原案帳#20(since 1973-) by会津里花
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2002年12月10日(火) 戸籍の続柄について 朱梨ちゃん

★1・戸籍の続柄
★2・朱梨ちゃんの落書き
★3・「Utahime D.D.」(中森明菜)



★1・戸籍の続柄

今[8:19 02/12/10]。
朝からこんなに飛ばしまくっていいのかな、と思うけど、
杏野丈掲示板http://www.harikatsu.com/sose/bbsboard.htm」に
書き込みしたので、こっちにもコピペ。

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[2408] Re[2405]: 続柄欄の意味 投稿者:あいづ 投稿日:2002/12/10(Tue) 08:02

○○様、ちょっとお久しぶりです。
(↑名前を引用していいかどうか、承諾を得ていないので伏せましたm(._.)m)

「続柄」について、もしかしたら何かのお役に立てるかもしれないと思うことがあり、
整理がついていないけれど取り急ぎ書いてみます。

私の父は、1910(明治43)年生まれで、自分のことをいわゆる「知識人」だと言っていました。

彼は戦前に結婚して3人の子をもうけましたが、
妻を虐待して空襲のどさくさに紛れて逃げられ、
行方不明になったままいったんはお葬式まで済ませてしまった後、
戦後しばらくしてから正式に離婚します。

その後、再婚して私と弟の二子をもうけました。

戦前の民法では、こういう場合私は「三男」になることになっていたようです。
(あっ、しまった本当にそうだったかどうか、ちゃんと確かめてないや!
でも、ここではあくまでうちの父がそう言っていた、ということでm(._.)m)

ですが、戦後改正された家族法では、現実に存在している婚姻関係を元にして
現存するカップルの間に生まれた子に、順番に続柄をつけていきます。
そうすると、私は「長男」です。

父は私に言いました。
「オレ(=父)は新民法に則って、おまえ(=私)を『長男』として育てる」

後から考えてみると、旧民法でがっちりと定められていた「家督制度」は
新民法ではほぼ姿を消しているにも拘わらず、
父は私を「長男」という特別な属性(?)を持つ人間として育てるなどと宣言しているので
旧民法の考え方に束縛されていたわけで、
父の言っていることは混乱しているのでした。

けれど、そういうことに拘る人にとっては、たとえ「家督の長男相続」が霧消してしまっていても
「続柄」を不変のものとして考えずにはいられないのかもしれないな、と思います。

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[2410] Re[2408][2405]: 続柄欄の意味;ついでに 投稿者:あいづ 投稿日:2002/12/10(Tue) 08:10

ここからは根拠の薄い私個人の感想だけれど、
こういう「常識」が変わるのには、三世代かかるんじゃないかな、と思ってしまいます。

戦前に「きっちりと」旧民法に基づく教育を受け、それをしっかり身につけた世代。
(仮にそれを「1945年の時点で20歳前後かそれ以上の年齢」だった世代、とします;
2002年現在、だいたい80代以上)

その世代の親から教育を受けた世代。
(いわゆる「団塊の世代」? 二代目以降は世代が拡散するので、
確定する意味が薄くなるような気がします)
当人は戦後の新民法に基づく教育を受けているけれど、
親は旧民法を身につけてしまっているため、
多かれ少なかれ家庭と学校で言ってることが矛盾しているので
「ダブルスタンダード」の中で育てられます。
で、家庭内のことは、あんがい「旧民法の常識」で考えてしまうのではないでしょうか。

そうして、最初の世代から見れば「孫」に当たる世代。
(年長の人で40歳前後から、年少だと20歳くらいまで? もっと下?)
親は未だに「おまえが長男なんだから」と言うことがあるけれど、
家庭の外を見渡しても、その言葉にもはや意味があるとは思えない、というくらいに
社会全体がかなり変貌しているので、
言ってみればこの世代になって初めて、
戸籍の「続柄」による性別の決定が「なんかヘンだ」と思えるのでは。

