なんだけど。
私と百恵さんは「レズビアン」なのだった。
(別にえっちした、とかそういうことじゃなくて、
人間関係のあり方が、です。
えっちな夢だったら、あたたかく心にしまっときますよ。
私だって、人並み未満ではあるけれど、その程度の「つつしみ」はあります)

おお、そうだ。
私が本当に男を演じていた頃の感覚と、同じだ!
私は、体まで見事に男の形をしているけれど、
どんなにがんばっても「レズビアン」にしかならないのだった。

(うそつき! それなのにどうして子どもができた!?
――そりゃ、あんた、「男らしくしよう」と思って「鍛えた」からよ!(爆笑)←男なら、わかるでしょ?
このへん、ぜんぜん筋が通ってないけど、どうかお気になさらぬようお願いいたします。
夢です、夢。これ、とにかく夢なんですってば(-_-;)

とかなんとか言ってるうちに、場面が微妙にズレて。

なんか、お芝居のことで、誰かが批評だかなんだか、
わかったようなことを言ってるのが聞こえた。
「それじゃ贋作じゃないか。オリジナリティがない。
贋作しか書けないんだろう」……

言われてるのは私で、どうやら私が関わっている作品のことらしかった。
そのうち、場面が舞台みたくなって……
でも、舞台というより「お化け屋敷の中?」みたいな雰囲気で。

何か赤系の照明と、とても醜い顔が、バーンと私の視界に入ってきて。
「顔」はあたかも「贋作だよよよおーーん」と、周囲をばかにしきったような表情。
まるで「所詮、何でもかんでもニセモノよ」と言わんばかり。
不快だった。
(これが何のことか、はっきりと思い当たるけど、ここには書かない。
ネットとは関係ないけど、特定の人に対する誹謗中傷になりかねないから)

赤くてどろどろしたもの。

……おお、そうだ!
あんまり理解できないままに見ていた「赤い〜シリーズ」(山口百恵さん主演)に対する、
私のイメージ。

って、それが言いたかったんか、あんた?>自分

ま、いいや。
だいたい、見たままの「夢」です。
本物の「夢」が、ナマのままだといかに支離滅裂か、というサンプルみたいになっちゃった。

あ、ダメだ。
また眠たくなってきた。
眠り姫はまた……zzzzz....

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2002年12月25日(水) 私の音楽履歴っていうか遍歴

★1・私の音楽遍歴



★1・(っていうか、まだくよくよしてます)

昨日、過去の音源のうち、東京の時代の一部のものを除いて20年分にわたるものを
MD1本に編集してみて、
またブルーになってしもうた……(鬱

まあいいや。
こういう「くよくよするオトコモード」っていうのも、なんだか久しぶりだし。

で、なんとなく、私の音楽に関する「履歴」のようなものを
ここに書こうと思う。
いやー、他人から見ればどうでもいいものだということは
重々承知の介なんですけれど。

では、以下のとおり:

幼少時:父・兄・姉の蒐集していたレコード(SPも含みかなり多数)を聞きまくる。
   (レンジがめちゃ広かった! だって、世代がすごく離れてるから、
   明治生まれでなおかつジャズラテンシャンソン好きの父のセンス、
   賛美歌を台所で歌う母のセンス、
   映画音楽好きの長兄のセンス、
   ジャスト「ビートルズ世代」の姉のセンス、
   みぃんなもらっちゃったもーん!
   (しかも「子守唄がわりのクラシック」まで!)
   但し「演歌」はこの家では流れたためしがなかった……なんでやねん?
   だから、私は生育環境の中に演歌がほとんどないのです(;_;)
   っていうか「洋楽中心」、それも渋めのものばかり(^^;)

1970頃から:(小4?)縦笛大好き♪

   実は、このあたりのことって「変声期」と関係あるのかもしれない。
   私は女性アイドルの歌を歌うのが好きだったけど、
   ふと気が付いたら声変わりしていて、
   女の子の歌をぜんぜん歌えなくなってしまっていたのだった!!
   だから、私の代わりに高い音の出るソプラノ・リコーダー(←小学校で教わるふつうのやつ)に
   歌わせるのだった。

1972:(小6)鼓隊(笛は入ってない;太鼓だけ)に入る。小太鼓担当。
   リズム感養成ぢゃぁ〜!!
   (あと、女の子が中心になってるのも気に入った。
   「私も一緒」って思えたから)

1973:中学入学と同時に吹奏楽部に入部。アルトサックス担当。
   全体練習していて、自分が身も心も「音に囲まれる」のが、物凄く気持ちよかった。
   なんか、音に囲まれてる時だけは「幸せ」だと思えるのだった。

   この頃「文学」にも目覚める。
   かわいい男の子が好きだ、ということを誰にも言えず、
   でも何とかして表現したくて、詩とか戯曲とか小説とかに気持ちをこめるようになった。
   (会津里花・文芸編参照)

1976:高校部進学前に合宿に出られず、親を恨みながら吹奏楽部退部。
   でも、なぜかバリトンサックスで「助っ人」やってた。
   せめてもの「抵抗」だった……(でも「中途半端」だった)

1977:バンド結成。ベース担当。このとき、初めて本物のベースを入手、ハマる。
   (それまではギターの下4弦をオクターブ下げてチューニング、という
   今思うとかなり無謀なことをしてビートルズポール・モーリア(^^;をコピーしてた)

1979:大学入学と同時に「合唱団いぶき」という「うたごえ」系の合唱団に入団。
   「合唱とバンド」という形態、「青空うたう会」というパフォーマンスに
   とても新鮮なものを感じた。(まさか20年もたってから普及するとは思わなかった)

   毎年各1回、県内のどこかの地域に入って夏合宿〜演奏会開催、それと定期演奏会を開催。
   毎週「うたう会」、時々「団内コンサート」、「集団創作」と、活動内容は豊富。
   担当は、バンドのドラム(初めはベースじゃなかった;ていうか当時ベース担当の先輩、女装趣味?だったらしい;
   なお念のため、この先輩はちゃんと男としての人生を無理なく送っています)

1980:才能を買われ(?)「指揮者」「バンドリーダー(兼ベーシスト)」「市学生うたごえ協議会担当」の3役を
   ダブルどころかトリプルブッキング。「どれを選ぶんだ」とみんなに迫られ、怖かった。
   (ていうか、自分でそのくらい調整しろよ、と今は思う;結果は↑の色のとおり「バンドリーダー」に)

1982:隣りの市(来年4月に消滅予定)を中心に活動するバンド「Love Cats」に加入。
   なんと、サックス(アルト、テナー)担当。実はベースの座を虎視眈々と狙っていたが、
   そのベーシストに誘われて入ったのでそんなことはおくびにも出せなかった。
   ライブ活動、多数。
   中でも「船上ライブ」は面白かった。清水港から大島〜新島を通って式根島まで行く予定が、
   海が荒れて新島までしか行けず。ドラムの人がシンバル一式忘れてきたり、とか
   なんかわけのわからないエピソードもあったけど、楽しかった。
   テレビ出演もした(もちろん地元民放よ(^^;)

1983:合唱団いぶき「'79(年度入学生)卒団コンサート」開催。
   前年に参加した「Love Cats」に夢中で、82年中は「いぶき」は疎かにしていたのだった。
   (実はもう一つ理由があった;学部に移行して入った「経済法ゼミ」のテーマが「清水市」だったので
   バンド活動と微妙にリンクして、それも楽しかったため、すっかり夢中になっていたのだった)

1984:大学卒業後、東京へ行って「センター・レコーディング・スクール」入学。
   これはレコーディング・エンジニアになるための専門学校。
   (ただし1年制で学校法人じゃなかった。それでも就職率はバツグンで、
   卒業してからその方面に就職できなかったのは私1人だったらしい(鬱)

1985中央合唱団第118期研究生に入門。
   ここもうたごえ系(だから入った)で、うたう会、コンサートなど、活動豊富。
   もちろん政治絡みで、音楽的な力量にはやや疎いところも。

1986:研究生終了後、なぜか合唱団員にはならず、東京都小平市中心に活動する
   「ハミング・チューチュー」といううたごえサークルに参加。
   理由は、「ここなら『うたごえ+バンド』ができる」と思ったから。
   うたう会、コンサートなど活動多数。
   政治絡みでも質の良い音楽が作れる、という感覚も、ほんの少しだけど得ることができた。

1987:「ハミング・チューチュー」内部のアンサンブルユニット「回転木馬」に参加。
   どちらかといえばフォーク系。
   目指すものが高い割に音楽的力量が低いのが辛かった……
   上手な人もいたけれど、下手な人を「排除」することができなかった。
   「排除」していいのか悪いか、今でもわからないけれど、
   「下手でも一生懸命やってればいいじゃん」というのが嫌だった。
   それは自分たちが言う言葉じゃなく、人に言われて初めて許せる言葉なのだ。

1988:確かこの頃に「ハミング・チューチュー」脱退。ていうか行けなくなっちゃった。
   (女絡み)←今思うと、はっきり言って「バカ」としか思えない。
   (お付き合いした人たちには申し訳ないです……だってその人たちのせいじゃないもん)
   で、恨みがましく「人間性悪説」とか書いてた。

1989:完全な抑鬱状態で帰郷。
   実言うと、半年くらいぼけーっとしていたかったんだけれど、
   (それこそ「どっかの劇団に入って女役をやってみたい」とか思っていた)
   「結婚のために退職」したんだから「専業主婦」になれると思ったらそんなことはなくて、
   あくまで(相手の家に入るのであっても)「主な収入源は夫が稼ぐ」というのが常識(?)だったらしく、
   元パの強い圧力で「まともな会社に就職」しちゃったので、音楽活動する余裕なし。
   (たぶん、このあたりから人格のゆがみが修復できないほどに大きくなっていったんだと思う)
   何一つ考える余裕なし。
   (↑ていうか、書いてる私は意味わかって書いてるつもりだけど、
   読んでる人、意味わかります?)

1990:それでもしつこく音楽活動再開。
   確か、宇崎竜童が作った清水みなとまつりのテーマソング「カッポレファンク」を
   「地元バンドで」ということで、寄せ集められたのでした
   (by Love Catsのベースだった親友……故人(;_;))
   そこから少しずつ、地元のミュージシャンの輪の中に入っていった。

1991ビートルズバンドをやる、ということで2つのユニットに参加。
   そのうちの片方が「Get Backs」とか「Lucy」とかいう名前で活動を継続するようになる。
   私にとって「レベルの高いバンドへの参加」ができて、嬉しかったので、しがみついた。

1992:妻(=元パ)、妊娠、出産。
   だけど私は「自分が父親であるためには、しっかり音楽活動やっていなければだめだ」と
   強く感じていた。
   そんな中で、超どアホウの私は、なんととある女の子にモーションかけられて、
   「浮気」してしまった。
   元パ、大ショック!! きっと「音楽活動=モテる→浮気」という図式が
   彼女の中に定着したのだろう。

   でも、言い訳させて。
   私だって「大ショック!!」だったんだから。
   「男をやってるとこういう目に遭うのか!?」って。
   ていうか、実は私「カッコイイ男」でモテてたらしいんだけど、
   私は自己評価が極端に低いので、そんなことまるっきり信じてなんかいなかったのだった。
   今思い返すと「ああ、あれって『モテてた』のか」と思い当たることがいろいろある。
   気が付けば予防もできたんでしょうけどね……
   ほんと、ばかだねー、私。

1993:そんな中、会社から「タイに駐在しろ」と命じられ、ライブの予定が気になっていた私は
   「考えさせてください」と返事して、クビになる。アホもいいとこ。

1994:今思うとねじくれまくった理屈だけど
   「音楽活動しないで仕事に専念するため」に、
   音楽活動と時間帯が重なる「塾講師」として某地元大手予備校に就職。
   でも、「楽器をチョークに持ち替えた」と考えると、
   生徒たちの前でパフォーマンスすることにもなるし、
   「ある面では」音楽活動と似たところもあって、それなりに充実し始めた。
   それに、会社も質の良いところだったし、生徒との関わりから教えられることも多かった。

   以後、1998年くらいまで、目立った音楽活動は一切できなくなった。
   (1日16時間働いたら音楽やってるヒマなんて、あるわけないでしょう!?
   大した業績もあげられず、うだつの上がらない立場だったけれど、
   それでも一生懸命「生徒のため、会社のため、そして自分のため、家族のため」と思ってがんばった。
   実は方向が間違っていたところもあるけれど、
   無駄があっても精一杯努力した当時の自分を、私は誉めてやりたいです)

   予備校就職、っていうか第一子出産+第二子流産、というあたりから
   (っていうことは96年前後? それとも92年頃? それすらまともに覚えてない)
   「これ以上男を続けるのは無理みたい」と思い始める。
   でも、97年暮頃からインターネットにつながるまで、
   自分が考えていること(=性転換)が実現可能なことだとは、夢にも思っていなかった。

1997:予備校で「小中学部」から「大学受験部(高校部)」へ異動。
   それまで以上に難しい内容の仕事になり、もうマジ、本当に仕事以外のことは考えられなくなった。
   音楽どころか家族に対してもまともなケアをしてやれなくなった。

   (それに、恐るべき「共依存関係(?)」にずぶずぶとハマってしまい、
   浮気でもないのにまるで浮気しているかの如く元パに非難されるし、
   どーすりゃいいのよ、私!? って感じぃー)

1999:「音楽礼拝」をする教会を紹介され、そこに行ってベースを弾くようになる。
   「これで生きていける」と思った。
   (でも、96年頃から抱えていた「共依存関係」のせいで、私の心は病んだままだったし、
   教会の音楽活動だけではたぶん解決しきれなかったのだろう)
   更に、私が牧師に「トランスセクシャル」をカムアウトしたら、
   牧師は私に「じゃああなたはベースを弾いてはいけない」と禁じられてしまった。
   「悪夢の年越し」を体験。

2000:トランス(性転換への道)で忙しく、音楽活動どころじゃなかった。
   離婚もしてしまったし。
   あ、でも離婚前後のエピソード:
   1人きりでだだっ広いマンションの生活をする私は、寂しさを紛らわすために
   「まだ」マンションの方に「おきっぱなし」になっていた元パのピアノを弾きまくり、
   ご近所から苦情を持ち込まれたのだった。
   これもおばかな話だけど、あの頃僅かでも生のピアノに心置きなく触れたのは、
   小中学校の頃に父が買ってくれたエレピ(←といってもちゃちなものだったけど)、
   中高校の「カトリック研究会室」に置いてあったピアノ
   大学に入ってから「ピアノボックス」にあったピアノ
   それ以来だったのだ。
   実は私の周りにピアノは必需品だった!?
   
