ATFの戦争映画観戦記



【File082】戦争のはらわた外伝「我レ爛泪ぅ筺湿尉瓮鯣見セリ・・・」【前編】

2003年03月30日(日)

第二次湾岸戦争・・・(イラク戦争って言うんでしたっけ)も、アメリカ軍・・・ていうかブッシュ大統領以下上層部の当初の考えとは裏腹に色々齟齬が発生している様ですね。誤射や同士撃ち、伸びきった補給線により後方の支援部隊が襲われ戦死者や捕虜がテレビに映されたり、無敵?の地上攻撃ヘリのアパッチが民兵の旧式ライフル(独軍のkar98k?)で撃墜されたり(実は事故による不時着らしいが)兵力増援が決まったり・・・米陸軍士官学校ウエストポイントには「攻撃開始後、最初に戦死するのは兵士ではなく犧鄒鏃弉茘瓩任△襦と言う格言があるそうです・・・まぁ何事も思った通りには進まない・・・って事ですかね。アメリカ兵の捕虜の映像が放映され、ビビったブッシュ大統領が現地軍の作戦計画に口を出したとか、ブッシュパパが経営する投資会社の投資先には大手の軍事産業企業が名前を連ねているとか、副大統領は元油田火災消火の専門会社に勤めていた・・・とか、全く話題には事欠きません。中でも川岸の草むらに潜んでいるという、脱出した米軍パイロットをイラクの兵士や民衆が依って集って追いつめる映像はショッキングでした・・・もうキツネ狩り状態(でもヤラセっぽかったなぁ)しかしまぁ、たったあれだけ(失礼)の人数の捕虜や戦死者の映像で、天下のアメリカが大騒ぎするとは、時代が変わったものです。メディアの力は偉大なり・・・中でもアフガニスタン紛争の時から目立っていたカタールの独立(非公営)系衛星テレビ局爛▲襦Ε献礇検璽(半島)「中東のCNN」なんて呼ばれたりしてます。レポーターが如何にも素人っぽくて良いじゃないですか・・・戦争がテレビで中継されるようになったのはベトナム戦争からですが、ベトナムや朝鮮、第二次世界大戦でも、ひとつの作戦で戦傷者が多すぎ世論の攻撃の的にされ、解任・更迭の対象とされた指揮官は結構いますけどね。米中央軍(中東方面を担当する米軍の作戦運用組織で、平時はスタッフのみで編成されているが、有事には各種部隊を指揮下に置き、指揮運用する上級司令部)司令官(フランクス大将でしたっけ・・・なんかファランクスみたい)も大変ですな・・・24時間自分の作戦指導を世界中で観られてるんですから。そう言えば先日、第一次湾岸戦争時の中央軍司令官シュワルツコフ元大将(銀星章3度・銅星章3度・殊勲章1度・英国名誉ナイト爵って叙勲歴からしても凄い戦歴)がNBCテレビに出演してました。氏は湾岸戦争終結直後に退役、今ではスターブライト財団(かのスピルバーグ監督が設立した、世界中の難病と闘う子供達を援助する為に病院を経営したり、チャリティー事業を行っている団体で、ニコラス・ケイジやロビン・ウィリアムスなどハリウッドの有名俳優たちも会員に名を連ねている)の会長だそうです。なんか軍人とは180度違う人生ですな!そう言えば現代科学の最先端に位置する宇宙飛行士には、後に聖職者になった人物が多いですが・・・さて、こんなご時世に何なんですが、私ATFにとっては非常に嬉しい出来事がありました。長年・・・と言っても一年かそこらの事ですが、ずっと胸に詰かえていたモノが取れて、非常にスッキリした気分なのです。20世紀戦争映画史上最後の謎・・・多くの名だたる戦争映画ファンたちが挑み、そして敗れ去って行った(オイオイ)もはや解明は不可能・・・もし解明できれば柏葉剣付騎士十字章、或いは金鵄勲章また議会名誉勲章さらにビクトリアクロスそしてソ連邦人民英雄とまで言われた(オイオイオイ)・・・ソレは、意外な偶然の重なりと運命の導きによって、私ATFの眼の前に、その姿を現した・・・のでした。それでは【ドキュメント「我レ爛泪ぅ筺湿尉瓮鯣見セリ」】をお楽しみ下さい。あッそうそう、今回は携帯電話の電源はそのままで・・・。

マイヤー少尉を捜し出せ・・・
戦争映画ファンを自称される方ならば、一度は観た事がある・・・少なくとも題名は知っている作品のひとつとして、サム・ペキンパー監督による鮮血の美学と謳われた名作「戦争のはらわた/CROSS OF IRON 1977(以下略:COI)」を挙げられる事は間違いないでしょう。惜しくも昨年晩秋に逝去された名優ジェームズ・コバーン演じるCOI主人公シュタイナー曹長(邦訳では軍曹)は、数ある戦争映画に登場する軍人のキャラクターの中でもトップクラスの人気を誇り、また近年戦争映画の人気を一気に高めたスピルバーグ監督による「プライベート・ライアン/Saving Private Ryan 1998」を遡る事20余年も前に、コレほどの作品が製作された事には全く以て驚愕を禁じ得ない作品であります。ところが、この「COI」(タイトルの銘々自体も疑問ではありますが・・・自爆)には、並み居る戦争映画通たちも首を傾げざるを得ない狷罩が存在していたのでした・・・その狷罩とは・・・物語前半部での主要キャラクターの一人に挙げられる「マイヤー少尉(邦訳では中尉)・・・主人公シュタイナー曹長の直属上官」・・・を演じた俳優の名前が解らない・・・作品のスタッフロールでも確認できないし、どんな映画関係の文献にも掲載されていない、更には国内外のインターネットサイトや検索エンジンでも調べてもヒットしない、果ては映画配給会社ですら不明・・・と言う全く以て驚くべき事柄だったのです。エキストラやチョイ役であるならば、名前がクレジットされていない等当たり前の事ですが、そのキャラクターの重要度から言って、非常に重要な役柄であると言えるマイヤー少尉を演じる程の俳優の名前が、何故解らないのか・・・?私ATFが、この狷罩を知ったのは、恥ずかしながらそれ程昔の事ではなく、たかだか1年半程前の事なのですが、この狷罩を知ってからと言うもの夜も眠れず、飯も喉を通らず・・・って程おおげさでは無かったですが、何となく気になって、可能な限り色々調べては見たのですが、結局は力及ばず・・・真実は闇の奥深くに沈んだまま・・・だったのです。【この時の経緯については観戦記【File033】を参照されたし・・・ここに重大な狷羃鬚の鍵瓩・・・】

ソレは偶然に舞いおりた・・・
昨年晩秋に名優ジェームズ・コバーンが亡くなり、日本最大の戦争映画サイト「CROSS OF IRON」主催の追悼「戦争のはらわた」上映会が開催され、その打ち上げOFFの席上などでも、それとなくこの狷罩については話題になったりしたのですが、然したる進展も無く、依然として真実は暗闇の中のままでした。私ATFも年末年始の仕事の慌ただしさにかまけ、この観戦記の更新もおぼつかない様な有様だったので、真実を追跡するどころではなく、月日は悪戯に過ぎて行ったのでした。
そんなある日の夜の事、全く別の話題を素にした観戦記のネタ集めの為、ネット検索に勤しんでいた私ATFは、あるサイトのコンテンツで、これもまた戦争映画の名作のひとつとして名高い「鷲は舞いおりた(以後略:鷲舞)」「謎」(謎ばっかだなぁ)についての記述を発見し、その謎に非常に興味を引かれたのでありました。そのとは・・・「実は日本国内で販売されている鷲舞のビデオにはカットされた場面があって、英国版よりも収録時間が短い・・・」と言うモノ。何事にも知りたがり屋(兎年生まれなもんで・・・)のATFの事・・・これも非常に気になって生姜無い。また夜も眠れねぇ〜よ・・・嘘コケ・・・会社で寝てるから良いか!【実はこの時ATFは重大な誤りを犯していたのであった・・・が、アホなATFは、それには全く気付いていなかった!】
翌朝の通勤電車の吊革に元気なくブラ下がり、欠伸しながら、ボォ〜とこの「鷲舞」のについての解明手段などを考えていたATF。次の瞬間、頭の中に一筋の閃光が走った「きっとあの方ならッ・・・(銀英伝風〜意味不明)」不気味に微笑むATFの顔を、前の座席に座っていたおばちゃんが訝しげに眺めていたのを、ATFは知る由もなかった・・・自爆。
職場に出社したATFは、さっそく自席のPCの電源を入れるとメールソフトを立ち上げた・・オイオイ仕事しろよ!・・・そして宛先を選択する・・・その宛先の人物とは誰あろう我が朋友サイトのひとつである「安曇重工様」かのサイトの「安曇重工海外事業部?」ならば、海外作品のソフト情報に通じておられる、まず間違い無く「鷲舞」英国版の情報をお持ちなはずだ・・・などと勝手に解釈し、急々と確認のメールを打つATFなのでした〜ッ(今日のワンコ風)。時に【2003年1月24日9時24分】この時、運命の歯車の留め具が、微かに「カチッ」という音を立てて外れた事、そして自らが狢腓な誤りを犯している事を、未だお気楽なATFは知る由もなかった・・・のである。
その日の深夜・・・正確には翌日【2003年1月25日1時20分】・・・早速安曇重工様よりレスが還って来た。ATFの予想通り、安曇重工様は海外版「鷲舞」を所有されていた。しかし、その「鷲舞」は英国版ではなく米国版。確かに米国版「鷲舞」の収録時間は131分・・・日本国内版「鷲舞」を所有されてはいないそうなので、どのシーンがカットされているかは不明との事であった。やはり謎は本当であったか・・・これでやっと胸の支えがとれた・・・って本題と違うだろぉゴルァ!有り難い事に安曇重工様は、親切にも私ATFに米国版「鷲舞」を送ってくれるとの事である。併せて感謝感激・・・雨霰。早速安曇重工様に御礼メールを送る【2003年1月29日18時04分】また勤務中だよ、まったく生姜無ぇ〜ヤツ・・・
数日を経ずして安曇重工様より物件が届いた。米国版「鷲舞」のみでなく、他にATF未見の作品も数本同梱されている。安曇重工様、あなたは良い人だ・・・。こうして牘震燭了車は大きく回転を始めた・・・かに見えたのだが・・・牘震燭僚神はそう簡単にはATFに微笑んでくれなかった・・・。そして未だ狢腓な誤りに気付く事もなく・・・。

