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しもさんの「気になる一言」
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2020年03月16日(月)
世界は「微分」で記述され「積分」で読み解く

なるべく外出を控えて、YouTobe三昧。(汗)
夢中になっているのは、なぜか「数学」。
チャンネルは「予備校のノリで学ぶ『大学の数学・物理』」
今回は、学生時代一番苦手だった「微分積分」(笑)
「中学数学からはじめる微分積分」(講師「たくみ」さん。)
もっと早く、いや、もっともっと早く知りたかった微分積分は、
難しい記号の意味を知るだけでも、面白かったし、
「微分とは何か?」「積分とは何か?」という定義も含め、
「微分積分」を学ぶメリットが明確になった。
「等速」ではないものの運動を考えるとき、
自然と「微分積分」が出てくる、という話に頷いた。
「微分」とは、傾きのこと。「積分「とは、面積のこと。
この表現だけでも、わかりやすい説明だったが、
彼が、何度か口にした
「世界は『微分』で記述され『積分』で読み解く」は、
等速ではない変化を「微分」で記述し、
その変化を「積分」で予測する、と読み替えてみた。
世界に広がった「新型コロナウィルス」の感染拡大も、
等速で感染が拡がるわけではないので「微分」で分析し、
「積分」で今後を予測することができるんだよなぁ。



2020年03月15日(日)
全国のゆるキャラを観客席に・・(笑)

土・日曜日、早い時間から、大相撲をテレビで観ていた。
インターネットで「相撲ネタ」を検索しながらだったが、
誰かに伝えないと忘れられない面白いコメントを見つけ、
記しておくことにする。
単なるウケ狙いなのか、思いつきのアイデアなのか、
その真意はわからないが、私には、なるほど・・だった。
相撲に限らず、野球やサッカーなど、無観客の試合が続いたが、
この方のコメントは、こうだ。
全国では、屋外で行うイベントも中止や延長の判断され、
「ゆるキャラ」も出番なし、まさしく仕事を失った形だ。
そんな「ゆるキャラ」(もちろん中には誰も入らずに)を
観客席に並べればいいのに・・という、奇想天外なアイデア。
伝統ある相撲を侮辱するな、そういう意見もあるかもしれないが、
私は、この発想がとても新鮮だった。
地域のプロモーションにはなるし、普段、相撲を観ない人たちも、
「相撲」を知ってもらう機会になるかもしれない・・と思った。
何でもかんでも、新型コロナの感染の関係でダメダメ・・ではなく、
人間ではないもの(人形など)を観客席に並べてみる、という発想、
現実的ではないかもしれないが、大切なんだよなぁ。



2020年03月14日(土)
樹木希林の「き」だよ

自分の名前を「音」(会話)で紹介する時に、
漢字を何か、誰かに例えるのは、日本人だけなのかもしれない。
そういえば、洋画では自己紹介する時に、
スペルを聞き直すことはあっても、読み方を説明するシーンは、
皆無と言っていい。(よく、一度で忘れないな・・と関心するけど)
日本人の場合は、名刺交換以外、名前を名乗る時、
なぜか、相手にわかるように説明することが多い。
私も「下山」は「した」に「やま」、「義夫」は「ぎり」の「おっと」、
ここで気が付く人は「義理の夫ですか?」と笑いながら、
「義理の母」とか「義理の兄」は言うけれど、
「義理の夫」は聞いたことがありませんね、と突っ込むけれど。
そうやって、頭の中で、漢字を想像していくのであるが、
先日、面白い話を耳にしたので、紹介したい。
基本的には、誰もが想像できる「熟語」を引用するが、
歴史上の人物、地名なども、よく使われる。
「家康のいえ」とか「義経のよし」「駿河のする?」「沼津のづ」
などが多用されるが、時折、本人の知ってる著名人、芸能人が、
例に出されることもある。
「安倍首相のあべです」なら、まだわかるけれど、
知らない芸能人などを出されると、困ってしまう。
その中でも、一番面白かったのは「樹木希林の『き』だよ」。
名前はわかるけれど「き」が3つもあって、どの「き」かわからない。
でも私のアンテナには、しっかり引っかかったなぁ。(笑)



2020年03月13日(金)
文字だけのWEB日記で「300,000アクセス」(約19年かけて)

