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しもさんの「気になる一言」
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2020年09月23日(水)
やり方を変えずに、デジタルにしても意味がない

4連休の疲れか、やや早めに布団にもぐったので、
テレビ画面というよりも、テレビから流れる音で、
平井デジタルt改革相のコメントに聞き入った。
(そのまま寝落ちしてしまったので、テレビ番組は不明)
話は、デジタル庁って何をするのか?、そんな会話がなされた。
そもそも「デジタルって?」という根本の疑問が飛び交った。
デジタル化の必要は、何年も前からわかっていても、
では、どんな情報をデジタル化するのかの検討がされていない、
そんなコメントに対して、彼は、真っ先にこう言った。
「やり方を変えずに、デジタルにしても意味がない」
紙媒体などのアナログデータを、デジタル化するのではなく、
デジタル化することでできることに、社会全体、会社全体で
そのやり方、仕組みを変えていかなければ、意味がない、
と私は、受け止めた。
その一つがなかなか普及が進まない「マイナンバーカード」であり、
こんなことが出来るようになり楽・便利になる、だけでなく、
こんな風に、生活様式・ライフスタイルが変わることにより、
より多くの時間が生まれ、新しいことにチャレンジできる、
そんな説明が必要なのかもしれない。
今までのやり方を変えることに、抵抗感のある方もいるだろうが、
それを理由にしていては、デジタル化は進まない気がする。
「新しい生活様式」の一つとして、「デジタル化」を進め、
やり方自体を変えることが問題解決の早道かもしれない。
「改善ではなく改革」ってことなんだよなぁ。



2020年09月22日(火)
「柿田川ブルー」を、フェルメールが描いたら

ヨハネス・フェルメール(1632年10月-1675年12月)は
オランダのバロック時代の画家。
本名ヤン・ファン・デル・メール・ファン・デルフト。
美術評論家でもない私が、彼について書くことはないが、
柿田川公園・第2展望台からの湧き間の青を、
彼が描いたらどんな色になるんだろうか?、そんな興味が湧いた。
それは、彼が「光の魔術師」「青の魔術師」と呼ばれているからだ。
季節により、時間により、天気により、湧き間に差し込む光が変わり、
当然のように、青い色も変わる。
毎日、定点観測のように写真を撮影し、(時には動画も・・)
そのわずかな色の違いを楽しんでいるが、
「これこそ柿田川ブルー」と呼べる青がどれなのか、知りたくなった。
だから「青の魔術師」と言われる「フェルメール」が観たら、
どんな「青」を表現するだろうか、
また、その湧き間を、角度を変えて照らす光を、
「光の魔術師」は、どう表現するだろうか。
こればかりは、私の妄想だけれど、そんな写生大会、やりたいなぁ。



2020年09月21日(月)
ゲームをするならお金を入れてね

ゲームセンターで見つけた、注意看板。
驚くほど多くのUFOキャッチーが並ぶ中、
えっ、こんなモノまで、UFOキャッチャーになるの?と
興味津々で見ていたら、子供向けのゲーム機には、
同じようなメッセージが貼られていた。
それが「ゲームをするならお金を入れてね」
お金を入れないで、ゲーム機をガチャガチャいじるのか、
自宅のゲーム機のように、タダだと思っているのか、
お金を入れずに、操作のバーを動かしている様子が目に浮かぶ。
でも、そんなこともわからない子どもが、
1人でゲームセンターにいること自体、おかしくない?なんて
感じながら、そのメッセージをメモしていた。
これって、誰をターゲットにしたメッセージだろうか?
そんなことが気になった。
就学前の子なら、このメッセージは読めないし、
その意味もわからないだろうから、意味がないよなぁ。
逆に、読める年齢なら、お金を入れるんじゃないかな。



2020年09月20日(日)
ソーシャルブックやらないの?