2001:どうにかSRSまでこぎつける。これで私は自分が生きていくことを許せるようになった。
   でも、精神の抑鬱状態は極限まで達していたし、
   それを少しずつほぐしていくだけで、少なくとも年の前半はすっかり費やしてしまったと思う。
   後半から、少しずつ「ゲイジュツ全般」を再開。
   (小説……といっても整理するくらいが関の山だったけど;
   演劇……ちょこちょこ物色し始める;
   でも、音楽活動は始められなかった。
   だって、それで「男に戻る!?」かもしれない気がしていたから)

2002:「伽藍博物堂」にて、演劇活動スタート!!
   その中で、「リッキー」こと松永力くんが、音楽活動も並行してやっていて、
   私をベースで誘ってくれた。
   で、半ばなし崩し的に音楽活動再開♪
   これでいいのだ。

これからの私は「芸術系表現者」として、やりたいことは全てやっていこうと思う。

小説(詩はもうちょっと無理かなあ……でも、気が向いたらいつでも)、

演劇(相変わらず練習サボってばっかりだけど……ていうか体力が落ちすぎでなかなか全面的には関われない)、

音楽(これからが楽しみ♪)、

もしかしたら踊りも?(「お店」でやってるけど、はっきり言って「今さら」って感じ。
若いうちからの蓄積がないので、他のジャンルのようにしっかりとはできない。
それに、やっぱり体力落ちすぎ(鬱)

そうそう、「お店のショウタイム」もやっぱり、「芸術」だと思う!
っていうか「ゲイジュツ」かな。

ただし、私はそういう「芸術系」の何かを「まとめる」存在にはなれないと思います。
だって、私をよく見ている人はわかると思うけれど、
私って何やっても「やりっぱなし」じゃない。
だんだん直すようにしたいけれど、

今は表現することに夢中なの。

これからも、っていうか来年はもう「2003年」だよ!!、よろしくお願いいたします!!!

って、あらあら、とりとめもなく書いてたら、年末総決算+来年への抱負、みたいになっちゃった(^^;

ま、いいか。
(ここまで書いたら、さすがに鬱々状態も少しは解消してきたしね(^_-)~☆)

長文にお付き合いくださった方々に、心からお礼申し上げます。m(^_^)m

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2002年12月24日(火) 戸籍の性別訂正……困難な道のり 「希死感」

★1・困難な道のり
★2・『セクササイズ58』読後感
★3・希死感
★4・Harry Potter #2



★1・困難な道のり

東京新聞 12月22日(日) より

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性同一性障害

また性別訂正却下 東京家裁

 身体の性別に強い違和感を持つ性同一性障害のため、埼玉県川越市の埼玉医大で女性から男性への性別再指定手術(性転換手術)を受けた三十代の当事者が、戸籍の性別の訂正を申し立てたのに対し、東京家裁は二十一日までに却下した。

 医学界公認の性転換手術を受けながら、戸籍の性別訂正が認められなかったのは、関東地方の別の家裁による八月の審判に続き二件目。当事者は却下決定を不服として抗告した。東京家裁は、性別の生物学的側面のみに基づき「出生時は外性器のみならず染色体についても女性であったことが明らか」と指摘。戸籍法上、訂正の理由となる「錯誤」があったとはいえないと判断した。

 ただ、当事者側が主張した性別の精神的、社会的側面などには言及しておらず、この当事者は「審判官の面接調査もなかったし、ちゃんと審査してくれたのか」と反発している。

 性同一性障害の治療としての性転換手術は四年前、埼玉医大が日本精神神経学会の指針を基に開始した。この当事者を含む六人は昨年、「手術で体が変わっても、戸籍が変わらなければ、結婚も就職もできない」と、関東や東北各地の家裁に一斉に性別訂正を申し立てていた。東京都小金井市議会は九月、性同一性障害者の戸籍の性別訂正を可能にするよう求める意見書を可決している。


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当事者の多くが、このニュースにショックを受けているようです。
諦めの雰囲気すらあります。

やっぱり、きちんとした法整備を待たなければならないのでしょうか。

私の場合は……?
私自身は、性別訂正の必要を感じていません。
それは、他の多くの当事者の足を引っ張ることになるのでしょうか。

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★2・『セクササイズ58』読後感

なんと、著者である「杏野丈」こと針間克己先生のところの掲示板に
思いっきり感想書かせてもらいました。

本そのものに興味のある方、この行をクリックすると「amazon.co.jp」というところに飛びます♪
(杏野丈センセの個人的なリスト?になってるみたいだけど)


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[2902] 「セクササイズ58」読みましたよ〜♪ 投稿者:あいづ 投稿日:2002/12/24(Tue) 01:53

遅ればせながら、表題の本、通読できました。
針間先生のお人柄がよく出ていて、何度もバカウケ、大笑いさせてただきました。
もちろん、「前向き」な気持ちで♪

出版された1999年といえば、私が前年(1998年)に元パに対して「私は心が女だ」とカムアウトし、
それでも一緒に暮らしていけるかどうか試そうとした矢先(99年9〜12月)に
彼女に突然子どもを連れて逃げられ、
一人っきりで本当に辛い年末年始を過ごしたのでした。

あれは本当に惨めだったし、私の抑鬱感もピークに達していました。
(明かりもつけず、テレビもつけず、教会の年越しに出ることも拒否されて、
私は真っ暗でがらんとした3LDKのマンションのだだっ広い部屋の中で
除夜の鐘も聞こえず……だってその当時住んでいたマンションは
彼女の要望で彼女の実家の近く、かなり「田舎」にあったので、
たぶん近くに除夜の鐘を拍つお寺もなかったのでしょう……
それ以来、年越しをまともにやる気がしません。空しいもん)

あの時、この本を私が読んで、それを更に元パにも読んでもらえれば
(たぶん拒絶しただろうけど、根気良く奨めれば読んだかもしれない)
むしろ元パにとってまだ許せる範囲が見つかったかもしれないな、と
ふと思いました。
まあ、過去に「if」はつきものであり、また同時に空しいものなんですけれど。

今では、私は「途中まででも『男性』として生きる体験ができてよかった」と思っています。
その最大の協力者であった元パに、感謝したいです。

もちろん、今は徐々に女性としての自分を自分でもしっかり受け入れ、
安全感のある状態で生きられるようになりつつありますけれど。
……って、こう書くと「オマエはMtFかFtMか?」と言われるかも?

まあ、いろんな人がいて、私は私のケースで、
ちょっと変わってるかな、ということで。

(お願いだから私に対して「結婚相手に逃げられるような男のクズ」みたいな誹謗中傷は
やめてくださいね。
ま、最近は私、そういうことを言う人に対しては
「弱虫!」
という言葉を投げつけようと思っていますけど。
男・女以前に人間として料簡が狭すぎると思う。
こううい生き方をしている私だっているわけだし、
「そんなの(その人に固有の価値観で言えば)信じられない」という人だっているでしょう。
でも、価値観が違うからといって、私に攻撃をしかけないでほしいです)

実は今、熱があるので、なんかだいぶ荒れそうなこと書いてる?

でも、正直、針間先生の本を読んで、
私が無理やり「男を演じていた頃」、
いろいろと男性になるためにアホな努力してたんだなあ、と思ったもん。
苦笑とともに針間先生の患者さんたちに(一部ですけど)共感できる自分に、
精神的な余裕ができてきてよかったと思います。

私はあいにく、距離の問題とかで針間先生の患者になることはできないし、
ならないほうが貴重な人間関係を維持できるような気がするので、
私自身の精神療法については、地元の心療内科医とカウンセラーさんに
信頼をもって受診しています。
(先生自身よりはカウンセラーさんにだけど)感謝していますよ♪

なにわともあれ、杏野丈先生、針間先生によろしくお伝えください。
私、針間先生、杏野丈先生の語り口、大好きです。

長文になってすみません。
ではでは

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途中、みっともない言い訳しているところがあるけれど、
杏野丈、じゃなくて案の定、噛み付いてきた人がいました。
その人と議論ができてよかったな、と思いました。

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★3・希死感(←注:造語です)

あうう、やだー。

昔のライブの音をちょこっと編集したら、
なぜかものすごく死にたい気がしてきちゃったよー。

って書いたら、その思いが逆にものすごくばからしいのに気がついた。

『希死感』。
「既見感(=デジャヴュ)」の発音に引っ掛けて、こんな言葉を作りたくなるような、
そんな心境です。

音楽をやってた私は、とても輝いて素晴らしい、かっこいい人間だった。
それを認めなかったのは、私が父からかけられた呪縛によって
自分のやっていることを正当に評価することを決して許さなかったからだ。

音楽続けることができたら、私は男のままで生きていてもよかった。
音楽ではなく、女にふらふらしたから、私は音楽を捨ててしまった。
そうか。
私の正妻は音楽であって、人間では決してその代わりはできなかったんだ。

どうしよう。
元パに過剰な要求を突きつけてしまったんだ、私は。
「音楽の代わりになれ」と。
かわいそうなことをした。

……と、まだうわごとの続きかよ。
熱は下がってきたんだけど。
気持ちがささくれる、メリークリスマスでした。

ああ、こんなんだったら、彼にもっともっと、
他のことをすっかり忘れてしまうくらい、
抱きしめてもらえばよかった。
って、もう遅いんだけどさ。

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★4・Harry Potter #2

原案帳メールより:

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From: "章香(あやか)"jackie-matthews@ezweb.ne.jp
To: ayaka@jackies.jp
Sent: Tuesday, December 24, 2002 7:19 PM
Subject: 原案帳:Harry Potter2



今、突然思い立って『ハリー・ポッターと秘密の部屋』を、字幕版で観ています。
途中からだけど、あと一度上映するので、それまでの間、イングランドの英語に慣れておきましょう。
あんまりカチカチやってると、音というより光が邪魔っぽいと思うので、このへんで。

本音:一人きりで観るのは、ちと寂しいな……


---------------------------------

From: "章香(あやか)"jackie-matthews@ezweb.ne.jp
To: ayaka@jackies.jp
Sent: Tuesday, December 24, 2002 7:41 PM
Subject: 原案帳:Harry Potter2〜その2


そういえば、この映画、3時間もあるんだよね(-.-;)
今19:36、上映の最終回は8時から……

その間に一眠りできちゃうよ(^_^;
4時間の時間潰し。
んまあ、なんて贅沢ですこと!
をほほほ……f^_^;


---------------------------------

From: "章香(あやか)"jackie-matthews@ezweb.ne.jp
To: ayaka@jackies.jp
Sent: Tuesday, December 24, 2002 8:08 PM
Subject: メモ


ディカプリオの主演作。
『至福のとき』香港映画?
でも、これも観たいな……

怖い映画は、今はいや。


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2002年12月23日(月) うへ〜…… 「夢シリーズ」最新作

★1・熱にうかされて見た夢とは……

今だいたい夜の8時頃だけど、はっきり言ってまともなことが未だに書けないほど疲れてましゅ。
昨夜は偉大な経験をすることができて、めっちゃんこ嬉しいけれど、
体力のことを忘れてしまっていたのでした。
で、今日は1日中寝てます。
(店長、ごめんなさい!!!!!! ……まじ、申し訳ないっす。
でも、このとおり、ダメなものはダメっす。
ご迷惑おかけしてすみません)

5文字に1字くらい誤字脱字やってる。
朝8時、10時、1時半、3時、5時、あと今(8時)、目を覚ましたけど、
ちゃんと起きることはできなかった。

……

でも、いい。
あんなに素敵な体験ができるのなら、
その後すぐにぽっくり逝ってしまっても、かまわない、と思う。

私にとって、音楽ってそれほどのものなのよ。
だからこそ、体力の限界を超えるまで歩き、演奏し、飲むことができたの。



なんか、ごちゃごちゃ言ってますが。
たぶんうわごとだと思うので(全身の関節が痛いし、リンパも腫れてる?)
気にしないでください。

と、同情を買おうという根性だけは忘れないのでした。

あううう、何ばかなことを。
やめたやめた。寝よう。
(寝るとまた、あの東南アジア絡みのサスペンスみたいな夢でも見るんだろうか?)



★1・で、その夢って……

「東南アジア絡みのサスペンス」って、あんた、大げさな……

でも、見てから少し時間がたってしまっているので、
生のままじゃなくて、解釈も交えて。

(だいたい、睡眠中に見る夢なんて、
目覚めた瞬間からもう忘れ始めてしまうので、
何らかの「解釈」抜きには語れないものなのですよ)

時、不明。

場所、東南アジア……たぶんラオスかベトナム?

