2016年12月06日(火) |
存在には必然性がある。意味のないものは存在できない。 平野敬子 |
http://plaza.rakuten.co.jp/kokkino/diary/201101060000/より覚書
◆平野さんの朝の過ごし方は?
3時50分に起きる。まずやることは、自宅前を両隣の家まで掃除をして公道を清めること。 オフィスではメールへの対応とか、毎日こなさなければならないことが山積みなので、 オフィスに出る前の朝4時から7時の間に本を読んだり、考えをまとめる。 デザイナーになりたいと思っていたわけではないが、父親が建築家で、 子供の頃に二次元の図面が立体になるという仕事をみてきたし、 ものづくりのライブ感を味わえたことが影響しているのかもしれない。
デザイナーとは、職人と違って技術が経験によってうまくなるものではない。
◆年月を重ねることで向上するものは?
認識力、俯瞰で物事を見る訓練を重ねることである。 デザインの仕事は作品ではないので、さまざまな物理的な条件の集積、 状況を束ねていってひとつの成果、結果を生みださねばならない。 そのために、判断力とか本質を見抜きながら結果を出すための認識力が求められる。
製作の過程において、クライアントや現場などいろんな人とかかわるなかで、 ゆらぎながら形にしていくのですか?
相手によってゆらいではいけない。自分が明確なビジョンを持ちながら、 結果に対する方法論や意思がずれていかないようにしないと、 結果に対して責任が持てない。
◆どういう思いでデザインをしているのか?
存在には必然性がある。意味のないものは存在できない。 なので、不用意に新しいものを生み出すことはとても抵抗がある。 人でも物でも単独で存在することはまずない。 すべては関係性に基づいて存在し、生活や生きることも社会の構成員の一人であると自覚し、その前提のもとに生きる方が健全である。
◆携帯電話の「所作」というシリーズデザインはどういう思いで作ったのか?
5年前位に作ったものだ。当時私は日常的に携帯電話を媒介として 不快に感じることが多かった。お店の中でマナーもなく電話をかける人の声とか、 会議中にかかってくる電話とか、自分はそういうことで、 他人に迷惑をかけないように極力気をつけていたが。 依頼があったときに、一週間くらい悩んだ。 時代を象徴する非常に興味深い対象だったので、 デザイナーとして取り組みたい気持ちと、 責任の重さに対するプレッシャーとか。 最終的には発信する側ではないと語れないこと、 自分ならこういう回答を出すという理想を考えてみたいと思いokした。 今の時代には携帯電話はなくてはならない道具なので、 その前提があるのならば、その道具が介在することによって、 環境の美観が整ったり、周りの人の気持ちいい体験が共有できないかな、 ということを「所作」のプロダクトのデザインに込めて行った。 使っている人にとって気持ちいい体験になると同時に、 気持ちいい着信音が流れてきたときに、 周りの人も気持ちいいとか。人を思いやる心を反映させたいと思った。
このプロジェクトで、私の立場で考えなくてはならないのは、キャリアのことだった。 プロダクトの開発を通して、その企業の技術や意識の素晴らしさを、 お伝えすることもデザイナーの仕事で、よくイメージが高まるとか、 そういう言葉を使うが、イメージではなくて、素晴らしい企業体であるという実態は、 物の精度で伝わると思う。ものの完成度、技術性の高さ、それがほんとに素晴らしい企業だったので、直接的高圧的にマナーを正しましょうというよりは、 「所作」という言葉を使って間接的に、美しい立ち居振る舞いを促す道具、 内発的に変わっていく携帯の扱い方や、持った人の潜在意識に訴えるような、 ナビゲーションがしたいと思った。
◆デザインしていて大変なことは?
大きなプロジェクトの後には、そのときには集中力が何年も続くのだが、 区切りがつくと入院したりとか。完全燃焼しないことの方が後悔が残るので。 与えられた最後の一分一秒まで考え抜きたい。そうすることによってエネルギーが込められるから。
デザインをよりよくするためにやっていることは?