映画「スマホを落としただけなのに」(中田秀夫監督)から。
観賞を終え、ネットの世界では常識の「バスワード」が気になったし、
その後、自分の生活を振り返ると、この話は他人事ではなかった。
もちろん、殺人事件まで発展することはないとしても、
情報のハッキングは、簡単に実行され、こんなことに使われてしまう、
そんな恐怖心を抱かずにはいられなかった。
何気ない普段の生活が映し出されることにより、
SNS花盛りの現代「ソーシャルブックやらないの?」と
言われたこともあるし、言ったこともある。(汗)
一緒にいる写真を撮られ「アップさせて・・」とタグ付をせがまれ、
「目立つのはちょっと・・」と断っても、大丈夫よ、と押し切られる。
そんな会話は、至るところで交わされているからリアルだった。
作品がスタートして、約20分後に初めて映画タイトルが出た時には、
もうすっかり、自分のライフスタイルと同化していた。
冒頭、こんな会話があり作品全体のコンセプトかな、とメモをした。
「スマホってさぁ俺たちの分身だと思わない?」「分身?」
「撮りためている写真とか、どんなサイト覗いているとか、
それを見れば、なんとなく人となりがわかるだろ?」
「そうね、あとスマホって宝箱にもなるんだよ」
しかし、気になる一言に選んだのは、ネット知識もなく、
「平気、平気」「大丈夫だよ」「みんなやってるから」というような、
何も根拠がない「ネットへのお誘い」が、一番怖かった。
自分への反省も含めて、この一言を選ぶしかなかったなぁ。



2020年09月19日(土)
このビデオはいつでしたか

最近、Facebookのメッセンジャーをつかって、
いたずらメール、迷惑メールが横行しているようだ。
そのメッセージは「動画」が貼り付けられて、
「このビデオはいつでしたか」とメッセージが添えられる。
このところ、頻繁に届くので要注意だ。
動画配信ばかりしている私にとって、
このビデオ、いつ、どこで撮影した?と訊かれているようで、
つい、開きたくなってしまうのをグッと我慢。
そんなわけで、もし私からそんなメッセージが届いたら、
あっ、詐欺メールだって思って欲しい。
それにしても、こういったイタズラは、始末が悪い。
犯人も特定できず・・らしいのだが、乗っ取られた人の
あと始末にかかる労力を考えたら、相当のダメージのはず。
新しく「デジタル庁」を作るらしいから、
厳しく取り締まって、犯人を捕まえて公表して欲しい。
これって、全世界で起きていることなのだよね、きっと。
人間が小惑星までいく時代に、これが解決できないなんて、
信じられないんだけどなぁ。



2020年09月18日(金)
(値打ちが)下がれば壊したくなる

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」から。
第23回「義輝、夏の終わりに」
将軍、足利義輝を松永久秀が討つという噂を耳にした光秀、
いてもたってもいられず、大和・多聞山城の松永を訪ねる。
そこからの場面が忘れられない
(松永が茶壷を割っているシーン)光秀を確認し、こう言う。
「これは堺の商人が持ち込んできた茶入りの壺だ。
同じ形のものが3つあってはありがたみに欠ける。
わしの目で1つを選び、残りは捨ててくれと頼まれた。
将軍の値打ちもそうだ。
人が将軍にふさわしいと思えば値打ちが上がる。
ふさわしくないと思えば値打ちは下がる。
(値打ちが)下がれば壊したくなる」と言い切った。
それに対して、光秀は訊き返す。
「それ故、将軍義輝様を討とうと企らまれましたか?」
松永はサラッと言い返す。
「討ちません、都から追い払う、それだけじゃ」
「何ゆえ?」と言い寄る光秀に、
松永は大きな声で叱咤する。「周りをよく見よ。
義輝様を支えるために一体どの大名が上洛した?」
こういうことは、義理人情で動くものではない、
「目利き」とはそういうものとばかりに言い放つ。
「ものの値打ちは人が作る」
そう言いたかったのかもしれない。
今で言えば、議員も首長も、選挙で評価されるってこと。
その職に相応しいかどうか、評価は周りがするんだな。
なるほど・・厳しい仕事だなぁ、公職って。



2020年09月17日(木)
派閥が勝手に担いだんじゃないの?

管(すが)総理の組閣を眺めながら、各マスコミが特集する
政治評論家・コメンテイターの話に聞き入っていたが、
ほとんどの人が「派閥の力でならせてもらったので、
派閥に配慮したメンバーになってますね」と口にした。
私は思わず「えっ、ちょっと待って、私の認識と違う」と
感じたので、気になる一言を書くことにした。
(政治の話は複雑なので、基本書かないことにしているが)
今回の自民党の総裁選、無派閥の菅官房長官(当時)が、
派閥に支援(投票依頼)をして回ったというよりも、
派閥の方が、今回は菅官房長官を担いでおいた方がいい、
そんな判断で応援に回った、と感じていたからだ。
見た目は同じだが、中身は大きく違うと思う。
本来なら、派閥の長が総裁選に立候補するのが基本だし、
組閣も派閥に配慮などせず、総理の視線で実力者を選んだら、
結果的に、バランスよく選ばれた、ということもあり得る。
無派閥の総理が、派閥に遠慮したら、おかしいでしょ。
だからあえて、一言を残しておきたい。
「派閥が勝手に担いだんじゃないの?」



