今日のこあら
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こあらの上海旅行記(まとめ

こあらの見た風景(要はブログ) スタートしました。


2002年03月01日(金) 弥生三月、は〜るよこい。

 始まってしまいました。

 今朝、しばが今朝のスーツを選びながら「もう、冬ものを着たら変かなぁ」
あのね、確かに3月になったんだけどさ、まだ外は寒いよ。「♪春は名のみの風の寒さや〜」なんて歌があるじゃない。でも、半ばを過ぎる頃には、春めいてくるのは確かなんだよね。季節は巡る。そして、こあらも年をとる。

 3月は卒業式シーズンなんだよね。僕の妹も無事に大学を卒業します。まずは、今年の春ご卒業を迎える皆さんへ

ご卒業おめでとうございます
これからそれぞれの舞台でがんばってね。 

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自分の卒業式を振り返ってみると、
◎幼稚園
 こあらの通っていた幼稚園の卒園式は、となりの大学の大講堂で(大学付属の幼稚園でした)。
 ただ、この卒園式の話をするためには、その前から話をしなくてはならない。
 卒園を前にして、こあらは盲腸で入院していました。退院後最初の登園は、卒園式の最終リハーサルの日。
 卒園式のクライマックス「卒園証書授与」は、園長先生が生徒の前に回ってきて、担任が名前を呼んだあと、返事をして立ちあがって、卒園証書をもらうという方法。でも、こあらはそれまでリハーサルに出てなかったので、先生が回ってきた瞬間に立ってしまったのです。そのとき、周りがどういう反応をしたかは覚えていません。でも、先生に「先生が名前を読んでから立ちあがろうね」と、他の幼稚園性の前で言われたのがとても恥ずかしかったことは今でも覚えています。
 
 そして、当日。母に連れられて会場へ。当然、卒園生と保護者は入口で別れるのですが、そのときに僕は大泣き。母と離れるのがイヤだったのです。先生もなんとか卒園生のほうに連れて行こうとしたのですが、僕も当時から頑固だったので、激しく抵抗。その理由は単純で、「もう二度と恥をかきたくない」。この当時から、自分の間違いを他人にさらすのが耐えられなかったこあら。ただ、悲しいかな幼児期のこあら、リハーサルでした間違いを本番でもすると確信していたようだ。そんなことはないのにね。

 結局、母とともに保護者席にいました。自分の卒園式を保護者席から見守る卒園生、母や先生はそのときどんな気持ちだったのだろう。卒園証書は、式が終わったあと、先生が保護者席に持ってきてくれました。不思議なことに、卒園式のあとの懇談会(最後のホームルームみたいなもんです)は、普通に出席していたんだよね。結局「卒園式」だけがイヤだったのです。

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意外と長くなって、書き出すと面白いので、続きは明日以降に。

ところで、昨日「しばのおなか」のためのメニューを作成したのですが、こあらにはテキメンの効果を発揮しました。しばはどうだったでしょうか?


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