地獄のワーク・タイム
2月になり、我が職場にも年度末という修羅場が襲って来た。それに加えて同僚の退職・・・職場の環境が急激に悪化し仕事のスケジュールが立て込み、休みすらゆっくり取れない状況・・・せっかく米国版「鷲舞」を手に入れながらも、その後約1ケ月半もの間、私ATFは幻の「鷲舞」カット・シーンを確認する事が出来ないと言う事態に陥ったのであった・・・。月日は移ろい日々の業務に追われながら「鷲舞」の事などすっかり忘れていた(安曇重工様ごめんなさい・・・謝)ATFに、再び記憶を甦らせてくれたのは誰あろう、やはり安曇重工様からのメールであった。【2003年3月12日15時39分】誠に嬉しい事に「鷲舞」の事などすっかり忘れ惚けていたATFに比べ、律義で親切な安曇重工様は、英国版「鷲舞」に精通されている安曇重工ロンドン・バッキンガム支店長アレクサンダー・ヨーク氏を紹介してくれた。英国版「鷲舞」研究の第一人者であるヨーク氏は、私ATFの為に英国版「鷲舞」(英語字幕付)を送ってくれるとの事。俄に甦る記憶・・・やべぇ〜まだ「鷲舞」観比べてねぇ〜ゾ・・・自爆。誠に感謝感激な上に、ATF未見の作品も更に数作品送ってくれるそうだ・・・アレクサンダー・ヨーク氏、そして安曇重工様ありがとぉう〜、NET上での付き合いでしかない私の様な者に、ここまで気を使ってくれて・・・(感謝の涙・涙・涙)このお礼は何時の日か必ず・・・すぐにしろよ〜ッ薄情者めが・・・取り敢えず御礼メールだけでも送っとかなきゃ・・・【2003年3月12日16時32分】その後、幾たびかのメールでの遣り取りが繰り返されたのは言うまでも無いが、その間にあっても狢腓な誤りには全く気付かなかった愚か者のATFであった・・・。ちょうどその日は戦争映画サイト「CROSS OF IRON」掲示板上で管理人様より、これまた戦争映画史上に残る重大発表が行われ、日本国中の(オイオイ)名だたる戦争映画ファンたちが犇担醉霽餃していたのであるが・・・。しかしその間にも1ケ月半近くもソッポを向いていた牘震燭僚神が、微かにATFの方に向き直りつつあった・・・。
それから3日後の2003年3月15日・・・久しぶりの土日曜連休の初日・・・珍しく早起きして掃除・洗濯・買い物・・・とまったく哀しい一人住まいである・・・悲。早めの昼食を済ませた私ATFは、録画貯め&買い貯め、そして安曇重工様より送っていただいていたソフトの整理に取り掛かった。3台のデッキを総動員して収録内容を確認し、ラベルにタイトルを書き込んで張り付ける。未確認のソフトの内容が次々に確認されて行く・・・おぉこれオモロイやん・・・遂々観入ってしまう。そんなこんなで夕方・・・そろそろお腹も空いてきた頃、最後に残った未確認のソフトをデッキに入れスタートした。さぁてコレ確認したら飯にすッかぁ・・・ふわぁ〜(大欠伸)いささか観疲れた目を擦りながらモニター(カッコつけんなよ、テレビって書けよ・・・)を観やっていたATFの背筋に狷輿海両彳悪が走った・・・。それは安曇重工様が送ってくれたソフトの内のひとつに間違いは無い。なぜなら字幕が無い海外版のソフトだったからだ。暗闇の中を飛行する輸送機からパラシュートで降下する二人の男・・・地上に待機する一団・・・どうやらそのバラバラのカッコからするとレジスタンスかパルチザンらしい・・・やがて場面が変わり、どうやら山中のアジト・・・カッコがはっきりした。ロシア軍系のカッコだ。パルチザン・・・ユーゴが舞台かぁ。本部らしき小屋に案内される二人の男・・・一人がポケットから半分に千切られた紙幣を取り出し、パルチザンのリーダーらしき人物に手渡す。リーダーも紙幣の片割れを取り出すと切断面を確認する・・・。どっかで観た事ある作品なんだけどなぁ・・・惚けたATFの頭には明確な記憶が甦らない。生姜無い、巻き戻してからタイトルを確認して、ネットで検索するかぁ・・・。エエッとタイトルは・・・「KOMMANDO SCHWARZER PANTHER」げぇ一体何語なんだ。独語かなぁ〜。取り敢えずタイトルをメモるとPCで検索を開始。アレぇ〜ヒットしねぇなぁ・・・。国内の映画検索じゃダメなのかぁ・・・。生姜無い最後の頼みのIMDBしかないのかぁ・・・英語苦手だから嫌だなぁ。げぇげぇヒットしねぇ〜じゃん・・・怒。なんてこったい、IMDBでヒットしないとなると〜ッ、一体どうしたもんかなぁ〜。そ、そうか監督と俳優で検索してみっか・・・。まったく面倒臭いなぁ・・・私ATFは、そう独り言を言いながらオープニングの出演者のクレジット部分の再生を始めた・・・記憶の奥底に微かに残る謎の戦争映画ソフト・・・果たして牘震燭糧皚は、私ATFが気づかないまま眼の前でミシミシと軋みながら序々に開きつつあった・・・のである。

戦争映画史上に大きな一歩を記す事になる狎さの大発見(返す返す大げさだなぁ)牘震燭僚峇岫は、いつも当事者が全く気づかない内に一歩一歩近づいて来る・・・。果たして、この後にATFが目の当たりにする衝撃の真実とは・・・。次回「その時、歴史が動いた」・・・じゃな〜いッ!戦争のはらわた外伝「我レ爛泪ぅ筺湿尉瓮鯣見セリ」【後編】をお楽しみに・・・【続く】


【File081】第二次湾岸戦争勃発・・・ある戦争映画ファンの憂鬱【閑話休題】

2003年03月22日(土)

とうとう始まってしまいましたね・・・戦争が。アメリカもイラクも行くとこまで行ってしまって、引っ込みつかなくなってしまった末の戦争って感じがしますが・・・。猊靂蝋垰鉢ってのは聞こえが良いですが、殺し合いには違いないですからねぇ。でもまぁしかし何です、あのアメリカ軍の新兵器のオンパレードは・・・。私ATFは、元来現代戦やら兵器の知識は今いちなんですが、聞いた事もないような兵器ばかり・・・21世紀になっても兵器の技術革新のスピードは衰えてなかったんですね。イラクに対し大量殺戮兵器を持つな・・・と言ってるアメリカ軍の方が、大量殺戮兵器だらけってのも可笑しな話ではあります。狎こΔ侶抻=アメリカ瓮キ大将は新しいオモチャを使いたくて仕方が無い・・・というとこですかねぇ。体の良い猜軸鏝本市・・・売り込みに莫大な経費を掛けなくても、世界各国のマスコミが、なんとタダで宣伝してくれるんですから。兵器なんて使ってナンボですから。高価なミサイルもイザ発射って時までに維持管理するだけでも莫大なお金が掛かってますし、それ以上に消費しなければ供給出来ない・・・大事な大事な軍事産業を干上がらせる訳には如何でしょう、ガキ大将としてはね。まぁ始まってしまったものは生姜無い、早く終わっていただきたいものです。それと一般人の被害が少ない事を祈るばかりです。ところで、皆さんこの戦争の成り行きやフセイン大統領の安否や替え玉説で盛り上がっていますが、これって環境破壊ですよ・・・またもや多くの油井が破壊され天を覆う程の黒雲・・・CO2の大量発生ですよ、なんの為の京都議定書なんでしょうね。あぁそうか、アメリカは議定書を批准してないんだっけ・・・。職場の同僚の一人が言ってました。この戦争はイラク制裁の名を借りた爛疋VSユーロ瓩梁緲戦争だって・・・。元来石油相場を動かしていたのはアメリカとイギリスの資本で、基本的にドル経済社会(日本も結局はドル経済社会なんですよね〜)・・・イギリスのポンドなんて価値低いッすからねぇ。しかもイギリスはEC(ユーロ共同体)に加盟してないし・・・。かつての湾岸戦争(第一次)やら、それに続く湾岸エリアのドサクサ、911同時多発テロでアメリカ資本が中東方面を敬遠する中、ドイツとフランスの資本がこっそり中東に手を伸ばしていたとか。そんであんなに武力行使に反対したんだそうですわ。ロシアも何やかんや言っても武器供与なんかで中東諸国との繋がり深いですからねぇ。フランス・ドイツ・ロシア・・・そ、そうかコレって犹姐餞馨(1895)じゃないですか〜ッ。とまあ、何時に無く政治絡みの話題を書き込んでしまいましたが、今回の本題は、そんな事ではないんですよ。こんな時・・・戦争やら内戦、革命など軍事絡みの出来事が起こった時は毎度の事なんですが、ワイドショーの画面で引っ張りだこなのが毎度毎度の軍事評論家、該当地域の情勢に詳しいと言われる教授や政治学者、そして大手マスコミの下請けでスクープ狙いのフリーランスの戦地周り特派員の方々なのですが、その余波と言いましょうか、変な注目を浴びるのが犒灰タ(軍事オタク、ミリタリーファン・マニアとも)と呼ばれる種族なんであります・・・。【今回は当初予定の観戦記内容を変更してお贈りしております】

【俺は狎鐐茘瓩蝋イじゃない〜ッ】
毎度の事なんですが、やれアメリカ軍の攻撃は何時始まると思うかとか、やれあの兵器は何だとか、やれアメリカ軍の作戦は、この戦争は何時まで続くのか・・・軍事に疎い職場の同僚たちからの矢継ぎ早の質問に、次から次へと懇切丁寧に説明しなきゃならない我が身の悲しさよ・・・いつ戦争が始まるか・・・だって?そんなこたぁブッシュ大統領に聞けよ〜ッ・・・怒。スカッドとアッサムード兇肇僖肇螢ットとトマホーク、果てはテポドンとノドンの違いは・・・俺は現代兵器には弱いんだ〜勘弁してくれ・・・自爆。爍唯錬腺足瓩辰討覆鵑世茵舛┘鱈狒瓦討稜弾の母瓩世辰・・・なんのこっちゃ?爛哀薀鵐疋好薀爿瓩醗磴Δ里・・・わ、解らん。アメリカ軍の次の目標・・・俺が知るか〜ッペンタゴンにメールして聞け!戦争は何時まで続くのかって・・・もういい加減にしてくれーッ。あのフセイン大統領は本物かって・・・そんなもん見りゃ解るだろ〜と、俺に聞くな・・・で回答に窮すると「軍オタのくせに、そんな事も解んないの・・・」的冷たい視線が・・・と、まぁこんな情景が繰り返される訳です。真性軍オタの方々の中には、この時ばかりはと得意満面であれはそれ、これはこれと説明して注目を浴びている方もいらっしゃるでしょうが、私はただ戦争映画が好きなだけであって、それから派生して戦記や戦史、兵器の知識がほんのちょっぴり一般人の方々より詳しいだけなのに、何故こんな目に遭わねばならんのか・・・。職場内で犒灰タとして誤認されたが為の悲劇なのか。だから俺は狎鐐茲好き〜ッ瓩別じゃないって・・・如何にも狎鐐茲好き〜ッ瓩危ないヤツを見る眼つきで俺を見るなぁ〜。爐┐А繊○さん(ATFの本名)って戦争・・・人殺しが好きなんですかぁ〜違うって、どうしてそうなるかなぁ・・・俺は狎鐐茘瓩好きなんじゃなくて狎鐐莟撚茘瓩好きなんだって!爐┐А△修鵑覆海汎韻犬犬磴覆い鵑任垢〜甅爐い箘磴Δ鵑世辰・・・だからね・・・戦争が好きなのと、戦争映画が好きなのはねぇ・・・ええぃもう勝手にしろい!悲劇と歴史は常に繰り返されるのであった・・・。