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★2・朱梨ちゃんの落書き

お店に朱梨ちゃんという子、というよりも「先輩」がいる。
まあ、年が若くても、NH歴で言ったら「先輩」になってしまう人は多いんだけど。
この子(←それでもあえてこう呼ぶね、かわいいから)のこと、
私は尊敬している。
踊りと絵のセンスが、とてもいいのだ。
それに、お客さんたちからもとっても慕われている。

特にお客さんからの支持については、私が「かぐや姫」に入るほんのちょっと前に
朱梨ちゃんがお休みしたこともあって、
私は入店した当時、朱梨ちゃんには一度も会ったことがなかったのに、
お店にかかってくる電話は「朱梨ちゃんは?」というのがすごく多かったのだ。

あ、とは言っても「静蚊さんは?」というのも多かったし、
「ママは?」「和希ちゃんは?」というのも多かった。
たまたま、見たことのない「朱梨ちゃん」について尋ねる電話のことを、
私が殊更に覚えているだけなんだろう。

でも、優しいし、おしゃべりは面白いし、どことなく感じさせる「天然っぽさ(?)」が
かわいい。

その朱梨ちゃんが、
お店がちょっとヒマな時に、ちょこちょこっと描いたイラスト。

朱梨ちゃんの落書き

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★3・「Utahime D.D.」(中森明菜)

中森明菜の最新作。
私は数日前、「かつてと比べて生彩に欠く」というようなことを書いたけど、
大間違い。
大絶賛。

明菜に対しては、(私とちょっと似て)「変わった子」というイメージがあるので
(あ、ちょ、ちょっと、明菜ファンの皆さん、石を投げないでっ、危ないじゃないのよっ!)
どうしてもまるで「自己評価」のように厳しすぎる評価を下してしまうことが多いのかもしれない。

で。
この「Utahime D.D.」は、言ってみれば過去の自分の曲のベスト選曲で
それをセルフカバーしているだけなんだけど、
(私は以前、誰かのセルフカバーを聞いて
「前のほうが良かった」と強く思ってしまったことがあり、
それ以来「セルフカバー」というもの自体をあまり好きではなくなってしまったのだ。
にも拘わらず)
うーん、なんて言うんだろう、めっちゃセンスがいいのだ。

「センスがいい」なんて言い方じゃ「音楽評論」としてはほとんど意味がないのかもしれないけど、
(まあそこまでやってるつもりはないし。これは私のただの「感想」です)
それぞれの楽曲を今の年齢の明菜が歌うのならこういうアレンジがいちばん相応しい、
というところを、それこそ1曲も外さずに衝いているのだ。

しかも、原曲のアレンジを完全に離れて関係ないアレンジで、というのじゃなくて、
少なくともイントロの有名なフレーズとかコード進行とかは、
原曲を踏襲している。

そういえば、明菜の楽曲って、初期の曲でも、歌詞はその年齢なりだったりするけれど
(例「♪いわゆるふつうの17歳だわ……」とか)
曲調とかについては妙に大人びたものを要求するところがあったような気がする。

それは、もしかしたら「ポスト山口百恵現象」と言われた状況の中で
少なくとも音楽性については「百恵の到達点を継承・発展させる」とでもいうことを
明菜が要求される、というようなところがあったのかもしれない、と思わされる。

っていうか、「Utahime D.D.」を聴くと、
なおさらその思いを深くせざるを得ない。

だって、当時のアレンジや歌い方より、明らかに今のほうがいいんだもん。
それも、年齢とか実力に合ってるように、明らかに聞こえるんだもん。
たとえば、それこそわずか17歳から20歳前の女性歌手だったら
この程度の音程の「ぶれ」は仕方ないよねー、それでもよくやってるよねー、と
思わされるようなところが、
今回のアルバムでは(もちろん当然なんだろうけど)見事に解消されてるし、
「そのほうが楽曲に合っている」と思えるのだ。

明菜は、きっとデビューしてすぐに、あまりにも「大人の」楽曲を与えられてしまったのではないか。
当時の年齢なりに歌ってはいたけど
(もちろんその頃はその頃なりのかわいらしさとかあっただろうけど)
楽曲とのバランスを考えると、ぜったいに今のほうがいい。

というわけで、珍しくこの私が「推薦」します。

中森明菜「Utahime D.D.

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