その、どういうわけか「収容所」のようなところ。
そこに「ボク」は潜入していたのだった。
(なんで一人称が「ボク」かって?
男のほうが身体的な危険に対して防御しやすいと思うから……だと思う。
なんか、ズルいけどさっ(-_-;
あ、それから、念のため、「男性のほうが安全」といっても程度の問題で、
身体的精神的性的暴力のいずれも、女性に劣らず男性も遭遇する危険は免れないこと、
わざわざ書いておきます。
私にも偏見はまだあるようだけれど、事実はそういうことなんです)

「収容所」は、男女を問わず、たぶん学齢期全般(小学校〜高校くらい?)の
子どもたちが収容されているのだった。

なぜ収容されているのか、今思うと理由があまりはっきりしない。
なんか「プランテーション農業に従事させるため」みたいな、
某地元で有名な予備校の中3のテストにでも出てきそうな模範解答だな。
(ホントに作ったことアリ……今から6〜7年前に「中3統一テスト」を受けた人は
私が作った社会の問題を解いたのです(^^;)

私、じゃなくて「ボク」は、なんだかその収容所で何か特別な立場にあって、
そこにいるんだけど決して「収容」されているわけではなく、
身体的自由を奪われてはいなかった。

……ああ、そうか!
この夢の状況の基本的な場面設定って、
私が10年くらい前にライブの予定と引き換えにクビになった貿易会社にいた頃、
タイに出張した時に、家具工場にカンヅメになってしまった時の情景なんだ!
なつかすぃ〜♪
(14日だっけ、15日だったっけ?滞在フリータイムを過ぎて19日バンコクの町を彷徨い、
出国の時に罰金払わされたっけ……)
だから「ボク」なんだ、きっと。

で、夢そのものの話に戻ると、
「ボク」はしばしば、子どもたちから何かをもらっては、
それを他の誰かに届ける、という役割を帯びていた。
はっきり覚えてないけれど、お菓子や手紙だったような気がする。

……うう〜〜〜〜ん、それで……

なんか、いいところを抜いてしまってるような気がするけれど、
なんだか知らないうちに「事件(?)」は終息してしまい、
私は家で寝ていて、……
……まあ、「夢」のお話なのでお許しください……
家族の誰か(複数)が私を見ていて、……あ、そか、これは覚醒しかけて
自分が今いる状況に気が付いたんだろうな……
でも「家族」はなんだか元パとかそういうような、
あまり私に優しくしてくれない人たちだったような気が。

で、ラストシーン。

「ボク」から私に戻った私は、それでも男もののスーツを着て、
山道、っていうか何かの「あぜ道」?のようなところで、
……ああ、あれは中高校の頃の、校舎裏の茶畑のあぜ道だ……
誰かと落ち合うのを待っていた。

待っている相手は、父だった。
父だって、カッコイイスーツを着ているはずだ。

……

これで、おしまい。
記憶どおりに書いてるので、
なんだかさっぱりわからないことが書かれていると思いますが、
何せ「夢」のことなので、どうかお許しください。

とりあえず、「夢」シリーズの何作目かになるんだけど、
過去のお話を検索することができない現状に、けっこうまじで悩んでます。
(Mちゃん、早く全文検索ツール、送ってちょうだい(^^;)

で、後で「これはもしや?」と思って測ったら、
体温が「37.7度」だった。
ずっと安静にしていてこれだけだったので、たぶん
起きれずに寝ていた間には38度くらいに上がってたのではないだろうか。

私が熱を出すなんて、数年に一度くらいしかないことなので、
発熱するごとに、
「よかった。私もいちおう熱を出すことのある、まともな人間なんだ」
と安堵のため息をもらしてしまうのであった。
ひねくれもんだね、私(-_-;

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2002年12月22日(日) 静岡ラブソング・ライブ(後から書きました)

★1・静岡ラブソング・ライブ出演



★1・静岡ラブソング・ライブ出演

原案帳メールより。
From: "章香(あやか)"jackie-matthews@ezweb.ne.jp
To: ayaka@jackies.jp
Sent: Sunday, December 22, 2002 5:45 PM
Subject: 原案帳:静岡ラブソング・ライブ



イベントに出るの、久しぶり!
楽しい!


---------------------------------

……当日はこれしか、書く余裕がなかった。

[16:10 02/12/28]記す

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2002年12月21日(土) 本末転倒な私。<反省+対策

けっっっっっきょく、昨日のお店ではボロボロになってしまい、
(お客さんに3回くらい「じゃっきー、眠そう」と指摘された)
定時より2時間も早く帰らせてもらってしまった。
(んで4時頃に寝て、……えーと、11時頃、ってそれが今か、ちょっと目が覚めた)

ほんと、時々(っていうか割としょっちゅう)やるけど、
こういう私、嫌(いや)。

<以前の抑鬱状態の私だったら、ここからあと20行くらい、
 自分がどれほどダメな人間か、とか、ほんとは誰が悪い、とか、
 はっきり言ってどーでもいーような言い訳をぐだぐだ書いていただろうけど、
 今はこの4行でやめておく。ていうか、余計なこと書いてる余裕がない>

「嫌」と思ったので、今日はしっかり対策を立てることにした。

1)枕元の本:
 *『死に至る病』(キェルケゴール):高校の頃から何度か読もうとしているが
  わけがわからなくて最初のページで止まってる。
 *『サルの百科』:例によって、私の「おかず」。ヘンタイもここまで来ればたいしたもの、と
  自画自賛している。
 *『最後の宦官秘聞』:けっきょく宦官のことを再評価するほどの内容ではないので
  がっかりした本。
 *他、14〜15冊くらい:本に囲まれていると安心。……σ(^^;?

……というわけで、「眠れるように」ということを第一に配慮した。

2)デパス飲んだ。(安定剤兼導眠剤)

3)元ちとせ『ハイヌミカゼ』をBGMに。(最近凝ってる中森明菜よりも考える余地が少ない)

4)もー、どーでもいいや。という気持ち。

……あ、効いてきた、デパス……

おやすみ。今日こそはしっかり楽しく、接客オーライ、千客万来!!!!
[12:12 02/12/21]

---------------------------------

[15:14 02/12/21]
目が覚めた。
よくこういうことがあるのだ。
とりあえあえず、トイレにいき、その後また布団にもぐりこんで
グレイネズミレムール(「サル」と呼ばれる動物のうち世界最小)と
ピグミー・マーモセット(サルのうち「原猿」以外のうちで世界最小)
の姿を見比べて、「どっちもかわいいなあ」と思うともなく思い。

で、ふと思い立ってこの日記エディタを開いて、こういうばかなことを書いてる。
はっきり言って、目が半分しか開いてない状態で書いてるので、
自分でも何書いてるかよくわからん。

ん、まだデパスが効いてるから寝れる。
次に目覚めたらお湯浴びてしたくする。
んじゃ、もいちどおやすみ……

---------------------------------

[17:20 02/12/21]
おお、予定どおりぢゃ。
今度はちゃんと起きて、ゆっくりじっくり、お店に出かける支度ができる。

……あれ? 外は雨かあ……。
ちょっとU2、じゃなくて憂鬱だけど、まあいいや。
今の私はお天気に勝ってる。意味はないけど、そんな気がする。

ふああああぁぁぁ……
夏の演劇講習会で教わった「猫の伸び体操」やって体を整えて、
しっかりお湯浴びてキレイなカラダになって、
お化粧……はしすぎない程度で……して、
行きがけに少し用事をすませて、と。
↑ぜんぶちゃんとできたら苦労はしないけどさ。

なんか、書いてるうちに収拾つかなくなってきたので、
今はこのへんで。

2002年12月20日(金) 「Cure House」やっと更新

★1・「Cure House」やっと更新!!



★1・「Cure House」やっと更新!!

ふえええ〜〜〜。
疲れた〜〜〜。
「Jackies Cure House」
http://www.jackies.jp/cure_house.htm

を更新しました。

既に運用を始めているのですが、
GID Survivors' Room(入り口)
http://www.jackies.jp/gidsr.htm

を作り、
GID Survivors' Room
http://www2.realint.com/cgi-bin/ja2ckie61/tbbs.cgi?ja2ckie61

への入り口としました。

「GID Survivors' Room」そのものは「会員制・IDとパスワードが必要」な、
「GID当事者の性暴力または性的侵入の被害者が辛い気持ちを吐き出す掲示板(ツリー式)」です。
興味のある方は、会津里花宛メールください

で。

結局、朝の9時頃から今[17:58 02/12/20]まで、寝ないでこんな作業をしてしまっていたのでした。

ううう、お店、だいじょぶかなあ……
(ていうか、この更新作業は早くやりたかったんだけど、
やればどうせこんなふうにハマってしまうに決まってると思っていたので、
ずっと先延ばしにしていたのです。でも逃げ切れなかったよぉ〜〜……)

他にも何箇所か、私のHP「文芸部長・会津里花!?http://www.jackies.jp」に
ちょこっとずつ変更したところがあるので、
よろしかったら捜してみてちょ。(たいした変更じゃないですけど)

ああ、……これで、あとは「リンクのページ」を使いやすいものにしなくちゃ……
これはお正月の仕事かな? ていうか、お正月はたぶんコンビニで手一杯になるのでは???

(結局「わかほりさん(=ワーカホリック)」なワタシ。なんでこーーなるの???)

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2002年12月19日(木) 血液型の話

★1・血液型は性格を決めない!!



★1・血液型は性格を決めない!!

うううーーーーーーん……
どうしても人に分かってもらえる言い方ができないようだ……
困った……

と、悩んでいるけど、
私が最近(といってもここ数年)思うこと。

「血液型で性格は決まらない」

たぶん、半分くらいの人が「そりゃそうだろう」と思い、
あとの半分くらいは「え? 会津、考え方変えたのか?」と思うかも。

ビミョーなんですよ、このことは……

誰か私以外の人が同じようなこと言ってくれないかなあ。
他人の言葉として聞けば、どこがどうわかりにくいかとか
判断しやすいだろうけれど、
私一人しか言ってないことだと
ぜんぜん客観的に見れないんだよね。

んで。

「血液型は性格を決めない」
影響はあるかもしれないけど。
でも、それにしたって「たまたまそういうふうに影響しただけ」で、
違った方向に影響することだって充分あり得る。

私の血液型に対する見方:

1)血液型は「体質」であり、性格には間接的な影響しか及ぼさない。

2)血液型の分布によって人間関係などに影響を及ぼすことがある。


……ああ……まためんどくさくなってきてしまった……

1)血液型は「体質」であり、性格には間接的な影響しか及ぼさない。
について。
思い浮かぶ例をいくらでも挙げてみよう。

a)例えば、「二重瞼で眉毛がとっても濃い人」がにっこり微笑むのと、
「一重瞼で眉毛が薄い人」がにっこり微笑むのと、
たとえその微笑の意味が全く同じであっても他人から見たら
ちょっと印象が違って見えるだろう。

b)例えば、太って汗かきの人と痩せてさらっとした感じの人が
それぞれ「お疲れさま」と言うのを聞いた時、
言葉の意味もそれに込める気持ちも全く同じだったとしても
その言葉を聞いた人はほんのちょっとだけれど違った印象を受けるだろう。

c)例えば、花粉症にかかっている人とかかってない人は
外見的には違いがわからないだろう。

上の二つの例と最後の例では、言いたいことが違う。

a)とb)で言いたいのは、要するに「遺伝的な理由で体のかたちが違えば、
全く同じ表現をしても受ける印象は(たとえ僅かにでも)違う」ということ。

一方、c)で言いたいのは、「(遺伝的であれ後天的であれ)体質そのものは
外見的に見えないものもある」ということ。

つまり、「血液型」というものが実は何か、といえば、

外見的にわからない(わかりにくい)体質

ということになるのである。

で、強いて言えば、体質のせいで、外的環境や内的環境のある面について
敏感だったり鈍感だったりすることもある、と。
それが「性格」に間接的な影響を与えることは、あるかもしれない。
ただし、「×型だったら必ず〜という性格になる」というようなことは
断言できないと思う。


2)血液型の分布によって人間関係などに影響を及ぼすことがある。
について。
これも、まとまらないけど思うことをただ列挙してみよう。

a)日本人の場合、A型が約4割いる。
ランダムに5人の人と出会えば、そのうちの2人が「同じ」A型である確率が高い。
そのせいか、時々
(私=B型にとっては決して当然とは思えないようなことを)
「いつでもどこでも誰でも必ず当たり前のこと」
であるかのように言うA型の人がいる。
もちろんA型の全員がそう、とは言わないけれど、たまにそういう人に出会うと
「だから野放しのA型はたちが悪い!!」と、かなり悪意を感じてしまう。

まあ、「野放しの〜型」が「たちが悪い」のは、どの血液型にも言えると思うので
A型だけを責める気はしないけど。

b)一方、やはり日本人の場合だが、B型は約2割。
5人に1人。
これってすごくビミョーだと思うけど、もしかしたらそのせいで?
「自分だけ違う」
と「社会に対する違和感・疎外感」を抱いている人があんがい多いような気がする。
私には、なんだか「5人に1人(約20%前後)」という比率がすごくビミョーだな、と感じられるのだ。
だって、比率の問題だけで言えばAB型のほうがもっと少なくて「10人に1人」だもん。
でも、AB型を見る限り、「自分だけ違う」と言う人とは出会ったことがない。

もしかしたら、B型が特に「自分だけ違う」と思いやすい「体質?」なのかもしれない。
(できることならB型が最多のインドに行って、そこの人たちと関わってみたいものだ)
でも、ぜんぜん違うかもしれない。
今のところ、私には結論が出せない。

c)ここまでO型について触れていないけれど、
私にとって、あんがいわかりにくいっていうか見えないのがO型なのかもしれない。
A型やB型は、私が見ていてとてもわかりやすいパターンを持った人をよく見かけるので
上のa)やb)のようにある程度はっきりしたことを言えるけれど、
「O型には〜の人が多い」みたいなこと、今は思いつかないのだ。

もしかしたら、私の元パがO型だったので、彼女に対する無意識の「バリア」のようなものが
私にO型を語ることを抑制しているのかもしれない。

でも、そういえば、私はけっこうしばしばO型の人から「コントロール」される。
別にコントロールされていてもかまわないことも多いけど、
時々それがむしょうに鬱陶しく感じられることがある。

O型にコントロール欲求が強いのか。
それとも、私がコントロールされやすいのか。
それはわからないけれど、私が人間関係を取り結ぶO型の人とは
しばしばこの「コントロールする・される」の関係で
正直言うと「嫌な思いをする」ことがある。
(ただ、最近になって、こちらが意識的にうまく「距離をおく」ことで
O型の人ともあまり危険を感じないで付き合えるようになってきた。
今のところ、成功率は7割前後かな?
ともあれ、これは付け加えるに値することだろう。
逆に失敗例:元パ、元「共依存相手」……うう、思い出すのも辛い……
でも、これらの経験を後に生かすことで、彼らとの苦い思い出を
少しでもプラスにできれば、と思う……)

d)AB型の人について、私は他の血液型について言えるほど多くのことを知らない。
理由は単純で、「少ないからよく知らない」だけのこと。
でも、それって誰でも多かれ少なかれそうなので、時々そのことが原因で
「AB型差別」のようなことが起きてしまうと思う。
それはとても悲しいことだ。

私がこれまでに知り合ってAB型だとわかっている人には
私にとって「尊敬できる高い能力」を持つ人が多い。
それだけはいえる。

---------------------------------

あーあ。
けっきょく今回も、「体」のことと「心」のこと、それから「関係性」のことを
ごっちゃにして書くことしかできなかった。

こういう分野に対するアプローチを、誰か体系づけてくれる人、いないかな。
(たぶん「哲学者」と呼ばれる人たちの仕事になると思うんだけど……)

どなたか、分析求む。

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以上、12/20記す。

2002年12月18日(水) カウンター サーバー移転計画

★1・カウンター(12/17 夕方現在)
★2・サーバー移転計画……
★3・そんなに戦争がしたいのか……?