【物心ついてからこのかた、戦争だらけ・・・だって】
全く幸いな事ながら、第二次大戦後の平和日本に生まれたお陰で犲尊櫃寮鐐茘を体験する事もなく・・・犲験戦争瓩鉢犖鯆明鐐茘は体験したが・・・もう○十年も生きて来れました。狎鐐茘瓩浪浸もテレビや映画、本や雑誌の中の出来事だった訳です。でも考えて見ると生まれてから現在まで、何時の時代も狎鐐茘瓩力誕蠅砲六欠きませんでした。言い換えれば常に世界の何処かで狎鐐茘瓩起こっており、テレビや新聞そして最近ではネットで溢れる程の情報が伝わって来ていた訳です。第二次大戦後の東西対立が激化、その代理戦争となった狡鮮戦争が明確な勝敗もつかぬまま終結・・・まぁ現状も継続中ですが・・・その後も東西対立は続き、最初のピークは1962年のキューバ危機。先日来日されたカストロ首相と革命の闘士チェ・ゲバラに率いられたキューバ革命軍によりバティスタ親米独裁政権が倒され、ラテン・アメリカ最初の共産政権が誕生(1961年)するのですが、その後キューバは旧ソ連と急速に接近、1962年10月アメリカ空軍のU2戦略偵察機によって、旧ソ連がキューバに建設中のミサイル基地が確認され、米ソ関係は急激に悪化・・・最初の狢荵絢\こβ臉錣隆躓´瓩訪れる訳です。しかしケネディ&フルシチョフの米ソ両首脳間での協議により事なきを得るのですが、これ以後常に世界の何処かで戦火が起こってる事になります。私ATFが生まれたのは、ちょうどそんな1960年代でした。物心ついた時は爛戰肇淵狎鐐茘瓩凌燭誕中だったのです。てな訳で、1960年代から現在まで、世界各地でどんだけ戦争やら内戦やら革命やらが起こった事か・・・ざっと挙げただけでも↓なんです・・・よ。(寝惚けて書き込んだので誤記ご容赦下さい・・・)つくづく日本って平和な国だと思うでしょ・・・いや全く。世界中で年がら年中戦争してるし、反政府組織の無い国なんてほとんど無いのに、マスコミが騒いでいる間は関心が高いけど、戦争が長期化したりするとその内話題にもならなくなる・・・そう言えばレバノン内戦とかニカラグアやエルサルバドルの内戦とか昔はよくテレビで放送されていたけど、何時の間にか終わってたんだ・・・。

1.民族自立と冷戦の縮図・・・アジア・インドシナの戦火
.戰肇淵狎鐐
1964.8.2トンキン湾事件、1965.2.7米軍介入、1973.1.27パリ和平協定、1973.3.31米軍完全撤退、1975.4.30サイゴン陥落
1979.2.*中越戦争勃発・・・中国軍ベトナム越境・・・1979.3.*中国軍撤退
▲ンボジア内戦
1970.4.*米軍・南ベトナム軍カンボジア侵攻、1975.4.*プノンペン陥落
1978.*.*カンボジア・ベトナム国境紛争
1978.12.*ベトナム軍カンボジア侵攻・・・1979.1.*ポル・ポト政権崩壊
1979.*.*ヘン・サムリン政権(旧ソ連・ベトナム支援)VSポル・ポト派(中国支援)内戦勃発
1982.7.*ヘン・サムリン政権(旧ソ連・東欧・ベトナム支援)VS民主カンボジア三派連合(ポル・ポト派、シアヌーク派、ソン・サン派/中国・アメリカ・ASEAN支援)内戦勃発〜1991.*.*
1988.6.*ベトナム軍カンボジアより撤退開始・・・1989.9.*撤退完了
1993.9.*立憲君主制復活
1994.7.*ポル・ポト派弾圧・・・1999.3.*消滅
1997.7.*フン・セン派クーデター
ラオス内戦
1971.2.*米軍ラオス侵攻、1973.2.*ラオス和平協定、1975.8.*ビエンチャン制圧
ぅ侫リピン
1972.9.*マルコス大統領戒厳令布告
1986.2.*反マルコス・フィリピン革命、反革命クーデター未遂
1996.9.*モロ民族解放戦線(1970〜)との最終和平合意
2001.6.*モロ=イスラム解放戦線と停戦合意
2001.6.*新人民軍共産主義闘争(1969〜)
ゥぅ鵐疋優轡
1976.*.*東ティモール併合・・・独立派武装独立闘争
1998.5.*東ティモール分離独立運動激化、1999.8.*独立反対派暴動
2002.5.*東ティモール民主共和国独立
2002.10.*バリ島テロ事件発生
2002.12.*アチェー州独立派武装闘争終結
Εぅ鵐
1984.6.*シーク教徒総本山ゴールデンテンプル武力弾圧
1992.12.*イスラム教徒VSヒンドゥー教徒衝突
1996.1.*ジャム・カシミール国境紛争、インド国境警備隊パキスタン軍と交戦
Ε僖スタン
1965.*.*第二次インド・パキスタン戦争勃発、同年停戦
1971.3.*バングラデシュ(東パキスタン)共和国独立
1971.12.3第三次インド・パキスタン戦争勃発、1971.12.17停戦
1977.7.*軍事政権樹立クーデター
Д好螢薀鵐
1976.5.*タミル人分離独立武装闘争開始、1987.7.*タミル人自治和平協定調印
1989.*.*停戦協定調印、1990.6.*和平交渉決裂・・・内戦激化
┘潺礇鵐沺
1988.3.*反政府・民主化要求デモ武力鎮圧、7〜8月デモ再び発生・・・武力鎮圧
タイ
1971.10.*軍部クーデター・・・タノム軍事政権
1973.10.*反政府暴動激化
1976.10.*軍部クーデター・・・プレム軍事政権
1992.2.*軍部クーデター
大韓民国
1979.10.*朴大統領暗殺・・・1980.5.17戒厳令布告
1980.5.18光州事件発生・・・反政府デモ→暴動へ・・・5.27鎮圧
中華人民共和国
1989.5.17民主化要求デモ、1989.5.20戒厳令布告、1989.6.4天安門事件
アフガニスタン
1973.7.*反王制クーデター、1978.4.*左翼軍事クーデター
1979.12.27旧ソ連軍侵攻・内戦勃発
1988.5.15ソ連軍撤退開始・・・1989.2.*完全撤退
1992.4.*親ソ連ナジブラ政権崩壊・反政府ゲリラ全権掌握
1992.5.*ムジャヒディン各派暫定政権樹立→政権内部分裂・内戦勃発
1996.9.*タリバン、首都カブール制圧、タリバン政権樹立
2001.9.11同時多発テロ発生
2001.10.*アメリカ軍空爆開始、2001.11.*北部同盟カブール制圧
2002.6.*カルザイ暫定政権樹立

2.東欧の戦火・・・民主化・民族の風
.船Д鎧件「プラハの春」
1968.8.20ワルシャワ条約機構軍、チェコ侵入
▲襦璽泪縫
1989.12.16ティミショアラ反政府デモを武力鎮圧
1989.12.21ブカレスト反政府デモを武力鎮圧
1989.12.22非常事態宣言・・・チャウシェスク大統領派と反政府デモ隊交戦
1989.12.25チャウシェスク大統領夫妻処刑
ユーゴスラヴィア
1980.5.*チトー大統領死去
1989.2.*コソヴォ紛争・・・1999.6.*停戦成立、ユーゴ軍コソヴォより撤退
1991.6.25スロヴェニア共和国・クロアチア共和国、連邦より独立・・・セルビア軍両共和国に侵攻・・・内戦勃発
1991.6.25〜1992.*.*セルビア・クロアチア紛争
1992.4〜1995.12.14ボスニア紛争(ボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国)
1995.5.*NATO軍、セルビア人拠点空爆
さ譽熟
1991.1.*ソ連軍バルト3国侵攻
1991.8.18反ゴルバチョフ・クーデター・・・8.21クーデター失敗・・・共産党解体
1993.10.*反大統領派市民と内務省部隊・・・武力衝突、最高会議ビル占拠
1994.12.*第一次チェチェン紛争勃発・・・1996.8.*無期限停戦合意
1999.9.*第二次チェチェン紛争勃発・・・チェチェン空爆
2002.10.*チェチェン武装勢力によるモスクワ劇場占拠事件

3.イスラム・信仰と石油と・・・中東の戦火
.ぅ薀・クーデター
1963.2.*バース党政権奪取
▲譽丱離麁眄
1975.*.*イスラム教徒左派民兵VSキリスト教徒右派民兵衝突
1976.*.*シリア軍主導アラブ連合軍介入
1978.*.*イスラエル軍、レバノン南部侵攻・・・PLO国外退去、国連平和維持軍駐留
1984.2.*欧州各国軍部隊完全撤退
1990.*.*シリアの支援を受けたレバノン軍、全土掌握・・・内戦終結
イエメン内戦
1962.9.*軍部による王制打倒クーデター、1962〜1970旧王制派VS共和派内戦
ぢ荵絢|翕貔鐐茵嶇仔戦争」
1967.6.5イスラエル空軍奇襲・開戦、1967.6.23停戦
ヂ荵夕|翕貔鐐茵幀涅疇戦争」「十月戦争」
1973.10.6エジプト・シリア連合軍奇襲・開戦、1973.10.24停戦
Εぅ薀鶻很
1979.1.16国王パーレビ2世亡命、1979.4.*イラン=イスラム共和国成立
1979.11.*アメリカ大使館占拠、1980.4.*人質救出作戦失敗、1981.1.*人質解放
Дぅ薀鵝Εぅ薀戦争
1980.9.*イラク軍侵攻・開戦、1988.8.*停戦
第一次湾岸戦争
1990.8.2イラク軍クウェート侵攻、1991.1.17国連多国籍軍イラク空爆開始
1991.2.24国連多国籍軍地上部隊イラク領内侵攻、1991.3.3停戦、4.6終戦
イスラエル
1993.9.13パレスチナ暫定自治協定調印、2000.9.*イスラエル・パレスチナ衝突
2001.3.*シャロン連立政権成立・・・パレスチナ自治区侵攻
クルド問題
1991.3.*イラク領内クルド人蜂起・・・鎮圧
1991.10.*トルコ空軍機、イラク領内クルド人拠点爆撃
1992.*.*トルコ・イラク国境付近にてトルコ軍VSクルド人労働党交戦
1993.6.*クルド人対トルコ・ゲリラ戦展開
1995.3.*トルコ軍、クルド人ゲリラ掃討作戦開始
1996.8.*イラク北部でクルド民主党(イラク支援)とクルド愛国同盟(米支援)激突
1998.9.*クルド暫定連立自治区成立
アルジェリア
1962.3.*フランス側とアルジェリア側との休戦協定調印
1962.7.*アルジェリア独立

4.クーデターの嵐・・・中南米の戦火
.屮薀献
1964.*.*軍事政権クーデター、1985.*.*民政復帰
▲▲襯璽鵐船
1976.3.*軍事政権クーデター
1982.4.2アルゼンチン軍英領フォークランド侵攻
1982.6.14アルゼンチン軍降伏
チリ
1973.9.*軍事政権クーデター、1990.3.*民政復帰
ぅ縫ラグア
1979.7.*ソモサ独裁政権打倒サンディニスタ革命
1984.11.*左翼政権樹立、反政府ゲリラ・コントラとの内戦勃発、1988.*.*停戦
1990.2.*内戦終結
ゥ┘襯汽襯丱疋
1979.*.*反政府ゲリラとの内戦勃発、1992.*.*内戦終結
Ε哀譽淵
1974.*.*英領植民地より独立、1979.3.*社会主義革命、1983.10.*軍事クーデター
1983.10.*アメリカ軍侵攻・親米政権樹立
Д僖淵
1968.*.*国家警察軍クーデター、1989.12.*アメリカ軍侵攻、
1989.12.*親米政権樹立、1990.1.*ノリエガ将軍逮捕

