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あるこのつれづれ野球日記
あるこ
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2001年01月16日(火)
追っかけ姉ちゃんの応援回顧録 「銀色の輝き」


 銀メダルをこの目で見たことがある。

1997年、京都大会の決勝戦終了後、父兄さんに駅まで送ってもらったのですが、そのとき、選手がもらった銀メダルを見せたもらったのです。

 メダルは思ったより、小さい長方形でした。ちっちゃいなあ。ただそう思っただけでした。もっと感激や感動するかと思ったのだけれど。

 「さわっていいよ」と言われた記憶があるようなないような…。でも、とてもじゃなけど、そんなことできなかったです。

 ああ、このメダルの色が違うだけで、
 憧れの大舞台の立てるんだなあ。

 たいしたことないように思いたかった。たかが色違いやんって。きっと積み重ねてきた汗や涙の量に大差はないよ。



2001年01月17日(水)
追っかけ姉ちゃんの応援回顧録 「選手は知っているの?」


 夏の暑い日、スコアをつけながら試合を見ているときに、取材を受けたことがある。某新聞社の記者で、かなり若そうなお兄さんだった。そのとき訊かれたことで、ちょっとひっかかったことがあった。「選手は知っているのですか?」。

 知るわけないやん、話したことのないのに。心の中の言葉と裏腹に、「さあ、知らないんじゃないですか?私、関係者とちゃいますし、話したこともないですから」と控えめな言葉を口にした。記者のがっかりした表情を見逃さなかった。記者は「明日の朝刊に載せるかもしれませんので」と言って名刺をくれたが、載ることはないと思った。

 話したことない、実はスパッとそうは言い切れない。選手とは話したことはある。追っかけ初期の怖いモノ知らずのころや、今では父兄さんと間違って何か訊いてきた新入生に対する受け答え程度のものだが。

 1992年は特別だったと思う。私たちより年上の選手がいたからというのもある。話しかけやすい選手が多かったし、年下ということで、相手も気楽に受け答えしてくれた。甲子園に出たからと言って鼻にかけるような態度ではなかったのも、好感を持った一因。

 当時は、練習や練習試合の帰り、部員とはちあったことも何度かあった。私はまだ男性恐怖症みたいなのが残っていたので、ともきちと彼らが話すのを横で聞いているだけだったけど、それはそれで面白かった。ある選手の彼女が私たちの同級生だったので、どんな学校なのかを訊かれた。クラスについている名前が他校とはちょっと、いやかなり違うので、彼はそれにウケていたようだった。

 そのうち、私も話せるようになった。でも、内容はほとんど覚えていない。憧れの高校球児と話すという願ってもいないチャンスにうかれきっていて、それどころではなかったのかもしれない。

 1993年以降、選手との距離がどんどん遠くなっていくのを肌で感じている。でも、「だから、何?」という感じ。私はあくまで東山の野球を見たいだけで、高校生と話したいとは思わない。じっと目を凝らして見ていると、グランドの選手は口以上にものを言っているように思う。むしろ、私はその言葉に興味を覚える。でも、そういう考えは世間一般では理解されないんだろうな。記者のがっかりした表情を見て思った。



2001年01月18日(木)
追っかけ姉ちゃんの応援回顧録 「握手」


 応援史上初めて、遠征たるものに足を運んでみた。夏の甲子園が終わったばかりの8月下旬。ずっと行ってみたいと思ってはいたが、なんかやりすぎかなあと思って、なかなか踏ん切りがつかかなった。

 この年は、のっけから「見に行きづらいなあ」と思って、応援熱はそれほど高くなかった。当時はもう就職するつもりだったので、「これで最初で最後や。父兄さんに気付かれないように、目立たないところにいればいいや。そうや、私は東山の試合ではなく、相手校のグランドを訪問するに過ぎないんだ」。一生懸命自分に言って聞かせて、早朝の電車に乗った。

 ところが、私のことなんてご存じないと思っていた父兄さんたちが、「こんにちわ、遠くまでご苦労さん」と声をかけてくださったのだ。地元では声をかけてもらえることなんてほとんどなかったのに…。びっくりした。

 遠征は、人と人との距離を近づける不思議なイベントだと思った。父兄さんの車に乗せてもらって、お昼をご一緒させてもらった。お話もたくさん出来たかのように思う。「これで最後」と思ってきた遠征なのに、ますますハマることになろうとは…。

 帰り、車で来られていた父兄さんに近くの駅まで送っていただいた。降りしなに手を差し出された。「今日はありがとね」。私は、体のわりに大きく広いその手をぎゅっと握った。