★1・カウンター(12/17 夕方現在)

「Sim Community」の「WELCOME TO JACKIE'S!」:現在 61787 hit!!(since 2000 01/02 15:13)
文芸部長・会津里花?!」:10202(+1000hitsくらい?)(since 2001年の秋口頃?)
原案帳#20」:18905(since 2001年11月)
お話しましょ#2」:4452(since 2002年夏頃?)
文芸部雑記帳」:不明(カウンターなし)

という状況だけど、
この中で特に「原案帳#20」がやっぱり群を抜いて速いスピードでカウンター上がってる。
ちゃんと書いてるところは、ちゃんと読んでくれる人がいるんだよね。

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★2・サーバー移転計画……

(ていうか、コーヒー飲みすぎて眠れないんだよぉ……(;_;))

利用しているサーバーについて。

この「原案帳#20」は「エンピツ」という日記レンタルのサーバーを使わせてもらっている。
 それなりに書き込みの量が大きくなっていて、負担は負担だろうけれど、
 運営している人も「どうせ文字だけ」と考えているらしく、
 レンタル料金は格安だ。
 なので、せっかく有料で借りてることだし、当分はこのまま借りつづけようと思う。

文芸部長・会津里花?!( http://www1.odn.ne.jp/~ccp05090/ )」について。
 現在は「ODN」の有料レンタルサーバーを使っている。
 けれど、あんがい重たい。
 あと、ケータイ対応できていない。
 (そりゃやり方あるだろうけど、面倒くさいし……)
 というわけで、これを新たにGMO(InterQ Biz.)から借りた「http://www.jackies.jp/」というすっきりしたサーバーに
 移転しようと思う。
 名刺、かなり刷ってしまってるので、修正が大変。
 あと、告知期間はかなり長く取ったほうがいいと思うので、
 当分は重複して借りてなければならないんだよね……

文芸部雑記帳」(Tea Cup)と「お話しましょ#2」(いるかねっと)は
 まあ、このままでいいや。割と安定してるようだし。

あと、実は「Jackie's Cure House( http://www.jackies.jp/cure_house.htm )」というのを
 新しく作りかけているんだけど、初めはこれを「http://www.jackies.jp/」のトップにしようと思っていた。
 でも、そういうかたちでサーバー使い分けるのは、壁紙やラインなどのアイテムを使うのに
 あんまり効率的じゃないことがわかってきた。
 なので、徐々に全てのコンテンツを「jackies.jp」に移転しようと思う。

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★3・そんなに戦争がしたいのか……?

またかよー、アメリカの「ジサクジエン」。
ふだんあんまり気にしないようにしているんだけど、
ちょっとヒマ、っていうか、やるべきことはあるけれどめんどくさくてできない、っていうか、
そういう時に、ついつい「イライラムズムズのはけ口」にしちゃうんだよね。

で、その「ジサクジエン」(但し今回は大失敗(笑))の内容:
北朝鮮ミサイル船拿捕とイラク攻撃

失敗してくれたから笑い話で済んでるけど、もしこの「姑息な」作戦がうまくいったら
またしても、見たくもない「テロ戦争」をおっ始めてくれたのでしょうか。
そう思うと、一瞬背筋に冷たいものが……

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2002年12月17日(火) 土日の日記 ぼけー……

★1・更新のお知らせ
★2・ぼけーっ……と共依存について



★1・更新のお知らせ

20021214・今日はミーティング
20021215・調整日
の二日分の記事を書きました。

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★2・ぼけーっ……と共依存について

書きたい放題を書ける、「安全な掲示板」に、なぜかすごく長文の書き込みしちゃったので、
まあせっかく書いたのでもったいないから、こっちにも貼り付けますね(^^;

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ぼけ〜〜…… 投稿者:じゃっきー@ぼけ〜  投稿日:12月17日(火)14時21分41秒

はふ〜〜…… (+_+).。・○

日記「原案帳」の「番外編」みたいにここ使わせてもらっていいですか?
って、もう「使う」って宣言してるようなものだけど(-_-;

先週は全般的に無理しちゃったし、
週末にはミーティング+お店で
自分としてはここ4〜5年で最大のパワーを発揮してしまったと思うし、
(それ以前は仕事で必要ないほどのパワーを浪費してたけど……なんか皮肉ですね)
日曜日と月曜日は「自分を休ませる」ことだけをテーマにしてだらだらやってました。

コンビニのバイトに行っても「私今日、仕事しないからね〜」とか「宣言」しちゃって。
(ひとえに店長さんの人徳のおかげです。店長の目の前で↑こんなこと言っても許されるのは;
実はこの店長、外見と基本的な性格がものすごい私好みなんです。
年齢は私よりほんの何歳か上、身長180数cm、でもマッチョじゃないし、
のほほんとしていて優しい……
と思ってたら、「〜長」のつく仕事をしてるとさすがに歪みを来たすようで、
女性従業員(含・私(^^;)の恋愛関係に茶々入れまくって
「セクハラ」のレッテルを貼られつつあります……
この人を仕事というアディクションから解放してあげたい! と
時々思ってしまうけど、それって最高に「余計なお世話」(^^;)

いつもどおり遅刻して13:30に出勤入力して、
17:00ちょうどになる前には帰り支度始めていた、という……
「17:01」に退勤の入力して、「お先にぃ〜」。
でもおさえるべき仕事はちゃんとこなしてる(トイレ掃除はバッチリよ!)
以前の私からは考えられない状態です。

(以前の私……仕事の優先順位が歪んでて、人の1.5倍くらいの時間を使ってるのに
生徒が納得できるような用意周到な授業が作れなかった……
だって無駄なことばっかやってたんだもん(;_;)
もちろん喜んでもらえたこともあった:
授業ごとの小テストを全員分(1日30〜最高50人くらい)採点して、一人一人にコメント書いてた。
もちろん、一人一人のことがある程度把握できてなければ書けないので、
授業中は生徒全員を「一人一人」としてきちんと見ようとしていた……
ああ、書いてて疲れた。うっざーい。
できるわけないじゃん、そんなこと!!
神さまじゃないんだから…… 結局、報いとして精神的に「壊れちゃった」のでした)

あれ? なんだか、だらだらと書きたくて仕方ない状態になってきた?
なので、ここまでのやりとりとぜんぜん関係ないですけど、「つづく」です。
流れをぶち切ってしまうようで申し訳ないのですけれど、
しばらくお付き合いくださいませ。
読むのがめんどくさい人はとばしてくださいm(._.)m

---------------------------------

ぼけ〜っと独り言(↑の続き) 投稿者:じゃっきー@ぼけ〜  投稿日:12月17日(火)14時31分12秒

母親と赤ちゃんの関係では、
母親は常に赤ちゃんが「どこにいて」「どんな状態か」を把握していなければならないし、
強烈に「そうしたい」と感じているのではないでしょうか。
それに、現実にほとんどの時間、自分がだっこしたりおんぶしたり、
少なくとも同じ屋根の下のどこかにいるのだから、
比較的簡単にそれはできます。
(あ、もちろん、子どもがほんの何ヶ月かになったところで
職場復帰しなくちゃならない人もいっぱいいるので、
「誰でも必ず」とは言えませんよね)

でも、子どもが少し大きくなってきたらどうなるでしょう。
自分の意思で外で遊んでいたいとか思うことができるようになってきた子どもについて
「どこにいて」「どんな状態か」ということが、
まあ一桁の年齢ぐらいだったらほぼ正確に把握できるかもしれないけれど、
10歳前後からはもう無理なのでは?
っていうか、「全てを把握している」つもりでいたのに、
子どもがどこで何をしているか「全くわからない空白の時間帯」が
少しずつだけどできてきてしまうんですよね。もちろん、当たり前なんだけど。

問題は、それをどう受け止めるか、ということ。

↑に書いたように、私は予備校時代、15〜18歳の少年少女に対して、
少なくとも自分が担当しているクラスの生徒に対しては
なんとかして「今どこで何をしているか」を「一人一人個別に把握」しようとしていたのでした。
ああ、これも書いてて疲れる。やめろっつーの、そういう超人的なことは>私(じゃっきー)

もうちょっと「続く」、いいですか?

---------------------------------

独り言……(ユルシテッ) 投稿者:じゃっきー@ぼけ〜  投稿日:12月17日(火)14時52分28秒

さてさて、この「今どこにいて何をしているのか把握したい」という欲求は
大人どうしでも充分起こり得ることだと思います。

たとえば、土曜日のミーティングで
「会場に着くのが時間ギリギリになってしまいます」と言っていた人が
ギリギリどころか時間を過ぎても来なくて、心配になってしまいました。
当然「いったいどうしたんだろう。今どこでどうしているんだろう」と思いました。
でもまあ、来る気になれなくなっちゃったのかもしれないし、
バスの乗り場を探して迷子になってるのかもしれないし、
いろいろ理由は考えられるけど、「もう子どもじゃないんだから」と
放っておくことができます。気持ちの面で。
(結局その人はミーティング開始後40分ほどして現れました。ほっ(^。^))

でも、もしも自分の配偶者だったら……
せっかく夕食の支度を済ませて、後は帰ってくるのを待つだけ、となって
……なのになかなか帰ってこない。いったいどうしたの?
「ただいまぁ〜」(←疲れた声)
「おかえり。どうしたの?」
「仕事」(そ、それだけじゃわかんないよぉっ!)
「ごはんは?」
「ああ、外で済ませてきた」
……が〜〜〜ん!! ショック!!
(↑の会話は、私が弟との間で実際に交わしたものです;って「配偶者」じゃないじゃん!?)

「愛するが故に期待を裏切られたショックが大きい」
って、あるんですよねー。

で。
私自身が元パと一緒に暮らしていた期間、そういうことがどれほど繰り返されたか。
元パの愛情はさぞかし「擦り切れていった」ことでしょう……

結局「元パネタ」で終わりかよ? という気が激しくするけど、
なんかそんなことを、○○さん、☆☆さん、△△さんのカキコを読んでて
思ってしまったのでした。

大人の他人に対して「愛情」っていうか「やさしさ」っていうか、
うまくまとめて言えないけれど「大切にしたい」という気持ちが大きければ大きいほど
「今どこで何をしているか」を「把握」したい、……
言葉を変えれば「支配したい」という気持ちにつながっていきやすいのかもしれないな、
と思うのです。

それは、健全であればかまわないけれど、相手の現実の状態を無視してまでそうなってしまうとしたら、
その気持ちを自分自身に振り向けるとか、
何らかの対策を立てないと、私の生徒に対する(はっきり言ってちょっと気違いじみた)対応みたいに
「病的」と感じられるようなものになったり、
関係を不健全なものにしてしまう原因になったりするのではないでしょうか。

今でも気になる人が「今どこでどうしているか」がとっても気になることはあるけれど、
(特に彼氏ができてからは……って、のろけてどうする? っていうか、この長文は実は全部
「のろけ」なのかーーー???)
それを自分の思ったとおりにコントロールしようとするようになったら
その人との関係が危うくなった、という意味になってしまうのかも、と思います。
そうじゃない現在に感謝。
よくわからないけれど、たぶん会社とか出先とかでてきとーに仕事してたりさぼってたりするんでしょうね。
私は彼のこと大好きだけど、そんなことまでいちいち把握したいとは思いません。
お互い大人だし。……って、簡単に片付けられれば苦労はないよ、人生は。
ねえ?>みなさま

どうでもいい、だから何が言いたいのかもよくわからない文章になってしまってすみませんでした。
m(__)m

---------------------------------

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2002年12月16日(月) 心地良いけどすっごい疲労感 中森明菜

★1・(無題)



★1・(無題)

今、[4:34 02/12/16]。
12/14〜15にかけての記事は、たぶんもうひと眠りしてから12/16の午前中に書くことになると思います。

いや〜、あれもこれもやって、物凄い充実感があって、
……でも、物凄く疲れた。当たり前だけど。

---------------------------------

あと、それとは全く関係ない部分で、ここ3日間くらい、その前の数日以上に
中森明菜
に凝っている。
最低限、これは書かなくちゃいけないな、と思うのが、
Utahime D.D.」(中森明菜)
の記事の中で触れなかった「D.D.」という文字の意味。
日本語タイトルでわざわざ「ダブル・ディケイド」と書いてあるんだから、
気が付くべきだった。
「Double Decade」=「20年間」、つまり今年は中森明菜が歌手デビューして20周年だったのだ。
だから、ある意味このセルフ・カヴァーは「歌手生活20周年記念」……と言ったらあまりにもベタだ……
という意味も込められている、「満を持した作品」だったのだ。

ふだん「歌手生活〜年」とかいうのに興味がない、というかはっきり言って
「それって演歌の話でしょ?」
と思っているので、歌手を続けて年を取ったくらいでなんでそんなに大騒ぎするの、みたいな
冷たい視線で見ていたけれど、
要するに自分もそれに見合った世代になっちゃった、というか
私もベース弾き始めて(=自覚的な音楽活動始めて)25周年だしなー、とか思うと
ビミョーに共感してしまうのだった。

---------------------------------

エディタを使わずに直に日記記入欄に書いてるので、そろそろめんどくさくなってきた。

今、[4:51 02/12/16]。
もう一眠り。

あ、そうそう。
↑「心地良いけどすっごい疲労感」という事情のせいで12/14〜15の記事が……
とか書いたけれど、それってつまり、
ここ読んでくれてる方、今日か明日中くらいにその二日分の記事が「増える」と思うので、
お手数ですけれど遡ってチェックしていただけるとありがたいです、
と言いたかったのでした。

もう一眠りの後、起きたらコンビニ。
ようやく「日常」が戻ってくる。
でも、今週〜年内いっぱいは、水曜日から「お店」なので、
「日常的な日常」はせいぜい月曜〜火曜の二日間だけになってしまうのでした。
体を大事にしなくちゃ。(だから、やばいと思ったらちゃんと言い訳してばっくれましょう(^^;)>自分

……  おやすみなさあい ……

(追記:[8:18 02/12/16]、エディタでヘッダーとフッターだけ作って追加しました)
……って、なんでこんなに細かいことばっかやってんの?>自分

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2002年12月15日(日) 調整日

とにかく寝る。

午後、彼氏にお買い物に付き合ってもらった。
でも、眠くなってしまい、彼氏の目の前で何度か「舟を漕」いじゃった(;_;)
(それでも優しく見守ってくれる彼、最高!)