5.独立と自立・・・アフリカの戦火
.競鵐咼(旧北ローデシア)→ジンバブエ
1964.*.*ザンビア独立、1976.*.*白人政権VS反政府解放戦線との内戦勃発
1979.12.*内戦停戦、1980.4.*ジンバブエ共和国独立
▲┘船ピア
1974.9.*反帝政軍部クーデター、1987.9.*社会主義政権樹立
1977.7.*エチオピア・ソマリア戦争勃発、1978.3.*ソマリア軍撤退・停戦
1988.*.*反政府ゲリラ活動活発化、1991.5.*社会主義政権崩壊
1993.5.*北部エリトレア、エチオピアより分離独立
ソマリア内戦
1980.*.*内戦勃発、1992.12.*国連多国籍軍進駐
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1964.*.*モザンビーク解放戦線武装独立闘争、1975.6.*人民共和国独立
1970.*.*モザンビーク・南ローデシア戦争勃発、1979.*.*停戦
1981.*.*親南アフリカ系反政府ゲリラとの内戦勃発、1992.*.*停戦
ゥ▲鵐乾
1975.3.*旧宗主国ポルトガルとの独立闘争休戦
1975.11.*アンゴラ解放人民運動(旧ソ連支援)アンゴラ全面独立民族同盟(アメリカ支援)アンゴラ民族解放戦線(旧南ア支援)の三つ巴内戦勃発、1991.*.*一時停戦
1992.*.*再度内戦勃発、1995.*.*停戦、1997.4.*内戦終結
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反アパルトヘイト(人種隔離政策)闘争・・・アフリカ民族会議による武装闘争
1976.6.*ソウェト蜂起・・・反アパルトヘイト暴動全国へ波及
1991.6.*アパルトヘイト廃止、1994.5.*白人支配終了
Д襯錺鵐斉眄
1990.10.*反政府組織ルワンダ愛国戦線、首都制圧、1993.8.*一時停戦
少数派フチ族による多数派ツチ族大量虐殺発覚、1994.7.*反政府勢力勝利

第二次湾岸戦争の第一報は昼飯を喰っていた食堂のテレビで知りました。12年前の夜空を埋め尽くす程の曳光弾の乱舞とは打って変わって、イラク側の対空砲火の勢いは弱く、時折雲の合間でピカッと光る程度・・・武器の供与を禁止されたイラク軍の装備状況は最悪だそうです。それに比べ12年分進歩した超ハイテク装備を身に着けたアメリカ兵たち・・・すでに南部要衝のバスラ(イラン・イラク戦争の時も両軍の攻防が繰り広げられた)も陥落・・・首都バクダットも最早風前の灯火だとか・・・でもイラクの首都防衛隊には年端もいかぬ子供も大勢いるらしい、大統領警護隊はどこにいるのか・・・フセイン大統領は負傷した等情報が錯綜しておりますが、私ATFの目に止まったニュースの中で最も気になった記事は「ベネゼエラの教会にある狎司譽泪螢∩瓩血の涙を流した」って記事でした。「ムー」の世界だな、まさに。【続く】


【File080】それでも牘冤坤スター瓩観たい!・・・多勢に無勢【中編Vol.2e】

2003年03月16日(日)

これで、本当に最後です・・・カスターのお話ですけどね。さて戦争映画観戦記なのですからもっと映画の話をせんかいってお叱りの声が・・・それでは最後を締めくくって爛スター映画のお話です・・・流石にアメリカ国民の人気が非常に高かったカスター(今でもアメリカでは数多くのサイトが観られます)・・・映画創世期から早くも題材として取り上げられていました。「ON THE LITTLE BIGHORN OR CUSTER'S LAST STAND 1909」「CUSTER'S LAST FIGHT 1912」「CUSTER'S LAST RAID 1912」「CAMPAIGNING WITH CUSTER 1913」「CUSTER'S LAST SCOUT 1915」その後も「GENERAL CUSTER AT LITTLE BIGHORN 1926」「CUSTER'S LAST STAND 1936」「WITH CUSTER AT THE LITTLE BIGHORN 1940」「A HORSE NAMED COMANCHE 1958」「GOLD,GLORY AND CUSTER 1962」「TWO SERGEANTS OF GENERAL CUSTER 1965」「THE COURT-MARTIAL OF GEORGE ARMSTRONG CUSTER 1977」など現在まで40本以上の作品が制作されている様です。それでは、それら作品の中でも主要作品や異色作品、現在日本で観戦可能な作品などご紹介して行きましょう・・・。それでは開演《開演ブザー》です。いつものように携帯電話の電源はお切り下さい。

壮烈!第七騎兵隊
1941年(138分)原題「THEY DIED WITH THEIR BOOTS ON」
監督ラオール・ウォルシュ
主演エロール・フリン、オリヴィア・デ・ハヴィランド、アーサー・ケネディ、アンソニー・クイン他

カスターを描いた代表的作品ですな。ラオール・ウォルシュが、アメリカ国民の声を代弁してるってもんです。太平洋戦争開戦の年に制作されているので、多分に反日色が出てるのかも・・・。ウエストポイントの超落ちこぼれ時代、南北戦争・少尉任官後の嘘の様な准将昇進、前線騎兵指揮官としての才能を如何なく発揮し戦果を上げての少将昇進、終戦後の不遇の中で自ら望んで辺境警備の第七騎兵隊の指揮官となりインディアンとの激闘、最後はリトル・ビッグホーンで壮烈な最期を遂げるまでの半生を壮大かつ肯定的に描いた典型的英雄自叙伝西部劇。単なる悲劇の物語としてでなくカスターの人生が如何にに栄光に彩られているか・・・インディアンとの協定を守ろうとしたにも関わらず、一部の私利私欲に走った白人のせいで仕方なく孤軍奮闘した死んでいった悲劇の主人公ってな描かれ方ですかねぇ。恋の相手(劇中で後に結婚)は美女オリヴィア・デ・ハヴィランドで、エロール・フリンとは美男・美女のワーナー黄金カップルです。若きアンソニー・クインが宿敵クレージー・ホースを演じ引き締まった肉体を披露しております。【大きなレンタル店なら在庫あるかも・・・】

小さな巨人
1970年(140分)原題「LITTLE BIG MAN」
監督アーサー・ペン
主演ダスティ・ホフマン、フェイ・ダナウェイ、チーフ・ダン・ジョージ他

リトル・ビッグホーン唯一の生き残りと言われたジャック・クラブの数奇な一生(なんと121歳/もう伝説だな)を、名優ダスティ・ホフマンが熱演。両親をインディアンに殺されシャイアン族の酋長オールド・ロッジ・スキンズ(OLD LODGE SKINS/テントの皮/チーフ・ダン・ジョージ/1970年度アカデミー賞助演男優賞ノミネート)に育てられたジャックは狆さな巨人瓩般症佞韻蕕譟以後インディアン社会で三度、白人社会で四度暮らし、その間大統領当選に執念を燃やすカスター(リチャード・マリガン)や早撃ちガンマンのワイルド・ビル・ヒコック(ジェフ・コーリィ)や多くのインディアンの仲間たちとの出会いと別れ(永遠の別れも・・・)を繰り返し、斥候としてリトル・ビッグホーンの戦いに参加、九死に一生を得るまでが回想として語られます。インディアンの暮らしぶりも良く描かれており、特に酋長オールド・ロッジ・スキンズの演技は秀逸。いつも自らを「人間=THE HUMAN BEINGS」と呼び、戦いを前にしての「今日は死ぬには良い日だ=IT'S A GOOD DAY TO DIE」という台詞もベリグー。カスターの最後の病的なまでの演技は見物です。ある意味「壮烈・・・」より「リトル・ビッグホーンの戦い」は良く描けています。ハリウッドの西部劇人気の終焉を彩る・・・ベトナム戦争風刺の意味も・・・作品です【大きなレンタル店のダスティ・ホフマンのコーナーにあるかも・・・】

カンサス騎兵隊
1940年(110分)原題「Santa Fe Trail」
監督マイケル・カーティス
出演エロール・フリン、オリヴィア・デ・ハヴィランド、ドナルド・リーガン

エロール・フリンが、南北戦争の南軍騎兵指揮官として名を馳せるジェブ・スチュアートを、ロナルド・リーガン元大統領が親友のカスターの若き日を演じ、同じく名を馳せる著名な将星たち(シェリダン、ロングストリート、ピケット)が陸士の同級生(校長が後の南軍総司令官ロバート・E・リー)が同期生として登場しますが、実際彼らは皆年齢や陸士卒業年次が異なる為、全く架空な設定&物語な娯楽ウェスタン作品です。共演はオリヴィア・デ・ハヴィランド(恋人キット役)ヴァン・へフリン(敵役レイダー/「シェーン」で有名)レイモンド・マッシー(ジョン・ブラウン役)等。この作品では陸士卒業からカンザス準州のレベンワース砦へ赴任後、ハーパース・フェリー兵器庫襲撃事件(1859年10月)の犯人狂信的奴隷解放論者ジョン・ブラウン(Jhon Brown 1800-59)一派の追討戦での活躍まで描かれています。ジョン・ブラウンはカンザス準州を中心に過激な奴隷反対運動を展開しており、その運動が南北戦争の一要因ともなっています。舞台となったカンザス州や隣のミズーリ州は、ボーダーステイツ(南北境界州)とも呼ばれ、奴隷制賛成派と反対派が入り乱れ、戦争中は北軍派ゲリラ(「赤い砂塵/THE JAYHAWKERS1959」「アウトロー/THE OUTLAW JOSEY WALLS1976」)や南軍派ゲリラ(「楽園をください/RIDE WITH THE DEVIL1999」)が過激な活動を展開、凄惨な殺し合いを繰り広げました。原題はレベンワース砦がサンタフェ街道(Santa Fe Trail/主要街道)の起点だった事によります。【DVDとビデオが発売されています】

南北戦争前夜
1993年(94分)原題「CLASS OF '61」
監督グレゴリー・ホブリット
主演ダン・ファッターマン、クライヴ・オーウェン、ジョシュア・ルーカス、ソフィー・ウォード、アンドレ・ブローアー、ニール・オブライエン他

前述の「カンザス・・・」と同じく若きカスターが登場する作品だが、こちらは史実に近く描かれたテレビ映画。出演者は若手の無名俳優ばかりですが、カスターの落第生(学科)と優等生(実技)ぶりは良く描かれています。時は1961年、陸士同期の親友ペイトン(生徒隊長)オニール、そしてカスターの三人の卒業を目前にして南北戦争が勃発。生徒たちは連邦への忠誠心を試され、南部出身者たちは自らの意志で故郷へと去って行きます。その後は南部の豊かな農園風景や争乱下のボルチモアを舞台に複雑な人間関係が絡まって物語はラスト、南北戦争で最初に大部隊同士が激突した爛泪淵奪汽垢寮錣きへと進んで行きます。昨日までの友人が今日は敵となった主人公たちの混乱、バラバラになる家族と引き裂かれる恋人たち、戦争など他人事の様に見物三昧の上流階級の人々、自ら自由を得る為に行動を起こす奴隷たちの姿が描かれた群像ドラマですが、これから・・・ってトコで終わっちゃうのよねぇ・・・オイオイ一体この後どうなんのよ〜ッ!?【大きなレンタル店なら在庫があるかも・・・】

壮烈!第七騎兵隊
1967年 アメリカNBC系列 原題「THE LEGEND OF CUSTER」
日本国内 フジテレビ系にて1967年(昭和42年)放映
テレビ東京(12ch)系(一説に日本テレビ系)にて1970年(昭和45年)1月再放送?全17話(途中打ち切り)

ATFが物心付いて最初に観た米国製ドラマが、このカスターを描いたドラマでした。1870年代のカンサス。辺境守備の砦に着任したジョージ・アームストロング・カスター大佐(ウェイン・マウンダ―)は次々に手だてをうち出し、ならず者の集団の様であった指揮下の第七騎兵隊を鍛え直し最強の騎兵隊に育て上げます。その間に様々なエピソードを加え、物語は歴史に残る最後の戦いへと突き進んで行き・・・ません・・・はっきりとした記憶は私ATFには無いのですが、最終回以前に日本国内での放送は打ち切られているようです。ドラマの演出上、カスターの設定がインディアンに対し同情的であった様な気がします。共演はマイケル・ダンテ(クレイジー・ホース役)スリム・ピッケンズ(斥候ミラー役)他。カスター役の「髭面の優男マウンダ―」が女性に人気が高かった様です【1968年にストーリーを再編集した「猛将カスター/THE LEGEND OF CUSTER」という100分版の作品がアメリカでビデオ発売されています】