外部の情報をシャットアウトして瞑想的な時間をよくもつ。 ときに情報を取り入れる期間とシャットアウトする時間を両方使い分ける。 既成事実として世の中に表出しているものを知らなくてはいけないし、 類似的なものを作ってはいけないので。そのために情報を取り入れることは必要。 でも新たな物をゼロから生みだすということは、まだ見ない表現なわけなので、 情報をシャットアウトすることが必要である。
◆デザインは時代を映すのか?
デザイナーは時代精神のなかで求められている意識を具体化する、 具現化する仕事だと思っているので、当然時代の空気であるとか 時代のバイブレーションというのかな、そのようには敏感に反応しているとは思う。 しかし今感じているものはすでに過去のものだから、未来ということをいつも予測する。 今の時代が過去と比較して素晴らしいわけではない。 現状認識に対して問題を感じているとしたら、 進化したりよくなっていると錯覚している。たとえば生活雑器でも、 昔は生活のなかで丹念に作られた漆などが生活に取り込まれていた。 そんな贅沢が日常的に可能だったが、今は職人の確保でさえ難しくなってきている。 昔は当たり前のように可能だったことが不可能になっている。
◆尊敬する方は?
よく読んでいる本は数学者の岡潔さんのもの。 吉田松陰のように、私心がなくて天命を全うした人の生き方は美しいと思う。 何になりたいではなくて、天命として与えられた仕事を、 生涯通じて美学を体現した実践者がいると思うと、 自分の中に抱えている問題なんかほんとにとるに足りないなと思う。 勇気を与えていただける、感受性や美意識に対して尊敬の気持ちしか湧かない。
◆デザインは社会とどうつながるべきなんでしょう?
デザインとは目に見えない意識を、デザインの言語で翻訳することによって、 認知できる具体化するメカニズムを有するもの。たとえば駅のサインは、 デザインが介在することによって人の導線がスムーズになって、社会生活に秩序が生まれる。直感的なことを意図的に促すのが、デザイナーの仕事だと思う。 美しい秩序が生まれることによって、社会の役にたてるといいなと思う。
◆今年の特徴は?
日本のプロダクトにおいて、3Dにかかわる表現が目立ってきているが、観察していると、 言葉と実態のギャップが広がっていると思う。錯覚の世界、バーチャルリアリティと リアルの境目がないような世界に生きているのは、すごい危険なことだと思う。 バーチャルはあくまでバーチャルだから。
ここ数年B級グルメという新しいカテゴリーが、大矛盾の造語ですが、 B級を肯定する感覚がデザインの世界にも顕著に現れている。 プロフェッショナルのスキルが求められているというよりは、 アマチュアニズムというか、ゆるキャラなどの、造形の完成度ではない素人が支持される。 昔は恥ずかしい、かっこ悪いという抵抗感のあったものが、 タガが外れて抵抗がない。どんどんものは生みだされて増殖し玉石混交、 制作の現場でもジャッジする側の審美眼が問われる時代になってきた。
◆インターネットの時代はデザインに影響しているのか?
ネットワークの社会だと自制心とか、その現象に対する冷静な分析や読み解きが必要で、 世界に飲み込まれてしまうと、おそらく思考ができない。リアクション型の思考回路、 動くものに反応する動物のような反応は、考えるということではない。 そこからは新しいクリエイティブなものは生まれないように思えて仕方がない。 すでにみんなが知っているということは、新鮮でもなんでもない。独自性が薄れていく。 あらたに求められる能力とは、情報の処理能力、情報に洗脳されない、過剰に影響されないという独自のアイデンティティの確立が求められている。 そのためには善悪の尺度が重要になり、精神の鍛錬が求められるようになる。 情報に流され埋没することは容易なこと。情報が行き交う世界のなかで、 何かを窮める、高めるにはより強い精神力が必要である。 新しい尺度が必要である。時代が求めるモノサシ、それは量的判断ではない。 たくさん売れているからいいとか強いというだけではない尺度が必要なのだ。
◆これからデザインしたいものは?
日本のイメージ。海外に流れている日本に対する情報などは、実態じゃないイメージだと思う。日本中がコスプレで歩いているような。でも日本でもきちんと昔ながらの暮らしをしている人もいる。そんな、日本人の精神性や美しさを、誤解がないように発信していけるお手伝いをしていきたい。
2011年ラジオインタビュー
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