2001年01月19日(金)
追っかけ姉ちゃんの応援回顧録 「集合写真」


 グランドでデジカメを持ってうろうろしていることを気にかけてくださっていたのか、ある父兄さんが、「うち、写真撮ってるし、いいのがあったら分けてあげるわ」と声をかけてくださった。夏の大会前だったので、会えない可能性を考え、住所と名前の書いた簡単な名刺を渡しました。

 数日後、写真が郵送されてきてびっくり!3,4枚の写真が同封されていました。写真は、練習試合や激励会でのものでした。いずれもいいカメラでないと撮れないようなアングルで、感激しました。“画像をHPで使わせてください”という申し出は、残念ながら却下されてしまいましたが、その理由がまたいい。

 “当日、○○君が欠席していたことがわかりました。全員が写っていないので、インターネットには載せないでくださいね”

 その一文を受け、人数を数えてみると、確かに1人足りないんです。
 
 この精神ってすごくいいなと思いました。たった1人欠けてもチームじゃない。1人1人を思うこの方の人柄を良さを感じたと同時に、この夏はいい雰囲気で望めるかもしれないというかすかな予感がしました。

 追伸、その後、何枚か写真を頂戴していますが、「私の写したのは載せたらあかんで(笑)」と釘をさされてしまいました(^^;)…。



2001年01月20日(土)
追っかけ姉ちゃんの応援回顧録 「花道」


 2002年夏、スタンドに印象的な光景があった。

 試合終了後、通路で父兄さんたちが花道を作っていた。奥で応援していた吹奏楽部の生徒や応援に回っている部員たちは、出口の位置の関係で必然的にその花道をぐることになる。父兄さんはその一人一人に声をかけていく。

「おつかれさま」
「今日はありがとう」
「次も頼むね」

 私もどさくさに紛れて花道を通ってしまったが、そのあと立ち去りづらくて、何故か花道に加わってしまった。時間経つにつれ、花道はどんどん長くなる。そして、それは最後の一人になるまで続けられた。応援団は一人残らず、花道をくぐった。

 昼下がりで日差しがきつかった3回戦も、すっかり日が暮れてしまいナイターになった4回戦でも、壮絶な試合に疲労困憊した準々決勝でも、それは変らず行われた。準決勝以降は人が多く、私はネット裏で観戦していたので、その光景を目にはしていないが、きっと同じことが繰り返されていたのだと思う。



2001年02月01日(木)
東山高校硬式野球部関連コラム 「1992年夏に捧げる詩(ともきちver.)」


『Please stop that time』

みんなの笑顔や

みんなのガッツポーズが

一体となった一塁側のベンチとスタンド。

飛び散る水や

無造作に置いてあるポカリスエットの

空き缶の影

もう二度と

あの時のまんまのことは

訪れることはない。

ー最高潮。

そんなコトバがぴったりの笑顔が

とびかっていた。

時と止めてほしかったあの瞬間




『ものすごいこと』

たくさんの人を泣かせた

あの年のあの夏のあの球場は

すごいよね。

応援しまくってのどがからからになって

もらったポカリをぐいっとのんだこと

忘れないよね。

ものすごいこと。

多くの人の心をゆれうごかして

必死にさせたこと

   あの日の球場の9回の攻撃…




『通り過ぎた夏へ’92』

あの人達なしでは

夏は来ないと思っていた。

だからそのまま

夏は通り過ぎていった。

来る一歩手前で

そのまま、行ってしまった

二度とこないもの。

でももしかしたら

再び自分の手で

通り過ぎた夏を

つかむことができるかもしれない。

夢は後輩達に託してしまったけど。


(タイトル:あるこ、文:ともきち)




2001年02月02日(金)
東山高校硬式野球部関連コラム 「1992年夏に捧げる詩(あるこver.)」


『その瞬間 〜ある日、真夏の球場で〜』

その瞬間 力が抜けた

さっきまで緊張していた全身から


今日も勝つと思ってた

いつも苦戦していたけど

いつも勝っていた

みんなの信じられない程の活躍に

心を打たれまくって

心が痛かったくらい


今日も押せ押せムードだった

9回ツーアウト

“負けたくない” “負けないんだ”

そんな思いをいっぱいこめて

大声を出した

胸にこみあげてくる何かを抑えて


声を出さないと

負けてしまう気がした


その瞬間

そこだけ時間(とき)が止まった

まるでフィクションの世界の中に

いるような気がした


その瞬間
 
夏は終わってないと思ってた

   思いこもうとしていた…





『Beyond description』

みんな普通の男の子なのに

グランドの中にいると

変わるんだね

一生懸命なみんなは

すっごくかっこよくて

すっごく素敵で

ちょっぴり うらやましかった…


「ありがとう」ですませていいのかな

みんなに会えたこと

それでいいのかな…