カスター将軍
1967年(144分)原題「CUSTER OF THE WEST」
監督ロバート・シオドマク 
出演ロバート・ショウ、ロバート・ライアン、ジェフリー・ハンター、タイ・ハーディン

蒼々たる出演者による一大西部絵巻。インディアンと合衆国騎兵隊が熾烈な戦いを行っていた頃、南北戦争で数々の武勲を上げた元将軍カスターが第七騎兵隊に着任、インディアンとの雌雄を決する為に総攻撃をかけますが、インディアンの予想外の反撃により第七騎兵隊は壊滅する・・・歴史に名高い爛螢肇襦Ε咼奪哀曄璽鵑寮錣きをカスターの視点から描いた作品です【北米版DVDやビデオはあるみたいですが・・・未見】

カスター将軍の最後
1965年(91分)原題「THE GREAT SIOUX MASSACRE」
監督シドニー・サルコウ
主演ジョセフ・コットン、ダーレン・マクギャビン、フリップ・ケリー他

実は最も忠実にカスターの最後の日が描かれているのではないか・・・と言われている作品。カスター隊で生き残ったリーノ少佐(ジョセフ・コットン)とベンティーン大尉(ダーレン・マクギャビン/「将軍アイク」でパットン役やってたなぁ〜)の視点で物語が進んで行くそうです。しかし余りに史実に忠実すぎて描かれた為、興行映画的には面白みに欠け、評価は低いようです【残念ながら未見・・・アメリカでもソフトは発売されていないようです】

サン・オブ・ザ・モーニング・スター/悲劇の将軍カスター
1991年(186分)原題「SON OF THE MORNING STAR」
監督マイク・ローブ
主演ゲイリー・コール、ロザンナ・アークエット、ディーン・ストックウェル他

1991年に製作されたテレビ映画。日本ではN○K衛星第2放送で放映された。E・S・コンネルのベストセラー歴史小説を基に、カスターの妻エリザベス(ロザンナ・アークウェット)とインディアン女性ケイト・ビッグヘッド(バフィー・セント-マリー声)の視点からカスターの半生を描いた米国版大河ドラマ。荒野を進撃する第七騎兵隊の描写などが素晴らしい作品だそうです・・・が残念ながら未見【アメリカではビデオが発売されてるみたいですが・・・衛星第2で放送されたので誰か録画してないかなぁ〜】

荒野の暴れん坊カスター将軍
1975年(不明)原題「THE WILD GENERAL」
監督トム・グリース
出演ジェームズ・ガーナー(カスター将軍)スーザン・クラーク(宿屋の女主人)リー・J・コッブ(悪徳保安官)ジャック・イーラム(悪徳牧場主)ボー・ホプキンス(スティーブ=助さん)ロバート・キャラダイン(カーク=格さん)

「荒野の七人」など日本の時代劇を素にした西部劇が多い中、その極み的作品がコレ。カスター将軍が部下二人(やっぱ格さん、助さんだよ〜)と流れ者のガンマンに身を窶し、とある西部の町を暴力で支配する保安官(悪代官)と牧場主(悪徳庄屋or商人)一味をやっつけるいうお話。最後にカスター将軍だって正体を明かすらしいのですが・・・「この名誉勲章が目に入らぬか・・・このお方をどなたと心得る・・・恐れ多くも先の北軍義勇名誉少将、第七騎兵隊長カスター閣下にあらせられるぞ・・・皆の者、頭が高い〜ッ。エエィ下がれ下がりおりょ〜ッ」って台詞があるかどうかは分かりません・・・爆。ネット上で検索してたら、この記事を載せたHPのコンテンツが引っかかったのですが、残念ながらIMDBなど映画関連の検索ではヒットせず・・・幻の作品なんですが、激しく観てみたいですな・・・【未見・・・って本当にあるのかァ〜ッ】

必殺意外伝 大利根ウェスタン月夜〜主水、第七騎兵隊と闘う
1985年1月4日放送・テレビ朝日系
監督 石原興
出演 藤田まこと、村上弘明、京本政樹、鮎川いずみ、山田五十鈴、菅井きん、白木万理 他

人気時代劇シリーズの仕事人第23弾「必殺仕事人V」のテレビ放送開始前の正月特番として放送された作品です。秀と勇次の人気キャラに代わり「花屋の政(村上弘明)」「組紐屋の竜(京本政樹)」の新人お目見えスペシャル。主水ら仕事人一行が開拓時代の西部へタイムスリップ?し、カスター将軍の率いる第七騎兵隊と戦う(カスターが主水に斬られる・・・)らしいのですが、全く以て奇想天外なSFストーリーであります。必殺ファンの間でも人気は高いらしい(賛否両論・・・)のですが、劇中で流れたBGM曲の権利関係がクリア出来ず、未だソフト化されていないとの事・・・【未見・・・別に観たくはないけど】

アパッチ砦
1948年(127分)原題「FORT APACHE」
監督ジョン・フォード
主演ジョン・ウェイン、ヘンリー・フォンダ、シャーリー・テンプル他

巨匠ジョン・フォードの騎兵隊三部作(「黄色いリボン/SHE WORE A YELLOW RIBBON1949」「騎兵隊/THE HORSE SOLDIERS1959」)の第一作目。カスターは登場しませんが、劇中の登場人物とエピソードは、どう観ても「カスターとリトル・ビッグホーンの戦い」がモデル。ヘンリー・フォンダが、出世コースからはずれた辺境の砦の守備隊長に任命された為に戦功に焦る騎兵少佐を熱演。ジョン・ウェインの古参大尉も渋い・・・。なんと言っても騎兵隊突撃シーンのカメラワークが絶品・・・!!騎兵隊の正式装備であるスプリンフィールド単発カービン銃とインディアンの持つウィンチェスター連発ライフルは正確に描かれています【DVDとビデオが発売されてます】

ソルジャー・ブルー
1970年(112分)原題「SOLDIER BLUE」
監督ラルフ・ネルソン
主演キャンディス・バーゲン、ピーター・ストラウス、ドナルド・プレザンス他

西部開拓史上の汚点「サンドクリークの虐殺」を取り扱った作品。陸軍の給料輸送隊がインディアンに襲われ、白人女性(キャンディス・バーゲン/シャイアン族に誘拐されていたが解放され婚約者の騎兵大尉の待つ砦へと向かう途中)と若い騎兵(ピーター・ストラウス/父親がリトル・ビッグホーンで戦死)の二人だけが生き残ります。まあ良くある話ですが、インディアンの目から隠れ脱出する途中、二人の間には愛情が芽生えます。しかし女性は密かにシャイアン族の村に戻り騎兵隊が襲ってくる事を伝えるのですが、時既に遅く、騎兵隊の大砲が村目掛けて発射され・・・物語は騎兵隊によるインディアン大殺戮シーンへと突き進みます。カスターは登場しませんが、騎兵隊が行ったインディアン虐殺を堅実に描いた作品として注目出来ます。初めて観た時、物語の中盤までは白人女性と若い騎兵隊員二人の珍道中みたいな作りで、お気楽に観ていたのですが、最後は大殺戮シーンに唖然とさせられ抗命罪で逮捕された騎兵隊員のその後が気になったものでした【大きなレンタル店なら西部劇コーナーに在庫があるかも・・・】

ドクター・クイン大西部の女医物語
1993年〜N○K 原題「DR.QUINN THE MEDICINE WOMAN」

アメリカの人気西部劇テレビシリーズで、日本では某国営放送局で第5シーズンまで放送(現在中断中)されており、ファンサイトも数多くあり人気が高い作品です。西部劇です始終ドンパチっていう訳ではなく、物語の舞台であるコロラドスプリングスという町は銃の携帯が禁止されている、という異例中の異例な設定であります。物語は1860年代、主人公であるミケーラ・クインはボストンで生まれで、当時まだ珍しかった女医。西部の片田舎のコロラドスプリングスという町が医師を求めていると新聞の求人欄で知り、遥々やって来ます。女医を受け入れられない古い体質の町の人々。差別や偏見と戦い、孤児を引き取り、恋人とのロマンス、町で起きる様々な事件をを通して愛、友情、正義を強く訴える感動ドラマです。主要登場人物にシャイアン族の呪い師クラウド・ダンシングが登場。彼の妻は「ワシタ河畔の虐殺」でカスター率いる第七騎兵隊によって殺されています。そんな訳で、劇中憎まれ役の悪役でカスターと第七騎兵隊が登場してます【ソフト未発売・・・再放送未定です】

アイルランド民謡GARRY OWEN
【視聴できます】
カスターと第七騎兵隊を語る上で忘れられない歌があります。それがこの「GARRY OWEN=ギャリー・オウエン」です。カスターが第七騎兵隊に着任して、兵士たちの士気を鍛え直す為、アイルランド出身の士官がピアノで演奏していたのを気に入って隊歌として採用します。元は1800年代のアイルランド民謡で、兵隊たちが飲んで騒ぐ時に好んで演奏されたクイック・ステップの曲で別名「WE MAY ROAM THROUGH THIS WORLD」としても有名です。「アパッチ砦」の中でもカスター(スコットランド系移民の子孫)をイメージさせる為に使用されていますし「黄色いリボン」でも劇中のパーティ・シーンで使用、更に「小さな巨人」の中でも進撃する第七騎兵隊のシーンでBGMとして流れています。ディカプリオ主演の「ギャング・オブ・ニューヨーク」の中で、アイルランドからの移民がニューヨーク港に着くやいなや徴兵されて南部に送られるシーンがあるそうです。アメリカに夢を求め渡ってきながら、戦場で危険に身を曝すアイルランド系兵士たちが故郷を想って謳った歌でしょうか・・・。トム・ベレンジャー主演の「ワン・マンズ・ヒーロー/ONE MAN'S HERO1998」という作品では、合衆国軍の中で迫害されるカトリック教徒のアイルランド系兵士たちが、脱走してメキシコ軍に合流し合衆国軍と戦う、と言うお話でした。アイルランド系の開拓移民を指して倏鮨妖枸讚と表現する事があるそうです・・・奴隷ってアフリカ系だけじゃなかったんですね・・・悲。

そう言えばメル・ギブソン主演の「ワンス・アンド・フォーエヴァー」で、主人公ハル・モーア中佐の所属する米陸軍第1騎兵師団第7騎兵連隊の愛称は「GERRY OWEN」だったですなぁ・・・軍服の部隊袖章にバッチリ書いとりました・・・。さてこれでカスターのお話はお終いです。これを読んでカスターファンになった方が、果たしてどれ位いるのか・・・ジョージ・アームストロング・カスター・・・フロンティアの虐殺者、でも伝説の英雄の一人です・・・って言える軍人には違いないと思います。【続く】


【File079】遥かなるリトル・ビッグホーン・・・多勢に無勢【中編Vol.2d】

2003年03月15日(土)

さあ、カスター絡みの書き込みも既に4話目。観戦武官の皆さまに置かれましては、長々とお付き合いありがとうございます。それでは前置きはさて置き、早速行って見ましょう。物語は運命の1876年6月25日を迎えます・・・その日一体何が起こったのか・・・それでは開演《開演ブザー》です。いつものように携帯電話の電源はお切り下さい。【いつもの如く、この書き込みに史料的価値はありません】