夕方から、来週のライブの練習。
「クリスマスソング」をちょこっとずつやることになり、
それを「レゲエ」やら「スカ」やらに乗せて歌ったり演技したり、ということで
すっごく楽しかった。
でも眠いので、練習が終わり次第、さっさと引き上げさせてもらった。

で、帰ってすぐに
「バタン、キュ〜〜」
(言い方古いけど)

この記事は12/17(火)に書きました。

2002年12月14日(土) 今日はミーティング(12/17記事追加)

さあ、これから出発。
ミーティング → お店(〜12/15朝)
明日の朝まで帰って来れないし、たぶん書き込みもできないでしょう。
充実した時を過ごせますように……。

★1・おでかけ
★2・ミーティング
★3・アフターミーティング(断片集ふうに)



★1・おでかけ

送信者 : jackie-matthews@ezweb.ne.jp
宛先 : ayaka@jackies.jp
送信日時 : 2002年12月14日 12:42
件名 : 原案帳:お出かけ


☆バスに乗る前に、あるお友達に電話した。
「一つだけ指摘していい?… 
私の知っている里花さんではないのね」

☆バス停に行ったら、
バスは10分くらい後にならないと来ないのがわかり、
すぐそばのコンビニに入って、
暖をとる+ちょっと買い物+店長さん(私と同世代)にご挨拶、
というコストパフォーマンスの良いことをしに。
店長さんに今日の予定を伝えると、店長さん曰く
「ああ、そうなんだー。使い分けるんですね」と、
うっすら戸惑いの表情。

……
それらの反応を見て、思ったこと。
〈もしかしたら、『性転換』よりももっと理解されにくいことをしようとしているのかもしれない」と。

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★2・ミーティング

……といっても、残念ながら内容そのものは、
参加者のプライヴァシーへの配慮のため、ここに書き込むことができません。
ただ、6名が参加し、とても充実した内容で行えた、ということだけ書いておきます。

ただ、一つだけ、あえて書いておきたいこと:
単純に比較できることがらではないのだろうけれど、
「性同一性障害」と「男性性被害」とでは、
前者の方が後者よりも認知度が高くなった、と感じる。

特に今年は、秋口の『金八先生』から始まって、
最近では各地の地方自治体で
性同一性障害者などのセクシャル・マイノリティに配慮した行政を、
という質疑応答やら意見書やら議決やらが雨後の筍みたいに出てきている。
(私自身、どこでどういう、ということが追いきれないくらい;
11月に東京都小金井市、12月に入ってから埼玉県新座市、あと県議会レベルで長野県、とか;
国会での質疑応答もあったようです)

私自身、現在の立場は「性同一性障害の当事者」だから、
私のような者の存在に光が当てられることはありがたいことだ。

ただ。
「気にしなければいいじゃん」と言われるかもしれないけれど、
私が「男(の子)だった頃」の「性暴力被害」について、
私自身が今でもきちんと向き合って理解し、乗り越えているとは言い切れない状態であること、
更に私が「加害者」として他人に対して性的な加害をしてしまったこと、
それらのことは今でも私を苦しめる。
(実は今朝方、とてもひどい内容の夢を見た。その中で私は
「けっきょく女のふりしてこの場を切り抜けようとしている」と思われていた。
反論できずに惨めな思いにだけ囚われているのが、ものすごく辛かった)

私がこのように苦しむことは、もしかしたら他にも似たような苦しみを持つ人が
何も言えずに悩んでいるのではないか。
しかも、私は「女性としての自分」を生かすことで表面的には切り抜けてしまったけれど、
それすらもできずに自罰自虐自縄自縛自爆自滅自慰……になってしまっている人だって
いるかもしれない。
あ、「それすらもできない」じゃないや。
それはたまたま私にそういう資質があったからのこと。

私は自分のそういうところにも「蓋をして」「なかったことにして」しまうことはできない。
っていうか、それやっちゃったら、私がされて苦しんだことがそのまんまじゃん。
(私が私の「性」について親などから「隠蔽された」のと同じこと!!
もちろん私は「なかったことにして」救われている面がある;
中学〜高校時代の「加害」を隠蔽せずに表立った問題にされていたら、
たぶん私はその学校を卒業することはなかっただろう)

なので、私はこれからも「男性性被害」について拘っていくつもり。
来年の2月頃、また同様のミーティングを開くつもり。
興味のある方、私までメールください(←でも返事はメチャクチャ遅いです、ごめんなさい)。
 ↑クリックするとメールできます♪

ぜんぜん「一つだけ」じゃなくなっちゃったけど。

少なくとも日本語の通じる地域で、男性が自分の性のあり方について
安全にかつ他人の安全を犯さないように考えることができるようになるまで
私は拘ります。
私自身のこととして。

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★3・アフターミーティング(断片集ふうに)

二次会での奇跡
「12月14日」なんて言ったら、「忘年会のピークはこの日で決まりっ!」だよね……

実は、先月末くらいから、前もって「二次会」の会場を予約しようとしたら、
杏野丈、じゃなくて案の定、
「はっきりディナーコースとかじゃないと予約はお受けできません」とか言われて
どこもここも門前払いをくらってしまっていた。

だったら食事会にしちゃえば、というわけにいかないのだ。
だって、ミーティングの内容はけっこうハードなので、
中には「何も食べたくない」という状態になってしまう参加者だっているかもしれない。
そういう人がソフトドリンクだけで参加できるように、と配慮したら、
結局どこも場所がとれなくなってしまった。

ああ、困った、とうしよう、とトホホな気分に浸りかけたら、
HP「If He Is Raped」管理人のくろたけさんから
「場所がなければ、最悪ロッテリアでもいいんじゃない?」
と言ってもらえて(っていうかこのミーティングそのものが「If He...」の「オフ会」という側面も持つ)、
私は「二次会場予約」を放棄してしまったのだった。
無理なものは無理だし、それを引け目に感じてたら
今度はミーティング本体で私の精神的コンディションが悪くなり、
内容が今ひとつになってしまいかねなかった。
優先順位を考えたら、この際二次会には犠牲になってもらうしかなかったし、
私はそうすることに罪悪感を覚えなかった。なぜかわからないけど。

で。

私もあまり時間に余裕がないし、きっと場所が決まらずにいつまでもうろうろしてしまい、
貴重な時間が潰れていくのにいらいらしてしまうんだろうなあ……と思っていたら。

まずは駅ビル「パルシェ」の6階に直行。
(ヒマな人はhttp://www.parche.co.jp/map/6f_info.htmlをご参照ください)
レストランフロアで「どこがいいかなあ」とひと通り見てまわった。
このときは、時間が早かったせいか、まだすいているお店が多かった。
でも「6人でまとめて座れる」ほどあいているお店はなかった。
(もちろん、人気の高そうなお店は早くも人だかりができて、何人も空席待ちしていた)

と思ったら。

1周して最後に見たお店「ケーキ&パスタめん屋」の奥の方に、
な、なんと「6人がけテーブル」が、
まるで「お待ちしておりました」といわんばかりに
ちゃんとあいていたのだ。
しかも、そこだけ扉が閉められるようになってたりして、
私たちにしてみればかなり「くつろげそうな雰囲気」。

もう、言うことはない。
みんなで浮かれてそのお店に突入!

ゆったり楽しい「二次会」が過ごせたのでした (v^ー')
パスタもおいしかったし、デザートに「苺ショート」が選べたのも、私としては大満足。
なんか、本当に「奇跡」としか思えない。

三次会=「お店」!?
「よかったら私の勤めているお店に来ませんか」
私はこうやって、自分のいくつかのスケジュールの一つにしか関わっていないはずの人を
他の用事にも付き合わせようとする癖がある。
必ずしもいいこととは言えない場合もあるけれど、
それはそれで楽しいチャレンジになるかも? という期待がいつもあって、
とりあえず誘うだけは誘ってしまうのだ。

で。っていうか、「でも」。

「性被害」に遭った人たちを、どちらかと言えば「性的に混乱させる」ようなところに
連れてきてしまってよかったのだろうか?

なんか、結果的にはまずくはなかったような気がする。

「マーフィーの法則」を地で行くような話だけど、
たまたま今日(12/14)「8時半から団体さんが忘年会の二次会で予約」が入っていて、
つまりふだんは9時までに出勤すればいいのに、
この日に限って「8時までにお店に出ること」になってしまっていたのだ!
(↑二次会の記事で「私もあまり時間に余裕がない」と書いたのはこのこと)

で、必死こいて皆さんを連れて、8時に間に合うようにお店に行って、
開店前だけどちょこっと乾杯!
「へえー、こういうお店なんだ」
「おお、アウィズムさん、変身だね」

日帰りで時間のない人たちからはお金もいただかずに帰ってもらい。

遅くまでいられる人たちには、とうとうショウタイムまで見せちゃったわよーーー!!
あー恥ずかしかった(*-_-*;

でも、しっかり楽しんでもらえたと思う。
あるいは、初めての体験で、もしかしたらちょっとショックを受けた人もいるかも?
そういう声も、しっかり聴けるようにしたい。

お店=仕事
忙しかったー。

たぶん、お客さんはのべ100人を超えたのではないか。
最初が20人の団体さんだったし。
その後も、4〜5人から10人くらいの団体さんが何組も来たし。

午前3時頃から眠くなってしまったけれど、
何度かトイレに行って切り抜けた。

閉店時にはほとんどぐったりしてしまったけど、
今週のお給料をもらって、その厚みになんともいえない充実感を覚え、
疲労感も報われた、と感じた。

タクシーで帰宅した。
「あ、おつりはいいです」
と、言えた。

---------------------------------

と、12月15日の朝までのお話でした。
あー、長かった(^^;

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2002年12月13日(金) 緊張の冬、日本の冬(?) 寝れそう♪

うう、緊張の冬、日本の冬。
ああ、バックは花火じゃないし、出てくる美空ひばりさんは浴衣姿じゃない。

……って、何を緊張してるのかと言うと、
明日のミーティングのこと。

私はなんだかもう、自分のことをさらけ出してしまって
(そのほうが却って安心してしまう)
私が明日、「男性性被害者のミーティング」に出席する、ということを
明らかにしてしまっているけれど、
他の参加者の中にはそういうことを誰にも知られたくはない、と思っている人もいると思うので、
私は「自分のこと」以外書かない。

……なんて、何を書いてるんだ、私ゃ?
あ、そうか、ミーティングとオンラインの関係を明らかにしようと思ったんだ。

---------------------------------

今、ちょうど[6:00 02/12/14]。
寝ます。
わーいわーい、早い時間に眠れる♪

明日(っていうか今日=12/14)は、
午前11時に起きて、
その後明後日の朝まで眠れないことになっているので。
(11時に目が覚めるかどうか、それが心配だけど)

おやすみなさい。(^^)/~~~

2002年12月12日(木) 男女記載やめます;埼玉県新座市/おまけ:うちの地元

★1・今度は新座市
★2・うちの地元では



★1・今度は新座市

なんか、昨日(といっても投稿したのは今日(^^;)に引き続き、
「参考文献」とか「参考記事」とかばっかりで申し訳ないけれど、
世の中の流れが思った以上に「速い」のです。

先月の東京都小金井市に引き続き、今度は、埼玉県・新座市のお話。

---------------------------------

朝日新聞・埼玉版 2002/12/12

新座市 男女記載やめます
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 新座市は11日、「性同一性障害者」に配慮して、市が交付する印鑑登録申請書・証明書交付申請書から「性別記載」を削除することを明らかにした。来年3月の定例市議会に市印鑑条例の改正案を提案、可決されれば4月1日から実施する。同市はまた、選挙投票所の入場券や公共施設利用の申請書などからも性別記載をなくす考えだ。

 戸籍法では戸籍謄本に続き柄(長男や長女など)、住民基本台帳法では住民票に性別記載をそれぞれ義務づけている。総務省によると、印鑑登録証明書の記載事項について1974年、「印鑑登録証明事務処理要領」で住所、氏名、性別、生年月日の4項目を記載するように自治体に通知したが、義務付はしていないという。このため、各自治体が条例で記載事項の内容を定めている。

 新座市の印鑑条例の8条では「氏名」「生年月日」「男女の別」「住所」などの記載を定めている。市はこの中から「男女の別」を削除する条例改正案を提案する予定だ。市は、市単独で「性別記載」を削除出来る行政文書の洗い出しを進めており、準備ができたら実施する。

 須田健治市長は「性別記載欄を設けておくことは性同一性障害者にとり精神的に大きな負担になりかねず、いらぬ差別につながる恐れもある。性同一性障害者の人権を守るためにも印鑑登録証明書や行政文書から性別記載欄を削除することは当然の措置と考える」と話している。
(12/12)

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し、しまった、もう寝なくちゃ。
今日もあんまり眠れない、困った……[15:32 02/12/12]

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★2・うちの地元では

↑の「新座市」のことに興味を持ったし、私の地元ではどうなのかな、と思って
何件か電話してみました。
その様子を、なぜか「杏野丈掲示板」に先に書き込んじゃったので
それを以下、コピペ:

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[2467] 面白そうだと思って 投稿者:あいづ 投稿日:2002/12/12(Thu) 16:32

地元の政党支部とかに電話してみました。

共産党:
「党としての姿勢を明日回答する」

民主党:
間違えて国会議員のところ(でも実は「地区事務所」ということになっていて
必ずしも間違いじゃなかったはずなんだけど)にかけてしまったため
最初はたらい回しにされたけれど、
その後その国会議員の秘書から連絡をもらいました。

自民党:
なぜか市役所経由で電話させられて、すんなりつながった、それはいいけど……
「(自民党の)市議会議員の間では話題になっていない」

ショックだったのは、市議会議員45(現状では44)名の中、
自民党が25名と過半数を占めているのに
 (と、電話に出た議員さんらしき人は誇らしげに言った)
その中に「女性議員は一人もいない」のだそうだ。
 (と、電話に出た議員さんらしき人は誇らしげに言った)
来年になると隣りの市と合併して日本最大の面積になるけど(苦笑)
「それでも女性議員は一人もいない」ことになるのだそうだ。
 (と、電話に出た議員さんらしき人は誇らしげに言った)

……なんとなく、これが地方の実状なのかな、と感じてしまいました。

以上です。ふー、疲れた……


---------------------------------

あと一言付け加えておくけれど、
ただの電話対応の仕方一つにもその政党らしさが出るのが
とっても面白かったです。
同じ「ドブ板政治」だったら、共産党のほうが自民党よりもはるかにマシなのでは、と
思ってしまった。
自民党は、電話に出た人が議員さん本人なのかそれとも秘書とか専従とか(?)なのか
それすら答えてはくれなかった。
「そんなことに相手してるヒマはない」とでもいうのか。
うーん、けっこう怒れるぞ、これ。やっぱり。

(あのぉー、寝るんじゃなかったの?>自分;今もう[16:44 02/12/12]だよ?
またお店で船漕いでも知らないぞ、まったく(-_-;)

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2002年12月11日(水) FtMの参考文献

取り急ぎ

オハヨー……(+_+)

オヤスミ……(-_-)ZZzzz...