2020年09月16日(水)
一家に一つ「テント」購入補助金

ビールやワインを飲んだ後は、血の巡りが良くなるのか、
夕食中の妻との会話が、けっこう面白い。
先日も、コロナの三密対応と、大型台風の避難が重なり、
指定された避難所が満杯で、受け入れられなかった話題になり、
どうすればいいんだろうね、と呟いたら、
彼女の口から出たアイデアは「一家に一つ「『テント』購入補助金」。
避難所でプライバシーを確保するためには、衝立が主流だったが、
体育館の中で「テント」を張っている光景を目にして、
「一家に一つテントがあれば、災害の時も、避難所で寝なくても、
危険でない公園など広い場所で、テントを張って寝られるよね」
「普段は、キャンプなどに使ってもらうことで慣れてもらい、
いざとなったら、テント暮らしもお願いできるかも」
「夫婦喧嘩したら、逃げ込めるし・・」なんてふざけながらも、
けっこう真面目に話し込んだ。
これからは、生き延びる「サバイバル」能力が必要だし、
家族によって、テントの大きさは違うだろうけれど、
購入費の半分補助でもあれば、備えておくかも・・と言ったら、
我が家は、ずっと昔に買ったけど、ほとんど使わず、
物置の中だよ・・と鋭い指摘。
いやぁ、今のテントは快適だよ、と言い訳をしてみた。(汗)
でも、リアルでいいよな、テント購入補助金。



2020年09月15日(火)
「夏」には「惜しむ」という感覚がない

(一度も会ったことがない)長い長いお付き合いのメル友から、
「夏だけ終わるっていうのはどうして?」という疑問が投げかけられ、
それなりに調べてみた。
答えになっていないかもしれないけれど、俳句の季語にヒントがある。
「行く春」「行く秋」はいうが「行く夏」「行く冬」と言わないのは、
この季語に「春や秋」を惜しむ想いが含まれているいるからだという。
簡単に言えば、
「春と秋は惜しむに値する季節だが、夏と冬はそうではなかった」
「夏の果(はて)」や「夏終る」という季語がある。
「夏の暑さは衰えをみせず、日差しも強くしぶとい。
したがって過ごしやすい季節の終わりとは自ずと異なる想いが湧く。
厳しい暑気の終わりが見えてきた安堵感の方が強い」から、
やっと「夏」が終わってくれた・・という表現だと思う。
「行く春」「行く秋」は、春・秋を旅人にたとえて、
その後ろ姿を見送るような季語と言われているから、惜しむ。
しかし「夏」は、やっと過ぎ去ってくれた・・という安堵感。
この違いなんだと私なりの意味をつけた。
「冬」にも「終わる」という表現がないのは調べてないけれど、
冬の場合、もう春の兆しが感じられると、嬉しくて、待ち遠しくて
「冬」が厳しかったことなど忘れてしまうからじゃないかな。
でもこの感覚って、住んでいる場所にもよるよね、
静岡は、冬が厳しいって感じたことないもの・・。



2020年09月14日(月)
人事をグリップしないと組織なんて動かない

たしか、橋下徹さんのコメントだったと記憶している。
(間違っていたら、ごめんなさい(汗)
「人事をグリップしないと組織なんて動かない」
逆に解釈すると「組織は人事が大切」という意味だろう。
人事には、耳障りの良い「適材適所」という言葉があるが、
さすが、と思う人事異動には、なかなかお目にかかれない。(汗)
この人事さえしっかり固まれば、組織としては動ける、
そんな意味かもしれない。
彼は、政治家現職の時、部下にこう言ったらしい。
「決まるまでは自由に徹底的に意見を言ってくれ。
しかし、決定したことには従ってくれ」と。
これこそ、管理者が口にしたいフレーズだと思う。
「決まるまで、あまり自分の意見を言わず、
それでいて、決定したことには従わず」のケースが多いから、
こんな当たり前の言葉が輝いて見えるのかも。
これって、どんな組織でも通じる考え方だから、
組織内で働く人は、基本の「き」なんだよなぁ。