1876年に至る状況
カスターのブラック・ヒルズ探査隊の報告に基づき、合衆国政府は、1875年ブラック・ヒルズ買収の為の交渉使節(アリソン委員会/交渉条件は買取ならば600万ドルで15年月賦、或いは賃貸なら年間40万ドル)を派遣しましたが、スー族側(和平派のみ/抗戦派シッティング・ブルやクレージー・ホースは参加せず)には売買の意図は無く(元来土地私有の価値観念のないインディアンにとっては、白人が土地に値段をつける事自体が理解出来なかった。結局彼らにとって神聖な数字である爍鍬瓩魎陲法7000万ドル以下では売らない」と吹っかけたようである)交渉は決裂。合衆国政府は、これに対する制裁としてララミー条約によって認められているはずであったスー族の冬季狩猟(居留地外)を禁止(1875年12月6日)し、既に狩猟に出発していた部族に対しては1876年1月31日までに居留地へ帰還するように通告しました。そして、もし帰還しなければ、それは「合衆国政府に対する戦争行為」と見なす・・・と(でも全部族の帰還は実質的に不可能・・・連絡手段が無く狩猟場所も解らないので・・・結局は戦争の為の口実・・・)遂に1876年2月1日合衆国陸軍最高司令官シャーマン将軍シェリダン将軍の部隊に出動を命令(「冬の作戦」開始)し、ララミー条約による「短き平和」は終焉を迎え、再び戦乱の時代が始まりました。

パウダー川の戦い
シェリダン将軍は、アリゾナでアパッチ族追討戦を実施していたジョージ・クルック准将(その髭面から「灰色の狐」と呼ばれており、インディアンの生活慣習や文化、風習を熟知)を北部ダコタ軍管区司令官を任命しました。彼は部隊の機動性を向上する為、物資輸送に幌馬車隊と共にラバ隊を利用、また元来スー族やシャイアン族と敵対していた部族(クロウ、ポウニー、ショショーニ、アリカラ族等)を部下(斥候隊や奇襲部隊)として用い効果を上げていました。その頃スー族の集団はシッティング・ブル指揮の下、さらにシャイアン族やアロパホ族なども吸収し、数千の部族連合となっていたのですが、インディアン側が小集団に分散し行動していると判断したクルック准将は、掃討作戦が簡単に遂行できるものと考え3月中に作戦を開始。しかし初夏のような陽気が数日後にはうって変わって目もくらむ雪嵐に変わるような平原の気候に振り回され立ち往生し、インディアン側の気候と地勢を利用した神出鬼没のゲリラ戦に振り回され、大きな損害を出し退却を余儀なくされ狹澆虜鄒鎰は失敗に終わりました。第1ラウンド・・・インディアン側勝利

ローズバット・クリークの戦い
クルック准将は5月末に再び作戦行動を開始(兵力:第二・第三騎兵連隊の15個中隊及び第四・第九歩兵連隊の5個中隊の総計1051名、そして輸送隊(ラバ250頭・幌馬車106両)と合衆国側に帰順したクロウ族(クプレンティ・クー酋長)及びショショーニ族(トム・コスグローブ酋長)の二部族連合部隊300名)6月17日遂にモンタナ州南東部パウダー川流域ローズバット・クリークの丘陵地においてクレージー・ホース率いるスー族・シャイアン族連合軍1500名との戦闘が始まりました。戦場はなだらかな丘陵で騎兵戦には絶好の地形。戦闘は翌日まで続き激しい攻撃と反撃が繰り広げられ、一時はクルック准将の司令部も孤立する有様。また負傷者を銃弾飛び交う中で救出する場面も両軍に数多く見られたそうです。結果的にはスー族・シャイアン族連合軍側の方の損害が、合衆国軍の損害をやや上回り、クルック准将は自軍の勝利を確信・・・犢臀姐餬海寮鐔囘勝利しました。しかし彼らは、北進しカスター隊と合同するという目的を果たす事が出来ず、さらに補給と休養の為にワイオミング方面(南進)に撤退せざるを得なくなり、その為インディアン側の追撃は行われませんでした。しかしその頃インディアン側は、北方リトル・ビッグホーン川のほとりに集結し、自らの大集落の防備を固め、結果的には爛ぅ鵐妊アン側の戦略的勝利となっていました。運命の「リトル・ビッグホーンの戦い」まで、残すところ一週間・・・。第2ラウンド・・・インディアン側有効

リトル・ビッグホーンの戦い
インディアン討伐軍のもう一人の指揮官アルフレッド・H・テリー准将は、モンタナ州リトル・ビッグホーン河畔のインディアン集落の包囲殲滅作戦(キボン大佐が主力部隊を率い集落北側より攻撃し、カスター中佐率いる第七騎兵隊が集落南側に進撃しインディアンの退路を断つ)を実行に移します。しかし前述の通り、インディアン側はリトル・ビッグホーン河畔の大集落の防備を一層固めていました・・・そして運命の6月25日の夜が明けます・・・。
6月25日未明
前日の24日夜半に先発していたクロウ族の斥候がリトル・ビッグホーン河畔にインディアン大集落を発見(野営地より北西24km地点)・・・その数の多さを「騎兵隊員の弾帯ベルトに付けた弾丸の数より多い」と表現し、攻撃中止を進言しましたが、カスターはその報告を過少評価・・・ギボン大佐指揮下部隊(6月26日到着予定)との合同で攻撃を開始する、というテリー准将からの命令を無視し、進撃開始を決断します。
カスター指揮下部隊の編成・・・諸説有り
第七騎兵連隊12個中隊(士官28名下士官兵550名)
G・A・カスター中佐直率大隊221名
C中隊(カスター大尉:弟)E中隊(スミス中尉)F中隊(イェーツ大尉)I中隊(キーオウ大尉)L中隊(カルフーン中尉)
M・A・リーノ少佐指揮大隊175名
A中隊(モイラン大尉)G中隊(マッキントッシュ中尉)M中隊(フレンチ大尉)
F・W・ベンティーン大尉指揮大隊120名
D中隊(ウィアー大尉)H中隊(ベンティーン大尉直率)K中隊(ゴッドフリー中尉)
●T・M・マクドゥーガル大尉指揮/B中隊62名
第七歩兵連隊2個中隊(C、G中隊)士官20名下士官兵220名
第六歩兵連隊1個中隊(B中隊)士官8名下士官兵135名
第二○歩兵連隊砲兵分遣隊(ガトリング砲二門)士官2名下士官兵32名
インディアン斥候隊(クロウ族34名、スー族4名、混血2名)
軍医(3名)通訳(2名)道案内(2名)民間官吏(2名)新聞記者(1名)輸送隊(馬車隊6隊、ラバ隊3隊)軍属179名
6月25日12:00時頃
カスター指揮下の騎兵三個大隊(主力カスター大隊/集落北側攻撃・リーノ大隊/集落南側攻撃・ベンティーン大隊/集落南西側偵察&退路遮断)の内、リーノ大隊及びベンティーン大隊が先発・・・各歩兵中隊及び砲兵分遣隊・補給中隊は野営地残留。
6月25日14:00時頃
カスター指揮の主力大隊出撃。
6月25日15:00時過
リーノ大隊攻撃開始・・・リトル・ビッグホーン川を渡河し下馬・徒歩にて突撃・・・しかしインディアン側の猛烈な反撃に遭い、多くの損害を出し撃退(15:30過)され、リトル・ビッグホーン川対岸の断崖上(現在のリーノ・ヒル)まで撤退、防御陣を敷く(15:50時頃)。
6月25日16:00時頃
カスター大隊集落北側に丘陵に到着・・・ベンティーン大隊及び補給中隊に対し合流命令の伝令を出す。この頃既にカスター大隊の動きはインディアン側に察知されており、クレージー・ホースゴールに率いられたシャイアン、フンクパパ、ミニコンジュウ、オグララなどの各部族の戦士たち約3000名(複数説あり)が身を隠しカスター大隊を包囲する為移動していた。
6月25日16:30時頃
カスターからの伝令によりベンティーン大隊は応援に向かうが、途中インディアン側の激しい攻撃を受け、合流を断念・・・リトル・ビッグホーン川断崖上のリーノ大隊防御陣地に合流。
同時刻頃カスター大隊、リトル・ビッグホーン丘陵頂上付近(現在のカスター・ヒル)でインディアン側に挟撃され、各中隊毎に防御陣を組み(カスターを含むC中隊を先頭に、右翼側をF・E中隊、左翼側をI・L中隊としたV字隊形)自らの乗馬を射殺し遮蔽物にして防戦するも、奮戦空しく全滅(17:00頃までに)。カスター中佐指揮下の合衆国第七騎兵隊の一個大隊と軍属、新聞記者、クロウ族の斥候隊264名が命を落とした。CUSTER'S LAST STAND
6月26日〜27日
リーノ大隊及びベンティーン大隊、インディアン側の執拗な攻撃を防戦・・・散発的な狙撃が続き損害を多数出す。その後テリー将軍の司令部及びキボン大佐指揮の主力部隊がリトル・ビッグホーンに到着し、インディアン側は序々に後退始める・・・リーノ大隊、ベンティーン大隊救助される。
6月28日午前
リーノ大隊とベンティーン大隊の生き残り部隊がカスター大隊の惨劇の地に到着・・・戦死者の確認・仮埋葬を行い撤退する。第3ラウンド・・・インディアン側勝利