私にとって「継続」することは別に自慢することではないが、
この記録だけは、待ちに待ったカウント数とも言える。
「しもさんの『気になる一言』」の出発点と言えるWEB日記は、
スタートは、何か思いついたことを記録に残しておく程度の
「メモがわり」で使い始めたサイトだった。
だから、記念すべき一言は、
「2001年01月18日(木) 昔はトイレとお風呂が外にあったから
文化財の先生の話。
平均寿命が延びたのは、家の中にトイレと
お風呂が出来たから・・・。
昔は、トイレ(便所)やお風呂は外にあった。
冬は本当につらかったらしい。」
たったこれだけの一言。その後も、しばらくはこんな感じ。
あれから、パソコン通信、メルマガ、そしてSNSなどに
ネットの主役の座は確実に奪われたけれど、
やはり、私の文字好きは、ここから始まったと断言できる。
「画像アップロード」なんてボタンもあるので、
たぶん、写真と一緒に投稿できるのかもしれないが、
なぜか、文字だけに拘って「約19年」が過ぎた。
同じ内容を、メルマガやFacebookなどにコピべしたから、
直接、このサイトにアクセスする人は、ごく僅かなはず。
それでも、確実にカウントが増え続けていたから、
私以外にも、このサイトを覗いてくれる読者がいたようだ。
そんな人たちに、感謝をしながら、このサイトだけは、
システムが終了しない限り続けていこうと思う。
本当に、単なるメモだったんだよなぁ。
13日の金曜日だけど(汗)、一人で「乾杯」しようっと。

http://www.enpitu.ne.jp/usr4/bin/plural?id=40832&num=7&rev=true



2020年03月12日(木)
彼を応援しているが、我々の応援は甘過ぎる

映画「ベン・イズ・バック」(ピーター・ヘッジズ監督)から。
「薬物依存症の息子を全力で守ろうとする母」が主役だが、
私には、彼のためというよりも、自分のため・・という印象が強い。
施設に入り、一所懸命治療しようとしている息子に、
「クリスマス・プレゼント」として、1日だけの帰宅を促すなんて、
まさしく、自分のため、としか言いようのない対応だから。
さらに、突然帰ってきた彼を責める継父や妹に対して、
「私はあなたたちに怒りを感じる。嫌ってるでしょ?」と言い捨てる。
そんな妻を見て、夫が諭す。
「彼を応援しているが、我々の応援は甘過ぎる」と。
親子だとどうしても甘くなってしまう・・だから施設に入れたんだと、
説得するが、「まったくもう、うんざり」とばかり聞く耳を持たない。
物語は、そんな場面からスタートするのだが、
その「母の甘い応援」が、大きな事件に発展していくのだから、
最初に、夫の忠告を聞いておけば・・と嘆いても仕方がない。
この作品は、私たちに何を伝えたかったのだろうか?
そればかり考えているが、あまり上手い表現が見つからない。
「母の愛」と「家族の絆」・・・まさかなぁ。



2020年03月11日(水)
「東北」というイメージを払拭するような計画

毎年恒例のように、3.11の日記、8年間分を読み直して、
今年、9年目の日記を書こうとしている。
さらに、2011年の日記を読み直すと、震災の話題ばかり。
どれだけ、私にとって影響が強い災害だったかわかる。
中でも毎年のように、新聞、テレビで特集を組み、
なかなか復興が進まない・・というコメントを読むたびに、
思い出す日記がある。
「2011年11月10日(木) ■未来が見えない社会に震災が襲った」
震災前に状態に戻せばよかった、阪神淡路大震災と違うのは、
震災前の状態に戻したら、震災当時に抱えていた過疎化が進み、
街がさびれるという懸案が解決できないことになる。
言い換えると、防災拠点や働く場所を、津波が届かない高台に
移したからといって、未来が見えてくるわけではない。
だから、東日本大震災の復興は、難しいのだと思う。
トヨタが裾野市に計画している「未来都市」のような発想で、
今までの「東北」というイメージを払拭するような計画を
首都圏に住む若者たちに作ってもらったらどうだろうか。
こんな都市が出来たら、移住してもいい・・と思わせる、
そんな、ワクワクするような「未来都市」が増えたら、
「東北」は、素敵な場所になるのになぁ、と呟いてみた。
いっそのこと「東北」という名称も変えてみたら?
そんな「概念崩し」が、私たち国民にも必要な気がする。
(今時「地方」に分けることもどうかと思うけれど・・)
先日他界した「野村克也」さんの考え方の根底に、
「固定観念は悪、先入観は罪」があったよなぁ。



2020年03月10日(火)
次郎長さんだったら・・

巷では、新型コロナウィルスに対する不安が先行して、
特に政府をターゲットに、不平、不満が噴出しているようだが、
私だったら、こうする・・と言う前向きな発言は少ない気がする。
「まだ収束の見込みはない」とか「オリンピックは無理」とか、
そんな誰でも考えそうな推測は、私は求めていない。
もし、テレビやラジオ、新聞などが、特集を組むのなら、
「歴史に名を残した人たちだったら、こう判断し、こう動く」という
企画をお願いしたい。
もちろん、歴史上の人物を身近に感じるし、その人の性格とか、
それまで経験した苦難に対して、どう対処してきたから、という
歴史の勉強にもなる。
さらに、本当に、今回の問題解決のヒントになるかもしれない。
そこで私は、清水次郎長に詳しい人にメールを送ってみた。
「こんな時世、次郎長だったらどう判断し、どう動きますかね」と。
間髪入れず届いた返信は
「次郎長さんは経済重視の人だから、病気なんか怖くない!
重症化させないで笑顔(免疫力アップ)で元気を乗り切ろう、と
音頭をとったはず。たたかれてもやったと思う。
今の日本は言い出しっぺがいないから・・ね」と、
言い出しっぺの役割だった、清水次郎長さんのことが、
ちょっぴり身近に感じたコメントだった。
正解を求めているわけではなく、いろいろなアイデア募集として、
単なる小市民の私たちの意見ではなく、大局観のある
歴史情の人物の考え方を取り入れてみたら、どうだろうか、
そんな提案である。
今年の大河ドラマ主人公「明智光秀」だったら・・と考えるだけで、
面白い情報が集まる気がするなぁ。