★1・FtMの参考文献



★1・FtMの参考文献

最近、FtMについていくらか現実的に見れるようになってきた。

一つには、「有名な」と言っていいのかどうかわからないけれど、
FtMとして文筆業を営む「虎井まさ衛」さんを、
今年2度ほどお見かけする機会があったということがあるだろう。

もう一つは、元宝塚劇団の天海祐希(あまみゆうき)をビデオで見たこと……

あと、別な理由が一つ(これは詳細を書かない)。

と思っていたら、↓こんな記事があるのを知った。↓

神戸新聞連載「長い冬―性同一性障害の今―」
http://www.kobe-np.co.jp/rensai/l_wi/index.html


「FtMに関する参考文献」として、興味のある方はどうぞ。

「興味」という言葉を使うと、もしかしたら目くじら立てる人がいるかも?
でも、人が何かについて正しい知識を得るのには、
場合によってはそのことの当事者に対していくらか失礼になってしまうとしても
「興味を持つ」というところから入るしかないのではないだろうか。
入った上で「そういう言い方は失礼だよ」と言われて直すしかない。
(っていうか、そういう経験はしょっちゅうですよ、私(^^;
だからと言って開き直っているわけじゃないからね!)

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2002年12月10日(火) 戸籍の続柄について 朱梨ちゃん

★1・戸籍の続柄
★2・朱梨ちゃんの落書き
★3・「Utahime D.D.」(中森明菜)



★1・戸籍の続柄

今[8:19 02/12/10]。
朝からこんなに飛ばしまくっていいのかな、と思うけど、
杏野丈掲示板http://www.harikatsu.com/sose/bbsboard.htm」に
書き込みしたので、こっちにもコピペ。

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[2408] Re[2405]: 続柄欄の意味 投稿者:あいづ 投稿日:2002/12/10(Tue) 08:02

○○様、ちょっとお久しぶりです。
(↑名前を引用していいかどうか、承諾を得ていないので伏せましたm(._.)m)

「続柄」について、もしかしたら何かのお役に立てるかもしれないと思うことがあり、
整理がついていないけれど取り急ぎ書いてみます。

私の父は、1910(明治43)年生まれで、自分のことをいわゆる「知識人」だと言っていました。

彼は戦前に結婚して3人の子をもうけましたが、
妻を虐待して空襲のどさくさに紛れて逃げられ、
行方不明になったままいったんはお葬式まで済ませてしまった後、
戦後しばらくしてから正式に離婚します。

その後、再婚して私と弟の二子をもうけました。

戦前の民法では、こういう場合私は「三男」になることになっていたようです。
(あっ、しまった本当にそうだったかどうか、ちゃんと確かめてないや!
でも、ここではあくまでうちの父がそう言っていた、ということでm(._.)m)

ですが、戦後改正された家族法では、現実に存在している婚姻関係を元にして
現存するカップルの間に生まれた子に、順番に続柄をつけていきます。
そうすると、私は「長男」です。

父は私に言いました。
「オレ(=父)は新民法に則って、おまえ(=私)を『長男』として育てる」

後から考えてみると、旧民法でがっちりと定められていた「家督制度」は
新民法ではほぼ姿を消しているにも拘わらず、
父は私を「長男」という特別な属性(?)を持つ人間として育てるなどと宣言しているので
旧民法の考え方に束縛されていたわけで、
父の言っていることは混乱しているのでした。

けれど、そういうことに拘る人にとっては、たとえ「家督の長男相続」が霧消してしまっていても
「続柄」を不変のものとして考えずにはいられないのかもしれないな、と思います。

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[2410] Re[2408][2405]: 続柄欄の意味;ついでに 投稿者:あいづ 投稿日:2002/12/10(Tue) 08:10

ここからは根拠の薄い私個人の感想だけれど、
こういう「常識」が変わるのには、三世代かかるんじゃないかな、と思ってしまいます。

戦前に「きっちりと」旧民法に基づく教育を受け、それをしっかり身につけた世代。
(仮にそれを「1945年の時点で20歳前後かそれ以上の年齢」だった世代、とします;
2002年現在、だいたい80代以上)

その世代の親から教育を受けた世代。
(いわゆる「団塊の世代」? 二代目以降は世代が拡散するので、
確定する意味が薄くなるような気がします)
当人は戦後の新民法に基づく教育を受けているけれど、
親は旧民法を身につけてしまっているため、
多かれ少なかれ家庭と学校で言ってることが矛盾しているので
「ダブルスタンダード」の中で育てられます。
で、家庭内のことは、あんがい「旧民法の常識」で考えてしまうのではないでしょうか。

そうして、最初の世代から見れば「孫」に当たる世代。
(年長の人で40歳前後から、年少だと20歳くらいまで? もっと下?)
親は未だに「おまえが長男なんだから」と言うことがあるけれど、
家庭の外を見渡しても、その言葉にもはや意味があるとは思えない、というくらいに
社会全体がかなり変貌しているので、
言ってみればこの世代になって初めて、
戸籍の「続柄」による性別の決定が「なんかヘンだ」と思えるのでは。

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★2・朱梨ちゃんの落書き

お店に朱梨ちゃんという子、というよりも「先輩」がいる。
まあ、年が若くても、NH歴で言ったら「先輩」になってしまう人は多いんだけど。
この子(←それでもあえてこう呼ぶね、かわいいから)のこと、
私は尊敬している。
踊りと絵のセンスが、とてもいいのだ。
それに、お客さんたちからもとっても慕われている。

特にお客さんからの支持については、私が「かぐや姫」に入るほんのちょっと前に
朱梨ちゃんがお休みしたこともあって、
私は入店した当時、朱梨ちゃんには一度も会ったことがなかったのに、
お店にかかってくる電話は「朱梨ちゃんは?」というのがすごく多かったのだ。

あ、とは言っても「静蚊さんは?」というのも多かったし、
「ママは?」「和希ちゃんは?」というのも多かった。
たまたま、見たことのない「朱梨ちゃん」について尋ねる電話のことを、
私が殊更に覚えているだけなんだろう。

でも、優しいし、おしゃべりは面白いし、どことなく感じさせる「天然っぽさ(?)」が
かわいい。

その朱梨ちゃんが、
お店がちょっとヒマな時に、ちょこちょこっと描いたイラスト。

朱梨ちゃんの落書き

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★3・「Utahime D.D.」(中森明菜)

中森明菜の最新作。
私は数日前、「かつてと比べて生彩に欠く」というようなことを書いたけど、
大間違い。
大絶賛。

明菜に対しては、(私とちょっと似て)「変わった子」というイメージがあるので
(あ、ちょ、ちょっと、明菜ファンの皆さん、石を投げないでっ、危ないじゃないのよっ!)
どうしてもまるで「自己評価」のように厳しすぎる評価を下してしまうことが多いのかもしれない。

で。
この「Utahime D.D.」は、言ってみれば過去の自分の曲のベスト選曲で
それをセルフカバーしているだけなんだけど、
(私は以前、誰かのセルフカバーを聞いて
「前のほうが良かった」と強く思ってしまったことがあり、
それ以来「セルフカバー」というもの自体をあまり好きではなくなってしまったのだ。
にも拘わらず)
うーん、なんて言うんだろう、めっちゃセンスがいいのだ。

「センスがいい」なんて言い方じゃ「音楽評論」としてはほとんど意味がないのかもしれないけど、
(まあそこまでやってるつもりはないし。これは私のただの「感想」です)
それぞれの楽曲を今の年齢の明菜が歌うのならこういうアレンジがいちばん相応しい、
というところを、それこそ1曲も外さずに衝いているのだ。

しかも、原曲のアレンジを完全に離れて関係ないアレンジで、というのじゃなくて、
少なくともイントロの有名なフレーズとかコード進行とかは、
原曲を踏襲している。

そういえば、明菜の楽曲って、初期の曲でも、歌詞はその年齢なりだったりするけれど
(例「♪いわゆるふつうの17歳だわ……」とか)
曲調とかについては妙に大人びたものを要求するところがあったような気がする。

それは、もしかしたら「ポスト山口百恵現象」と言われた状況の中で
少なくとも音楽性については「百恵の到達点を継承・発展させる」とでもいうことを
明菜が要求される、というようなところがあったのかもしれない、と思わされる。

っていうか、「Utahime D.D.」を聴くと、
なおさらその思いを深くせざるを得ない。

だって、当時のアレンジや歌い方より、明らかに今のほうがいいんだもん。
それも、年齢とか実力に合ってるように、明らかに聞こえるんだもん。
たとえば、それこそわずか17歳から20歳前の女性歌手だったら
この程度の音程の「ぶれ」は仕方ないよねー、それでもよくやってるよねー、と
思わされるようなところが、
今回のアルバムでは(もちろん当然なんだろうけど)見事に解消されてるし、
「そのほうが楽曲に合っている」と思えるのだ。

明菜は、きっとデビューしてすぐに、あまりにも「大人の」楽曲を与えられてしまったのではないか。
当時の年齢なりに歌ってはいたけど
(もちろんその頃はその頃なりのかわいらしさとかあっただろうけど)
楽曲とのバランスを考えると、ぜったいに今のほうがいい。

というわけで、珍しくこの私が「推薦」します。

中森明菜「Utahime D.D.

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2002年12月09日(月) 特別な日(2)

★1・もはや「特別な日」ではない……?



★1・もはや「特別な日」ではない……?
     

「特別な日」……って書くのをためらってしまうほど、
今日という日が始まってほんの少したっただけで、
なんて慌しいの。

お店が……あううう。(;_;)

(この部分、[11:24 02/12/09]記入。つづきが書けるかどうか、それさえも不明)

---------------------------------

お店より
皆さん、こんばんは。
なんと、お店にばいおくんを持って来ました。
今[21:33 02/12/09]ですが、とりあえず平日はあんまり混まないので、
こんな暢気なことをやっていられるのでした。

本当は、家でぐだぐだしてる予定だったのに……

まあ、簡単に言えば、今週は月曜日〜土曜日(!)まで、お店に出ることになったのです。
助っ人として。

こういう環境で、何か書いてるヒマがあるのかどうか、
ぼぉっとして考える環境を作れるのか、そもそもお店でこんなことやってていいのか。
そういう問題はあるかもしれないけど……

(あっ、そうか、これって「オフィスで仕事している「ふつーの」会社員が、
こっそり会社のパソコンでネットやってるのと、ちょっと似てるかもしれない……)

---------------------------------

(ここから、やっぱりいつもの「断片集」っていうかそんな感じにしたくなったので、
遡って↑のほうの記事もちゃんと編集することにしました。めんどいけど)


で、「出会いの日」。
メンタルのカウンセラーさん(たぶん私と同じくらいの世代みたい)に言われた。
「お子さんにこれから一生、死ぬまで決して会うことはできない、と思う必要はないのでは?
もしかしたら、お子さんが思春期に入る頃とかに、
元パートナーさんがお子さんのことで悩んだりした時に里花さんが必要になるかもしれないじゃないですか」

そう。
「絶対ダメ」「一生〜」とか、決め付けなければいいんだ。

もしかしたら、元パも、私と一緒に、ではないけれど、
「ああ、今日は『やき』と付き合い始めた日だ」
と思い出しているかもしれないし、
そうであるのなら、私としてはそれだけでも充分ありがたいことだ、と思う。

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2002年12月08日(日) 特別な日(1)

断片集ふうに。

今日、12月8日は
1)真珠湾攻撃とともに、日本とアメリカ合衆国の間で「太平洋戦争」が勃発した日。(1941年)
2)ジョン・レノンが射殺された日。(1980年)

この二つ、たまたま(じゃあない、という説もあるようだけど)同日なので
ついついセットにして語ってしまう。
ジョンを殺した犯人がハワイ出身だかその家系とかで、
日本人である小野洋子と結婚していたジョンを標的にして「復讐」しようとしたのが
「動機」だったとか、何かで読んだことあるけれど、
そんなの、アメリカ人に言い訳のネタを提供する以上の意味はないと思う。
っていうか、今ようやくそう思えるようになった気がする。