知ってても余り得しない物知り知識
.スターは第七騎兵隊の正式な指揮官ではなかった・・・
正式な指揮官はサミュエル・D・スタージェス大佐(南北戦争時はカスター同様将官まで昇った)で、リトル・ビッグホーンの戦いの時は別途派遣任務で連隊を離れていた。
▲スターはインディアンが大軍なのを知っていた・・・
クロウ族の斥候の報告により、インディアンの集落が予想以上の大集団である事を、カスターは事前に知っていた。斥候たちは作戦中止を進言したがカスターはそれを無視、敵戦力を過少評価し、自分の指揮下部隊だけで蹴散らせると考えていた。現在では、カスターは独断専行する事により勝利を一人占めしようとしていた、と考えられている。1876年はアメリカ独立百周年記念の年であると共に大統領選挙の年でありカスターが大統領職を熱望していたのは間違いないらしい。大統領選に出馬し勝利する最も近道は爛ぅ鵐妊アンを殲滅した英雄瓩箸靴胴駝韻涼輒椶鮟犬瓩觧だったと思われている。
最後まで従ったクロウ族の斥候たち・・・
クロウ族は早くから合衆国政府に帰順し、斥候隊員として大きく貢献していた。クロウ族は伝統的にパウダー川の流域からロッキー山脈に渡る土地で暮らしていた。ここにはバッファローが多く棲息した絶好の狩猟地で、この地を巡ってスー族とは永年の宿敵だったので、白人と手を組む事が永年の宿敵と決着を着ける絶好の機会であると考えていた。戦闘開始前、クロウ族の斥候たちが騎兵隊の軍服を脱ぎ、クロウ族の伝統的な衣装に着替えていたので、カスターが理由を聞くと「自分は今日死ぬが、死ぬ時はクロウの戦士として死にたい」と答えた。その為カスターはクロウ族の斥候たちに戦わず後退するように命令したが、彼らは最後までカスターに従った。
ぅぅ鵐妊アンは馬鹿ではない・・・
「壮烈!第七騎兵隊」では、孤立し円陣を組んだ騎兵隊員たちの周囲を、インディアンたちが騎馬でまるで撃ってくださいとばかりにグルグル回っていたが、実際は多くの戦士が騎馬ではなく身を隠しながら近づき戦った。遮蔽物のない騎兵隊員たちは自らの愛馬を射殺しバリケードとしていたが狢神に無勢畧鐺は僅か30分〜60分位で終結したらしい。インディアンたちの多くが昔ながらの斧、棍棒、皮剥ぎナイフ、弓矢、槍を主たる武器として戦ったが騎兵隊員たちは隠密裏に移動するためサーベルを野営地に置いて来ておりこの為白兵戦ではインディアン側が有利だったらしい。
ゥぅ鵐妊アンのライフル銃の方が高性能だった・・・
この時代、騎兵隊の正式装備ライフル銃はMODEL1873スプリングフィールド・トラップドア後装式単発カービン銃で、この銃は一発ずつ弾丸と薬包を装填し発射しなければならなかった。それに対しインディアン側は毛皮の交易で白人商人から手に入れたMODEL1866ウィンチェスター弾倉装填式13連発ライフル銃を多数所持(推定20%)していた。この銃は南北戦争時に使用された爛好撻鵐機悉(金属薬莢薬室式七連発)畊渋い瞭探に改良を加え完成したライフル銃で、その後改良され西部開拓史上最も有名な「ウィンチェスターM73」ライフル銃へと発展する銃である。
Π貘旅況發忙臆辰靴織ぅ鵐妊アン戦士は何人いたのか・・・
インディアンには元来数量の観念がなかった為、はっきりした史料は残っていない。最も少ない人数は合衆国政府が算定した北部シャイアン族120人、ハンクパパ及びサンティー・ダコタ族260人、オグララ・ダコタ族240人、ミニコンジュウ族150人、サン・アーク族110人、その他のダコタ族120人の1000名。しかし最近では1500名以上いた事はほぼ間違いないと言われている。インディアン側の損害は60名程度であったと伝えられている。因みにインディアンの総数は最大1万人はいたという説もある。
Дスターは頭の皮を剥がされていなかった・・・
6月28日テリー将軍とギボン大佐の援軍到着後、リーノ大隊とベンティーン大隊の生き残りがカスター大隊の救助に向かった。しかし時既に遅く、戦場には惨たらしい姿で戦死したカスター大隊の兵士の遺体が残されていた。戦死者の遺体の殆んどは軍服・下着を剥ぎ取られており頭部は叩き割られ、頭皮が剥がされ、手足は切り取られ、胴体は切り刻まれ、多くの矢が突き刺さり、複数の銃弾が打ち込まれており身元の確認は難航した。後の調査によれば、それらの残虐行為はインディアンの女子供たちによって行われたとの事である。カスターの遺体には頭部と胸部に二カ所の弾傷があった。衣服は剥ぎ取られていたが頭皮を剥がされてはいなかった。しかし死後加えられた傷が多くあり、片方の太腿が抉られ、手の指が一本切り取られ、生殖器に矢が突き刺さっていた。そして両の耳から木の棒が突き刺さされていた。弟のカスター大尉の遺体は更に惨たらしく、胸を切り開かれて心臓が切り取られ、手足は切断され、喉をかき切られ、頭部は鈍器で叩き潰されており、腕に残ったTWCの刺青が唯一の身元確認の手掛かりだった。リーノ大隊とベンティーン大隊の生き残りは、身元確認を終えると、遺体の仮埋葬を行いリトル・ビッグホーンの戦場を去って行った。まだインディアンの襲撃を受ける脅威があった為だった。カスター以下の兵士たちの遺体が正式に埋葬(改葬)されるのは、それから1年後の1877年7月2日、第七騎兵連隊から選ばれたI中隊の兵士たちがM・V・シェリダン大佐に率いられ再びリトル・ビッグホーンの地を訪れた時であった。この時、戦死者の遺体発見場所が調査、確定された。現在この戦跡は「カスター・バトルフィールド」という国定公園兼国立墓地になっており、対インディアン戦争で命を落とした多くの兵士が埋葬されている。
┘スター一族の死・・・
この戦いにおいてカスター一族は大きな痛手を負った。ジョージ・A・カスター中佐の他に、C中隊長で実弟のトーマス・W・カスター大尉、官吏として同行していた実弟のボストン・カスターと従兄弟にあたるオーティ・リード、そしてカスターの妹婿のL中隊長ジェイムズ・カルフーン中尉がカスターと共に命を落としている。
リトル・ビッグホーンの戦い唯一の生き残り・・・
ダスティ・ホフマン主演の「小さな巨人」という作品では主人公がカスター大隊の斥候としてリトル・ビッグホーンの戦いに参加し、唯一生き残るが、これはあくまでも創作・・・実際の唯一の生き残りはI中隊長キーオウ大尉の乗馬であったコマンチ号で、体に七か所の矢傷と弾傷が残された姿で発見・保護された。コマンチ号は現在剥製となってリトル・ビッグホーンの記念館に展示されている。

カスター指揮の第七騎兵隊の全滅により世論等でインディアンへの報復の声が高まった為、合衆国軍による徹底的な掃討戦が開始されます。「ウォーボネット川の戦い(ネブラスカ7/17)」「スリム・バッデスの戦い(ダコタ9/9)」「ダル・ナイフの戦い(ワイオミング11/25)」「ウルフ・マウンテンの戦い(1877/1/8)」と、撤退するインディアンたち対し執拗な追撃戦が展開されます。そして総司令官シャーマン将軍は第七騎兵隊に対し、新たに2500人の兵士を補充・・・このカスター復讐部隊は1890年の爛Α璽鵐妊奪鼻Ε法爾竜垰Ν事件を引き起こし、合衆国軍とインディアンとの戦いは終焉を迎えます。第4ラウンド・・・合衆国軍圧勝

こうしてアメリカ人に語り継がれる英雄伝説が生まれました・・・でも英雄なんて生まれなくてもいいから戦争は映画だけにして欲しいもの・・・そう思う今日この頃です。【続く】


【File078】戦場の好敵手・・・多勢に無勢【中編Vol.2c】

2003年03月07日(金)

何か、また中東で戦争が起こるかも・・・明日にでもテポドンが飛んでくるかも、って時に、こんな事を書いてる事自体も何なんですが、それはさて置き、いや〜ッ思いの他入れ込んでしまって「多勢に無勢・・・カスター編」もパート3まで来ちゃいました。でもまだ終わらせられませんよ・・・。ここまで書いたら行けるとこまでお付き合い願いましょう。犢臀姐餬VSインディアン激闘史の中でも最大の出来事・・・「リトル・ビッグホーンの戦い」で合い見えた戦士たちの真の姿とは・・・。それでは開演《開演ブザー》です。いつものように携帯電話の電源はお切り下さい。【いつもの如く、この書き込みに史料的価値はありません】

ジョージ・アームストロング・カスター
GERGE ARMSTRONG CUSTER(1839〜1876)

南北戦争・フロンティア期の米国軍人。1839年ミシガン州モンロー(オハイオ州説もある)生まれ。1857年ウエストポイント陸軍士官学校入学。1861年卒業(南北戦争勃発の年:同級生の半数近くが卒業前に南部に戻った)。専攻兵科は騎兵科。学科筆記科目の成績は級友中最下位、しかし戦闘実技(射撃、剣術、乗馬、状況判断等)トップクラスの成績だった。最初配属されたのは砲兵の輸送隊や弾着観測気球隊だったが、1863年念願の連邦(北)軍第2騎兵隊に配属(大尉:騎兵中隊長)。バージニアの戦闘で、危機状態の友軍騎兵を救援し敵を撃退、この功績によりミシガン州義勇騎兵旅団長(連邦軍義勇名誉准将:23歳:連邦最年少将官/戦時特進)に任命された。南北戦争最大の激戦「ゲティスバーグの戦い」において、名将スチュアート将軍指揮の南軍騎兵主力(500騎)が実施した迂回奇襲作戦を劣勢兵力で応戦し、これを撃退。1865年連邦軍義勇名誉少将に昇進。以後各地を転戦し、4月12日南軍総司令官リー将軍の降伏調印の場面にも立ち会った(この降伏調印に使用された机は、後にシェリダン将軍からカスター未亡人に贈られた)南北戦争における最も著名な英雄の一人。戦後、軍の平時編制移行に伴い階級が正規軍大尉に戻るのを不服として一時退役し、故郷に戻り結婚(妻エリザベス・ベーコン/愛称リビー)義父の仕事など手伝うが、軍への復職願望が強く、知古を通じた猟官運動の結果、1866年第七騎兵連隊付中佐(連隊長ではない)に任官。実質的部隊指揮と訓練を担当し、インディアンとの抗争が始まると部隊を率いて各地に出動。1968年11月27日にはオクラホマ州ワシタ河畔でシャイアン族の集落を襲い、虐殺事件を起こす。後、過酷な任務を部隊兵士に課し命令を拒否した兵士へ厳しい処罰を行った事により一時休職させられ、また前任の陸軍長官ベルクナップ将軍(グラント大統領の親友)が関わった軍事物資の不正取引を糾弾した為に軍務を解任させられそうになる(以後グラント大統領に睨まれる)等常に問題を起こした。1874年シェリダン将軍の命により、部隊(政府関係者・学者・鉱山技術者と護衛兵士計1000名)を率いスー族保留地(1868年ララミー条約にて認定)内のブラック・ヒルズを探査し金鉱脈を発見(カスターが政府に出した報告書は「ブラック・ヒルズ地域が金鉱地としても酪農業地域としても最適である」という内容で、それにより大規模な開拓移住とゴールド・ラッシュを誘発、以後のインディアンと白人との抗争・・・ひいては自らの死の要因となる・・・)1875年ブラック・ヒルズ領有を巡る合衆国政府とインディアンとの交渉決裂が誘発したインディアン討伐戦が始まると、ダコタ軍のテリー将軍指揮下で第七騎兵隊を率い、居留地から逃亡したスー族とシャイアン族を追撃した。1876年6月17日に行われた「ローズバットの戦い」により当初予定の作戦(他部隊合同の挟撃戦)が実行不可能にも関わらず、指揮下第七騎兵隊主力のみでインディアンの一大野営地リトル・ビッグホーン河畔へ向かう。6月25日、自ら主力大隊を率い挟撃作戦を試みるも敵兵力と配置の判断を誤り、スー・シャイアン族中心の部族連合大集団に包囲され、部隊は全滅、自らも戦死した。享年37歳。その墓碑銘には「合衆国陸軍名誉少将は1839年12月5日ミシガン州モンロー郡に生まれ、1876年6月25日リトル・ビッグホーンにて、全部隊と共に散る」と刻まれている。南北戦争時より長髪の金髪と黄色の絹製スカーフを靡かせ、専属の仕立屋による派手な軍服(士官以上は軍服は自前)で目立っていた(当時まだ珍しかった写真肖像 肖像 肖像 肖像 肖像 肖像を数多く残している事からも、目立ちたがりの性格が伺える)が、第七騎兵隊に配属後は白い鹿皮で出来たジャケットで一層目立つ格好をし、実際の階級は中佐だが部下には狆軍と呼ばせていた。愛用の銃はコルト・パーカッション・モデル61ネービー。愛馬の名は爛瀬鵐妊。ベトナム戦争以前、彼に対する大半の評価は「南北戦争の英雄で、フィロンティア開拓の大いなる犠牲者」であったが、ベトナム戦争以後、民族・人権主義運動が昂揚してくると「若くして将官の地位に昇った為に精神的未成熟で、利己的かつ自己顕示が強く、自らの野心や出世欲(最終的には合衆国大統領)の為には部下や女子供の犠牲も厭わない冷酷な軍人」というような評価に変わってしまった。しかしある意味(.ぅ鵐妊アン虐殺は政府・軍の方針∋峙い猟稾造靴討い辛隊を鍛え直した7殻害鯒い醗き換えに不正に目を瞑らせられたぜらの素行故か10年近くも昇進がなかった、等)彼は「常に軍の命令と任務に忠実であろうとし、何よりも第一線で部下と共にある事を望んだ根っからの兵士・・・騎兵だった」とも言える。そして伝記によれば「彼は勇気と自信を兼ね備え、常に危険と栄光を求めた。全くアルコール類は嗜まず、煙草や賭け事もやらなかった。時に楽天的で情熱的、また精力的で粘り強く、名誉を重んじ臆病を最も嫌った。豪胆で自制が効かなくなる事も度々あったが、反面温かい心の持ち主で、家庭では忠実で献身的な夫であった・・・」と。

