今日のこあら
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こあらの上海旅行記(まとめ

こあらの見た風景(要はブログ) スタートしました。


2002年02月08日(金) やっぱりなぁ

 田中前外相の「引継ぎ式」問題。新聞やテレビを見ていると、「川口大臣と外務省改革について話をしたい」と「私の前任者は小泉総理大臣だから引継ぎ式の必要はない」とは、一方は正論でもう一方は感情論だから、議論がかみ合うはずがない。

 日本は、感情的なことがあると正論を正論としてとおすことを嫌う社会、つまり、論理に感情論をぶつけ、本来議論のかみ合わないはずの議論を無理やりとおして、正論を述べる人を攻撃する社会である。その典型例が、大学1年生のときの法学入門で教えてもらった「ため池子供溺死事件」の隣人訴訟だ。

 隣人訴訟の名のとおり、この事件は近所づきあいの中でおきた。ご近所で仲のよいAとBがおり、Aが自分の子供をBに預け買い物に行っている間に、Bの子供と一緒に遊んでいたAの子供がため池に落ちて死亡してしまった事件で、裁判所は、Bの管理が不充分だったと過失(ただし、過失相殺7割)を認めて、BがAに約250万円の損害賠償を支払うよう命ずる判決を出した。

 この判決が出たとき、世論はA(原告)を「隣人の配慮に甘えて預けておいて損害賠償を取るとは何事」「自分の子供の命を金に替えるのか」と非難した。新聞もこれをあおった気がする。この非難に耐えきれず、Aが訴訟を取り下げることを決定すると、今度は世論がB(被告)を(Aは判決を不服として控訴していた)、「Aは訴訟を取り下げたがっているのに、取り下げないのは何事」「おまえは人殺しだろう」と非難し、訴訟を取り下げざるを得なかった。

 これは「たとえそれが正論であっても、世間の感情を害するようなことを言うと必要以上に猛反発をくらう」ことの典型的な例かもしれない。「川口大臣の前任者は小泉総理で、手続きはすでに終了している」との発言は明らかに正論だけど、「真紀子さんかわいそう」の世論がある中で正論を主張したから、「話もしないのか」という世論の反発を買い、「小泉悪者」の論調が強くなってしまった。結局のところ、田中氏の「外相は明確な返事はしていない」で解決したように見えるけど、世論を十分に把握しての策略という気がしないでもない。

 ちなみに、この授業の中で先生が「過失割合を7割としたところが裁判所の限界」とおっしゃっていたのは覚えているのだが、それ以上のことは覚えていない・・・われながら中途半端な覚え方だ・・・


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