アメリカ人は、ジョンの「自由」に嫉妬したのだ。
ジョンが「主夫」を止めて、社会活動に復帰しようとしたことを、恐れたのだ。

アメリカ合衆国では、おそらく現在も「共産主義は禁止」だ。
理由は「合衆国民の安全と国家の秩序を危険にさらすから」ということのようだが、
こういう姿勢のある限り、アメリカ合衆国は「自由で安全な国」ではない。
まあ、「共産主義=武装ゲリラ」という決め付けが現実に当たっているのなら
この限りではないんだろうけれど、
たとえばロシアの「共産党」が「武装ゲリラ」的な要素を持っているか?
と思ってしまう。
そんなの、冷戦の誤解じゃん。

↑なあんて、相変わらず「きな臭い」ことを書いてしまったけれど、
実は私、
そんなことを吹っ飛ばしてしまうほど素敵な1日を過ごすことができたのだ。

……うふふ……
って、気持ち悪い笑い方するなよ、自分。
っていうか、そんなふうに笑いがこぼれてしまうほど、私は幸せな気持ちだ。

2002年12月07日(土) クラインフェルター症候群(KS)の性自認

★1・クラインフェルター症候群(KS)の性自認について
★2・「主夫」



★1・クラインフェルター症候群(KS)の性自認について

杏野丈ホームページhttp://www.harikatsu.com/の掲示板に、こんなことを書いた。

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[2342] 男〜女、それ以外 投稿者:あいづ 投稿日:2002/12/07(Sat) 11:09

みなさん、こんにちは。
(酔い醒めの起き抜けですけど、思いついたこと)

「性別を超越する」か「男女の垣根を越境する」か、ということと関連して(いると思う……)
半陰陽(IS)の当事者の感覚について。

私はクラインフェルター症候群(KS)の人たちと何人か交流させてもらっているのですが、
この人たちの中に「性自認が男でも女でもない」という表現をされる方が多いです。

こういう表現は、一見蔦森氏などの言っているニュアンスの
「既成の性別概念を超えた」
という、3次元的な言い方のように聞こえるかもしれないけれど、

私が聞いた限りでは、現実のニュアンスは
「男〜女」という2次元的な軸の中で
「男女のどちら側でもない」
というものでした。

KS当事者は、「XXY(XXXY、XXXXY、……)」という染色体をもっていて
「Y」があるため男性器が形成され、その結果医学上は「男性」と識別されます。
ていうか、生まれた時は「XY」の正常男子と形状は全く同じです。

ところが、過剰な「X」が「邪魔をして(?)」、男性としての第二次性徴の発現が
かなり強く抑圧されるのです。

その結果なのかどうかわからないけれど、私にはKSの人たちの中に
「まだ男でも女でもない」
という性自認の持ち方をしている人がいるように見えます。

また、強いて「オレは男だ」と自覚している人も、
内面から沸きあがってくる自覚よりは、
むしろ学習してそう「思い込んでいる」というふうに見えます。

その意味では、KSは、少なくとも「性自認」という点では
「男性の性分化異常」というよりも
そもそも「中性」なのではないか、という気がするのです。

性同一性障害の発現機序についてはまだ定説がない状態のようですけれど、
先天的な要素が何かあったとしても、後天的な「引き金を引く」何かがないと
発現しないのではないか、と
KSの人たちの性自認のあり方と見比べていて感じます。

今の流れから若干逸脱するようですが、もしも議論のお役に立てるのであれば
ありがたいことだ、と思います。

---------------------------------

私にとって、私自身の性自認を解き明かすのにKSの人たちの存在は多くのヒントを与えてくれるし、
性同一性障害全般の機序を解明するのにも、とても有意義な比較だと思う。

ただ、当事者の気持ちを考えないで無闇と「比較」するのはだめだ。
かつて、私がまだ自分のことについてもろくろく理解できていなかった頃、
まるで「遊び」のようにいろんな「性」を比較していたけれど、
比較される立場になると「弄ばれるのは嫌だ」と感じる。

私が今行っている「比較」が、KS当事者にとってお遊びのように映らないことを願う。
あ。
始めのほうの1行
>半陰陽(IS)の当事者の感覚について。
というのは、余計だった。
KSはKSであり、広い意味では「半陰陽」と混同されやすいけれど、
厳密には違う(のかもしれない)。

っていうか、私は「性分化異常」の当事者については、KS以外ほとんど知らないのだ。
知らないことまで迂闊に書くことが「お遊び」として謗りを受けることになるのだ。

訂正しておこっと。

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★2・「主夫」

某掲示板への投稿。

---------------------------------

>育児参加は男性にとっても、心の豊かさをもたらすのではと感じた次第です。

1999年11月下旬、とうとうキレてしまって
気付いた時には東京へ向かう国道1号線(なぜか東名高速ではなかった)を闇雲に走っていて
授業を「無断欠席」して台無しにして、
予備校をクビになって。

とりあえず元パは順調に(って言ったら申し訳ないけど、とりあえず破綻はしてなかった)看護師として勤めを続け、
私は1日中家にいて、当時小学校1年生だった子どもをバス停まで送り迎えに行ったり、
遊んであげたりしていた期間が、確かほんの2週間くらいだけだったけれど、ありました。

うちの子が、なぜだかしょっちゅう友だちをつれて家に帰ってくるんですよ。
(通ってる学校がいわゆる「お受験校」だったので、お友だちは本当は他の路線で帰ることになってるはずなんだけど、
うちの子がわざわざ連れてくるのでした)

子どもたちと一緒に遊んだあの日々は、
私が「男になるんだ!」を始めてそれが終焉するまでの中で、
最高の思い出になりました。
子どもたちに対して、心からやさしくなることのできる自分を発見して、
ほんの僅かだったけれど、「こういう自分を認めてやっていい」と思いました。

うちの子、Uくんに、お礼を言いたいです。(会えないから言えないけどさっ)

私は「女でしかも父親」だけど、そうであることは
精一杯虚勢を張ってでも「男になろう」と努力したことの、
数少ない「成果」だったと思うし、
そういう道筋を辿って生きてきた自分を
(ものすごい遠回りをしてものすごく多くの人たちをものすごく傷つけてしまった、
ということを差し引いても)
誉めてやりたい……と、

思えたらいいなあ。←けっきょくこのくらいかよ(^^;

---------------------------------

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2002年12月06日(金) (時間外勤務……?) 明菜

★1・わかほりさん……
★2・「政治のこと」
★3・お店にて(この直後に団体さんが来た)



★1・わかほりさん……

私は自分が好きなことだと、かなり無理してもやってしまうところがある。
お店のショウタイムの音楽編集には、いつも凝ってしまうのだ。

今日も、お昼頃起きて、ぼそぼそと朝ご飯を食べてから、
「じゃあちょっとやっとこうかなあ……」とか思って
本当に「ちょっと」のつもりだったのに、
ふと気が付けば、音源が足りないからと言ってTSUTAYAに借りに行ったり
ショウタイムのスタンバイ用の曲を3バージョンも加工してしまったり
なんでそこまでやる必要があるんだよぉ〜〜(T_T)
って、好きだから、だけど……

今[18:02 02/12/06]。
これから寝て、7時半に誰か電話ください……って、違うって。

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★2・「政治のこと」

(今日の私って、もしかしたら「オトコみたい」?)

珍しく、朝、朝日新聞の1面に目を通した。
といっても、最近の私はすっかり政治のこととかわからなくなってるので、
たいしたことも考えられない。
せいぜい考えたこと:

道路公団改革・委員長、両論併記を提示(5委員強く反発)
私が「道路」についてよく思うのは、立派な幹線道路の未来。
良い意味でも悪い成り行きでも、自動車が占有する「道路」というものは、
まもなく「産業革命型経済社会」が終焉を迎えてから後は、
徐々にかどんどんかはわからないけれど、けっきょく衰退していくと思う。

なので、道路のことを何か聞いたり読んだりするごとに、
私の目の前に、使われないままになった
「廃墟のような道路(そういうのを『廃道』とでもいうのかしら?」
がすっかり草花で覆われ、元はアスファルトだったためにそういう土壌に強い植物が
道路をなぞるように帯状に続いていく、という光景。
っていうか、それ以上のことはほとんど思いつかない。

「道路さえ作れば経済は活性化する(工事のために悪銭(あぶくぜに)が地元に落ちる、ということも含めて)」
なんて考えは、20世紀いっぱいで止めたほうが良さそうな気がする。

個人情報保護法案・著述業や記者 除外(基本原則・与党が修正案)
確かこれって、GID当事者にとってもそれなりに大きな問題だったのでは?

でも、私自身が表現者であるにも拘わらず「知らない」というのは実にこっぱずかしいことなんだけど、
なんでそんな法律作らなくちゃいけないの?
たぶん「信じられないほどの馬鹿」とか思われるんだろうなー、こんなこと書くと。
でも、仕方ないや、本当にわからないんだから。

米大陸最古の文字?
紀元前650年頃のものと思われるのだそうで。
「アウトオブアジア」の大移動によってアメリカ大陸に人類が入り込んだのは
約1万年前ぐらいだろうと言われているらしい。
(↑ところが、せっかくこれを覚えたのに、人によっては「10万年前」と言ってるらしい;
本当のことはわからないかも……)

で、私が何を言いたいのかと言うと、
アメリカ大陸に最初に人類が訪れた頃には、
人類は既に多かれ少なかれ、
っていうか微々たるものだったかもしれないけれど、
それでもある程度は「文明化」した状態だったのではないか、ということが言いたいのだ。

理由はない。そんな気がするだけ。
おそらく「文明を証拠付ける遺跡とかがあまり古くないから、それは考えられない」と
反論が返ってきそうだけど、
なんとなく、アメリカの先住民たちは、欧米の(はっきり言ってかなり野蛮な)文明とは異なったかたちで
文明を発展させていたのではないか、という気がする。
っていうか、そう思いたい。そうだったらいいなー……。

---------------------------------

と、まあ、こんなふうにずれまくったことしか思いつかない。
でもまあいいや。
私が私として生きていくのに、たった今重大な影響があるわけではないし。
(って、そこまで切羽詰らないとマジメに考えないのか、オマエはー!!??>里花
いいえー、切羽詰ってもまともな考えなんか浮かびません。
いつも私は場当たりの繰り返しでしゅ……)

---------------------------------

そうそう。
そういえば、ふと思ったこと。

中森明菜って、なんだか
「リタイアしてないジョン・レノン」みたいな感じに思える。
何がそうって、よくわからないけど。

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★3・お店にて(この直後に団体さんが来た)

送信者 : "章香(あやか)"
宛先 : ayaka@jackies.jp
送信日時 : 2002年12月6日 22:32
件名 : 原案帳:明菜



最近の中森明菜の歌を聞く。
なぜか、以前と比べて精彩を欠くような感じも。
まあでも、それはそれで、「落ち着いた」っていうことなのかも。
なぜか、私は
「明菜って私とどこか似ている」
と、時々思ってしまうのだった。

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2002年12月05日(木) 私ってファザコン?(〃^.^〃)

★1・ファザコン
★2・眠れないよぉ
★3・お店にて



★1・ファザコン

とある掲示板に書いたこと。この掲示板では、私はのびのびと書けるのでした。
(いったい何が違うのだろうか?……ああ、すっごく簡単なこと。
その掲示板では、誰も私に対して批判的なことを言わないのです。
もちろん、私も誰に対しても批判的な書き込みはしません。
悪いのはぜんぶ、掲示板に登場しないオフラインでの人間関係、と
割り切っています。こういうの、本当に癒されるから、好き)

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私、ファザコンなんです 投稿者:じゃっきー  投稿日:12月 5日(木)11時13分47秒

(一部略;他人の名前が出てくるので)

実はこのところ、性同一性障害について詳しい、若い精神科医のHPに入り浸っていて。
(けっこういい男なのよ、これが;私のタイプにどんぴしゃ!というわけじゃないけど)
Gender Euphoria Clinic 杏野丈ホームページ
http://www.harikatsu.com/
(でも、掲示板は「GID当事者」なる人たちがああでもないこうでもない、あの人がいや、
と不毛な言い争いばっかりしていて、鬱です……って、私もその一人じゃん(-_-;)

その人がお遊び感覚で書いた本、けっこう面白かったので、ご紹介:
『シンデレラさん、お大事に。―精神科医が読み解くおとぎ話の真実』
杏野 丈 (著) メディアファクトリー \1200(+税) 2002年
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4840105901/ref%3Dpd%5Fecc%5Frvi%5F2/249-5717864-7489936

うちの父
なんか、↓話題になっていることが二つとも、うちの父に重なるので、
半分は幼稚な「父親自慢」も兼ねて。

「東大以外は大学じゃない!」
父は早稲田の政経に行きました。
なんでも「飛び級で一高に入ろうとしたらダメだったので、
他のところを探して飛び級やってた早稲田に”仕方なく”入った」
のだそうです。
前にも何度も書いたけど、当時の父の感覚では
「旧帝大以外は『私塾』のようなもの」
と思っていたようです。(そういえば「慶応義『塾』」だし)
「これで外交官になる夢は諦めなければならない」と悲嘆に暮れたのでしょうね。
(今なら余裕をもってそういう父のことを思い描ける。
若き日の父、けっこうカワイイかも?)……(-_-;

井深 大
で、入った早稲田で、父は井深さんと同窓だったそうで。
私は確か高校生くらいの頃にそれを聞いて、
「あのソニーの会長と同窓生!」と、自分のことでもないのにドキドキしてしまいました。
それなりの年齢になってたのに、それでも父に憧れる気持ちは変わらなかったんですね。

井深氏は「発明する人」に、うちの父は「発明を特許にする人」になり、
同窓会とかで旧交をあたためていたようです。

ああ、わが初恋の人、それは……
(森昌子『せんせい』のメロディーで)
♪とうさん、とうさん、それはとぉうさんん〜〜

……あんなにひどい目に遭ったのにね。
今は混乱したままだけれど、いつかこの
「愛しさ余って憎悪百倍!! いや、その逆か?」を
何かのかたちでまとめられれば、と思います。

(一部略;他の人への純然たるレスなので)