附設 米軍における「戦時昇進:野戦任官=TEMPORARY RANKS」
米軍は、平時においては予算等の関係で兵力・編成が縮小されていて、戦時になると予備役州兵(NATIONAL GUARD)沿岸警備隊(US.COAST GUARD)を指揮下に加え、兵力を増強する仕組みになっていました。また指揮官が戦死した場合、次席者が指揮権を継承しますが、旧日本海軍では犒確畩宜堽甅によって指揮権委譲が細かく設定されていたのに対し、現場での状況判断で臨機応変に指揮官を決定し、作戦を続行する様になっています。これに対応するシステムが狎鏤昇進とか猝鄒鑁ご鵜と呼ばれる特別昇進制度(TEMPORARY RANKS=一時的な階級)です。これには(捨倭強(部隊増設)に伴う対応、と∪鐺による消耗への対応、があります。,録景埓部隊の各級指揮官を充足する場合、基幹となる古参部隊から士官や下士官兵を抽出し、昇進(尉官→佐官、下士官→士官、兵→下士官)させ新設部隊の指揮を執らせる事。これは第一次大戦後兵力を制限されたワイマール共和国軍で、少ない兵員を高度に訓練し、ナチスによる再軍備時に急激に膨張したドイツ国防軍各部隊の基幹要員たる士官・下士官とした事例にも当て嵌まります。また戦前の合衆国海軍では、平時昇進による最上位階級は牾し馨将で、戦時に艦隊や職位が新設された時点で、中将や大将に一時的に昇進させ指揮させるシステムになっていたようです。陸軍でもアイゼンハワーなど開戦前まで万年大佐だったのに、欧州反攻連合軍総司令官(元帥)職に抜擢された後、僅かな期間で狎(将官の階級章)を増やしています。合衆国軍の組織は、士官学校や兵学校卒業時の先任順位や席次(ハンモックナンバー)、陸大、海大の卒業が昇進や任官に大きく影響した旧日本軍とは異なり「危機対応に促した柔軟な組織機構」だった訳です。△六愆官が戦死した場合、例えば激戦で中隊長(大尉相当)以下の将校が殆んど戦死してしまった部隊で最上級者が軍曹だった場合、臨時に少尉や中尉に昇進させて中隊の指揮を執らせる事。戦争映画でもよく見られるシーンですなぁ・・・有名なところでは「史上最大の作戦(THE LONGEST DAY1962)」オマハ地区の戦闘で工兵が防壁の下に爆薬を仕掛けるシーン、工兵将校が全員戦死してしまった為に第29歩兵師団副師団長コータ准将が、軍曹を臨時に少尉に任命します。それから名作「地獄の戦線(TO HELL AND BACK1955)」でのオーディ・マーフィー・・・先任者が次々に戦死した為、僅か数年で二等兵から中尉(退役時)まで昇進(まぁ本人の武勲の結果でもあるんですが)次に佳作「重戦車総攻撃(THE YOUNG WARRIORS1966)」でも主人公ハッカーが分隊長クーリー軍曹の負傷直後軍曹に昇進、相棒のガスリーも伍長に昇進してました。まぁ「地獄の戦線」のフィルム流用なので生姜無いか・・・さらに隠れた名作「プライベート・ソルジャー(WHEN TRUMPET'S FADE1998)」1944年の独ベルギー国境での激戦で、部隊が大損害を被った為、主人公マニング上等兵は僅か三日の内に上等兵→軍曹→中尉になってしまうのが凄い。極め付けは「脱走大作戦(THE SECRET WAR OF HARRY FRIGG1968)」では、極秘作戦の為とは言え、主人公ハリー・フリッグ二等兵をいきなり(陸軍航空隊の)少将閣下にしてしまう太っ腹・・・結局は曹長で大団円。さてカスターですが、1961年に士官学校卒業と同時に騎兵少尉に任官後「壮烈!第七騎兵隊」では司令部の副官が、カスターが無断で乗って行った軍馬を早急に返却するように・・・という命令書と、空席になった騎兵旅団長の任命書の宛名を書き誤るという凡ミスからいきなり少尉から旅団長=准将になってしまいますが、実際は中尉を経た卒業三年目の大尉から准将(義勇軍名誉准将)への野戦任官(四階級特進)だったようです。それでも若干23歳で閣下と呼ばれる身分・・・かのヤン・ウェンリー(銀英伝)が28歳で准将(帝国軍には貴族出身の10代の将官はワンサカいましたが)。皇帝ナポレオンは26歳で共和国軍少将(まぁ革命のどさくさって言や〜そうですが)。独空軍のエース、アドルフ・ガーランドが空軍少将になったのは僅か30歳。第82空挺師団ギャビン准将は幾つだっけ・・・?しかしながらカスターの階級には犁鼠Ψ殻祥・・・というオマケが付いてるんですよ。そう、あくまでも犧だけサービス!って言う但し書きです。戦争が終わり軍が平時編成に戻ると、昇進前の正規の階級であった狎亀軍大尉に戻されます。今まで部下として、自分の指揮下にあった正規軍の少佐や大佐から逆に命令される訳です・・・それがカスターには耐えられなかったんでしょう・・・一端軍を退役します。これなら退役前の階級である犁鼠Ψ殻祥西将を公式の場で名乗る事が出来ました・・・ただし頭に犖記が付きますがね。しかし彼の軍人としての血・・・とりわけ根っからの騎兵の血が、軍務への復帰を強く欲し、結局は1866年に知故を頼りに手に入れた辺境警備の犁格赦隊長付中佐として任地に赴く訳です。因みに彼の直属上司・・・第七騎兵連隊長スタージェス大佐も南北戦争時は将官でした。また部下の騎兵隊員の中には元将校の下士官や兵が結構いたようです。戦後の急激な軍組織の縮小によって炙れた軍人たちが倏悗吠△鯤僂┐蕕譴梱に飛びついたのが、フロンティアの西進によって需要が昂まった辺境警備の騎兵隊だった訳ですな。カスターは言ってます「歩兵の将校よりも、騎兵の一兵卒の方がましだ」と・・・。

シッティング・ブル
SITTING BULL(1837年〜1890年)フンクパパ・バンド(スー族)

クレージー・ホースやジェロニモと並び西部史上最も有名なインディアン指導者。伝統的な文化や生活、慣習を棄てさせて白人文明社会に組み入れようとする合衆国政府の「同化主義政策」に対し、抵抗し続け他の部族からも人気が高かった。彼は戦士というよりは猴集声圻であり犒鎧姚だった。1876年の合衆国軍との戦いでは、彼の手腕によりスー族七部族(オグララ、フンクパパ、ミニコンジュ、ヤンクトン、サンティ、ブルーレ、サン・ザーク)そして北部シャイアン族とその同盟関係の雑多な部族、更に北部アラパホ族が結集した。シッティング・ブルという名は、白人たちにとって彼の本名タ・タン・カー・ヨ・タン・カーを発音出来なかった為、英語表記で呼ばれた名(他のインディアンの人名や地名も同じ)。幼名は飛び跳ねるアナグマ。元来タ・タン・カー・ヨ・タン・カー=座れる雄牛という名は、彼の父親の名であるが、14歳の初陣で手柄を立てた褒美に父親から名を譲られた。その後、族長を継ぎ幾多の部族を率いる指導者へと成長していった。リトル・ビッグホーンでの勝利後、合衆国軍の激しい追撃をかわし、僅かな手勢を率いカナダ領内(サスカチュワン地方)へと逃れたが、厳しい生活環境と食料不足から、1881年遂にマイルズ将軍指揮下の部隊に降伏。スタンディング・ロック保留地に一時収監されたが、後に釈放。白人達はカスターの部隊を全滅させた偉大なる酋長に興味を示し、1885年にはバッファロー・ビルのワイルド・ウェスト・ショー興行に参加させられ、各地で好奇の目に晒された。しかし彼は頑なに自分の主義を変えようとはせず、後に「白人は皆大嫌い。お前達白人は泥棒で嘘つき。お前達は我々の土地を奪い我々を浮浪者にした」という言葉を残す。その後は居留地で隠棲していたが、1890年12月15日暴動を扇動しているとして、彼の逮捕状が発行され、執行官に包囲される。その時、彼は「私は行かない。さぁみんな立ち上がれ」と叫び、それに呼応した周囲のインディアンたちが騒ぎ始めた為、執行官が発砲・・・その一弾が彼の体を貫き・・・最も偉大な酋長の一人シッティング・ブルの魂は天へと還って行った・・・。

クレージー・ホース
CLAZY HORSE(1849年〜1877年)オグララ・バンド(ダコタ・スー族)

最後まで白人たちに抵抗し、部族の文化と生活を守る為に戦い続けた偉大な戦士で第一線指揮官、数多歴戦の戦士の中でも最高の勇者だった。1876年6月25日の朝、出撃に際し「ダコタの戦士たちよ。今日は戦うには良い日だ・・・死ぬには良い日だ」と叫んだと伝えられている(しかし犹爐未砲藁匹てだ=it's a good day to die瓩魯ぅ鵐妊アンの一般的な言葉で、色んな酋長が叫んでいる・・・)。幼少時の名は「巻き毛」。13歳の初陣で敵部族から丸ごと馬を盗む手柄を立てた(馬は最も大切な財産のひとつで、馬泥棒は捕えられれば過酷な拷問の後、残忍に処刑された)。その後も豪胆かつ機敏、更に冷静さによって幾多の手柄を立て、20歳で部族戦士団のリーダーとなり、先祖代々受け継がれる偉大な族長の名「タシュンカ・ウイトコ=狂える荒馬」を父より譲られた。白人との対立が激しくなった1865〜68年頃には、同じく偉大な酋長レッド・クラウド(妻の兄。彼の結婚はシッティング・ブルがお膳立てした、と言われている)率いる部族と手を結び、W・フェッターマン大佐率いる騎兵隊を全滅させるなど、西部に「クレージー・ホース」の名を轟かせた。彼は本来の自然と共存した文化や彼らの生活様式を頑なに守ろうとし、白人の生活や文化を拒み続けた。西部史上最も有名なインディアンの一人ではあるが、現存する写真が一枚も無い(表示の写真は近年発見された、彼が降伏した後に撮影された物ではないか・・・と言われている写真)のは、その顕れだろう。白人との表面上の平和協定(ララミー条約)期間にシッティング・ブル等有名な酋長たちの写真は数多く残されているにも関わらず・・・。リトル・ビッグホーンの戦い後、猛烈な合衆国軍の反撃に遭い、シッティング・ブル達はカナダに逃げ延びたが、クレージー・ホースは1876〜77年に渡りゲリラ的抵抗を続けた。しかし多くの戦士を失い、またバッファロー激減により女子供たちが飢餓に襲われた為、1877年5月6日遂にG・クルック将軍の部隊に降伏した。収監中に特別保護区に移動させられる事になった為、逃亡を計画したが事前に察知され、逮捕・監禁の為の執行官が派遣されて捕えられ、留置場へ連行される時に些細な事から看守と争いになり、その時銃剣によって刺殺された、と言われている。時に1877年9月7日、偉大な酋長であり戦士クレージー・ホース・・・死去。享年28歳。彼の死後、合衆国政府は残ったスー族の酋長たちと交渉し.屮薀奪ヒルズを含む多くの土地の権利放棄∨棉瑤任亮輓銚∧棄8魎江魴錣箸靴胴臀姐饑府による生活の保証など白人側に有利な条約が締結された。これによって「豊かなる実りの大地ブラック・ヒルズ」は白人のものとなったのである・・・。

さて、これでやっと仕込みが終わりました。次回は「多勢に無勢Vol.2」の最終回・・・でもまだVol.3があるって・・・自爆。運命の赤い糸は、すべて「リトル・ビッグホーン」の戦場へと繋がっています。次回「リトル・ビッグホーンの戦い」の真実・・・やぁ、なんかヒストリー・チャンネルみたいだなぁ・・・。ところで、カスターってパットンに似てませんか・・・顔じゃなくて人生が・・・【続く】

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