2020年03月09日(月)
「改革」なのだから、仕組みから変えないと

先日「テレワーク」の話題で書いてみたが、
もちろん「テレワーク」に向きでない職業、職種もある。
だから、もう少し整理してみたい。
ネットによると「テレワークが適しているのは以下のような人たち」。
「妊娠・育児・介護などの理由、身体障害、あるいはケガなどにより、
恒常的または一時的に通勤が困難な人」(今回の私の場合)
さらに職種で言えば、ほぼ毎日在宅勤務出来そうなのは、
「企画・総務・人事・経理などの管理部門、研究・開発部門の人」。
「営業やSE、サポートサービスなどの顧客対応業務の人」なども、
毎日は無理でも、週に数日は可能、と想定されている。
テレワークが可能な人たちが、移行することにより、
テレワーク向きでない人たちの働き方も変わる気がしている。
満員電車や交通渋滞が緩和されるだけでも、負担が少なくなるはず。
時間外を減らすとか、ノー残業デー、そんな小手先の「改善」ではなく、
「改革」なのだから、仕組みから変えないと・・と思う。
これこそ「地方自治体」がお手本を示すチャンスとも言える。
どこかの自治体が始めれば、きっと追随する自治体が出るはず。
あとは、トップの考え方次第なのかな。

P.S
そういった自治体の試みに対して、住民が決して
「公務員はいいよなぁ」と言わない約束が欲しいな。(汗)

P.S
テレワーク導入にあたっては、労務管理方法、
情報通信システム・機器、テレワーカーの執務環境の
3つの側面から必要事項を検討することが大切とのこと。



2020年03月08日(日)
上からの指示が降りてこなくて戸惑っていました

NHKスペシャル「40人の死は問いかける」から。
東日本大震災の3.11が近づき、多くのテレビや新聞で
特集が組まれているが、私が一番気になっていた番組は、
「大槌町・役場被災の真実」だった。
町全体で1286人が犠牲になった大槌町の役場職員、
100人ほど勤務していた役場職員の約2割(40人)が亡くなり
9年目にして、やっと重い口を開いてくれた感じがした。
私たちの「その間に何があったの?」に答えるべく、
辛いけれど丁寧に当時を思い出す姿に、心が大きく揺れた。
生き残った職員の心の葛藤が伝わり、胸が締め付けられた、
「どうして逃げなかったの?」という遺族の思い、
「なんで来ないの?」と高台で同僚たちを待った職員など、
それぞれの立場で、何がベストの判断で、
自分たちはどう動けばよかったのか、9年間問い続けてきた、
そんな特集番組だった。
その中で私が気になったのは、当時、若い職員だった人の
「上からの指示が降りてこなくて戸惑っていました」
「どうしていいか誰も決断ができなかった」
「情報集めのために、みんな右往左往している状態でしたね」
「みんな上からの指示を待っていた」という振り返り。
公僕と言われる公務員に限らず、時には上下関係なく、
「一人ひとりが声を出せる組織」を目指すべきだ、という
彼らの貴重な気付きを、我々がどう生かしていくか、
明日からの行動にかかっている気がしてならないけれど、
まずは、彼らと同じ立場の地方公務員の人たちで、
何人の人がこの番組を観たかなぁ、と気になってしまった。
後輩たちに、連絡すればよかったかなぁ。(汗)



2020年03月07日(土)
言葉を「字」じゃなくて「音」で聞きたいとか

映画「天国の本屋 恋火」(篠原哲雄監督)から。
主人公を演じる竹内結子さんが二役を演じているが、
彼女の美しさが、二人の違い、天国と現世の違いを
わからなくさせてしまっているのは残念であった。
作品内に何度か「朗読」するシーンが出てくる。
そして、こんな会話が私を「なるほど・・」とへ思わせた。
「本屋さんではね、よく店長に本を読んでもらっているの」
「なんでみんな本を読んでもらいに来るんですか?」
「どうしても他人に読んでもらいたい時ってない?
思い出が強くて1人では読みたくないとか、
言葉を『字』じゃなくて『音』で聞きたいとか」
子供たち対象の絵本の読み聞かせとは違い、
字だけが書かれている本を、目ではなく耳から入れる、
違った五感で感じることができる喜びや悲しみは、
なんとなくわかる気がする。
そう言えば昔から「詩集」は、声を出して読んでいた。
あれって、どうしてだったんだろうなぁ。