派遣会社
「会社」「企業」「組織」と呼ばれるものに取り込まれるのを止めて
もう2年もたつので、久々にすっごく緊張しました。

最近の私、小学校の頃みたいに、緊張すると声がすごく小さくなってしまうのね。
「男になるんだ@キャンペーン実施中」の頃は、緊張してても大きい声出せたのに。
あれって相手を圧倒するための「はったり」だったんだ。

男を演じるためのスキル。
さすがに30代半ばまでが限界だった。
それに、そういうスキルと引き換えに、
家庭内のコミュニケーション能力を、どんどん失っていったような気がします。

緊張してどぎまぎしている自分すら「いじらしい」と思えるような、
これってもしかしたら自己肯定感……? だったらいいな。

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★2・眠れないよぉ

ちょ、ちょっとちょっと、どうしたって言うのよ?
お店だっちゅーに、今夜は。

もう[17:32 02/12/05]だっちゅーに、今までぜんぜん眠る時間作れなかったじゃーん!
確か午前4時くらいから10時頃までは寝たような気がする。
その後、……ええと……も少し眠ったような気もするけど、
夕方にもう一眠りしようと思ったのに、ぜんぜん眠れず、
「あっ、そうだ。あれ、やっとかなくちゃ」みたいなことが次から次へと頭に浮かんできて、
ついにこんな時間まで眠れなかった。

これじゃあ、今夜っていうか午前3時頃から先が思いやられる。
仕方ないから「眠眠打破」でも買ってこか。

あ〜〜〜〜あ。

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★3・お店にて

↓ヒドいことを書いてるな、と自分でも思うんだけど、
あまりにも幼稚な男がこの世にはいるんだ、と思って。
(今日はもう疲れたから「原案帳メール」形式のヘッダーとか入れません)

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@お店

ああいう客のことは、こういうところにはっきり書いて、
思いっきり晒し者にしたほうがいいだろう。
「オレは○○とセックスした第一号だ。
だからオレはこの店ではツケで飲んでいいんだ」
(本当に、何度も来ているくせに2度くらいしか
まともに払ったことがないらしい)

……どういう育ち方をしたら、そういう理屈で生きていけるんだろう?
そう思わせるような付き合い方をした当人にも
少しは問題あるんだろうけど……。

「一度セックスした相手はオレのもの」
って、犬のマーキングじゃないんだから、
そういうみっともない考え方を周囲にさらけ出すのは、止めてほしい。

っていうか、さっさと帰れ。

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2002年12月04日(水) 「ホネパス」? 風邪

★1・「ホネパス」?
★2・ひぃ〜〜〜〜(-_-;



★1・「ホネパス」?

整体の先生、私の体をさわって
「体育系? そうとう鍛えているでしょう?」
とか言うのでなんだろう、と思っていたけれど、だんだんわかってきた。

この先生、私の体を「女性」を基準にして見ているから、それで、ごつごつした私の体を
「体育系で鍛えたもの」
と解釈したのだ。

なんか、プロまで「瞞した」みたいで、申し訳ないような。

本当のことを言えば、私はスポーツで鍛えたのではない。
強いて言えば「ドーピング」みたいなもの。
それはつまり、男性ホルモン。
しかも、いちばん純度の高い、天然モノよ。
……と、
言ってて空しくなるけどさ。
だって、好きでこんなバケモノみたいな体(=男の体)になったわけじゃないもん。

まっ、いいか。
どうしても疑いの目で見る人には、「動かぬ証拠」を見せて……

いやーん、恥ずかしい。
そんなの、無暗と人に見せるもんじゃないじゃーん!
(動かぬ、じゃなくて生きた生身の証拠です)

調子に乗って、どこまで恥ずかしいことを書き続けるのやら(-_-;

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★2・ひぃ〜〜〜〜(-_-;

昨夜、なんと急にお店のママから電話があって、
「私今日、急用ができてしまってお店に行けないから、代わりにあんた出てちょうだい」
と言われて、途中からだけどお店に出たのでした。

でも、昨日は「昼間から生きていた」ので、眠いことったら、ありゃしない。
お客さんの目の前で舟を漕ぎそうになってはトイレに立ち、の繰り返し。
助かったのは、私の言い方↑を、他の子(といってもキャリアは10年選手の大先輩)がネタにして
面白おかしくもてあそんでくれたこと。
うーん、話術が巧みだわぁ。

で。

今日(12/4)は本当は午後からコンビニの日なんだけど、ちょっと無理そうなので
お店に「行けないかも」というファックスを朝、寝る前に入れました。
(ちょっと「何やってんの、それ?」という気がするけど……(-_-;)
朝、そんなに遅い時間じゃなく目が覚めたのだけれど、
今度は咳き込んじゃって、もー大変。
い、息ができないっ!! 窒息死する! 大げさだけど、まじで怖くなり、
そういえばかれこれ2週間くらいこの風邪治ってないし、
ただ「寝る」だけじゃさすがに治らないんだー、と思って
お医者さんに行くことに。

でも、実はコンビニの店長、私がコケたことで頭を抱えてしまっていたのでした。
午後にはどうしても1人、店長が外出している間の「お留守番」が必要なのです。
で、店長から再び電話が。
私がお医者さんに行く時間は「午後3時頃」だったので、その旨を言ったら、
言ってる最中に気がついた。
「じゃ、私、店長が外の用事を済ませる間だけお店番しますよ」

ということで、2時頃にお店……といってもこっちはコンビニのほう……へ。
けっきょく3時半までいて伝票の整理をしてからそちらは終わりにして、
うちの近所の開業医のセンセのところへ(でも行くのは初めて)。
風邪薬をもらって、帰ってきたのでした。

早く風邪、治さないと。
咳き込むと窒息しそうになり、その後、気管支のあたりがめちゃ痛くなるのは
さすがに耐えられない。

……とか言いながら、明日は夜からお店……こっちは「かぐや姫(←そういえば復帰してた)」……だよぉ。
自分で決めたこととは言え、きついよぉ。
やっぱり、昼間のお仕事のほうがいいよぉ。(T_T)

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2002年12月03日(火) 派遣会社に登録…… 「危険なファンタジー」

★1・危険なファンタジー
★2・行ってきました
★3・ったく……
★4・「私怨」



★1・危険なファンタジー

今日、派遣会社へ登録に行きます。
なのに、今[6:05 02/12/03]。
こんな時間に目を覚ましてどないすんねん?
しかも、某HPの掲示板にこんなこと書いてるし。
(あ、しまった↑ぜんぜん「某」じゃないじゃん(^^;
If He Is Raped http://www.comcarry.net/~genbu/」です)

以下転載---------------------------------

ファンタジーと現実の「連鎖」 アウィズム - 2002/12/03(Tue) 02:07 No.1802


(一部略) 私もセクシャル・マイノリティで、トランスセクシュアル、しかも「MtF(男性から女性へ)」で、今は女性として生活しています。
自分が女性だと認識しているのになんで男性の性被害のHPによく来るのかといわれれば、私にとって(晴れて女性に戻れてからはともかく)私の受けた性被害は「男の子として」のものだったからです。

それで……

**以下、直接的な性に関わる表現が多く出てくるので、フラバ注意です**

うまく言い表せないのですけれど、××さんが取り上げている「雑誌の劇画のこと」と、○○さんがおっしゃっている
>暴力的なファンタジーが蔓延した結果、現実がファンタジーの暴力に食い荒らされる
ということ、私も思い当たるところがあります。

あまりにも危険で「被害者」にとって大きなダメージを及ぼすような内容でも、それがファンタジーとなってしまった人にとっては、とりあえず「性的な興奮・快楽・満足」を得るための道具となってしまうことってあるのでは。
その人にとっては、どんなに他人に被害を及ぼすものであっても、性的な満足感を得るためにはそのための危険な行為をするしかなくなる。
そしたら、今度はその被害者が、「被害の自覚がない」ことから、同じようなファンタジーにのめり込んでいく。

これは、恐ろしい「ファンタジーの連鎖」なのではないでしょうか。

実を言うと、私自身もまさに上に述べたような「ファンタジー」があって、結果的には知らないうちに「逃れた」けれど、もしも逃れることができなかったら間違いなく「犯罪」としか呼べないような状況に陥ってしまったかもしれない、という経験があるのです。
危険なファンタジーから逃れられずに犯罪にまで突き進んでしまう人が現実にいるとすれば、その人はなんと不幸なんだろう、と思ってしまいます。
(現在では、そうした「加害者」を罰することはあっても、加害者を危険なファンタジーから救い出すケアは、おそらく全く考えられていないのではないでしょうか)
もちろん、被害に遭った人は、その人自身が新たに「危険なファンタジーの連鎖」に走ってしまう危険も含めて、出来る限り手厚くケアしなければならないのも当然だと思います。
(あと、私はつい「連鎖」を強調してしまうところがありますが、周囲から何のケアもなければ絶対に連鎖してしまう、というようなつもりではありません。被害者の人間的な成長の中で、自然に危険なファンタジーから離れることのできる人だっている、と信じています)

正直なところ「こんなこと書いていいのか」とも思うし、私はまたしても「自罰癖」を発揮してしまっているのか、とも思います。
けれど、私も↑で他の人たちが触れている「ファンタジー」の載っている雑誌とか、見たことがあるので…… ああ、そうか、私自身が少々フラバっているのかもしれませんね。

こんなことを書いたのを読んで気分が悪くなってしまった人がいたら、本当に申し訳ないことです。
けれど、この問題は意外と奥深いのではないでしょうか。


---------------------------------以上転載

……それにしても。
私にはなんと多くの「向き合わなくてはならない過去」があるのだろう。
ほんと、「sigh(サイ、と読んで意味は『ため息』)……」

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★2・行ってきました

派遣会社の登録に行ってきました。
実は、もうだいぶ前から(2年くらい?)「派遣会社への登録」のことは考えていたけれど、
そこまでの勇気が出るほど、たぶん精神的に回復できていなかったのだろうと思います。

でも、それ以上に「彼氏」の存在が私にとって大きな励ましになっている、というのが
正直なところだなあ。

ちゃんと稼ぐ。
ちゃんと養育費、払う。
それで初めて、新しい愛に向かっていくことができる。

そうでなくちゃ。

---------------------------------

ちなみに、私は派遣会社への登録の際、「性同一性障害」についてはきっちりカムアウトしました。
そのせいで派遣先がなかなか出てこない、というのならそれはそれで今の社会の限界だと思うし、
それをぶち壊すように駄々をこねようとも思いません。

それに、隠しても後からトラブルになるのは目に見えているし。

金八先生とか安藤選手とか、他にもいろいろとGIDについて報道されていて、
(それはもちろん、いいことばっかりじゃないけど)
どうしても隠し立てしなければ生きていけない世の中では、もう、なくなっているのです。

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★3・ったく……(-^-;

せっかく格調高い雰囲気だった「杏野丈ホームページ掲示板
http://www.harikatsu.com/sose/bbsboard.htm
」が
私に対してわけのわからないネンチャクくんが、ばかみたいな煽りを入れてきたおかげで台無し。

自分の問題をまるで人のせいみたいに言うな!
(オマエモナー>自分? いいや、今回は断じて違う!
尊敬している杏野先生の掲示板を汚したアホが憎い……けれど「死んでほしい」とかは思わない。
勝手に自滅してなさい、と思う>過去の私とどこか似ているので私のことが気になって仕方のないネンチャクくん)

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その後、さすがに気になってるので行ってみたら、またネンチャクくんが私にからんでた。
掲示板の運営に迷惑なので、もう相手するのはやーめたっと。

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★4・「私怨」

同じ「しえん」という発音なのに、「支援」とはぜんぜん逆の意味になってしまう。
杏野丈掲示板http://www.harikatsu.com/sose/bbsboard.htm」に現れたネンチャクくんは
たぶん私がSRSを受けてしまった、ということに対して妬みを感じているのではないか。
それも、ガイドラインには乗らず、NHルートで突っ走ってしまった、とか。
私にしてみれば、生きるか死ぬかの瀬戸際の選択だったので、
NHルートだろうとためらってはいられなかった。
そういう事情を知りもせず、
「あいづは妻子を捨てて勝手なことをして、ずるい!
漏れ(確かそういう一人称を使ってる人がいた)はガマンしているのに」
とか思い込んで、1人で心の中で私を悪者にしているのだろう。

「他人の気持ちをどうのこうの」と言うくせに、その「気持ち」の中身を表現することはできない。
まるで「DV予備軍の男の子」。「言えない気持ち」を表わすのに、結局暴力に走ってしまうんだろうな。
あわれだ。本当に、あわれだ。
ネンチャクくんのあわれな心の中を見透かすと、さすがにかわいそうで泣きたくなってくる。
でも、ヘンに同情的なこと書けば、たぶんまた調子に乗って煽ってくるだろうから、
心を鬼にして無視することにしよう。

無視する勇気を持つことができる自分を、誉めてあげよう、と思う。

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2002年12月02日(月) =Fields Of Gold=

お店の子に頼まれて、「Fields Of Gold」という曲を探して録音した。
なんでも、フィギュアスケートでミシェル・クワンという人(女性)が使ったのだそうだ。
原曲はあのSting。カヴァーしているのは日本人? ということで、……ええと、歌手の名前、忘れた……
そのcover versionを録音して、持っていった。
(ただ、ちょっとしまったな、と思ったのは、ミシェル・クワンの演技に使われたのは
エヴァ・キャシディという人のversionだそうで、ちょっと違うのでした……)

そしたら、その子、その曲を自分のショウタイムで使うつもりらしく、
私が持っていったMDを何度もかけては振付をあれこれやってみているのだった。

私の耳に、その音楽が残った。

日曜日、私は彼と「至福の時」を過ごした。
その思い出と「Fields Of Gold」の響きが、私の中で結びついてしまった。
私のQOL(Qwality Of Life)が、なんだか少しセンスのあるものに変質したような気がする。
っていうか、こういう結びつきは、私にとって、とてもラッキーだ、と感じるのだ。

2002年12月01日(日) 至福の時

(12/2記す)……ていうか、当日中に書かなかったのは、
書く暇もないほど
精一杯
至福の時を
過ごすことができたから
です。
(これ以上は書けません♪♪♪♪♪)


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